魔王の義眼

 その者は漆黒の鎧を纏い魔人魔物を率いて人々の住む土地を蚕食し、多くの人から自由を奪った。何者であろうとも奪い、閉じ込めては正義であり幸福だと高らかに謳った。しかし、それは征服以外の何者でもないと、とある賢者がその者に言った。だが、その者は行いを決して止める事は無かった。賢者はその者に異称を与える。その名は『魔王』。魔人魔物の王にして人類最大の敵、全てを支配する者としての名である。多くの人々から畏怖され、魔王と呼ばれていったその者は自ら名乗る事となる。「我は魔王」と…………









































 伝承通りのその姿にベネラは興奮と嬉々を感じたのか笑みを浮かべた。漆黒の鎧に隻眼の仮面、最強の存在として永く語り継がれていた魔王が圭吾の体を借りて現れたのだった。魔王から威圧感を感じながらベネラは一人呟く。



「すごい……これが魔王!」



 ただ、正確には伝承の魔王とは異なる。魔王の義眼によって再現された姿である為、言うなれば二代目魔王で言うべき存在であり、圭吾はその依代になっているだけであった。

 もう圭吾の意思はない。橘圭吾は死ぬ間際に世界、つまりの魔王の義眼に選ばれ焼け爛れた体を魔王の義眼に操れらているだけである。

 魔王と化した圭吾の左腕は再生する。黒煙が腕の形となり、それが左腕へと繋がって腕となり、黒い鎧で覆われる。



「来る!」



 魔王は力はさほど高くない。理由は分からないがまだ完全ではないとベネラは推測した。完全体でなければ自分に勝機はある。ベネラは力を高める。

 魔王は両腕に肩マントを生成する。黒煙が両腕の周りに纏わり付いて、黒い生地に緑色の魔王紋章が縫い付けられた肩マントが現れた。



「さあ! 来なさい魔王! あなたは私の物になる!」



 ベネラの挑発に大した反応はせず、魔王は歩き出していき次第に駆け出して山を下り始めた。山の中腹に降りたベネラ目掛けて突進するかの如く、魔王は走り出したのだった。

 一方、ベネラは切り札となる右目の魔眼を発動させる。万有の眼と命名されたその魔眼はあらゆる事象を発動させたり、消去する事が出来る最強の眼である。イマジンアウトの天然版とも言えるが、人工物の大きな制限とは異なり有効範囲は人工物のものを圧倒している。

万有の眼は黒い本来の瞳から青い瞳へと変化し、瞳の中には古代帝国紋章が現れた。

 山を下ってくる魔王は義眼を用いて、周囲の小石を操り、浮遊させては銃弾の如くベネラに向けて無数に飛ばす。

 そのちんけな攻撃にベネラは苦笑った。



「何よそれ――ガッカリさせないくれるかな」



 ベネラが笑うのも無理はない。彼女の魔力防壁は100層にもなる多重層防壁である。服の上から皮膚の上まで100の薄い壁が常時展開されているのである。こんな事ができるのは魔術世界広しとも彼女一人であろう。だが、その最強の防壁も最初だけであった。当たり初めて数秒で小石が壁を通り抜け始めたのだ。先ほどの圭吾との戦闘では10層破壊されるのに一時間も要したが、ものの数十秒で半分の50層近くまで破られてしまった。



「なっ!?」



 生まれて初めてここまで防壁を破壊された事に軽くショックを受けたベネラだったが、まだ冷静である。小石を避けて、そして近づいてくる魔王と接近戦は避けて空へと逃げるように浮遊した。魔王とは距離を取るべきと判断した。ベネラの立っていた位置で魔王は立ち止まった。



「ははっ……甘く見ていたわ」



 ベネラは日傘をさした。そして宝物庫の魔眼からスケルトン達を無数に排出させて、富士山上空一体をスケルトンの軍勢で覆った。その数は万単位とも思える数である。



「さあ! どうする魔王! この数をどうするかしら?」



 数の暴力のベネラに対し、魔王は終始無言であるが、腕を組んでその左目でベネラを見た。睨みつけられたと感じたのかベネラはゾッとした。悪寒という物を初めて感じベネラは戸惑う。



「何……?」



 魔王の足元にどこからか分からないが多くの黒煙が集まりだした。そしてそれは次第に竜の形となり、形を造り生成される。漆黒の鎧竜である。

その鎧竜は有機物というよりも無機物で機械的な印象のドラゴンであった。生み出された鎧竜は羽を大きく広げて、雄叫びを上げた。



「ギャオオオオオオオーーーー!!!!」



 その鎧竜の雄叫びは富士山全域に響き渡る。それはベネラすらも戦慄を覚えた。しかし、数は圧倒的に上であるとベネラはまだ余裕であった。

 羽ばたき始めた魔王の鎧竜にベネラは攻撃を仕掛ける。



「飛ばせない!」



 上を取っていて位置的に有利なのはベネラである。スケルトン達に遠距離攻撃を命じた。魔弾の一斉発射である。万に及ぶ魔弾が次々魔王目掛けて放たれて、直撃した様に見えたが爆発し発生した煙の中から鎧竜が飛んで現れた。



「逃がすな!」



 魔王を乗せて飛んでいく鎧竜をスケルトンが追っていくが、鎧竜の方が速い。スケルトン達を振り切って、引き返しては口から魔弾を放った。スケルトンの軍勢内で炸裂し爆発した魔弾は一気に数百のスケルトン達を消滅させる。



