漂泊の民と海生り葡萄

 海岸線を歩き続けて数日、すれ違った小さな隊商から聞いた情報を元に、辿り着いたのは海に面した崖下の岩礁地帯だった。馬車は勿論、徒歩でも入り辛い危険な道のりだが、潮が引いた時に進めば町に辿り着けるのだ、と。

「眉唾だけどな、貝殻で出来た町なんて」

 証拠だと見せて貰った珍しい形の貝や、白くて丸い宝石などを思い出すと、商取引の出来る町があるのは間違いないらしい。崖上を進んでも国境に近づいて逆に危険が増える。最終的には赤紫鱗が占い用の石をひとつ放り、こつんと岩場の上に綺麗に止まったことで頷いた。

「難有れど恐るる無かれ。進むぞ」

「はいよ。モル、足に念の為何か巻くか?」

「んーん、へいき」

 基本裸足である巨人の少女は、厳つい岩の上を歩いても痛み一つ感じないらしく、潮だまりをぱちゃぱちゃ蹴って遊んでいる。一つ息を吐き、ブーツの紐を締め直してからスヴェンも歩き出した。

 先刻の隊商のように通る者も僅かながらいるのか、踏みしめられて平らな部分や、付けられた縄の手摺などがあちこちに残っている。しかし、みな容赦なく波に削られて、半ば沈んでいる場所の方が多かった。

「結構深ぇな、くそ」

「靴は不便であるな。足の爪を立てれば良いものを」

「出来ねぇんだよ……!」

 ちょっとでも油断すれば海藻が蔓延ってぬめる岩壁から滑り落ちそうになる。赤紫鱗は自分で言う通り、足の爪を岩肌に引っ掛けて器用に歩いていくし、モルニィヤはそもそも足が長い。スヴェンでは無理な穴や亀裂も一跨ぎで超えていってしまう。情けなさに歯噛みしつつも、後戻りする選択肢はない。ひいこら言いながら歩き続け――やがて、静かな海の向こうに浮かぶものを見つけた。

「ありゃあ、船か……?」

 手を翳して目を凝らすと、白っぽい色の船のようなものが何隻か波間に浮かんでいるのが見える。その上で漁をしているのであろう、人影も。

「あ!」

 スヴェンの仕草を真似ていたモルニィヤが何かに気づいたらしく声をあげた。青い瞳をきらきら輝かせて、スヴェンの腕を掴んで揺らしながら訴えてくる。

「おかさん! おなじ! もるにゃとおなじ!」

「……?」

「――まさか」

 意味が解らず目を瞬かせるスヴェンに対し、赤紫鱗の言葉は僅かに驚きで揺れていた。モルニィヤはちょっと首を傾げつつも、尚も言い募る。

「んと、ちょっとちがう? でもおなじ! すくないの、おおいの、いっぱいいる!」

「待て待て待て、一体何の話――」

 ばたばた暴れる娘をどうどうと宥めていると、爪先の向こうに広がる海の中で、ゆらりと何かが動いた。深く暗い海の中でも、届く光を弾き返しているような、青い隆線。魚か海蛇かと思いスヴェンは下がるが、赤紫鱗は警戒しているものの杖を構えはしない。何故、と思っている内に、水音を殆ど立てずにその青が顔を出した。

 ――少なくとも顔は、人の形をしているが、大きい。頭部も、水中に隠れた体格も、赤紫鱗の二倍は優に超えるだろう。細長い生き物に見えたのは、鮮やかな青色の長い髪が、海の中で揺らめいていたからだ。まさしく、モルニィヤによく似ていて、恐らく背丈も彼女より大きい。驚きで固まるスヴェンと赤紫鱗に対し、出てきた男は柔らかく微笑んで、ごぼん、と咳をひとつして口から水を吐くと、改めて流暢に喋った。

「ようこそ、陸のお客人。歓迎しましょう、我等が丘の里、アルブテスタへ」

 波間に悠々と漂いながら告げる巨大な男に、モルニィヤがもう一度、「いっぱいおなじ!」と叫んだ。




 ×××




 アルブテスタと呼ばれているのは、三方を崖に囲まれた小さな集落だった。

 地面は白い砂と岩地で、植物はほぼ生えていない。それ故、家屋は岩肌に張り付くような形で据えられており、建材は貝殻と海底の粘土を混ぜたものなのだ、と海から上がってきた青髪の大男は語った。海の中を悠々と泳ぐ姿はまさに魚のようだったが、両の足は地を踏みしめている。海の脅威として有名な鱗人のように、体に鱗や鰭が生えているのかとスヴェンは不躾にじろじろ見てしまったが、只人とほぼ変わらない――大きさ以外は。

