第20話 自分の信念

 ドライブデートの約束を取り付けた後、注文したメニューが運ばれてきて、二人で赤ワインを飲みつつパスタを咀嚼しながら、話の話題は琢磨の昔の話になっていた。


「へぇー! それじゃあ杉本君は俳優目指してたんだ! なんか意外かも」

「よく言われます。まあ、昔の話ですけどね」


 お酒の力も相まって、琢磨は昔目指していた夢の話を網香先輩にすらすらと話していた。


「大学に通いながら演劇の学校にも通って、その受講料を支払うためにバイトも掛け持ちして、毎日充実していました」

「そうなの」


 赤ワインを傾けながら、楽しそうに頷いて話を聞いてくれる網香先輩。


「でも、世の中そんなにうまくいかないですね。事務所のオーディションを受けても中々受からずもがいているうちに、あっという間に時間だけが過ぎて行って、気が付けば大学四年生になってました。そこで、夢を諦めて就職活動をするか、フリーターになってでも夢を諦めずに自分の道を突き進むかで悩んだ結果、就職することを選んだんです」

「それは、どうして?」


 網香先輩はパスタをくるくると丸めながら、ちょこんと首を傾げた。


「自分の意志が弱かったからです。『お前じゃ無理だ』とか『もっと現実見ろよ』とか、ふと周りからの視線や圧力に気づいて、その見えない重圧に夢を持つことを押しつぶされてしまったんです。

 ……結局は、人と違う道を進むのが怖くて逃げだしただけです。だから、逃げ出した俺には、何も残らなかった」

「そんなことないと思うけどな、琢磨君は夢を追った結果叶わなかった。それでも、踏ん切りをつけて、今は熱心に仕事しているじゃない」


 それはただ、網香先輩に褒められたいから。

 網香先輩にとって頼りになりたいという一身でやってきたことで、仕事自体に熱心だったわけではない。

 だが、ここで網香先輩にそれを言ってしまえば、琢磨が網香先輩のことを好きであると言ってしまっているも同然。

 琢磨は、頭の後ろを手で掻きながら、別の事を口にする。


「それは、網香先輩のおかげです。先輩が俺達にモチベーションを保たせるのがうまいから。俺はそれに乗せられて、目の前のタスクをやり遂げるだけですよ。正直言っちゃえば、今の仕事は本当にやりたいことではないです」

「そっか……」

「だから正直、今は何も浮かばないんです。自分のやりたいことが何か」


 琢磨が心の内をさらけ出したことで、しばし重い空気が二人の間に立ちこめる。

 その沈黙を破るように、網香先輩が大仰にため息を吐いて琢磨を真っ直ぐに見つめた。


「そう思っているなら、あなたは出世すべきよ」

「……え?」


 唐突に言われた言葉に、唖然とする琢磨。

 網香先輩の表情は真剣そのもので、目の前にいる琢磨に反論を許さないような強い意志を感じた。


「夢を諦めて、今やっている仕事に夢を持てていないのであれば、新しいことに挑戦して、新たに夢を見つければいいの。人間そうやって何度も夢を見て諦めては挫折して、今の現状を自分で受け入れてこそ、何か自分にとって大切な信念のようなものを見つけることが出来ると私は思うの」

「自分にとって大切な信念、ですか?」

「そうよ。もちろん、転職っていうのも一つの手だとは思うけれど、今やりたいことが見つかっていない杉本君の場合は、夢という呪縛に捉われ続けることになる。このまま同じことを繰り返していたら、夢が理想に変わって、達成できない目標になってしまう。だからこそ、あなたは一度上の立場になって、新しい環境に身を置くことで、自分の信念を見つけてそれを機に新しい現実的な夢を見つけられるはずだわ」


 網香先輩の言葉が胸に突き刺さる。

 琢磨にとっての信念。

 夢を追いかけることをやめた琢磨にとっての信念とは、一体何なのであろうか?

