第6話「観測者の存在! そう、あなたのことよ!」

 コニチハ! わたしの名前は純空氷華すみぞらひょうか! またの名をピュアシャーベット! わたしはこれまで、どんなアクヤークも楽勝で浄化してきたわ。

 でも今回の敵、巨大化したアクヤークである〈メガヤーク〉は、すっごく手ごわいの。彼女を倒すためには、今までみたいに表面的な慰めだけじゃダメみたい。圧倒的な攻撃力と、あっと驚く慰めが必要なのよ! 何かこう、根本的に、すべてがひっくり返るようなやつをちょうだい! そういうのが要るのよ。みんな~、わたしに力を与えてちょうだい~!


 ◇


 シャーベットは倒すべき相手を思い出した。それは、この社会の中で大変な思いをしている人たちの存在を知り、後ろめたさに苛まれた女子大生である。というよりは、その罪悪感をもとに生み出された、巨大なアクヤーク〈メガヤーク〉である。メガヤークは、何かを後悔しているわけではない。自分がかつて行った特定の行為を悔み、反省しているわけではない。自らの特定の行為ではなく、自らの存在自体に罪悪感を生じているのだ。生まれたこと、そして生きていること、さらに幸福に生きていること、その存在自体に強い罪責の念と苦しみを生じている。罪悪感、ここに極まれりといった感じであろう。

「ひとまず離れるわ。ピピア、飛ぶわよ!」

「ピア!」

 シャーベットとピピアはメガヤークの肩から離れ、大学図書館の中央にそびえたつシンボル、〈時計塔〉の頂上へと飛び移った。

「何なのかしら、このメガヤーク。苦しまなくていい、あなたは悪くないの、って言ってるのに、全然慰められないのよ?」

「もしかすると、苦しむのが好きなのかもしれないピア」

「何よそれ」

「シンシッシッシ。シャーベット、よく考え抜くのです。その先に、必ずや答えが待っていることでしょう。シンシッシッシ、アーッアッアッア!」

 シンシーアは、まるですべて答えを知っているかのようなキャラクターポジションを印象付け、車椅子を操作してその場を立ち去って行った。なにせ、これからこのメガヤークという巨体が浄化されようとしているのだから、あまり近くにいると危険である。それゆえ、彼が立ち去ったのは賢明である。シンシーアよ、さらば。永遠なれ。

「シンシーア。あなたの思い、受け取ったわ。何だかよくわからないけどね」

「たぶん、公正であろうとすることは大事ピアけど、自分を優先することも大事だということを伝えに来ていたピア。彼がイノセシアで受けた扱いと、ギルセシアに心惹かれた話を踏まえれば、そういうメッセージが読み取れるはずピア」

「ピピア、あなたって読解力があるのね」

「照れるピア」

 シャーベットとピピアはとても仲がいい。毎日インカムで通話し、ずっと一緒に過ごしているだけある。ピピアがシャーベットとの別れを惜しむのは、ピピアにとって歴代ピュリキュアで一番仲良くなれたのはシャーベットだから、ということが理由の一つとしてある。シャーベットにとっては、記憶のある十歳から今日までの六年間、唯一できた家族、あるいは友人はほぼピピアくらいなものである。特別で、唯一無二の親友なのかもしれない。

「ねえ、ピピア。あなたって女の子が変身して戦うお話が好きなの?」

「そうピア。ずっと前、ピピアがたくさんの異世界を観測していたとき、一度だけ変身ヒロインが戦っている世界を見たことがあるピア。あれは感動したピア。ごくふつうの少女が、不思議な運命の歯車に巻き込まれて、伝説の戦士として悪と戦うことになるんだピア。怖くても立ち向かう勇気! 何度やられても諦めない心! そして命あるものに対する愛情! 彼女たちは、大切なものを守るために戦うんだピア。それは、ありふれた日常と仲間と過ごす時間ピア。何か大きなことを成し遂げようというんじゃないんだピア。ただ、今あるものを守りたいんだピア。ピピアは彼女たちの戦いを見て、生きる勇気をもらったピア。忘れてかけていた大切なことを思い出させてくれたピア」

 ピピアは早口で熱弁している。ありふれた日常を大切なものだと考えるのならば、なぜ人間界の少女を連れ去り、ピュリキュアとして戦う運命へと巻き込んでしまうのだろうか。他人の大切なものを気にかけることはできなかったのだろうか。大切なことが何なのかわかっているつもりでも、いざ日常を過ごしてみると、思いのほか不適切な振る舞いをしてしまうものである。ピピアは、高い能力をもちすぎていた。それを止めるものが何もなかったことが、悲劇の始まりだったのかもしれない。