「私の名は、プルーデンスデーシーデウム。呼びにくければ、プルーと。海原神ルァヌの涙と、水竜ナヤンブの鱗から生まれし一族の者です」

「………まさか、海の巨人と相見える機が有ろうとは。我は氏族の名も無き赤紫鱗、水竜ナヤンブの鱗より生まれしもの也」

 巨人の名乗りは、竜人の名乗りと何処か似通っているらしい。赤紫鱗も最敬礼で答えたようだ。プルーと名乗った巨人は気さくに笑い、大柄な体を縮めるように屈んでから微笑んだ。

「私も、ここ暫くは丘に上がることは滅多にありません。随分と懐かしい気配を感じ、上がってみれば、丘の我等の幼子とは」

 そう言ってモルニィヤを見るプルーの瞳は優しい。まるで親戚に、新しい命が生まれたことを喜んで迎えるかのように。モルニィヤの方はまたぱちぱち目を瞬かせて、ちょっと首を傾げたが。

「もるにゃとちょっとちがう? でもおなじ?」

「ええ、丘と海の差はあれど、我等は同じもの。遥か彼方に旅に出たとはいえ、我等の結び目は解けることはありません」

「じゃあ、この集落の奴らは……?」

 やや難解な共通語に首を捻りつつ、スヴェンも周りを見渡して思わず呟く。やはり貝殻と粘土で出来た船を海へと出したり、貝や魚を干したりしている集落の人々は、確かに体格のいい者は多いが、姿形は只人と殆ど変わらない。だが人によって、髪の色が一部だけ青かったり、或いはほとんど青いものもいた。鷹揚に頷き、プルーはスヴェン達を集落内に案内しながら説明を続ける。

「嘗て、此処に住まう只人と、我等の娘のひとりが恋に落ち、丘と海を混じり合わせて生きることを決めました。許すものも許さぬものもおりましたが、時は流れ、血は少しずつ混じり、広がり、この街を作り上げたのです」

 周りの人々は、プルーが通ると気さくに礼をし、子供達は喜んで声をかけてきた。彼らにとって、海から上がってくる巨人は尊重すべき相手であり、共に生きる相手であるのだろう。交通の便が悪すぎるのも重なって、他の国や権力者に干渉されない隠れ里となったのかもしれない。何せスヴェンの刺青を見ても、プルーも他の村人も珍しい図案だ、としか言わなかった。割と多くの国に知られている罪人の証にも拘わらず、だ。

 集落の中でひと際大きい家――恐らく巨人が上がってきた時の為の家なのだろう――に案内され、集落の長なのか随分体格の良い老人が、皿の上に海藻のような、大きな粒が鈴生りになった植物を盛ってやってきた。

「ようこそ、お客人。これは海の中で取れる葡萄だ、美味いぞ。きっとここでしか食べられない、さあさあ遠慮なく食べとくれ」

「あー、そいつぁどうも」

 漂泊の民としてはあるまじき歓待ぶりになんとも尻の据わりが悪いが、出された食事を拒否する理由は無い。透き通った一口大の緑色の粒を抓み、恐る恐る口に入れる。

「ん! ……甘ぇ」

「おいひぃ! あまい!」

「ふむ」

 噛むと口の中でぷちんと弾けた瞬間、ぬるりとした果肉と濃くて甘い果汁が口の中に広がる。塩辛い海の中でどのように形成されたのか謎だが、確かに美味だ。モルニィヤはすっかり気に入って、遠慮なく何粒も毟ってぱくぱく食べている。その姿を見ながら、プルーはにこにこと顔を綻ばせて何度も頷いた。