 果して、あの時の判断は正しかったのだろうか?

 再び、自分の将来ということを深く考えさせられる。


「少しでも今、前まで描いていた夢に心残りがあるのならば、ゆっくりでいいから自分で考えることね。もちろん、諦められていないのなら、一念発起する気持ちで会社を退職して、また夢を追い続けるって選択肢も可能性としてはあるけれど、私達はもう学生時代のように自由な選択肢は残されていないのよ」


 網香先輩の言う通りだ。

 学生時代だからそこ、自分のやりたいことに没頭し、夢を追いかけることが出来る。

 しかし、学生という身分から社会人としての立場に変われば、責任や多くの義務が増え、本当に追い求めていた夢を諦めざる負えないことだって出てくる。

 それは、年を重ねれば重ねるほどに諦めざる終えなくて、現実を受け入れなくてはならない。


 改めて網香先輩を見れば、視点はぼやけて何かを見つめているわけではなく、どこか遠くを眺めているように見える。

 それはまるで、自分の過去を振り返っているような表情だった。

 琢磨はその表情を見て、思わず尋ねてしまう。


「網香先輩も、夢を諦めたことがあるんですか?」

「それはもちろん。私だってやりたくてこの仕事をやっているわけじゃないわ。現実を受け入れて、それでもって今を楽しく生きているの」

「それで網香先輩は、見つけることが出来ましたか? その、自分の信念ってものを」


 だからそこ、彼女に聞いてみたくなった。

 夢を諦めて現実を受け入れた彼女は、自分の信念を見つけることが出来たのかと。

 網香先輩はふっと微笑むと、首を横に振る。


「いいえ、私もまだ見つけられてない。だからこそ、信念を見つけるために、私は今やるべきことをこなして、がむしゃらに走り続けているのかもしれないわね。だから、杉本君ももし現実を見つめ返すことが出来るようになった時には、自分の信念を見つけて、新しい夢に向かって走り続けて欲しい。人生一期一会なわけだし、楽しまなきゃ損よ」

「確かにそうですね……」


 その人の人生は一生に一度きり。

 ならば、現実を見つめつつも、網香先輩のように人生を楽しまなければ生きている価値を自分に見いだすことはできない。


「あっ、ちなみにこれは、先輩としてじゃなくて、異性として私か切に願っていることだからね?」


 そこで網香先輩は、わざとらしく身体を屈めてにこっとウインクをする。


「へっ、それって……」

「だってその方が、杉本くんが仕事のできるモテ男子になって、育て上げた私としては鼻が高いから!」

「あぁ……そういうことですか」

「ん?」


 きょとんとした表情で首を傾げる網香先輩。

 異性として願っている言われ、てっきり自分のことを意識しているのかとドキッとしてしまった。

 網香先輩が言っているのは、一般的な意味での異性としてということで、特にそれ以外にこれといった意図はないらしい。

 琢磨は愕然とする反面、どこか網香先輩らしいなと改めて思った。


「さてと、それじゃ、とっとと食べて帰りましょうか! 明日も仕事だからね」


 先輩はぱっと表情を変えて微笑み、今の話は終わりだというようにパスタを頬張る。

 そんな呑気な先輩を見ていると、琢磨は少しやるせない気持ちが出てきてしまう。

 だって、自分の生きがいや人生設計としての信念がなくとも、恋愛においての信念は、既に琢磨は持ち合わせているのだから。


「先輩」

「ん、何?」

「網香先輩のそういうところ、カッコイイですね」

「な、何よ急に。おだてても何も出ないわよ!」


 恥ずかしそうに照れながらパスタを咀嚼する網香先輩。

 天然で可愛くてお茶目な部分もありながらも、鈍感で琢磨の気持ちに全く気付いてくれない先輩。

 けれど、現実をしっかりと見て今を生きている網香先輩だからそこ、琢磨は惚れ込んでしまっているのだろうと気付かされた気がした。

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