ノットヒーロー
御調
さる村にて
目の前に男の生首が現れた。
思わず一歩後ずさると、生首は得意気に口の端を歪めた。目を凝らしてみれば宙に浮いた首のその下に、周囲の景色から浮かび上がるように身体の輪郭を見ることができた。話に聞いた通りだ、と私は唾を飲む。
「あまり凝視しないでくれよ、裸なんだ」
男が
「服も着ずに客人を迎えて悪かったな。でも、これを見に来たんだろう?」
男は右腕をひらひらと振りながら言う。振るのに合わせて、腕の色がころころと変わる。日に焼けた赤、赤子のような白、鈍く光る銅、宵闇より深い黒。思わず見入ってしまうのを振り切って、私は答える。
「ああ、そう、そうだ。君を見に来たんだ。ええと、トゥイ・ハンラシ」
「村の連中がそう呼んだのか?シギと呼んでくれ、そっちが名前だ」
シギの言う通り、村の人間は彼をトゥイ・ハンラシと呼ぶ。直訳すれば「カメムシ男」となるが、意味を正しく理解するためには地域の事情を考慮する必要がある。このあたりには様々な色のカメムシが生息しており、かつて人々は一匹の虫が千変万化に色を変えているのだと考えてきた。あの小さな昆虫はここでは変化・変身を象徴するのだ。トゥイ・ハンラシを我々の感覚に無理やり近づけて訳すならば「カメレオン男」とでもなるだろう。目まぐるしく変化する彼の肌を見ればその名の由来は訊ねるまでもない。
私がトゥイ・ハンラシを探していると告げたとき、村の人々は複雑な表情を浮かべた。歓迎されていないことは明白であったが、かといって露骨に追い出そうという様子も見えない。ハンラシに会う目的を何度も訊ねられ、学術的調査のためのインタビューだと説明すると質問内容の事前提出を要求された。許可が下りたのは一週間ほど経ってからだったが、村長によるとかなり早い方らしい。待っている間に村の各所を巡りいくつかのトラブル解決に助力したのが好印象を与えたのかもしれないし、村長や助役の家々に差し入れた
とはいえ完全には信用されていないようで、立会人の同席が条件となった。立会人は強面の大男で、監視官やボディーガードと呼んだ方がしっくりくる風貌だった。事実、彼の役目は監視か護衛なのだろう。今も立会人の男は仏頂面を崩さぬままに腕を組み、私とシギの方を睨みつけている。嫌な緊張を覚えるが、とりあえずここまでの会話に問題は無かったのだろう。
私はシギに向き直り、事前に準備した質問のリストを取り出す。
「それじゃあシギ。これからいくつかの質問をしたい。無理には答えなくても良いが、協力してくれると助かる」
「構わないさ、お喋りは好きだ。楽しもう」
***
「まずはその身体だ。生まれたときからそうなのか?」
「ああ、生まれつきだ。先祖返りってヤツらしい」
シギが言うには、この村の伝承に彼と同じくトゥイ・ハンラシと呼ばれた英雄が登場するそうだ。身体の色を次々と変えることから忌み嫌われていた彼は、ある時その能力を活かして人食いの怪物を退治したことで皆に認められるようになった。そして英雄の子孫は村に危機が訪れれば力に目覚めるのだ。それが伝承の内容だった。
「酷い話だよな」
シギが皮肉めいた笑みを浮かべて言う。
「散々苛めてきた奴らを怪物から守ってやった見返りが『認められる』なんだと。しかも子々孫々村のために働けときた。どんな趣味の悪い奴が作ったお話なんだか」
村、ひいては指導者層への侮辱とも取れる発言だが、立会人の表情は変わらない。この程度は気にしないということか。私は脱線した話題を元に戻す。
「君はその英雄の子孫なのか」
「どうだろうな。この小さな村だ、誰と誰が親戚でもおかしくないさ。ただ―」
「ただ?」
「俺が村を救う、なんてのは有り得ない」
シギは冷笑的な態度を崩さないままに続ける。立会人は相変わらず無表情だ。
「それはどうして」
「義理も無ければ力も無い」