「うんうん、沢山食べるといい。君の名前は?」

「もるにゃ!」

「モルニィヤ、な」

「親から付けられた名が解らぬ故、我等が名付けた。原初の守りは、薄れてしまったやも知れぬが」

「いいや、貴方達の判断は正しい。こんな幼い子が名も持たずに生きる方が危険だ。……丘の子供を守ってくれたことに、感謝を」

 胡坐をかいた膝に両手を置き、深々と頭を下げるプルーにスヴェンは戸惑うが、赤紫鱗は鷹揚に顎を引くだけで「謝辞を受け入れよう」と返した。スヴェンとしては単純に呼べる名が無いと不便だからと付けただけなので、そこまで重要なものであると知らなかった。疑問の視線を自然と横にやると、受け止めた赤紫鱗がふんと鼻を鳴らす。

「巨人の名は、原初の守りとして父母から与えられしもの。愚を弾き、虚を否し、魔を退ける。故に、幼子が名を思い出せぬのは、如何にこれが弱っていたかの証左也」

「うー?」

 口の周りを海の葡萄の汁でべたべたにしながら首を傾げるモルニィヤには、今やそんな陰りは全くない。が、確かにこれだけの体格と膂力を持っている筈なのに、場末の奴隷商人のぼろい檻から逃げ出すことが叶わなかったのは、それだけ力が弱り、他者の悪意に怯えていたからなのだろう。

「そんな御大層なもんだったのかよ……ああモル、その手で砂触んな!」

 皿を空にして、剥き出しの床砂をいじって遊ぼうとした娘を慌てて止め、ぼろ布で手とついでに口も拭ってやる。

「んむー!!」

「ははは、元気な子だ。良ければ、集落の子供達と遊んでくると良い。皆君が気になるようだ」

 言われてスヴェンも振り向くと、家屋の入り口を大小さまざまな子供達が覗き込んでいた。モルニィヤがこの体つきでも幼子であることに、多かれ少なかれ気づいているらしい。当の本人はそちらを向いてから、スヴェンと赤紫鱗に向き直って問う。

「おとさん、おかさん、いっていい?」

「好きにせよ」

「集落の外には出んなよ」

「あいっ!!」

 許しを貰ってぱっと顔を輝かせたモルニィヤは砂を蹴って立ち上がり、子供達の方へ駆けていく。わっと盛り上がって外に飛び出していくのを見送って――ごく自然に三人とも、居住まいを正した。集落の長もいつの間にかいなくなっている。スヴェンにも赤紫鱗にも何となく予想がつくことを、これからプルーが言うことを分かっているように。

 緩く息を吐き、改まってプルーは透き通った青い瞳をふたりへ向け、もう一度深々と礼をした。

「改めて、感謝を。我々の遠き娘を守って下さり、誠に有難うございました」

「よしてくれ、俺達があいつを拾ったのは本当に偶然だ。名前を付けたのだって、少なくとも俺はそんな大層に考えてなかったぜ」

「それでも、です。丘の我等の寿命は短いのですから」

 どうにも居心地が悪くて突き放すと、笑顔でそんなことを言われたので目を見開く。もう一度隣を見ると、何事もないように赤紫鱗が続けた。

「丘の巨人は六百年、海の巨人は九千年。古い歌にも綴られている」

「どっちも長ぇよ」

「貴様にすればな」

 呆れて混ぜ返すと、何故か自慢されたような気がしたのでちっと舌を打つ。プルーが思わずといった風に噴き出して、嫌味なく続けた。

「失礼、只人から見れば巨人も竜人も皆、悠久の寿命を持つでしょう。この里でも、血が強く出過ぎた者は、皆海へ行きます。我等はそも水底で生まれ暮らすものですし、地上では生きにくくなる者も多い」

「? 丘の巨人、てぇのは陸に上がった巨人じゃねぇのか?」

「その通りです。だからこそ、彼等は我等よりもモノマナを失ってしまい、血が細くなり、病毒に侵されやすくなりました。現在、生き残っている丘の我等はとても少なくなったと聞きます」

「……モルニィヤの生まれし里も、恐らく病で潰えたのだろうな」

「マジかよ旦那」

「あれも記憶は曖昧になっているが、その恐怖を訴えていた。貴様が病を得た際にな」

 驚きに声を張り上げるも、冷静に説明されてばつが悪くなり、スヴェンは口を噤む。まさか自分が発熱で呻いている最中にそんな話をしていたとは全然知らなかった。碌な生い立ちではないだろうと薄々思ってはいたが。プルーも僅かに悲しそうに俯き、そっと呟く。

