第19話 海デート

「あっちーな、ホント…」


 そう呟きながら額の朝を拭う8月1日。


 波の音と白い砂浜。


 賑わう人の声が、心の中で夏を誘う。


 キリッとした潮の香りが、風に乗って頬を掠めた。


「お兄さん、お待たせ♪」


 その声に振り向く。


 眩しい光景に、瞼をぱっと開けた。


「どーかな、似合ってるかな?」


 そう言いながら柚葉がくるりと一回転する。


 淡い緑色のオフショルダービキニを着用し、肩や、お腹、足を大胆に見せ、あらわになった白い肌に思わず、どきりと心臓が高鳴る。


 てか、制服だと気づかなかったけど、クビレすごいな。


 中でも1番目が行ったのは柚葉のお腹部分。


 見事にくびれた白いお腹は、なんとも初々しい色気を醸し出していた。


「あぁ、すげー似合ってる」


「えへへ〜ありがと♪」


 柚葉が遠慮なく照れる。


 本当に素直でかわいいなって思った。


「それでなんだけど…」


「ん、どした?」


「…これ背中に塗って欲しい」


 そう言って、出したのはどこにでも売ってそうな日焼け止め。


 ほんのりと頬を赤くする柚葉を見て、俺もドキリとした。


「おう、分かった」


 日焼け止めを受け取る。


「それじゃお願い」


 と、パラソルの日陰の、シートの上にうつ伏せになると、水着のフックを外す。


 白い背中があらわになって、心拍数が上昇する。


 …いや、深く考えるな、ただ日焼け止めを背中に塗るだけ。


 しかも相手は自分の彼女だ。


 何も緊張することないじゃん。


 そう自分に言い聞かせ、手に日焼けとを垂らす。


 そして、深呼吸をすると、柚葉の背中に日焼け止めを伸ばした。


 意外と温かくて、柔らかくて、サラサラしてる…。


 女の子ってこんな柔らかいんだ。


「ん…ねぇお兄さん」


「え、あ…なんだ?」


 ふふっと笑って、柚葉が口を開く。


「どさふさに紛れて、好きなところ触っていいよ♪」


 その言葉に、思わず手が止まる。


 俺の背中にじんわりと汗が浮かぶのが分かった。


「お兄さん、手止まってるよ?」


「あぁ、すまん」


 そう言って、再び手を動かす。


 最近、柚葉も俺をからかうようになって来た。しかも、いちいち心臓に悪いものばかり。


 なんか、あいつに似て来たな…。


「とりあえず塗り終わったよ」


 何事もなくてよかった。


 そう思いながら背中から手を離すと、水着のフックを付け直す。


 ふぅ、と小さくため息を吐いた。


「…ありがと」


 そう言って起き上がる。


 だけど、何故かその表情は曇っていて、どこか頬を膨らませているようだった。


「どーした?」


「…お兄さんの意気地なし」


「え…」


 そう言って顔をぷいと背けると、海の家の方へ歩いていった。


「え…えぇ、まじか…」


 なんかプライドみたいなものがポッキリと行った気がした。




「おにーさーん! そい!」


「うわっ! しょっぱ」


「あははは!」


 足が浸かるぐらいのところで、バシャバシャと楽しそうにはしゃぐ柚葉。


 …。


 さっきからバンバン俺の顔に水かけて来るんだけど。


 …でも。


「なぁ、柚葉、あれなんだ?」


「え、どこ? …なんもない…わっ!」


 振り返った瞬間、柚葉の顔面に海水を思いっきり当てる。


 その瞬間の柚葉の顔が面白くて、なんかドツボにハマってしまった。


「あはは! ゆ、柚葉、今の顔、ひでぇー!あはは!」


「もぉー! お兄さんのばかー!」


 そう叫ぶと、拳を上に構えて追いかけてくる。


「やば、逃げよ」


「んんー!」


 なんか、柚葉が楽しいなら、それでいいかな。


「え…やっ!」


 そんな悲鳴と同時に、ザバンと大きな波に頭から飲まれた。


 視界が水の中でぐるりと回る。


「ブハッ…柚葉!」


 すぐに起き上がり、辺りを見渡す。


 …柚葉がいない。


 その瞬間、心臓がドッドと重く動き出して、額から汗が垂れる。


 最悪の考えが浮かんできて、胃の中がキリキリと痛み始めた。


「柚葉! どこだ!」


 大声で叫ぶ。


 周りの人たちの視線が一気に集まるが、そんなもの、気にしている場合じゃない。


「柚葉! 柚葉!」


 すると、1人の女性が「あれ!」と沖の方を指差した。