「シャーベット。大学で男が言っていたことを覚えているピア? 虚構世界は実在するピア。干渉はできないけど、鑑賞はできるんだピア。ピピアは今でもアニメや漫画、小説内で活躍する彼女たちの姿を眺めているピア。彼女たちはいつも戦っているピア。ピピアはそれを応援するピア。この声は届かないピア。ピアけど、それでもいいんだピア」

 ピピアは異世界旅行をしたことがあるので、虚構世界が本当に実在することを知っている。それぞれの世界からすれば、自分の世界だけが本当の実在世界で、それ以外はすべて妄想や空想にすぎないフィクションだとされる。しかし、世界を外に越え出て、他の世界へ行った経験をもつピピアには、それが誤りだとわかっている。虚構世界は確かに実在する。そして、彼はそこで生きる特定の種類の人々の幸せだけを願っている。

「ピア。シャーベットもきっと、どこか他の世界の人たちから応援されてるピア。この世界をアニメか漫画か小説にして、記述してくれている作者がきっとどこかにいるピア。読者はそれを読んで、応援してくれているピア。シャーベットはそれに気づけないし、相手もこちらに影響を及ぼすことはできないピア。それでも、ピピアはいいと思うんだピア。自分の知らないところで、誰かが自分を応援してくれている、ということピア。これって、幸せなことだと思うんだピア。自分が知らなくても、自分が幸せなことってあると思うピア」

「それは確かに、そうかもね。この世界とは違うどこか別の世界で、わたしのことを想像して、わたしのことを書き留めてくれている人……。たとえばそう、小説を書くような時間的余裕のある大学生。文章を書くのが好きな文学部の学生で、小説を書くような部活に入っている男子大学生。変身ヒロインものが好きで、好きすぎるあまり、変身ヒロインものの小説を書いてしまうような人。それに、罪悪感を浄化されたいとも思っている、少し生真面目な大学生かしらね。――確かあの人、言ってたわよね。虚構世界の実在論を主張してた、若本さん。『想像することで、作家はフィクション世界とその内部での出来事を発見する』って。わたしも想像してみようかしら、わたしなりのフィクション世界、そして、その内部でわたしのことを小説として書いている男子大学生の人のことを――」

 ――シャーベットの意識作用は、次元の壁を越えてこの世界へと到達してきた!!


 ◇◇◇◇◇


 『この空の向こうへのラブリンク』

  作:純空氷華(ピュアシャーベット)


 私は氷華のことを小説として書いている。タイトルは、『ひとりでピュリキュア』。主人公は、純空氷華すみぞらひょうか。物語のキーワードでもある「purrify」と関連のある「純」。そして彼女の変身後のモチーフでもある氷属性を表す「氷」。そして私が変身ヒロインものの中でもっとも気に入っているキャラクターの名前に入っている「華」を入れた。「空」は、そのキャラクターが登場する作品の主人公の名字から取った。

 私は日曜朝の変身ヒロインものが大好きだった。

 当時大学一年生の私は、文芸部で何か作品を書こうとしていた。

 ちょうど、大学に入って初めてできた彼女と破局したばかりだった。原因はいろいろあると思うが、とにかくうまく行かなかった。男女交際をすると、特定の個人と真剣に向き合うことになる。その過程で、自分の身勝手なところや困り果てた欲求を自覚せざるを得なくなる。わたしは男女交際の文脈における自身の悪質さに悩まされていた。

 今後誰かと交際をすることがあるのならば、そのときはまたがんばりたい。しかし、今はとにかく癒されたかった。あまりに悪質な自身の生を肯定し、受け入れてくれる存在が必要だった。しかし、朝の変身ヒロイン作品は、恋愛の文脈において男子大学生が抱く自身の悪質さへの葛藤を癒してくれるような作品ではなかった。少なくとも、それが主目的ではない。

 部活動での、次なる作品の提出締切は近づいていた。


 そのとき、私の中で何かがつながった。


 ――罪悪感を癒してくれるヒロインがいないならば、自分で生み出せばいいじゃない  


 こうして私は、彼女を発見した。

「純空氷華」、素晴らしい。美しい名前だ。

「ピピア」、かわいい。鳥の鳴き声のようでもあり、〈ピュア〉という作品のキーワードも入っている、これ以上ないくらいの名前だ。

 また、純粋さを現す形容詞「pure」という単語は、動詞になれば「purify(ピュァリファイ)」である。これは「浄化する」、「罪や汚れを清める」といった意味であり、そのときまさに私が求めていることそのものだった。