「そうですか……しかし彼女は肉と霊の密度が非常に高い、もっと成長すれば海で暮らすことも容易になるでしょう。……不躾ですが、あの子を此処へ、置いていくわけには参りませんか」

 覚悟はしていたことを明言されて、スヴェンは一瞬息を飲む。恐らく、隣にいる赤紫鱗も同時に。二人の葛藤をそのまま受け止めるように、プルーは青く深い瞳を真っすぐに向けて続けた。

「お二方があの子を慈しんでいらっしゃるのは十二分に解ります。だからこそ、あの子が溌刺と過ごせているということも。しかし、巨人にとって丘は確実に生きにくい場所になってゆくでしょう。これから六百年を過ごす内、様々な困難があの子に降りかかるでしょう。……ここ以外の只人の集落では、交じり合うことは非常に難しいのを、私も理解しているつもりです。故に、せめて幼いうちは少しでも穏やかに時を重ねて欲しいのです。あの子の親がもう潰えたというのなら、尚更です」

 巨人はあくまで真摯に、申し訳なさそうに――それでも酷く優しく、言葉を重ね、頭を下げた。

「勿論、あの子が望むのならばという前提になりますが。私と我が一族、この集落全てをかけてあの子を守り育てるとルァヌとナヤンブに誓います。どうか、どうかご一考頂ければと存じます」




 ×××




 好きなだけ滞在してくださいと最後に告げて、プルーは家屋を出て行った。恐らくそのまま海に――海底の里へ戻ったのだろう。あれだけの巨躯を持ちながら、腕ずくという手段を全く取らないこと自体が、彼の誠意なのだろう。

 家の中には竈が据えられていたが、薪が無かった。どうやって火を起こすのかと思ったが、中にある皿に魚油を入れ、乾かした海藻を火種にするらしい。多少手間取ったが、鍋を火にかけることが出来た。

 村長の妻を名乗る老婆が良ければどうぞ、と火のつけ方を教えに来たついでに置いていった干し貝柱を湯に入れる。これだけで旨いスープが出来るらしい。

「……」

 ぼこぼこと沸く鍋を見つめながらぼんやりしていると、横からぬぅと大ぶりの魚が差し出された。驚いて隣を向くと、赤紫色の鱗に覆われた顎が自分を見下ろしていて、肩の力を抜いて笑った。

「捕ってきたのかい?」

「否。村人の好意ぞ、有難く受け取れ」

「はぁ、随分と歓待されてんなぁ」

 皮肉にもならず笑ってしまう。そもそも、こうやって町村の中に受け入れられるだけ、何の職も持たない漂泊の民にとっては珍しいことなのだ。辺境の里ほど、余所者を嫌がる。商人でも旅芸人でも無い者は、賊の類と同じに見られても仕方ないのだ。

「モルニィヤと共に訪れたからであろ」

「……」

 ちょっと言い辛かったことをあっさり言われて、口を噤む。なんとも居心地の悪い沈黙――多分相手は感じていないから猶更――を誤魔化すように魚を受け取り、手早く捌いて鍋に入れる。海の魚は骨が柔いので、骨ごと煮込んで良いだろう。

 また、沈黙が落ちる。……プルーが提示したのは、まったくもって反論の余地のないことだった。ここから南下すると、今までの土地よりももっと大きな只人の国が増えることをスヴェンは知っている。人里に近づけば近づくほど、異端は忌避されていく。罪人も、蜥蜴人も、巨人も。今はまだ背の高い女にしか見えないモルニィヤも、このまま成長を続ければあの海の巨人ほどに大きくなるのだとしたら、驚き怯えられるだろうし、下手をすれば魔の者と同じ扱いになる。

 自分はいい。生まれてこの方定住したことは無いし、どうとでも生きていけるし、野垂れ死にが当然だ。

 相棒もいい。生まれ育った里すら留まる所ではないと宣誓したならば、この頑固者は死ぬまで歩みを止めないだろう。

 だが、あの娘は、あれだけ図体がでかくても、まだ幼い子供なのだ。本当ならば、親の庇護を受けていられたのだ。

 どうすればいい、と思わず口から出そうになって唇を噛んだ。そんな埒もない質問をする意味は無い。決めるのは彼女自身で、自分達ではないのだから。きっと赤紫鱗もそうとしか言わないと、長い付き合いで承知の上だ。

