Canarino Macchinario-3

「あれっ、オレの事知ってたの?意外だなあ。」

「転入は異例中の異例と聞きますから…。」

「いや、キミがさ。そういう俗的な事に興味が無さそうだと思ってたから。」

レオナルドはクスクス笑いながら、バロックの近くに歩み寄る。バロックは少し後ずさりしたが、自分のカンバスの前から離れない。


「あ、オレの事は気にせず『仕事』してよ。」

「…何の、事でしょう…。」

レオナルドは近くの木椅子を軽く寄せて、背もたれを抱えるように座る。無邪気そうな笑顔はバロックに向けられていたが、目線はバロックのカンバスから離さない。


「とぼけなくて良いよ。オレ、もう大体知ってるから。」

「どうして…、貴方は…。」

「オレ、『仕事』の話しに来たんだよ。ねえ、そのカンバスの下を…早く見せてくれないかな?」

「ご存じなら、見なくても良いでしょう…。」


バロックは、レオナルドの投げかけに屈せず、頑なに自らの行いを隠匿している。レオナルドは、弱弱しい去勢を吹き飛ばすように、笑いながら次の矢を放った。

「鎌をかけてるんじゃないよ。じゃあ、証拠を見せようか?そのカンバスの下にあるのは、アルブレヒト・デューラーの『四人の使徒』。…の、贋作。スローンズファミリーからの依頼で制作している品だよね。」

「どう、して…それを…。」

レオナルドは、バロックのガードを難なく突破して、満足そうに背もたれを抱き締めた。自身が秘密裏に制作した贋作の作品名、取引相手の名前まで暴かれて、バロックは絵筆を何本か床に落として怯えた。


「隠してたのは、学校の画材を勝手に使い込んで、その絵を売っていたからだよね。」

「もう…もう、やめてください、ごめんなさい、ごめんなさい!」

「謝る相手は、オレじゃないよね。絵の具の減りが早いって、顧問の先生が犯人捜ししようとしてたよ?」


レオナルドは、椅子から立ち上がり顔を覆い隠したバロックに、至って穏やかなトーンで語り掛け続ける。

「ねえ、実はオレには謝るんじゃなくて、お礼の方が正しかったりするんだよ。オレの保護者の寄付する補助金、凄いんだ。だから、画材も今の所は潤沢に買い足して貰えてる。」

「貴方は、一体…」

「オレの事は良いじゃない?『取引』がしたいんだ。…『それ』が何に使われるか知ってるかい?」

すっと細めた目で作品を流し見るレオナルドを、バロックは冷徹で綺麗な美術品のようだと感じた。


「何の、事でしょう…。私は、有閑な方々が居間に飾る贋作を、と頼まれただけです…。」

「今度芸術品の欧州ツアーがあるから、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークからはこの作品が貸出される。勿論、真作がね。そして、スローンズファミリーは郵送中のトラックから真作と贋作をすり替えて、オークションで売るつもりなんだ。」

「そんな…そんな事は許されません!」

「君は加担してしまった。変わらないよね、その事実は。お金、もう貰ってるんでしょ?」


バロックは聞かされた情報に驚嘆して思わず、身を乗り出す勢いで喰いついたが、レオナルドにばっさりと断罪されてしまった。

がっくりと項垂れたバロックは諦めたように、釘抜を構えてカンバスを倒す。木枠を覆うカンバス布に気を付けながら、釘を慣れた手つきで抜き去っていった。

描き途中のデッサンを取り去って、現れたのは緻密に書き込まれたカラーの油彩絵画だった。


「聖ヨハネ、聖ペテロの…左側だけかい?」

「まだ、こっちは途中なんです。右側を先に描き終えました。流石の貴方でも、そこまでは知らなかったんですね。」

「キミ、オレの事を何でも知ってる神様か何かだと思ってるのかい?」


フフッとほほ笑むレオナルドは、そこだけ陽だまりのような髪を揺らして首を竦める。バロックは、神様というよりも天使のようだと思いながら見惚れていた。

「で、『取引』だけど。『オレたち』で真作と贋作を、先に入れ替えるんだ、美術館でね。スローンズファミリーは、それを知らずに搬出して、贋作をオークションに流すんだ。」

「何ですって!?」

天使のような顔で悪魔のような事を言い渡されて、バロックは困惑をそのまま口に出してしまった。


「ああ、『オレたち』って言っても、キミは何もしなくて良いんだ。オレの方で、やってくれる人が居るからね…。」

「貴方は…レオナルド、一体貴方は…。」

「探っても無駄だよ、オレからは何も出てこないから。ああでも、どうしてこんな取引が出来るのか、信用してもらうには…そうだね、スローンズファミリーについて知れば良いと思うよ。」

バロックが身を乗り出して、レオナルドの話を聞く姿勢になった。レオナルドはそれを確認して、更に会話を続ける。


「スローンズファミリーはアメリカ系のマフィアだよね。最近イタリアに進出してきてるんだ。まだ小さいけど、徐々に人を送り込んでる。」

「し、新聞で読んだことは…あります。地元民が板挟みになってるって…。」

「地元民達が蹂躙されて、勿論シマにしてるファミリーの収益も無くなるし、何よりメンツが立たないんだよ。彼らがどうして、アメリカから離れたここイタリアで、そんな立ち回りが出来るのか…。この計画も、そんな金回りの一端なんだよ。キミは、加担させられているんだ。」

