いつもとかわらない日常 4

「ルイス、居るかしらー。ルイス~」


 今日の予定を全てを終え、自由時間を迎えた私は気分転換がてら庭を散歩している途中、ちょうどルイスがトレーニングを行なっている時間と重なることに気がついた私は、裏庭に向かいながら声を張り上げ、ルイスを探していた。


 私の声を聞きつけたのだろう、裏庭の方からルイスがやや小走り気味にこちらに向かってきた。


「あ! やっぱりいた。こっちよ、こっちー!」


 無事にルイスを見つけた私は、小刻みにジャンプをしながら両手を振ってルイスを迎える。


「お嬢様! 淑女レディーがそんなに声を張り上げて、大袈裟な所作をするものではございません。周りからはしたないと思われてしまいますよ。私を呼ぶときは専用のベルを鳴らすだけでよいと何度申し上げればわかってくださるのですか」


「こっちだって何度も言わせてもらいますけど! ベルを鳴らして呼びつけるなんてなんだか偉ぶってるみたいでいやなの」


「事実ではありませんか。お嬢様は私よりも偉いのですから、ただベルを鳴らしてくださればそれでよいのです。それに周りの目もございますし、少しは貴族らしい態度をお心掛けください」


「ルイス、いくら貴方がそうして欲しくてもね、いやなものはいやなの! それに、今なら誰にも見られてないんだから、ちょっとくらいは大丈夫よ。それよりも、もうトレーニングは終わった?」