「ああ、糞」

 ぐしゃりと髪を掻き上げ、頭皮に爪を立てる。やはり、旅の連れが増えるのは面倒臭い。誰かを慮るなんて荷物を増やせば、歩きにくくなるだけなのだ。

「旦那、鍋見ててくれ」

「む。如何とする」

「吹きこぼれそうになったら降ろしてくれりゃいいさ」

 少しだけ戸惑ったのだろう、鼻先を振って鍋を見つめる赤紫鱗に笑い、スヴェンはあくまで軽い足取りで外に出た。




 ×××




 既に夕暮れで、金陽は水平線に沈みかけていた。

 モルニィヤは波打ち際で座り込んで遊んでいる。一緒に遊んでいた子供たちも三々五々、家に帰ったのだろう。スヴェンの足音に気づいたのか、ぱっと振り向く子供は笑っていた。

「おかさん、おなかすいた!」

 いつも通りの言い草に苦笑いして、海に近づく。波の穏やかな湾内だが、海の色は濃い。とても深いのだろう――多分恐らく、巨人達の住まう国も。

「プルーって奴と、何か話したか?」

「んーん? またね、ってもぐっちゃった」

「そか」

 本当に、モルニィヤの事を案じているからこそ、無理に誘うつもりは無いのだろう。あまりにも清廉すぎて逆に裏を疑ってしまうが、どうやら巨人とはそういうものであるらしい。嘘も謀りも必要無い程、強き者であるから――と以前、赤紫鱗が言っていた。

 座ったままの娘を見下ろす。足を波間に放り投げてぱしゃぱしゃと遊んでいるが、海に入る気は無いらしい。……前に、スヴェンが入るなと言いつけておいたからだ。単純に、彼女が泳げるかも解らなかったし、沖に流されれば危険だと思ったからだったけれど、無駄な心配だったのかもしれない。あの巨人のいう事が正しいなら、いずれ水の中でも平気で暮らせるようになるし、泳ぎも達者になるのだろうか。

「モル」

「んー?」

「お前、ここに残るか?」

 思ったよりも軽く言えて、自然と息を吐く。ぱちち、とこちらを見上げる青い瞳が何度も瞬いた。言われた言葉の意味が解らなかったらしく首を傾げている。

「ここに住むことが出来りゃあ、そうそう腹減らすことも無くなるし、住む場所があるってのは良いもんだろ。少なくとも漂泊よりかは、いい生活が出来る筈だ」

「おかさんとおとさんもいっしょ?」

 当たり前のようにそう問われて、喉が僅かに詰まった。口の端を引き上げて、あくまでさらりと続ける。

「俺は、俺達は、行くさ。旦那はまだしも、俺ぁそっちの方が性に合ってんだ」

「じゃあ、もるにゃもいく!」

「お前なぁ」

 あっさりと返事が返されて、笑えばいいのか呆れればいいのか分からない。言い募るのも何か違う気がするが、上手い説得も見当たらない。

「いいのか? ここにいりゃあ、さっきの葡萄も腹いっぱい食えるぞ」

「……ん!」

 ちょっと迷ったらしく、頷きが遅かった。余程気に入ったらしい。苦笑して、粘体に絡みつかれようが海水で洗おうが、全く痛まない青髪をわしわしと撫でてやる。

「分かった分かった。ただ、いざって時逃げこめる場所が出来たことだけは覚えておけ」

「にげこめる、ばしょ?」

 不思議そうな娘に言い含めるように、目線を合わせて告げた。

「生きるか、死ぬか、本当にやばい時に、ここまで辿り着けば助かる。そう思ってるだけで、大分楽だろうからな」

 漂泊の民に家は無い。漂泊の民に国は無い。吹かれて、流れて、いずれ倒れる。そういう生き方しか出来ないものだ。それでも、この地がこの娘を受け止めてくれると言うのなら、覚えておいた方が良い。きっとそれは、類稀なる幸運なのだから。

