最終話 愛してる

「…」


 今更気が付いたけど、この家のリビングは、1人だと意外と広い…。


 ボーッとテレビを眺めながら、ふとそんなことを思った。


 スマホを開いて、時間を確認すると、すぐに閉じる。


 はぁ…。とため息を吐いた。


「…なんでこんなにモヤモヤするんだろ」


 柚葉とカズはきっと今頃、夜ご飯でも食べている頃だろうか。


 そんなことを考えるたびに、頭がズーンと重く、胸の内がムカムカする。


 気晴らしに好きな曲を流してみるも、やっぱり考えてしまうのはカズのことで。


 もう、なんて言うか、


「…カズのばか」


 そう、口にせずにはいられなかった。


 ゆっくりとソファーから起き上がり、自分の部屋に戻る。


 クローゼットから淡い青色のワンピースを取り出して、着替える。


 財布と、小さな肩かけの鞄を持って玄関を開けた。


「久しぶりにスタバでゆっくりしよ…」


 カズが付き合い始めてから、行く機会が減ったスタバ。


 久しぶりにダークモカチップフラペチーノが飲みたくなった。


 それに、秋葉ちゃん曰く、最近の私には糖分が足りてないらしい。


 街灯が照らすアスファルトの上を、コツコツと、白色のハイヒールサンダルの踵が響かせた。



 お待たせしました〜。


 柔らかい声がして、そちらに振り向く。


 穏やかなダークブラウン色の液体が入ったカップを、こちらに手渡す店員さんが妙に可愛いなって思った。


「ありがとうございます」


 私がそういうと、「こちらこそ、いつもありがとうございます」とにこりと笑う。


 小さく微笑み返した。


 いつもカズと座っていたところに、違う男女が座っていて、仕方なく窓際のカウンター席に座る。


 はぁ、とため息をつき、カップを指で突くと小さく呟いた。


「いつもありがとうございます…かぁ…」


 いつもは、カズと学校終わりに来るんだけどなぁ…。


 ストローに口をつける。


 ツゥーっと上ってきた液体は、口の中にねっとりと広がり、嫌な甘さが舌を刺激した。


「なんかいつもより甘い…」


 そしてまた、ため息を一つ吐き出す。


「頼むんじゃなかった、グランデサイズなんて」


 『いつも』


 普段口にするその言葉が、今日はなぜか通用しない。


 いつも聴いている好きな音楽。


 いつも入っているスタバ、いつもの席。


 なにも変わらない、いつもの日常。


 …。


 だけど、今日もなにも変わらない『いつも』が来ると思っていたのに、何故かいつも通りにいかなくて…。


 それに、ずっとムカムカした感覚がまだ治らない。


 ゴクリと甘い液体が喉を伝う。


 今頃…2人はどーしてるのかな…。


 ご飯食べ終わって、帰って来てるのかな…。


 …。


 柚葉は…カズは今日、楽しかったのかな?


「…」


 そう考えた瞬間、なんでいつも通りに行かないのか、その答えがわかった気がした…


 いつも…。


 いつも…。


「あはは…そっか…」


 いつも通りに行かない理由。


 私の『いつも』は、隣にカズがいるのが当たり前で、今日の『いつも』には、カズが抜けていたんだ。


「そういえば、そうだったね…」


 いつもカズと聴いている好きな音楽。


 いつもカズと入るスタバ。


 なにも変わらない、いつものカズとの日常。

 

