Canarino Macchinario-4

「レオ、次の教室行こう。」

「置いて行くぞー。」

「うん、今行くよ…リーオ、カルロ」


授業の終わりを告げる鐘の音が鳴り響く美術室で、移動する為にざわつく生徒たちの中でまた、レオナルド達も移動の準備を始めていた。

生徒が片付けるカンバスは、デッサンの授業も進んでかなり完成に近づきつつあるものばかりだった。

レオナルドは、自分のカンバスを指定の場所に集める時に、他の生徒の作品を確認した。目当ての作品はすぐに見つかって、レオナルドはカンバスに軽く手を滑らせた。

カンバスに刺さった釘は何度か抜き差しされたようで緩くなっており、手でも抜けるように感じられてレオナルドは思わず溜息をついた。


今、レオナルドが確認した作品はバロックのものだった。カンバス布下に隠したもう一枚の絵を描く為に、何度か釘を外していた為に緩くなってしまっている。

既にバロックは教室を出て、別クラスの授業に向かってしまったようだ。バロックの時間割は把握していたが、今は追わないでおこうとレオナルドは決断した。

(ジュリオもカルロも居る今、不自然に動く事は避けたいな。特にジュリオには部屋の件もあるから、出来るだけ疑問の余地を持たせないようにしたい。まあ、オレならいくらでも言いくるめる事ができるだろうけど…。)

レオナルドは考えながら、教室の出入り口で待っていたジュリオとカルロに、お待たせと声をかけて微笑んだ。



レオナルドは一日の授業を終え、美術室に立ち寄った。美術室でジュリオのカンバスに仕掛けておいたGPSが、座標を僅かに移動した通知を手にしたからだった。

案の定、美術の先生が生徒の絵画を移動させている場面に出くわして、少し焦ったレオナルドは一瞬立ち尽くした。

(考えろ、どうすべきか…。)