「……おとさんと、おかさんも、いっしょにくる?」

 何か思うところがあったのか、不安そうにスヴェンの服の裾を引っ張って訴えてくるモルニィヤに、笑顔で返す。

「そうだな、その時にゃ俺らも便乗させて貰うさ」

 きっとそうなった時は、自分達はもうくたばっている可能性が高いけれど、というところはおくびにも出さず。

「さ、飯にすんぞ。今日はスープだけだが、多分美味いぜ」

「たべる!!」

 砂を蹴ってがばりと立ち上がる娘に笑い、手を引いて暗くなった砂浜を並んで歩き出す。明日の朝には村人に逆方向へ抜けられる道を聞いて、そちらへ向かって歩いていこう、いつも通りに。




 ×××




 すっかり暗くなった沖の海に、顔だけ出してプルーはアルブテスタの海岸を見つめていた。豆粒のように遠いけれど、巨人の目と耳はこれぐらいの距離はものともしない。

「……良かった。あの子は本当に、幸せなのだな」

 吐き出す声は、心底からの安堵だった。恐らく誰にも気取られていなかったほんの僅かな心配が、ゆるゆると解けていく。

 巨人から見て、竜人は戦いを貴ぶがあまり血に塗れる者。只人はその弱さ故に他者を欺きまた騙される者だ。個体数の多い存在を一括りにするのは乱雑だと解っているから、指摘することは無いが、やはり警戒してしまう。生まれた時から完成されている巨人であるが故に、争うことも、虚言を弄する必要もないから、そうせざるを得ない者達を信頼するのは少し難しい。

 しかし彼らは、放っておけばきっと魂を痩せ細らせて死んでしまったであろう巨人の幼子を助け、守り、導いてくれている。それだけで、プルーの感謝は尽きることは無い。

「どうか、その子と共にいてあげてくれ。ほんの僅かな、瞬きの間だとしても」

 丘の巨人は六百年、海の巨人は九千年。――竜人は個体差もあるが、どれだけ伸ばしても五百年。只人に至っては、百年を超えるものは非常に少ない。プルーから見れば、どれも、あまりにも儚い。

「海に戻れば、その子の時もまた伸びる。伸びてしまう。だからどうか、海底で眠る時に、少しでも良い夢が見られるように」

 別れは悲しいが、必ず訪れる。巨人の魂は強靭で、数多の悲しみを忘れることは出来ない。だからこそ――思い出す度に顔が綻ぶような、楽しい思い出を増やしておいた方が良い。悲しみに負けて、魂が痩せ細り、涙を零して海を広げることしか出来なくなるのが、海の巨人の死だ。

「だからせめて、これぐらいはしておこう」

 プルーは微笑んで、海に潜る。只人が採取するのは中々大変な、海生り葡萄を沢山集める為に。

 次の金陽が昇る前に家の前に積んでおけば、きっとあの子は飛び上がって喜ぶだろうから。 











――――――――――――――――――――――――――――――――――――――








(ぶるるトラベル国際版・××××年××号トメクカタン国特集より抜粋)



名所その15 貝殻の城


地元の言葉で「白い貝殻アルブテスタ」と呼ばれるこの遺跡は、三方を崖に囲まれた湾内に堆積した貝殻と粘土が固まって陸地となり、それをくり抜いて動物や人間が暮らしていた跡とされています。

東海、南海、マシッロ海峡に挟まれたこの湾には昔から様々な海の堆積物が流れ着いており、海の汚れが悪化した××××年以降は様々な環境廃棄物も集まるようになり、遺跡保持の観点からも問題視されていました。現在は地元の方々の持続的な清掃作業や、不法投棄禁止条約などの効果により、まるで世界から切り取られたように美しい白色の浜と遺跡を、崖上や船から観光することも出来ます。

美しい白色が保たれているのは、周辺の海の温度が一年を通じて高く、塩分濃度が高い為、塩の結晶が遺跡にも含まれているからだそうです。

この湾の沖合には遥か昔に絶滅した巨人族が今も住まうとされており、海水が濃いのは家族や仲間を失った巨人達が海底で涙を流し続けているから、という伝説が残されています。天候は一年を通してずっと穏やかですが、数十年に一度ほどの頻度で大嵐が起こることがあり、現在でも「雷鳴の涙モルニィヤスィオージィ」と呼ばれています。

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