 私にとって、『いつも』とは、カズなんだ。


 ふと顔を上げる。


 そして、思わず「あ…」と声が漏れた。


 視線の先の男性と、小柄な女性の後ろ姿。


 それは見間違えようのない、カズと柚葉のものだった。


 その2人が両手に紙袋を持って、楽しそうに歩いていく。


 その瞬間に、頭にツーンとした痛みが走った。


「うう…いった…」


 頭を抱える。


 …なよ。


「え?」


 小さく、どこからか声が聞こえた。


 店員さんだろうか、それとも心配してくれたお客さんだろうか…。


 でも、ものすごく近くで聞こえたような気がする。


 そして、頭痛の第2波が来て、また頭を抱えた。


「…ほんと、なんなの…」


 そう、呟いた瞬間。


 —だからさ…。


 と、次ははっきりと聞こえた。


 声の発生源は…私の頭の中だ。


 その声が小さく笑う。


 そして、私によく似た声で、こう呟いた。



 —奪っちゃいなよ。



 はっきりと聞こえたセリフに、瞬きをする。


 奪う?


 できない…。


 そんなことできないよ…。


 だってカズは柚葉の大切な人で…。


 もう一度窓の外に目を向ける。


 カズと柚葉の姿が見当たらない。


 瞬間、ハッとする。


 追わなくちゃ…。


 私の中で、そんな考えが芽生えて。


 気がつけば私は店を飛び出していた。


 きっと今頃店員さんはびっくりしているだろうけど、迷惑はかけてないと思う。


 でも、今日はもう、あの飲み物を飲みたい気分ではなかった。


 


 カズ…カズ…。


 慣れないハイヒールサンダルで走る中、頭の中でずっとそんな声が反響していた。


 まるで頭の中の私が呟いているように。


 …。


 なんで私はカズを追いかけているんだろう。


 なんで柚葉のカレシのことをこんなにも思っているんだろう。


 私は姉として、カズの幼馴染みとして、2人の幸せを願う立場じゃないのか?


 …。


 分からない。


 もう、分からないよ…。


 今更、ずっと好きだったカズを諦めるなんてできない。


 でも、カズには柚葉がいて…。


 だから、もう、この気持ちをどこに捨てればいいか…分からないよ。


「はぁ…はぁ…」


 息が上がる。


 そして、とある公園で、足首の側面に痛みを感じて足を止めた。


 膝に手をついて大きく呼吸をする。


 顎を伝って落ちた汗が、アスファルトを黒く染めるのを見ると、すぅ、と大きく息を吸う。


 少し溜めてから、どんよりと星が見えない空へ息を吐き出した。


「…私、なにやってんだろ」


 …そうだ、カズが柚葉と付き合っているからって、明日、カズが居なくなってしまうわけではないし、今後会えないわけではない。


 ただ、その横にいられないというだけの話じゃないか。


 それはちょっと辛いけど…でも、


「私たち、幼馴染みだもんね…」


 友達以上、恋人未満。


 そして、幼馴染みというブランド。


 …。


 なんだ、私、結構恵まれてるじゃん。


 そう思ったら、少しだけ気持ちが楽になった。


 もう一度、すぅ、と息を吸って、空気を吐き出す。


 私は足を前に進めた。


「帰ろ…」


 汗かいちゃったし、もう一回お風呂に入って…。


 …。


「…あ」


 ふと目を向けた、街灯に照らされたベンチ。


 私は、きっとそのことを一生後悔するのだろう。


 2人の唇が重なる。


 数秒経って、静かに顔を離し、嬉しそうな、どこか気恥ずかしそうな顔をして見つめ合う。


 そして、ふふっと小さく笑うと、もう一度、2人はキスをした。


 …。


 …。


 その瞬間、私の中で何かが割れるような音がした。


 —なんで、柚葉なの…。


 頭の中で声が響く。


 —私ならもっと楽しませてあげられるし、カズを何十年先も好きだって誓える。


 —心から彼を愛してる。


 —それなのに、なんでカズは私に気付いてくれないの…。


 踵を返し、2人と逆方向に歩き出す。


 胃がムカムカして気持ち悪い。


 頭を掻く。


 髪の毛が雑に舞うのを感じた。

 