 私は文学作品らしい描写をする実力はないので、文学としての優れた文章表現の高みを目指すのは初めから諦めた。とにかく、書きたいものを書こう。おもしろいと思ってもらえて、かつ自分の罪悪感を癒せる、そんな作品を書こうと決めた。

 私は、初めからシャーベットのことを大切に思っていた。彼女が幸せになることを強く願っていた。彼女が幸せになること、それを何人かの読者に見届けてもらうこと。これらを実現するのが、この作品において最終的に私がなすべき目標となっていた。そのためにも、この作品は何としてでも完結させなければならない。大学卒業までに完結させたい。ずっとそう思ってきた。

 しかし、私はこのシリーズを五話ほど書いてから、急に書くのをやめてしまった。二年間もブランクが開いたのは残念だった。原因の一つは、当初の罪悪感はもう十分にシャーベットからピューリファイしてもらえた、ということがあるかもしれない。本当は何度か書こうとしていたが、それらの原稿は未完成の草稿のまま今でも残っている。

 ありがたいことにこのシリーズは部員達からも中々好評だったし、続編を期待する声も聞かせてもらっていた。そして何より私自身、もっとシャーベットの活躍を見たかった。彼女とピピアの掛け合いを見たかった。

 そして卒業が近づいてきた。卒業論文の提出と大学院入試が迫り、私に余裕はなかった。大学生最後の小説提出機会は逃すことだろうと決め込んでいた。しかし、私は再びこのシリーズを書くことができた。すべてはシャーベットへの愛である。彼女を幸せにしたい。それを読者に観測してもらわなければならない。そうすることで、彼女は永遠となる。彼女の世界を執筆し、製本し、保存することで、この世界に彼女の世界の観測者を確保できるのだ。

 作品が読まれていないあいだ、彼女の世界は観測されていないが、作品が読まれているあいだは、彼女の世界は観測されている。シャーベットが読者の意識に現れるとき、読者の意識内には、確かに彼女が存在するのだ。そのとき、シャーベットのいる世界とこの世界とがリンクする。意識による想像の作用により、次元の異なる二つの世界のあいだにつながりが生まれるのだ。

 フィクション世界を記述しておく行為とは、フィクション世界に対する潜在的な観測者を確保しておく行為でもある。

 私は、この作品世界の存在を確かなものとし、彼女の幸福を実現しなければならないという思いを新たにした。私は何度か目を背けたこの義務に再び取り組み始めた。最終話で描くべき設定は、ほぼ第一話を作る時点で構想していたものばかりだ。とはいえ、大学で四年間学んだことで、文章表現の洗練と世界設定に関する理論的な精密化が実現されていた。あとはそれを文章にするだけである。どうやら卒業論文提出に向けて数万字の文章を短期間で執筆した経験が活きたらしく、短期間で膨大な量の文章を書くことができた。その結果、本シリーズの最終作は思いのほか長大になった。出し切れたと思う。たとえもし描くべきポイントを描き切れていないとしても、重要なことはこのシリーズを完結させることだ。

 必ずこの作品は完結させてみせる。きっとシャーベットを幸せにしてみせる。そして私の罪悪感も癒して見せる。そして、できれば読者の人たちにとっても、罪悪感が癒されたり、何か心動くものがあればいいなと願っている。

 読者の人には、彼女を見守ってもらわねばならない。作品が存在する限り、潜在的に読者もまた常に存在する。この作品が潜在的にいつでも誰かから読まれうる、という事実がこの世界で成立する限りにおいて、シャーベットの存在はこの宇宙全体において永遠となるのだ。


――最後に、引用すべき歌がある。


 『この空の向こう』

  (前略)

  この世界つなぐもの それは愛だよ

  夢物語じゃない どこまでも手をつないで

  この空の向こうには どんな夢がある

  果てしなく続いてく 未来信じて手をのばして


 本当にいい歌だと思う。何よりも注目してもらいたいのは、「この世界つなぐもの それは愛だよ」である。

 私がシャーベットを大切に思っていたというのは事実だと思う。もしかすると、このような感情を〈愛〉と呼んでいいのかもしれない。〈想像〉という意識作用が、異次元どうしをリンクさせる鍵かもしれない、という見解を述べた。ここに来て私は、〈愛〉もまた異次元どうしをリンクするに違いないと確信している。