考えながらも、ドアを後ろ手に閉じながらするりと美術室に滑り込む。ドアを開けた音で教師はレオナルドに気付いており、どうした、と声をかけて来た。

「すみません、どうしても今日の授業で気になった事があって…。でも先生、お忙しそうですね…何かお手伝いはできますか?」

申し訳なさそうな表情で初老の美術教師を見上げる。男性教諭は珍しいが、この学校にも数人居る。


「ああ、そうだね…美術部が始まる前に、これの置き場所を変えようと思ってね。でも腰が痛くてねえ、一度に運べないんだ。時間がかかるねえ。」

「じゃあ、僕が運びます。どこに持って行けばいいですか?」

教師がカンバスを持っていた手に自分の手を添えて、そっと手元から奪い取る。柔らかく繊細な手つきは教師にひったくられた自覚を持たせなかった。

「じゃあ、頼むよ。準備室前に持って行きたいんだ。」

「分かりました、ここは僕に任せて下さい!」

レオナルドは教師が準備室に引っ込んだのを確認して、数クラス分のカンバスを運んでいく。釘が抜けやすくなっているバロックのものは、特に気を付けて運び終えた。


「先生、終わりました。」

「ありがとう。ところで、質問って何だったかい。」

「あっ、実は美術の授業が面白かったので、美術部への入部を考えているんですけど…。」

「ほう、それはそれは。」

先生は満足そうに微笑む。美術部はバロックや他数名のみの所属で部員が足りないと聞いていた為、効果的なアプローチが選択できたらしい。

「描くよりは、こういうのをどうやって作るのか、他にはどんな種類があるのかというのに興味があるんですけど…。」

レオナルドは作りかけの木枠をさして、自信なさげに質問する。

「絵は描かないのかい。君のデッサンはとても技術が高く見えるが…。」

周囲のレベルに合わせたつもりだったが、特級訓練を受けてしまった痕跡をプロの目は見逃さなかったようだ。レオナルドは少し居住まいを正し、話を戻す。

「ありがとうございます。でも、僕はこういう工作の方が好きなんですよね。ねえ先生、これ仕上げちゃ駄目ですか?」

作りかけの木枠を指さして、レオナルドは質問した。

「成程。それも授業や美術部の子が使うから、先に作っておくんだ。やり方は教えるから、手伝ってくれるかい?」

「はい、よろしくお願いします!」

レオナルドはひょんな事から手伝う事になったなあという顔をしながらも、教師に従って黙々と木枠を作り続けた。

実は迷いの一瞬で想定した狙い通りの展開だったが、レオナルドはおくびにも出さずに作業を進めた。




深夜の美術室で、バロックがいつも通りに仕事に勤しもうとした時、背後で靴音が一つ響いた。

暗闇にランタンを振りかざし振り返ると、レオナルドがまるで最初からそこに居たような顔をして佇んでいた。


「び…っくり、した…。レオナルド君、居るなら…。」

つい零した言葉に、レオナルドが半ば呆れたように首を竦めた。

「びっくりしたのはこっちだよ。これは一体どういうつもりだい?」

バロックのカンバスに歩み寄ったレオナルドが、木枠を手で撫ぜたと思うとその手を拳にしてバロックに差し出した。


バロックは訳も分からず、手を受け皿にすると手の中に何かが与えられた。よく見るとそれは釘で、カンバスの布を止めていた筈の物が取られてしまっていた。

釘抜も使わずに、とバロックが驚いた表情を読んでいたように、「釘抜が必要無い位に緩んでいたよ」とレオナルドが冷徹に差した。

「バラけちゃって、下の絵がバレたらどうするのかな?スローンズファミリーはキミを庇ってはくれないよ。キミの身は勿論だけど…キミの弟や妹はどうするんだい?」

淡々としたレオナルドの声の合間に、うう、と震えたバロックの声が挟まる。何かを言おうとしているが、反論の余地が無く弱弱しく呻いているようだ。


「これ、下の絵を固定する為に、上の絵は釘が少なくなってるよね。見る人が見たら不信がっちゃうよ。というか、オレはそれで目星を付けた訳だけど…。」

レオナルドが今まで誰にもバレなかったこの手口を自力で暴いたと知って、バロックは耳を疑った。一体この少年は、どれだけの観察眼と行動力を秘めているのだろうか、想像して体が震えた。

「釘が緩くなってるから、木枠を交換しよう。放課後、このサイズに合わせたカンバスを組んでおいたんだ。先生に手伝いを頼まれたついでに、ちょっとね。」

更に自分の失態をカバーする完璧なフォローに、バロックは感服してしまって椅子に座り込んだ。

「レオナルド君、一体…何故、そこまでしてくれんですか?」

自信の不甲斐なさに居場所無く問いかけるバロックに、レオナルドは飄々と答えた。

「仕事のパートナーなら、お互いを守らないといけないからね。オレはキミが脅かされないように守る必要があるんだ。」

仕事、パートナーだなんて、大人みたいだとバロックは感じたが口には出さなかった。


「じゃあ、僕はレオナルド君をも危険に晒していた…パートナー失格という事ですね…。」

「まだオレがカバーできる範囲で良かったよ。日中、美術の授業で会っても無視してくれたのは良かったね、急に仲良くなったら不自然だし。」

レオナルドが木枠を横たえて、準備を始める。妙な手つきの良さに、手慣れているなとバロックは感じた。

「連絡するには仲良くしとくに越した事無いんだけど…オレ、美術部に入るとかはちょっとね。時間がないからなあ…また今度、自然な流れで友達になろうね。」

既に友人であるのに、友人になる芝居を打つおかしさを思って、バロックは思わず笑みをこぼしながら、レオナルドを手助けした。




「えっ、転校?」

「親の都合で…。」

訝し気なジュリオに、カルロが不貞腐れたような顔で答える。

「また、急だね。」

レオナルドが丁度ジュリオたちの部屋に来ていたタイミングで、カルロが数十分教師に呼び出されたと思うと、帰って来たカルロは驚きのニュースを携えていた。

「あーあ、レオともまだ半年も遊んでないのになあ。」

「本当、寂しくなるね。でもリーオの方がカルロと長く居たんでしょ、もっと寂しいんじゃない?」

「それは…そうかもしれないね…。でもカルロも、5年くらい前にいきなり転入してきたから。」


5年前と聞いて、レオナルドは目を細めて水を飲んだ。スローンズファミリーが台頭し始めたのは最近だが、金策を敷くのにかかった時間や近隣の揉め方を見るに、スローンズファミリーがイタリアに流入してきたのは丁度その辺りになるのではないだろうか、等と考えていた。