 ため息だろうか。はぁ、という音がして一呼吸分の間を挟み、ルイスの返答が返ってくる。


「トレーニングですか。それでしたら今し方終わりまして、戻ろうとしたところにお嬢様の声が聞こえましたのでこちらに伺った次第でございます」


「それはちょうどよかったわ。汗もかいていることでしょうし、完璧なタイミングね。ちょっと試したいことがあるの。協力してくれるかしら」


「お嬢様に危険が及ぶ事でなければ構いませんが」


「それなら大丈夫、心配ご無用!」


「であれば不肖ルイスご協力いたしましょう。それで一体何をなさるおつもりですか」


「それはね、これよ。じゃーん!」


 そういって私は懐から一つの石鹸を取り出した。


「普通の石鹸の様に見えますが」


「これはただの石鹸じゃあないわ。洗浄魔法の触媒の改良版よ!」


「おお、おめでとうございます。お嬢様、ついに改良に成功したのですね」


「そうなの! 前回は失敗してあなたを泡だらけにしてしまったけど……」


「そんなこともありましたね。あの時はなかなかに大変でした」


「でも今度こそ成功間違いなしってなわけよ!!」


 私は石鹸を天にかざし体内の魔力を触媒に流し込んでいく。


「お嬢様、空にかざす必要はないのでは」


「気持ちよ気持ち! こっちの方が盛り上がるでしょ。それに、昔トリスティア先生もおっしゃってたもの、魔法に感情を乗せることは無駄じゃないって」


「ですがお嬢様、淑女レディーがあまりそういった格好をされるのはよろしくないかと」


「もう! ルイスしつこい! どうせ二人だけだからいいの! それに変な事言ってじゃましないでちょうだい」


「変な事は言ってないと思うのですが……」


「よし。これでいいはずよ! さぁルイス、キレイにしたいところにかざしてみてちょうだい」


「かしこまりました。ではとりあえず手にかざしてみるとします」


 するとどうだろう。ルイスの手の周りの体毛は湿り気を帯び、周りにほんのりと花や果実のような甘い香りが漂い始めた。


「おお、これは……! お嬢様、今度こそは大成功と呼べるのではないでしょうか」


 成功を喜び、驚くルイスを他所に、私は結果に納得がいかず素直に喜べずにいた。


「いえ、これじゃダメだわ。私としたことが重要なことを忘れていたみたい」


「そうでしょうか。私としては十分洗浄はできている様に思えますが」


「いえ、これじゃあ、ツメが甘いわ」


 なぜ私が不成功としているのか理由がわからないのだろう。ルイスは小首を傾げている。


「だって手が濡れたままじゃない」


 今の私の言葉で合点が入ったのかルイスはなるほどといった具合に首を縦に振った。


「そういうことでしたか。ですが洗浄という主な目的は果たせていることですしこれでも十分成功と言えるのではないでしょうか」


「それはそうだけど……」


 確かに成功といえば成功だろう、しかし、今回の隠れたもう一つの目的がこのままでは果たせそうにないなと思った私は言葉に詰まってしまう。


「……ゃ……ぃ」


「お嬢様、何かおっしゃいましたか」


 まずい、思わずポロッと頭の中の声が表に出てしまったようだ。なんとか誤魔化さなくては。


「何も言ってない……」


「しかし今、何かおっしゃっていた様に聞こえましたが」


 流石に狼犬人リカイナントの耳を誤魔化すには先ほどの私の声は大きすぎたようで、不意に出てしまった心の声はルイスの耳までちゃんと届いていたらしい。


「……あんな声でも聞こえちゃうのね。さすがは狼犬人リカイナントと言ったところかしら」


 誤魔化し切ることが敵わないと悟った私は、一度言葉を区切りと少しの間を置きなんと言ったか白状した。


「これじゃあ今日の目的が果たせないって言ったの」


 だが言えるのはここまでだ。続きを白状するわけにはいかない。


「今日の目的ですか?」


「そう、でもこれ以上は恥ずかしいから言いたくない」


 言いたくないとはいえ目的を諦めるつもりもない。作戦を変更し攻め方を変える。臨機応変な対応が私の長所だ。突然の変更ぐらいどうってことはない。


「あんなに二人だけだから大丈夫と言っていたお嬢様でも恥ずかしいことですか。その問題は私には解けそうもありませんね」


「わたしにも、わたしなりの淑女レディーのラインがあるのよ。……ふぅ、魔力を練ったせいかしら、ちょっと疲れちゃった」


「お嬢様、屋敷にお戻りになられた方がよろしいのでは」


 よし、反応は悪くはない。だけどもう少し引っ張らないと。


「大丈夫よ、少しくらい。本当にただ少し疲れただけだもの」


「ですが、疲労した体にこの夜風はあまり好ましくありません。お嬢様、屋敷までは歩けそうですか?」


「うーん、どうかしら。やっぱり今すぐ動くっていうのは、むりかも」


「それは、困りましたね」


 ここまで言って察することができないルイスではないだろう、あともう一押しか。


「一つだけいい解決方法があるわよ」


 そう言って私は、ルイスに向かってめいいっぱい背伸びをして手を広げて見せた。


「お嬢様、今年でもう十歳になられるのですから、そういったことはそろそろ控えた方がよろしいかと。十歳はもう立派な淑女レディーです。私には荷が重すぎます」


 しかしというか、やはりというか、私の求めている行動をルイスはすぐには起こしてこない。


 もっともっと押さなくては。


「あら、それはケンカイのソウイね。十歳なんてまだまだ子供だと思うけれど。それにルイス、わたしのこと淑女レディーと言っておきながら重いはないんじゃないかしら」


「そ、それは言葉の綾でございます! 賢いお嬢様ならわかってくださるでしょうに」


「いいえ。まだまだ子供のわたしには全然わからないわ。だからルイス、罰よ」


 私の怒涛の攻めに対して、ルイスの牙城はもう崩壊寸前だ。とはいえいくら雇い主の娘とはいえ、所詮は小娘の戯言に過ぎない、キッパリと断られて仕舞えばそれまでだ。だけどルイスは断りはしないだろう。いや断れないと言った方がいいのかもしれない。なぜか? そんなの言うまでもないルイスは私に甘いのだ。


 詰みだと言わんばかりに、私はルイスに向かってもう一度めいいっぱい背伸びをして両手を左右に広げて見せた。


「しかしですね……」


 ここまできてまだ行動にうつさないルイスを見て、私は観念しろと言わんばかりにトドメの台詞を飛ばす。


「もう、じゃあ裏庭を出るまで! それならいいでしょ。だって誰もいないじゃない。もう淑女レディーを待たせるんじゃありません! ほら――!」


 そう言って私は、両手を広げたまま踵を上げたり下げたりしてルイスが抱えてくれるのを待つ。


「……。裏庭を出るまでですよ――」


 数回の攻防の末、ついに観念したルイスは前を向き手を後ろに回して、私の前で屈んでみせた。


「ねぇ、抱っこじゃないの」


 少し思っていたのと違い少し駄々をこねて見せたが、ルイスもこればかりは譲れないとひたすら首を振り続けた。


 どうやらここがお互いの妥協点らしい。


 首に腕を回し私は渋々ルイスの背に乗った。


「ん? 朝と比べると毛のふわふわ感が足りないわね」


「仕方ありませんよ、トレーニングしたばかりですから。それに今はもう夜です。そこはお許し願いたいものですね」


「それもそうね。しょうがない、今回だけ特別に許します」


「ははぁ。ありがたき幸せ」


「「ふふっ」」


「本当、久しぶりね」


「ええ」


「ねぇ、ルイス。わたし今日はもう疲れたわ」


「本日は色々ございましたね」


「そうなの、だからルイスちょっとの間だけおやすみなさい」


「ええ、? お嬢様――? まだまだ子供……か――――」

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