 私は、シャーベットのことを愛している。私とシャーベットとのあいだには、〈愛する―愛される〉という関係が成り立っている。これは、私がこれを意識していないときでさえ、常に成り立っている。

 また、こういう考え方もある。「ある関係が存在するならば、その関係の項もまた存在しなければならない」と。

 私とシャーベットとのあいだには、〈愛する―愛される〉関係が成り立っているとする。また、ある関係が事実として成立するためには、関係の項もまた存在しなければならないとする。すると、もし私がシャーベットのことを大切に思い、愛していたというのが事実であるならば、私が存在するということだけでなく、シャーベットが存在するということもまた事実でなければならない、かもしれない。

 つまり、私がシャーベットを常に愛していることから、シャーベットが常に存在することが導き出されるかもしれない、ということだ。愛による存在の証明である。これほど痛々しい証明がかつてあっただろうか? 私は恥ずかしくて穴に入りたい。このような妄想を記述してしまう作者が、フィクション世界内の存在者であることを願う。

 〈この空の向こうへのラブリンク〉を、私はこの作品の記述を通して、達成したつもりである。

 とにかく、次元を越えて世界をつなぐのは愛なのかもしれない。私が言いたいのは、それだけである。


 ◇


 追伸:シャーベットへ。たぶん、苦しみを拒否するのではなく、苦しみを受け止めるのがポイントだと思います。がんばってください。応援しています。

 おわり


 ◇◇◇◇◇


 シャーベットの意識作用は、元の世界へ戻ってきた。

「ぷはーっ。はーっ、はーっ、はーっ」

「シャーベット、大丈夫ピアか!? すごい汗ピア。まさか、〈観想かんそう〉をしていたピア?」

「〈観想〉って、何?」

「思いを馳せることピア。単なる〈想像〉じゃ特別感がないから、ここに来て表現を変えてみたピア」

「何でそんなことするのよ、今更。そんなことより、わたし、見たわよ……」

 シャーベットはのぼせたように息が上がっている。とんでもない集中力で、異次元世界の存在者を長時間観測したらしい。

「見たって、何を見たピア?」

「どこか知らない世界で、わたしのことを見ていた大学生の人を、わたしは発見したのよ」

 ピピアは目を丸くして驚いている。

「ピア! 観測したピアか! それはすごいピア! どんな人だったピア?」

「男性で、大学生で、文芸部で小説を書いていて、罪悪感を浄化されたがっていて、愛について語る人だったわ」

「なるほど……。文学で愛について語る人は多いと聞くピア」

「わたしの物語って、文学になるのかしらね?」

「なるピア、なるピア! シャーベットの人生は、ドラマチックに違いないピア」

「わたしの人生、読んでておもしろいといいな」

 シャーベットは、にこやかな気持ちになっている。

「でも、彼の書いている小説自体は読めなかったわ」

「そうピアか……。無理もないピア。もしそれが読めてしまうと、シャーベットは未来について知ることができるかもしれないピア。そうすると、とんでもなく混乱することになりそうピア」

「へえ、確かにそうかもね。あ、それと、わたしのことを書いてる作品の読者についても見ることはできなかったわ。どんな人がわたしの作品を読んでいて、わたしを観測してどんな反応をするのか、見てみたかったけどね」

「それは残念ピアね。作者だけでなく、読者もまた異次元世界の重要な観測者ピア。作者の書いていないところまで想像することで、読者はそれぞれに世界を発見するピア。そうして虚構世界の観測を広げていき、ときに二次創作として発表し、異世界記述の穴を埋めていくんだピア。そういった、協同的な異世界記述作業が、読書と二次創作という営みなんだと思うピア」

 そろそろ、目の前のメガヤークを倒したいところである。

「あ、そうだ! 確か、何か重要なメッセージを見たのよ。何だったかしらね」

「苦しみを受け止めるのが大事、みたいな話ピア?」

「そうそう! 何で知ってるの?」

「ピピアも同じ世界を観測したことあるピア」

「何それ~、言ってよ~!」

――ドシーン、ドシーン

 痺れを切らしたメガヤークは、足踏みを始めている。

「ウゴンガァァーイ! テアンラァァーイ!」

「わかったわ、始めましょう! ピピア、ピューリファイの準備はできる?」

「ピア! あれはピュリキュアが自分でやるものピア。ピピアは何かする振りをしていただけで、実はシャーベットが一人で撃てるピア。強く力を込めるピア」

「そ、そうなの? わかった、やってみるわね」

 シャーベットは、左手を前に突き出した。

「ハ、ハァァァァ……!」

――パァァー

 シャーベットの身体はみるみる輝き始めた!