「全く、来た時と同じで唐突に居なくなるんだから。カルロって本当お騒がせだねえ。」

ジュリオは肩を竦めて、3人で囲むローテーブルに置かれたクッキーをつまんで口に運ぶ。

「いつまで居られるんだい?」

「今月くらいかな…。」

カルロが認めたくない風にむすっとして、レオナルドの質問に答える。

「カルロったら、レオに拗ねてもしょうがないだろ?」

「だってよ…。」

「次の学校教えてよ、手紙出すから。」

「ああ、えっと…。」

ジュリオの問いかけに、カルロの目が一瞬泳いだのをレオナルドは見逃さなかった。


「まだ行先、分かんなくて。落ち着いたら手紙出すよ。」

カルロが嘘をついたと確信したレオナルドは、嘘をついた理由を推理した。おそらく、アメリカ出身である事を隠しているからだろうと、一般生徒はおろか教師も知り得ない情報で理由づけた。

自身の把握している経歴と相違する点をいくつか見つけ、調査させたところ出身はアメリカであり、さらにスローンズファミリーが重役の嫡子という情報を得ていた。

情報を知った時には、懐子だと思ってたが中々逞しく成長してるようだ、とレオナルドは認識を改めたのだった。今も、多少のラグがあったものの、自らの立場を弁えた対応と言える。

レオナルドは心の中で賞賛を送りながら、「きっとだよ。オレ、まだカルロにこんなに仲良くしてもらったお礼をしていないんだから。」と悲し気な表情で訴える。


「レオは何だか、心配しなくても大丈夫そうだなって思うよ。」

カルロがははっと力なく笑いながら、クッキーに手を伸ばす。レオナルドは、と言った意味は恐らく、カルロ自身が擁したバロックとそのコネクションが心配なのだろうと感じた。

一か月後というと、例の展覧会が行われるタイミングであるという裏付けも取れる為、レオナルドはカルロの言動全てから読み取れる情報を全て受け取ったとして、満足そうにクッキーを口に含んだ。




一か月後、カルロの去ったベッドにはレオナルドが寝転んでいた。部屋替えがあって、ジュリオはレオナルドと同室を希望してみたところ、通ってしまった為にジュリオは毎日落ち着かない気分だった。