シギの態度を見ていれば義理が無いのは分かる。おそらくは先ほどの伝承の英雄と同様に、その体質を周囲に疎まれ、蔑まれ、忌み嫌われてきたのだろう。しかし力ならあるじゃないか、さっきも見せてくれた。身体の色を瞬時に変えてしまうなど普通の人間の能力じゃない。
そう指摘するとシギは人差し指を左右に振り、チッチッと舌を鳴らして否定した。的外れな指摘を正すのが愉快だと隠そうともしない態度だ。
「確かに他の奴にこんな真似はできないが、それだけだ。今この時代で何になる? 人食い怪物の首元にこっそり忍び寄るか? 仮に居たとして、銃でも撃った方が早いだろう」
「村長は君が動物を狩ってくれるから助かると言っていたが」
「はは、そりゃあ『罠を仕掛けるより安上がり』って意味だ。全裸でイノシシと対峙する方が罠より優れていることなんてその程度さ」
シギはわざとらしく声を上げて笑う。このカメレオン男はやはり、村の中で侮蔑の眼差しに苛まれて生きてきたのだろう。村人からしてみれば単純な気味の悪さもあったろうし、姿を消して何か悪さをされるのではないかという不安もあっただろう。一方で村の伝承によれば彼は救世主だ。そもそも伝承自体が男を疎んだ村人への戒めという性格も持っている。シギ自身も言うように、彼の能力が村を救う可能性は限りなく低いだろうが、そう簡単に割り切って伝承を無視できる者など特にこのような小さな村では多くない。結果として、現代のトゥイ・ハンラシは村にとって、気味は悪いが邪険にもできない厄介な存在になってしまったということなのだろう。
私の合点を見透かしたようにシギが言葉を続ける。
「この村の連中は、俺みたいなのを受け容れる度量も無けりゃ殺しちまう度胸も無いのさ。この家だって村の真ん中と言えば聞こえがいいが、要は全員で見張ってるってことだ。村の外には出してくれないし何が起こってるかも教えちゃくれない。アンタみたいな外の人間が俺を連れだしたり、外の情報を教えたりしないようにこうして見張りが付く」
シギは立会人の男を顎で指すが、男の方は依然として無反応だ。余計なことを言わせない代わりに余計なことも言わないというスタンスなのだろう。これも余計なことかと思いつつ、つい考えが声に出てしまう。
「そんな手間をかけるくらいなら会わせなければいいと思うが」
「そこはまあ、俺が村にとって全くの役立たずってわけでもないってことさ。…アンタ、俺に会うために幾ら払った?」
なるほど、村の人間のあの煮え切らない態度はそういうことか。村長に渡した手土産は古い自動車程度なら買えてしまう額だ。村内のトラブル対応にもいくらかの金を使った。世にも奇妙なカメレオン男というエサに寄せられた研究者や記者がこの村にとっての獲物の一つだったということだ。
「なるほど、君の獲物は今や怪物や動物でなく、私達だったのか」
「俺じゃなく村の獲物だよ。時代が変わったってことだ。姿を潜めて獲物を狩るカメレオンはもう死んで、今ここにいるのは釣り餌の芋虫さ」
言いながらシギはニヤッと笑う。私の表情に気付いたのだろう。
***
「さて、話は終わりか?」
「ああ、知りたいことは知れたよ」
用意していたいくつかの質問を終え、私は席を立とうとした。すると。
「それじゃあひとつ、俺の知りたいことも教えてくれよ。以前来た客が言っていたんだが、アンタの国には花火ってのがあるんだろ? あれはいつやるんだ?」
「…花火? 花火なんて知っているのか。いつと言われても知らないが、あれは夜空が暗いほど綺麗に見えるから―――」
立会人の男が大きく咳払いをした。余計なことを話すな、終わったら出ていけという意味なのだろう。もしかするとその過去の客に花火という知識を漏らさせてしまったことはこの男にとって恥ずべき記憶だったのかもしれない。
「―――新月の夜にでもやるんじゃないか?」
私はなるべく短く言葉を切り、その場を後にした。シギが後ろから間延びした声で礼を言うのが聞こえた。
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