「ほ、本当だ! すごいわピピア! わたしできるのね!」

「できるピア、できるピア。シャーベットは何だってできるピア。ピア、もう結論は出てるはずピア。地獄のような見解を述べるピア!」

「うん」

 シャーベットは左手の中心へと光を集めながら、メガヤークに語りかける。

「メガヤーク。シンシーアやギルセキングの話とか、あとイノセシアについての話は聞いてた? わたし、考えたの。イノセシアの人たちは、自分のことを考えてないから、自分のことをもっと考えた方がいい。ギルセストの人たちは、他人のことを考えてないから、他人のことをもっと考えた方がいい。ここで一つ言えるのは、自分のことも他人のことも尊重するのがいい、ってこと」

「当たり前すぎるピア」

――ゴゴゴゴゴ

 ギルセキングは黙って様子を見ている。シンシーアはもう人間界に借りた新しいアパートへと帰った。

「次に思うのは、わたしたちは、何かしら、どこかしら悪いということよ。常に、不完全な気がするわ。ある行為をしたときに、それがあらゆる人間にとってプラスになることって、そうそうないわ。何ていうか、まず人間個人の能力に限りがある。そして、この世の資源にも限りがある。これら二つだけの条件で、おそらくあらゆる行為が不完全でしかありえないような気がするの。ここで言う〈不完全〉っていうのはつまり、何をやっても、どこかしらで誰かの迷惑になってたり、巡り巡って誰かのものを奪うことになっていたりする気がするの。受験に合格するだけでも、誰かを競争で蹴落とすことになるんでしょう? それに、よい行いをすること自体が、よい行いをしない誰かの心を追い詰めることもあるのよ。それぞれの事情をもった人間がたくさんいて、資源に限りがある限り、わたしたちの存在や行為が、悪さをもたないことはありえないような気さえしてくるの……!」

「ウゴンガァーイ」

「つまり、わたしたちは、何かしら、どこかしら悪いってことよ。あなたって、恵まれてることに後ろめたさを感じて苦しんでいるんでしょう? 資源を多く配分されている状況に甘んじている者の一人として、一丁前に罪悪感を感じてるわけじゃない。それって、たぶん正しいわ。あなたは、実際に悪いの。あなたはきっと、罪悪感を抱くべき状況に対して、適切に罪悪感を抱いている。そういうことを考えないようにすれば、苦しまないで済むかもしれないけど、向き合ってみたときは、苦しむことになるわ。たぶん、それが正しい気がする。あなたは実際に、いくらか悪いところがあるわ。そして、それに後ろめたさを感じるのは、すごく妥当で適切なのよ」

「ウ、ウゴゴン、ウゴンガァァーイ!」

――ズモモモォォォー!

 罪悪感が強まり、より激しく罪悪エナジーを噴出している。ギルセキングはワープホールの向こうから、それを黙って吸い取り続けている。

「あと、あなたは恵まれた多数派の人間だから、不遇の状況にある少数派の人に嫉妬してるわね? そういう人たちって、最近その生きづらさが社会的に認知され始めているから。でも、あなたの生きづらさはろくに注目されることなく、むしろ余裕ある立場の者として、そういった不遇の者たちに何かサービスをしなければならないんじゃないか、とまで感じている」

「ウゴンガァァーイ! ウゴンガァァーイ!」

――ズモモモォォォー!

「気の毒な人になれば、優しくしてもらえるけれど、満たされた人でいる限りは、自分の生きづらさに注目してもらえない。それってつらいことね。だから自分の生きづらさを訴えたいけど、そういうことをしようとし始めると、今度は単に優しくしてもらいたいからこその気の毒アピールになってしまう気がする。だから自分の生きづらさを訴えることを躊躇したり、そうしたくなる自分の心理に一層罪悪感を生じたりするのよね?」

「ウガァァアァァアァァーイ! テアラァァーイ!」

――ズモモモォォォー!!

「ここで一つ、言えることがあるわね。悪いことをした人や、恵まれている人もまた、尊重されるべきということよ!」

――ズバァーン!

