第21話 誕生日

 8月4日の今日。


 外はかんかん照りの昼頃、机の上のスマホがブルリと震えた。


 珍しいな、と思いつつスマホを開く。


『やっほーお兄さん♪』


 柚葉からだった。


 思わず胸が弾む。


『ん、おはよう。どうした?』


『おはようって、今起きたの?』


 その質問に親指を立てた白いウサギのスタンプを送る。


 すぐに返信が返ってきた。


『お兄さん寝過ぎ…毎朝起こしに行ってあげよーか?』


 その文面に、ドキリとしつつも、ちょっとだけいいなそれ…って思った。


 …だけど、お互いせっかくの夏休み、毎朝うちに来てもらうのは、さすがに申し訳ない。


『嬉しいけど、大丈夫だよ』


 と、文字を打ち送信。


『りょーかい!』


 と、返ってきた文字からは、画面の向こう側で、にこりと微笑む柚葉の顔が想像できた。


『ところでなんだけど…』


 ワンテンポ遅れて柚葉からラインが来る。


『ん?』


『今からお昼食べに行かない?』





「いや〜毎日毎日暑いね」


 そう、ふにゃふにゃと呟きながらハンカチで額の汗を拭う。


 白色のスニーカーと、細いシルエットが際立つ黒いスキニー。


 そして、白色のロング丈のオフショルダーTシャツは、華奢な体の柚葉によく似合っていて、まさに都会の女の子って感じがした。


「お兄さん、今日の服どーかな?」


 そう言って、若干の上目遣いでこちらを見る。


 Tシャツの白が、ふわりと揺れた。


「よく似合ってるよ、なんかうまく言えないけど、柚葉って感じがする」


「…ふふっ、なにそれ、お兄さん語彙力なさ過ぎ」


 柚葉が小さく笑う。


「でも、ありがと♪私っぽいんだねこの服」


 と、誰かの家の窓ガラスに映った自分を見て、嬉しそうに微笑む柚葉であった。


「それじゃ行こう、おにーさん♪」


「行くって、店決まってんの?」


「うん! どーしても行きたい店あって…今日はそこにします!」


 嬉しそうに声のトーンを上げる。


 自然な流れで手を繋ぐと、暑いアスファルトの上を、バス停までゆっくり歩いていった。


 


「はい、おまちどー!」


 ゴト、ゴトッと席の目の前に大きな器が置かれる。


 黄金色の麺に、透き通った鶏ガラベースの醤油スープからは、食欲が湧き出す香ばしい香りが漂ってきた。


「えへへ〜久々のラーメンいただきまーす♪」


 割り箸をパキリと割ると、麺をすする。


 ん〜!ともぐもぐしながら唸った。


「NOラーメン、NOライフ♪」


 そんな柚葉の横顔が、異様にかわいかった。


「ん、どーしたのお兄さん?」


「…いっぱい食べる君が好き」


「ふふっ、なにそれ」


 俺も笑い返して麺をすする。


 ツルツルとした感覚が唇を通り、もちもちとした食感と、優しい醤油の味が口いっぱいに広がる。


 ゴクリと飲み込み、その後に鼻から抜けてきた空気は、しっかりと鳥ガラと醤油の香りがした。


「うまい!」


「でしょー、ここね、月に2回ぐらいは来てたんだけど、先月は来れなくてさ」


 そう言って、柚葉も麺をすする。


 咀嚼して飲み込むと、ラーメンを見つめたまま、口を開いた。


「誰かと来るの初めてなんだー、ここのお店」


「へぇ、そうなんだ、でも友達いるでしょ?」


「うん、友達はいる。でも、やっぱり女の子ってカップ麺は食べても店までは来なくて、それにカロリーとか気にしてる娘、いっぱいいるから…」


「へぇー、でも、食べたい物は食べた方がいいと思うんだけどな、俺は」


 麺をすする。


 一口目より、味がさらに分かって、まさに噛めば噛むほどってやつだと思った。


「うん。だから今日はね、ここにお兄さん来れて良かった」


 嬉しそうに麺をすすり、レンゲでスープをすくう。


 唇からレンガが離れると、ふぅ、と満足そうに息を吐いた。


「だから、また来ようね」


 こちらに顔を向けて、にこりと笑う。


 その唇はテカリと油で光っていた。


「だな」


 にこりと笑う。


 やっぱり、美味しいものを美味しく食べる柚葉は、本当に可愛いなって思った。

 



「あ、そう言えばお兄さん」


「ん?」


「この後、お兄さんの家行ってもいい?」


 俺の家?