天窓から柔らかい日差しが差し込んで、レオナルドは陽向を避けて小説を読んでいるようだった。

「カルロが知ったら悔しがるよ。」

「そうかな?ああ、そうかもね…。」

レオナルドはクスクス笑って、ベッドで小説を読む作業に戻ったようだった。




そして更に一か月後、レオナルドも転校するという知らせを受けて、ジュリオは上級生と同室になる事になった。

「レオ、君まで居なくなるなんて…。」

「心配しなくて良いよ、カルロももうじき落ち着くだろう。手紙も届くさ。勿論、オレも書くからね。」

まだカルロからの手紙が届かない事を不安がっていたジュリオを励ましたレオナルドだったが、勿論、その後便りが来る事は無かった。





「…という、不思議な友人が居たんですけどね。」

陽の当たるカフェテラスで、話し込んでいる二人の男性が居た。

長い思い出話の語り手は一息ついて、日差しですっかりぬるくなったアイスコーヒーを口にする。

警察官である彼は、私服で張り込み調査補佐の最中である。付近に麻薬の売人が居るとの情報を受けた上層が、警戒されないよう小規模な警戒態勢を敷いていた為だった。

長い昔話を終えた青年―ジュリオは天を仰いで軽く周囲を見渡す。任務を忘れた訳では無いが、つい話し込んでしまった自覚があった為の行動だった。

「今ごろ皆、何してるかな…。」

語りに耳を傾けていた男性は、「そうですね、きっと元気にしていると思いますよ。」と短く答えた。

「貴方に言われると、本当にそうだと思えるから不思議です。探偵さん、今の話だけで僕の友人達を探す事は出来ますか?」

「不可能では無いでしょう。しかしその学校や付近は、記憶が正しければ廃墟となっている筈ですが。」

「痛ましい事件でした…。」

ジュリオは探偵と呼んだ人物に、あの学校のある町は炭鉱があった事、それによって繋がれていたがマフィアの抗争に巻き込まれて廃墟になった事を語った。


「その折は大変な思いをされましたね。私もあの炭鉱や学校と商売をしていたので、驚いた物です。」

「探偵さんが?」

「ええ、少々ですが。」

「一体あんな街に何の用があったので?」

ジュリオは探偵に疑問を投げかける。炭鉱だって小さく細く、後の目立つ施設と言ったら自家営業の店や学校くらいだったという記憶があったからだった。

「『カナリア』を運ぶ仕事をしてまして。」

「カナリア…ですか?」

「はい、炭鉱では…ガスが炭鉱夫や作業夫の命を脅かします。ガスが噴出する場所で発破をかけようものなら、大事故になりますからね。」

探偵は、糊が効いて上質な黒いスーツに包まれた長い脚を優雅に組みなおした。ジュリオは、私服とはいえもう少し気張った格好で来れば良かったと、会った時に思った後悔をまた思い出していた。


「そこで、カナリアを連れ込み、毒ガスの検知器の代わりとしたのです。鳴かなくなったら、危険な場所という事で掘削を避けていたんですね。」

「生きたカナリアをですか?それは…何とも、個人の見解からすると、いささか残酷な気がします。」

「そうでしょう。そもそも、カナリアを用いる意味も効果も、大してありませんから。古い言い伝えというか、伝統のような流れで使用されていましたから。」

話を聞きながら、ジュリオは暗い炭鉱の奥で息絶えるカナリアを夢想してしまい、辛い表情をとってしまっていた。


「当時私が売っていたカナリアは、機械仕掛けでした。」

「えっ?」

「カナリアという名前の、毒ガス探知機です。洒落ているでしょう?」

探偵が柔らかく微笑みかけて、ジュリオは可哀想なカナリアに夢想するのを止めてほっと胸をなでおろした。


「それのお陰で、苦しむカナリアは居なくなったんですね。」

「そうですね、とてもよく働いてくれました。」

探偵がカップを持ち上げて、コーヒーの水面が揺れなくなった事を確認して口をつける。そうして僅かな量を嚥下して、ぽつりと呟くように零した。


「本当に、良く働いてくれたんですよ。」

そうして伝票を引き寄せて何枚か札を滑り込ませた。チップも込みなのでと探偵は財布を懐に仕舞う。

「そんな、悪いですよ。自分の分は出します。」

ジュリオが僅かに腰を浮かせて探偵を引き留めようとした。が、探偵は小銭を持っていないのでと柔らかく断った。


「私はこれから、例のグループが現在どの辺りに居るのか、アタリを付けに行きます。貴方はここで待機をお願いしますね。」

今回の張り込み調査で、特例として雇われた探偵が彼だった。彼は特例を付けてでも雇いたい上層の気持ちがよくわかるくらいに有能で、闊達なのに繊細な器量が、ジュリオにとって懐かしい友人を思い出させた。

その憧憬によって、昔話なんてものを聞かせてしまったのかもしれないと思いつつ、ジュリオは椅子に落ち着いて、探偵を見送った。



ジュリオはもう一度天を仰いで、あの宿舎での日々を思い出した。あの学校で過ごした時間は夢のようで、この陽だまりのようにジュリオを温めていた。

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