「気の毒な人と悪いことをしていない人が尊重されるべきなのは、別にいいわ。だからといって、特別気の毒でない人であっても、人間である限りは丁寧に扱われるべきだわ! あと、悪いことをした人だからって、その人に対して際限なくひどいことをしていいことにはならないわ!」

「シャーベット、話がだいぶ広がってるピア」

「いいのよ。わたしは罪悪感にまつわる苦しみをできる限り解き放ちたいの。おそらくこれが、わたしの使命だから」

「かっこいいピア……」

「とりあえずこれよ。一つ言えるのは、人間が生きている限り、どこかしらで何かしら悪いわ! そしてそのことに関しては、適切に苦しむべきなのよ! 苦しむのはつらいことだし、避けたいことだけれど、だからといって苦しむことが間違ったことであるわけじゃあない! わたしが言いたいのはこれよ! メガヤーク、あなたは罪悪感に激しく苦しんでいて、そこから逃れたいと強く思っているわ。そしてかなり狂気的な状況になってた。でも、一つ言えるのは、あなたは何も間違っていない、ということ。たぶん、ギルセシアのように、他の世界を搾取しているのに、平気なままでいちゃダメなのよ。彼らは何も気に病んだりしない。力をもたない者たちからすべてを奪っても、おそらくそれを自制する能力をもたない。限られた資源の中で、可能なかぎり多くの人が幸せに過ごすためには、公正さを求める視点が必要だと思う。そして、不公正なことが起こっているとき、それに勘付くための情動が、おそらく後ろめたさなのよ! 不完全な人間がもつ悪への強力な傾向性に対して、それを無理やりにでも善の方向へと引き戻そうとする力強い内部統制機構が、罪悪感なのよ! つまり、人としてよりよく生きるためには、罪悪感が決定的に重要な役割を果たしているような気がするってこと! わかってほしい! そしてそのことを受け止めてほしい! あなたの苦しみは、他の人の苦しみを減らす方向への道しるべなの! わかる!?」

「ウガァァアァァアァァーイ!」

 ついに攻撃を繰り出してきた。全長四十メートルの大型怪人〈メガヤーク〉は、右の拳を大きく引き込み、シャーベットへ向けて突き出してくる!

――ビュオオォォー

 すごい風圧で、大学構内の木々が揺れている。

「撃つわよ! ピュリキュア! ホワイトニング・ピューリファイ!」

 シャーベットは、左手に溜めたピューリファイのパワーを前方へ向けて一気に解放した!

――ギュパァァァァー!

 放たれた光波はメガヤークの巨拳と真正面からぶつかり合う。しかし、拳の方がパワーは強そうだ。

 シャーベットは押し負けないように、力強く踏み込む。

――ザッ

「ぐぐっ。わたしの声は、届かないっていうの……?」

「シャーベット! がんばるピアー!」

「シャーベット……」

 ギルセキングも固唾を飲んで見守っている。

「ぐぬぬぬっ! 負けないわ! ホワイトニングッ・ピューリファイ!」

――ギュパァァーアァァーアァァー!

 光波の勢いが強まった! シャーベットの、罪悪感を浄化したいという思いはかつてないほど高まっている。これまでの六年間、ほぼ年中無休で一日一度のピューリファイをしてきた。その過程で、嫌というほど様々な罪悪感の苦しみを聞かされてきたのだ。一人一人が、それぞれの苦しみを抱えている。よりよく生きようという気持ちが強い人ほど、強い苦しみを抱えているような気もする。いや、そんな気持ちが大してない人であっても、心が痛むときは痛んでいる。おそらく、他人の気持ちを想像する能力は、人間にとって本質的だ。そしてその能力をもつことと、罪悪感の苦しみを感じることとは切っても切り離せない関係にある。つまり、人間として生きるかぎり、この苦しみとは一生付き合うことになるのだ。

 シャーベットは、十人十色の罪悪感を見てきたことで、そういう風なことを考えていた。

「シャーベット、がんばるピア! みんな見てるピア!」

「くっ、メガヤーク……。デカすぎるでしょう……!」

「ハミンガァァー、キイィィーーー!」

 メガヤークが鳴き声を変えてきた! その拳の圧力はなおも高まり続けている!

――ギュパァァーー

 少し光波が押し負けてきたかもしれない。

 そのとき、シャーベットがひらめいた!

