BLACK CHERRY
濁面イギョウ
夜の娯しみ
俺は今日も首輪でつながれて、お前の愛玩動物をやっていた。首から伸びたエメラルドみたいな革のリードが、お前の手元に向かっててらてら光っている。
椅子に脚を組んで腰掛けたお前は、紐が黒のレースでできていて、バーガンディーの布地で覆われた下着を纏っていた。それが肉付きの良い体にほんの少しだけ食い込んで密着している。対して俺は全裸で、部屋の床に両手をついてべったり座っている。
お前はサイドテーブルの皿の上に乗ったブラックチェリーを一つ取って口に運んだ。
「そういえばサァ、キス巧い人ってチェリーの茎口の中で結べるらしいジャン。試してみてよォ」
「んなことしなくても実際にすりゃ分かるでしょ」
お前はそう言ってチェリーの種を口からこぼすようにして吐き出した。
「ほら、一つだけあげる」
細い人差し指と親指が赤黒い実をつまみ、俺の目の前にやってきた。俺は指を噛まないように気を付けて、唇で食むようにして受け取った。愛らしい実が口腔に転がり込んでくる。一噛みすると、皮がプチッと弾ける音がして、肉厚な食感が歯を慰安する。瑞々しい果肉が五感をくすぐって、独特の酸味がある汁が熱く喉を下っていく。
口の中には種が取り残された。俺はそれを茶目っ気を出して、鋭いギザギザした歯で噛み砕いた。
「フフ、お腹から桜の木が生えてくるよ」
幼い子を見るような暖かいお前の目と、笑ってくれたことが嬉しかった。俺はニコニコした。
「そしたら俺の桜でお花見して♡」
「いいね。弁当でも用意してしこたま酒を飲んでやるよ」
それからお前は『一つだけ』って言ったのにもう一つブラックチェリーをくれた。俺は噛んだその断面を見て、溢れ出る紅い果汁を見て、ふと思った。残りを食べて、今度はちゃんと種を出して、言った。
「ブラックチェリーってサ」
「?」
「人間の体みたいじゃない? そっくりだよ、ねぇ、ねェ。また噛ませて?」
『そう』思ったら一気に俺のスイッチが入った。体の奥からどくどく衝動が湧き立つ。お前もそれを察したようで。
「しょうがないねえ……少しだけにするんだよ」
「ありがとうご主人様!」
「こういう時だけ主呼ばわりなんて本当に調子の良い子だね」
まあいいよ、とお前は組んでいた脚を解いて腿を差し出すようにした。俺は座ったまま這いずるようにそれ目がけて向かって行く。俺は左の腿に頬ずりして、そのなめらかさに恍惚とした。そのつややかさはさっき口にしたブラックチェリーとそっくりだった。
上から腿に唇を当てる。そして赤ん坊が乳を吸うみたいに控えめに口を開いて、尖った歯を突き立てる。皮膚を破って、肉の中へと侵入していく。厚い肉の層越しに奥の硬い骨を感じる。徐々に口を閉じるにつれ、筋肉の繊維が歯で断たれて、最後には一部が完全に離されて俺の口の中に舞い込んできた。丹念に、執拗に噛み締めると、表皮からも感じる良い匂いと、濃密な血の匂い、肉の匂いが品よく香り立つ。熱くて甘くて柔らかいその塊に、俺はすっかり火照らされた。勝手に荒くなる呼吸をする度に感覚が鋭敏にその美味みを捉えて、脳を快感のやすりで削られてるみたいだった。どんどん肉が細かくなっていってしまう。潤んだ視界で見たお前は俺を見下ろしながら満足そうでいた。最早ほとんど液体だけになった口の中のものを、俺は惜しみつつやっと喉に通した。俺の体温と同化した血と肉の液が喉奥を愛撫して去っていく。
「やっぱり、そっくりだった。でもこっちの方が美味しい」
「当たり前だね。アタシの肉なんだから」
俺はあの味わいが名残惜しくて、肉の削げた傷をぺろぺろ舐めた。
「ごめんネまた食べちゃって」
「どうせすぐ治るから問題無いよ」
だけどじきに血は止まって瘡蓋になってしまった。うっすらとした鉄分の残り香だけが感じられる。
「それよりももっと顔近づけなさい」
言われるがまま立ち上がって顔に顔を近づけた。お前は俺の後ろ頭を撫でるようにして右手で抱えて、くちづけをした。俺の口の中の腥い味と、お前の口の中の瑞々しい味が混ざって、熱いカクテルになっていく。お前の舌が俺の舌をさりげなく舐めた。お前の歯列をなぞっていると、隙をつかれて口腔を下から混ぜ込むように荒らされて、頭がぼーっとした。さらに仕返しとばかりにお前は俺の歯列を撫でて、仕上げに舌を縒るように絡ませた。口を離して初めて、自分が無意識に息を止めていたことが分かった。
「巧いだろ」
そう言ってお前は得意げに笑った。悔しまぎれに舐めた俺の唇は、お前の口紅が移って不味かった。
BLACK CHERRY 濁面イギョウ @nigoritsura
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