 

 と、疑問に思いつつも、特に断る理由はないので、首を縦に振る。


 ありがとう、と嬉しそうに微笑むと、バスを降りて、再び歩き出す。


 柚葉の手は少しだけ汗ばんでいた。


 


 玄関の鍵をガチャリと回す…


 そして、ドアの取手を引いたその瞬間だった。


「あ、カズお帰り」


 突然のことで思わず、うわっと声を出してしまった。


 それを琴葉がクスクスと笑う。


「驚き過ぎ、いつものことでしょ?」

 

「…いや、不法侵入がいつものことって、だいぶヤバイからな」


「まぁまぁ、そんな事は置いておいて…さて、問題です、今日はなんの日でしょーか?」


「は? なんの日って…特に何の日でもないだろ」


 俺がそう返す。


 すると琴葉は、はぁ…と呆れたように息を吐き、やれやれと仕草を見せた。


「本当…逆に凄いよね、何で私たちの方の覚えてんだろ…」


「いや、だからなんだよ」


 すると、後ろの柚葉からも言葉が出てきた。


「お兄さん、もう少し自分を大切にした方がいいよ」


「え、柚葉まで…」


 まぁまぁ、と琴葉に手を引かれて玄関をあがる。


 そしてリビングのドアを開けた瞬間。


 クーラーの冷たい空気とともにパンと乾いた音が響いた。


 無表情の秋葉がクラッカーを握る。


「ハッピーバースデー、カズ兄」


 その言葉に一瞬、思考が止まる。


 そしてすぐに、


「あ、今日8月4日か…」


 今日が8月4日、自分の誕生日であったことを思い出した。


「もー、そーだよお兄さん」


「いや、まさか本当に忘れてるって思ってなかった…やっぱりカズってる」


「カズってるってなんだよ…」


 ふふっと笑い、さぁさぁと、椅子に座らせられる。


 秋葉が冷蔵庫からケーキを取り出すとテーブルの上に置いた。


 …もうこの際、うちの冷蔵庫を勝手に使っていことは、見なかったことにしよう。


 いちいちツッコンでいたら、拉致があかなくなる。


「カズ、包丁借りていい?」


「あぁ、構わないよ」


「ん、ありがと」


 と、るんるんとした表情で、ケーキに包丁を入れる。


「はい、まずは秋葉ちゃん、次に柚葉、私…で、カズ」


「おいちょっと待て」


「ん?」


「俺の小ちゃくね?」


 秋葉のケーキがワンホールの約3分の1そして琴葉と柚葉は残りのケーキを半分ずつして、俺のは…なんか、余りみたいなやつ。


 すると、ふふっと笑って琴葉が口を開く。


「カズの誕生日会だけど、別にカズのために用意したわけじゃないしー。あ、でもそんなに食べたいなら、はいあーん♪」


 と、一欠片のケーキをホークに刺してこちらに向ける。


 恥ずかしさと、馬鹿にされた憤りから、俺は「いらない」と顔を背けた。


「ふふっ、まぁ、でも…。」


 と、琴葉が柚葉とアイコンタクトをする。


 すると柚葉はにこりと笑みを見せ、部屋を出る。


 そして、すぐに戻ってきた柚葉の手には、小さいながらも、綺麗にラッピングされた箱が握られていた。


「こっちは、私と姉さんから、お兄さんのために」


「え…」


 と、琴葉の方へ顔を向ける。


 パチリとウインクで返される。


 柚葉の方へ顔を戻した。


「お誕生日おめでとう、お兄さん♪」


 手のひらサイズほどの箱が渡される。


 なんだか嬉しくて、思わず口元が緩む。


 ふふっと笑った。


「ありがと、久しぶりにプレゼントもらった気がする」


「うんうん…で、開けないのそれ?」


「え、今開けていいのか?」


「開けてもらった方が、私も、姉さんとしても嬉しいかな」


「分かった」


 首を縦に振って、ラッピングを剥がす。


 そして、出てきたのは、白色のスマホ用のケースだった。


「お兄さんさ、スマホそのまま使ってるじゃん?だから、ケースがいいかなって」


「そーだよ…柚葉、それ選ぶのに二時間もかけたんだから」


「姉さん!やめて!」


「店員さんにね、男の人ってどういうのが良いかって聞いて…私にも、お兄さんってこーゆーの好き?って…あー、なんか乙女だなーって」


「ああぁー!」


 柚葉が頭を抱えて、その場に蹲る。


 もう、耳まで真っ赤で、なんかそういう、かわいい小動物を見てる気分になって、俺は思わず笑った。


 でも、本当に嬉しい。


「そっか…ありがと柚葉」


「…うん」


「あはは。琴葉もありがとな、素直に嬉しいわ」


「ふふ…なら良かった」


 にこりと笑う。


 よく思えば、昼の柚葉とのラーメンも、全部これを用意するための策略で、いつも通り不法侵入もされ、しかもケーキはめっちゃ小さい。


 でも、俺の誕生日は覚えててくれて、プレゼントもくれて…。


 あぁ、なんて言うか。


 本当にいい奴らだなって思った。


 そんな俺たちを見て、


「…わからないのです」


 と、その横で、無表情で小さく秋葉がそう呟いたような気がした。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る