「そうだ! わたしって今も観測されてるのかしら!?」

「わからないけど、たぶんそうピア! この大勝負を書かない作者がいたら、観測者失格ピア!」

――ギュパァァーー

「この世界とは違う次元から、わたしを観測している人がいるのね?」

「いるはずピア! 原理上、読者が文章のある箇所を読んでいるとき、その読んでいる箇所の時点においてその世界で起こった出来事を、読者は実際に観測することになるピア! 観測者からすれば、観測するたびに、観測された宇宙の時間が何度でも流れるピア!」

 細かいことはいい! とにかく観測されている!

「ねえ、どこか違う次元からわたしを観測しているあなた! わたしに力を貸して! お願い!」

 よし来た! 任せろ! がんばれ!

「みんなで一緒に応援するピア! ピュリキュア~! がんばれ~!」


――がんばれー! ピュリキュアー!


「もっともっとピア! がんばれ~! ピュリキュア~」


――ピュリキュアー! がんばれー!


――シャーベットー! 負けるなー!


――がんばれ、ピュリキュアァァー!


 すると、シャーベットの輝きがみるみる増していく!

「ピアッ、眩しいピア! 目が潰れるピア~ッ!」

「諦め……ない! あなたが、自分の苦しみを受け入れて、人として生きる道を再び歩む、そのときまで……! わたしは何度でも、あなたの罪悪感をピューリファイしてあげる!!」

「ウガァァアァァアァァアァァー!」

 メガヤークの拳は押し負けている!

――ギュパァァーアァァーアァァー!

 光波の力が強まっていく。これを直視した者は、数分間のあいだ視覚能力を失うだろう。

「シャーベット! あなたはいまや打ち勝とうとしている! これまでの薄っぺらいピューリファイの態度を乗り越えようとしている! 今こそ、真のピューリファイストになるときです! シア――ッ!」

 いつの間にかシンシーアが帰ってきている! もはや車椅子から立ち上がっている! 怪我はすべて演出だったのというのか!?

「がんばるのです、ピュリキュアーッ!」

「シャーベット、そのまま押し切るピアー! がんばるピアー!」

「みんな、わたしに力をちょうだい!」

「ピアーッ! 応援するピアーッ!」


――がんばれー! ピュリキュアー!


――がんばれー! シャーベットー!


「感じる……! わたしを応援する声を感じるわ! 力がみなぎってくる!」

――ゴゴゴゴゴ

「バカな……。異次元間の干渉は起こりえないはずなのである。まさか、次元を越えて、応援が届いたというのであるか……!?」

「ピピアも信じられないピア~! ピュリキュアを応援する気持ちは、次元の壁さえ突き破って来たピア~! 感動で、もう何も見えないピア~!」

 すべてを直視していたピピアは、ついに視力を失った。

――ギュパァァァァー!

――バリバリバリバリバリ

 巨拳と光波がぶつかり合い、空間が張り裂ける音がしている。増幅した罪悪感による激しいストレスにさらされ、メガヤークは圧倒的な攻撃力を生み出している。

「わたしたちは、諦めないッ……!」

 みんなの思いを背負ったピュアシャーベットは、もはや一人ではなかった。

「行っけぇぇー!」

「ウゴンガァァァァーーーーーーーイ! テアンラァァァァーーーーーーーイ……!」

――パァァーーーーーーーーー

 シャーベットの放つ光波は、メガヤークのすべてを包み込み、浄化していった。メガヤークの内部にいた女子大生に注目してみよう。

「ありがとう、ピュアシャーベット……。私、生きていくわ。きっと私はこれからも苦しみ続ける。でも、もう負けない……。自分の苦しみを、自分で受け止めることができたから。恵まれた私でも、苦しんでいいんだ。苦しむべき状況で苦しむのは、適切なこと。世の中は不条理で、苦しみに程度の差はあるけれど、他の誰がどれだけ苦しんでいようと、私は私自身で苦しみ続ける。私が悪質である限り、私は苦しむことをやめない。そして、人間としての生をまっとうするわ。私は、この道を生きることにする……」

 浄化された女子大生は、完全に記憶を失い、アスファルトの上に倒れ込んだ。どこかから沸いてきたヘルパーたちが、ビニール質の寝袋で彼女を包み込み、そそくさと安置室へと持ち帰る。白紙に戻された人間は誰であれ回収する。この女子大生もまた、イノセシア再建のための貴重な人員なのである。