 なんで、私じゃなかったんだろ…。


 私の方が…私の方が好きだったのに…。


 その瞬間。


 頭の中ではっきりと私の声が響いた。


 —柚葉だって、私からカズを奪ったんだからさ…。


 正直、不気味だった。本当に自分に話しかけられてるような感じがして。


 でも…。


 —私も奪っちゃいなよ。


 …。


 でも、その声を受け入れた瞬間、私の心がスッと軽くなって、不思議と笑顔になっていた。


 ポツポツと雨が降り出す。


 私は暗い空を見上げた。


「あはは…そっか、そうすればいいんだ…」


 ボソリと呟き、よろよろと歩き出す。


 そして、どんなルートで帰ったのか、あまり覚えてないけど、大雨の中、ゆっくりと歩いて、よく見慣れた家の玄関を開ける。


 ハイヒールサンダルを玄関で脱ぎ、ビシャビシャのまま廊下に上がった。


 ワンピースからは水が滴って、所々肌色に透けている。


 髪の毛もシャワーを浴びた後みたいに水を含んでいて、気持ち悪い。


 階段をゆっくりと上がる。


 そして、よく見慣れた部屋のドアをゆっくりと開けた。


「あはは…カズ寝てる」


 ベッドに横になっているカズ。


 たぶん疲れて、力尽きるように寝てしまったのだろう。


 スマホを左手に持ったままだった。


 カズの傍に近寄る。


 唇を舌で湿らすと、ゆっくり寝ているカズの上に乗る。


「あはは…カズ、好きだよ」


 そして、彼の唇に、私の唇をそっと重ねた。




 …唇にしっとりとした感覚と、お腹辺りに程よく重い感覚がして目を覚ます。


 石鹸のような香りと、俺の顔に垂れるしっとりとした髪の毛。


 そして、重なる唇…。


 …。


 唇?


 ハッとして、驚きのあまり、そいつの肩を両手で押した。


 すると暗がりのなか、ふふっと笑う。


「カズ、おはよ」


「琴葉…お前なに…」


 俺の言葉を遮るように、また琴葉の唇が重なる。


 しっとりとして、柔らかい。


「ん…はぁ…えへへ、カズ好き」


「お前、ふざけん…」


 そしてまた彼女の唇が言葉を遮る。


 小さな水音と共に唇が離れた。


「ふざけてないよ…好き、大好き、私カズのこと愛してる…だからさ、私に浮気しない?」


 その言葉に、胸をギュッと締め付けられる。


「…できない、俺には柚葉が…」


 ふふっと笑い、またキスをされる。


 甘い香りが鼻を刺激した。


「…そのまま柚葉と付き合って、結婚して、子供ができてもいいの…それでね、柚葉が一ノ瀬じゃなくて、渡瀬柚葉になってもいいの。それでも、カズの中で、私が一番でいてくれれば、それだけで私は幸せだから」


「そんなの、ダメだろ…」


 俺がそう言うと、琴葉は小さく笑った。


 細く冷たい指先が、俺の首元から胸の方へすぅー、と撫でる。


「じゃあ、なんで私を押し返さないの? できるでしょ、やろうと思えばさ…」


 その問いに、ジーンと胸の中に何かが広がる感覚がした。


 水の上にインクを垂らした時のように、じんわりと、どす黒いものが全身に広がっていく。


 でも、俺はその正体を知っている。


 いつか感じていた、柚葉と付き合い始めた頃の罪悪感。


 それによく似ていた。


 琴葉は悪戯に笑うと、俺の左胸に手を当てる。


 ふふっと笑い、口を開いた。


「これまでも、これからも、ずっとカズのことが好き…だから」


 顔が近づく。


 そして、妖美な甘い声でこう囁いた。



「ねぇ、私でもドキドキしてくれる?」



 唇が重なる。


 しっとりとした感覚と、生き物のように動く舌が、脳をじんわりと快感で犯して行って。


 もう、いつの間にか、柚葉とのキスも思い出せなくなっていた。


 


 

 



 



 

 

 


 


 


 

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