「そんな…。」

「イタリア系のファミリーが、一丸となって金策を潰す協定の元、休戦したりして協力してるんだ。こうやって、キミにはオレが持ちかけてるようにね。」

ふうとレオナルドが一息つくのを合図にしたように、バロックも緊張が解けて椅子の上に座り込む。イーゼルに置かれた自身の絵を見て、これが人を苦しめてしまっていると思うと、バロックの胸がとても痛んだ。


「本当は、黙ってやってしまおうって話だったんだ。でも、キミはきっと良いビジネスパートナーになるだろうって、オレが皆を説得したんだ。」

「レオナルドが、ですか?」

「うん。キミは、幼い弟と妹の学費も払う為に、画商と一緒に贋作の制作もしてたんだよね。だから、オレはスローンズファミリーに払っているよりも多く払って取って代われば、バロックにも得だろうし、オレたちとしては既に確立化されたルートが手に入って得だろうって提案したんだ。」

手振りを軽く加えながら、レオナルドはなおも丁寧に説明を続ける。バロックは返事をするのも憚られて、黙って頷いて聞いていた。

組織や経済や治安、世界情勢等を交えながら話が続くにつれて、バロックは自分が世間知らずなのだと思い知り、恥じ入ってしまった。そんなバロックを汲んだのか、レオナルドが「普通はこんなに知らないよ。キミだけじゃない、大人の範疇だからね」と苦笑した。


「でも、レオナルド君もまだ…僕と変わりませんよね。」

「オレ?オレは…まあ、最初から大人側に居たんだ、しょうがないよ。大人の面倒を見るのも一苦労さ。」

やれやれといわんばかりに首を竦めてウインクするレオナルドに、一体どこまで掌握しているんだろうとバロックは純粋な疑問を抱いた。が、計り知れないに決まっているとかぶりを振った。


「話し込んでしまったね。そろそろ、キミの返事を聞いておきたいな。」

レオナルドは、俯いていたバロックをひょいと覗き込んで問いかける。

「ここまで聞かされて、僕が貴方の手を取らない訳がないのに、レオナルド君…。でも、僕には裏切れない恩人が居るんです。」

「その人には、オレから話しておくよ。大丈夫、キミの身の安全は、オレが保証するから。」

レオナルドが差し出した手を、バロックは掴むか躊躇ったあと、結局恐る恐る繋いでしまった。



レオナルドは咳払いの音を聞いて、少し反応したがすぐに盗聴器から入ったジュリオの物だと気付いた。痰が絡むような咳では無いから喉が炎症する系のウイルス性でもなさそうだ…と分析しながらも、バロックの手元を見つめる。

じゃあよろしくね、と空いた方の手もバロックの手に重ねて、両手で握手をして手を離した。


「そろそろ夜が明けるよ。キミの仕事は何時で終わりだい?」

「僕もそろそろ終わります、今日は何も出来ませんでしたけど。」

「困るなあ、誰のせいかな?」


とぼける仕草をするレオナルドに、バロックは苦笑しながら「進捗は前倒しだから大丈夫です」と報告する。

「それを聞いて安心したよ。じゃあ、また、ね。キミも早く戻りなよ、今日の朝礼をするシスターは寝つきが良かったから、早く目覚めるかも知れないよ。」


レオナルドは椅子を戻し、踵を返して美術室から出て行く。

バロックはレオナルドの残した、嵐のような情報量の中で暫し佇んでいたが、釘を戻してカンバスを張り直した。持って来たランタンを抱き締めて、夜が明け始めた青い美術室を振り返り、誰にも聞かれていないであろう言葉を一つ零した。


「罪深いのは、私が更なる罪を犯そうとしている事。恐ろしいのは、貴方が私を止めない事です。」



その声を、遠く離れた寄宿舎の屋根の上で、レオナルドは聞いていた。先ほど握手の時、バロックの袖に着けた盗聴器に耳を傾けながら、交渉の進捗を伝える手紙を用意して、天に掲げる。

その手を目印にして、音もなく飛来した鷹がレオナルドの手から手紙を掴みとって行った。連絡手段としては手軽な暗号通信も並行して行っていたが、今後の方針を決定する事柄に関してはアナログな手段で、というのがレオナルドの教わった今回のやり方だった。

デジタルとアナログを併用するのはとても有用で、敵が情報に撹乱される様が見て取れると、レオナルドの保護者が獰猛な牙を見せて笑った事を思い出す。情報の保護の為に、彼については記憶が余り存在しないが、獲物に忍び寄るワニのように狡猾な男だった事だけは、まだ覚えていた。


バロックが無事に部屋に戻った事を確認しながら、レオナルドはベッドの中で目を瞑った。

短い仮眠の為に瞼の裏を眺めながら、バロックの恩人について考えていた。大方の検討はついていたが、答え合わせの情報を待つために暫くの潜伏が必要そうだ等と謀を巡らせる。

思考の最後に、ジュリオに尋ねられたら本当の部屋番号を伝えなければと考えつつ、眠りに落ちた。



レオナルドが眠りに落ちた少し後、ジュリオがのろりと起き上がった。隣のベッドでは、まだカルロが寝息を立てている。

額から落ちた、濡れたタオルを見てジュリオは看病してくれたであろうカルロに心の中で感謝した。意外と面倒見が良いんだよねと苦笑して、ベッドから降りる。

部屋の中に立ち自分の机の上にあるカルロの似顔絵を見て、レオナルドが見舞いに来た事を思い出した。


「カルロにもレオにも、お礼を言わなきゃね…。」


ジュリオは似顔絵を棚に差し込んで、授業の準備を始めた。

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