 ふとそっちに目を向ける。


 するとバシャバシャと必死にもがいている、ポニーテールが視界に入って。


 気がついたときには、全力で泳ぎ始めていた。




 ゆっくりと目を開ける。


 硬めのベットの感触の中、視界に入ったのは白い天井と、窓から差し込むオレンジ色の光だった。


 まず最初に感じたのは、まるで全力疾走した後のような息苦しと、気管の方に水が入った時の苦しさ。


 大きく咳き込む。


「けほっ…けほっ…はぁ…」


 あぁ、そう言えば私、波に呑まれたんだっけ。


 大きな波に呑まれて、一瞬意識が飛んだと思ったら、足が着かないぐらい深い所に流されて…。


 お兄さんが助けてくれたんだっけ…。


「あれ、お兄さんは?」


 重い体を起こして部屋を見渡す。


 そして、隣のカーテンが風で揺れた時、その隙間から、お兄さんの顔が見えて、心拍数が重く上昇するのを感じた。


「え…お兄さん?」


 ベットから降りて、カーテンを開ける。


 お兄さんが目をつぶって横になっていた。


「なんで…お兄さんが…」


 …。


 …私のせいだ、私が海に行きたいなんて言わなければ…。


「ごめんなさい…お兄さん」


 その瞬間、病室のドアがガラリと開いて、「柚葉!」と叫ぶ声が聞こえて、すぐにそっちに顔を向ける。

 

 すると、目に涙を浮かべた姉さんが駆け寄って来て、バッと私に抱きついた。


「よかった…本当によかった…」


「姉さん…私…」


 姉さんの体の温かさに、目頭が熱くなって、気がついたら、私は涙が止まらなくなっていた。


 姉さんが優しく背中をさする。


「大丈夫、柚葉のせいじゃないから…大丈夫…」


 姉さんの声にも湿り気が混ざり始める。


 だけど、やっぱり姉さんの優しい声は、私を安心させてくれるのでした。




「落ち着いた?」


「うん…ありがと姉さん」


 私がそう言うと、ふふっと笑う。


 そしてお兄さんの方を見て口を開いた。


「カズ、熱中症だって。柚葉を助けた後、救急隊員の人に柚葉を預けた時に意識がなくなって、2人とも緊急搬送。点滴を打ってれば良くなるって」


「そっか…良かった…」


 その話を聞いて、胃の上の方が痛む感覚が和らぐ。


 はぁ。とため息を吐いた。


「カズ、すごいよね…ライフセーバーの人から聞いたんだけど、すぐに柚葉の所まで泳いで、そのまま、引き揚げて来たんだって…溺れて暴れてる人をそんな簡単に引き揚げてくることって、普通できないって言ってた」


「…うん」


 その時の記憶が頭の中に蘇る。


 足の方が冷たくて、バタバタするのやめたら、下の方に引き摺り込まれる気がして…。


 怖くなって必死にもがいていた私を、背中から抱きかかえて、そのまま陸の方に泳いでくれた。


 本当に、お兄さんがいなかったら私、今頃…。


「ん…、あー、なんか頭いてぇ」


 隣のベットからそんな声が聞こえて、顔をそちらに向ける。


 ゆっくりと目を開けたお兄さんが、自分の右手に点滴が刺さっているのを見て、声を上げた。


「うわ、点滴刺さってんじゃん…苦手なんだよなぁ…って柚葉…」


 私の方を見て、名前を呼ぶ。


 少しの間、じっと私を見つめると、ふっと笑って表情を崩した。


「よかった、元気そうじゃん」


 すると、自然に涙が溢れ出して来て、私はお兄さんに抱きつく。


「お兄さん…ごめんなさい…ごめんなさい!」


「いいから泣くなって、それに…ごめんって言われるのあんまり得意じゃないから」


 鼻をすすって、私は顔を上げる。


「…助けてくれて、ありがと…」


「あぁ、柚葉が生きてて本当によかった」


 そう言って頭を撫でながら、にこりと笑う。


 また、ブワッと涙が溢れ出す。


 あぁ私、本当にこの人のこと好きになってよかった…。


 お兄さんの胸元にグリグリと額を押し付ける。


 困ったようにお兄さんは笑った。


「羨ましいな…ほんと」


 気のせいかもしれないけど、姉さんがそう呟く…。


「それじゃ、わたし先に帰るね」


 にこりと笑って、姉さんは病室のドアを開けるのでした。




 


 











 


 


 


 

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