「お、終わった  」

 放たれた光波は途絶え、シャーベットは図書館時計塔の屋上にへたり込む。変身を解除し、黒髪ロングの女子高生の姿に戻った。

「氷華、お疲れ様ピアー!」

 ピピアがあらぬ方向を向いてぴょんぴょんと飛び跳ねている。視力が回復するには、まだしばらくかかりそうだ。

「ありがとう、ピピアもお疲れ様」

――ゴゴゴゴゴ

「これでシャーベットも、引退であるなあ」

「ピュア・シャーベット。わたくしを打ち負かした、初めてのピュリキュア。わたくしはあなたのことを、決して忘れないでしょう」

 シンシーアは再び電動車椅子に乗り、厳かにこの場を立ち去った。

「シャーベット……。ピュリキュア引退後には、二つの進路があるピア。一つはヘルパーとして働き、イノセシアに移住する道。もう一つは、人間界に残り、ただの人間として人生を歩む道。イノセシアに行けば、英雄として一生の栄華を極められるピア。人間界に残れば、ピュリキュアとして活動した記憶をすべて消し去り、変身能力も失い、本当にただの人間に戻るピア。どっちがいいピア? 自分で決めるピア……」

「ピピア……。ピピアは、一緒にイノセシアに行ってほしいんでしょうね。だって、こんなに仲良しになれたんだもの」

「そうピア! それに、人間として生きるのはすごく大変ピア。イノセシアに来れば、ピュリキュアに変身もまたできるピア。運動能力高くて、楽しいピア。動物もたくさんいて、食肉には困らないピア」

「わたし……ずっと冷徹なピュリキュアだって言われてきた。淡々と戦闘をこなし、勝利のために効率的に動く戦闘マシーンのような美少女ヒロイン。目を合わせて生き残ったギルセストはこれまで一人もいない、と言われてきたわ」

「さすがにそれはかなり盛ってるピア」

「でも、それ以外にやり方がなかったのよ。自分の存在を示すやり方が。十歳までの記憶がなくて、気付いたらピュリキュアとして活動してた。過去も未来もわからないけど、とにかく今は、アクヤークを倒すことがわたしの役目なんだって思って、それだけに邁進してきたわ。でも今日やっと、わたしがふつうの人間なんだって知れた。ふつうの人間なんだったら、自分の役目が何なのかなんて、わからなくて当然よ。正直、生きることだけが仕事よ。これならいける。これがわかったからには生きていけるわ」

「氷華……!」

 ピピアは、小刻みに振動している。泣きそうということである。

 氷華はまっすぐな瞳で述べる。

「ピピア。わたしは、人間界に残る。記憶を消されても構わない。わたしはピュリキュアではなく、人間として生まれたのだから、人間として生きるわ。それに、イノセシアに行って英雄扱いされるだなんて変だわ。人間界から人々を拉致したわけでしょう? その拉致されて家族と離れ離れになり、記憶を消された人たちから、建国の功労者として賞賛されても、甚だ不気味だと思うわ」

「ピア。それもそうピアね」

「ピュリキュアとしてアクヤークにされた人間の記憶をピューリファイしてきたのは、わたしなわけだしね。知らずにやらされていたこととはいえ、この罪を受け止めながら生きていきたいわ」

「氷華、それほどの決意があるピアね――! 元気で生きるピア!」

「ピピアもね! できればもう人間界で拉致はやめてね!」

 二人はひしと抱き合う。抱き合ったことなど、これが初めてだが、どうやらピピアはしっかりと獣の匂いを放っているようである。これもまた〈動物化現象アニマライゼーション〉の名残りかと思うと、イノセシアの惨劇はなおも重々しく感じられる。

「人間界での暮らしには、基本的に干渉しないことに決めているピア。最初の生活費だけ少し残しておくピア。あと、氷華を引き取ってくれる人たちを探すのも陰ながら手伝っておくピア。ピアけど、それ以降は自分でがんばって生きていくピア」

「任せなさいよ。わたしなら大丈夫。ピピアのことを思い出せないのはちょっと寂しいけど、ピピアはわたしのことを思い出せるんでしょう? それにわたしのことを観測してくれている人たちもいるわ。たとえそのことにわたしが気づけなくても、きっとわたしは勇気づけられている。今ならそう信じられるわ」

 そうさ、応援しているよ、氷華。氷華なら、きっと人間界でもうまくやっていける。いや、何ならうまくやっていけなくてもいい。これから氷華がどんな人生を歩むことになっても、私やピピア、ギルセキングやシンシーアたちは、氷華のことを見守っている。

「じゃあね、ピピア」

「ありがとうピア、氷華」

 それから氷華は、イノセシアとギルセシア、そしてピュリキュアに関連する記憶をすべてピューリファイされた。


 第九話おわり

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