「この!」



 宝物庫の魔眼のストックは億単位だ。スケルトンなどいくらでもいる。赤い粒子がベネラの周囲に次々現れてはスケルトンと化しては魔王へと挑んでいく。しかし、徐々に力を取り戻しつつある魔王の前には数の暴力は無駄に思えてくるのだった。いくら数が多くあろうとも攻撃が当たらなければ意味はない。そして攻撃を受けてもダメージが与えられなければ意味はない。ベネラは徐々に焦り始めた。



「くそっ!」



 乙女らしからぬ言葉でついにベネラは前に出る。スケルトン達では相手にならない。自身が先頭に立ち、隙を作ってそこを叩く。高速で移動する魔王乗る鎧竜に対し、現代における最高の飛行魔術にてベネラは対する。逃げる鎧竜に対し、それを追うベネラの光景はさながら戦闘機のドックファイトであった。

 ベネラは自身の魔力にて生成した莫大な魔力を込めた魔石弾を宝物庫の義眼から輩出した。そしてそれに万有の魔眼の力で自動追尾を加えて、音速の数十倍の速度で放つ。放たれると同時に衝撃波が発生し、周辺の物は吹き飛ばされた。

 魔王は振り向いた。それと同時に魔力石が直撃し、鎧竜もろとも大爆発に巻き込まれて吹き飛んだ。戦略核レベルの爆発が富士山の高高度の上空で起きた。



「よし!」



 確実に直撃した事を目視したベネラは当たったと確信し笑顔となるが、その笑顔は長くは続かなかった。



「嘘でしょ……」



 爆発の煙の中から無傷の鎧竜とその上に乗る魔王を見たベネラは唖然とした表情を見せた。渾身の一撃だったのだ。ベネラの攻撃は全く魔王に通じない。魔力防壁を全く使っている様子はない。もう、ここでベネラは力の差を無意識に感じ取ってしまう。



「まだよ……! まだまだあああ!!!!」




 ベネラは出し惜しみせず、宝物庫に存在する魔石弾を全て輩出する。その数はスケルトンと同じく万数である。赤い粒子が空を覆う。



「ビーナス・エンド……!」



 ベネラ最大の攻撃魔術の一種であるビーナス・エンドが発動する。多数の魔石弾がベネラの周囲に展開、一斉発射するその攻撃は防ぎきれる魔術師はいないと評されており、この攻撃はベネラにとって切り札となる大技である。



「食らえぇぇぇぇ!!!!」



 魔石弾が一斉発射する。その光景は雄大かつ凄まじい。さすがの魔王も回避運動に出た。空高くさらに舞い、無数の追尾から逃げていく。



「逃がさない!」



 魔王に最も近い魔石弾達を音速の10倍速で飛ばすが、魔王は飛んできた魔石弾をあり得ない反応速度で避けた。しかし、魔力石達は大きな放物線を描きながら魔王を追う。それでも神がかり的な反応で避けられてしまう。



「何で当たらないの!?」



 ベネラは眼の力により、魔王の回避を高い精度で計算しては先読みし必中の追尾で行っているが、魔王には当たらなかった。計算をし、さらに計算、さらに再計算しても理論上当たるとしても魔王には当たらない。段々と魔王に弄ばれている様な感覚に陥るベネラは余裕が徐々に失っていく。時間をかけてしまうと魔王は完全に力を取り戻し、化け物と評された自分でも危うい状態になるからだ。



「ちっ! 何で当たんないのよ!」



 もう直撃する間合いからいくら魔石弾を放出しても意味はないと判断したベネラは魔力石を魔王の近接で爆発させる事に変更する。本来ならば直撃が一番効果的だが、当たる気配はないのであれば周囲で爆発させて少しでもダメージを与えるしかない。



「これで終わりよ!!!!」



 魔王が避けたと思った魔石弾は急激に光出した。その光は魔王の義眼に反射した。そして大きな爆発が発動し、それは連鎖していく。一度爆発で動きを止めれば後は容易い。しかし、魔王は近接で爆発されようとも直撃で爆発されようとも鎧竜と共に無傷であった。避けて逃げていくが動きは回避している時よりも鈍い、爆発は続き、逃げた魔王の追う様にして連なって爆発した後は煙が蛇の如く連なっていった。そして最後の爆発が起きた収まった時、無傷だった魔王もついにマントが焦げては汚れ、端は千切れてしまい。プレートアーマーの鎧も欠けてしまった。そして鎧竜も弱っており、見るからに飛ぶので精一杯な状態と化していた。



「よし! これで終わりよ!」



 勝利を確信したベネラは拘束魔術を発動した。黄金の監獄。捉えたい物体を黄金の檻により拘束する光属性の魔術である。丸い形の檻が魔王の上下に現れた。すると凄まじい眩しい光の重力と黄金の電撃が魔王を襲う。S級の魔術師であろうと捕まると言われるこの魔術の前には魔王でも捕まるのかと思えたが、魔王は誰よりも強くなればいけないのあった。異変はもう始まっていた。



「どうかしら魔王!? これはあなたの為に作られたとも言える最強にして豪勢な拘束魔術よ! これであなたは私のも……!?」



 ベネラはこの時異変に気付いた。魔王の傷が癒えていく事に。マントと鎧は徐々に再生し、鎧竜も再生していく。その光景にベネラの顔は引きつった。



「嘘でしょ……嘘だと言ってよ」



 嘘ではない。魔王の体は完全に回復した。激痛であるはずである電撃を浴びせられても無傷、むしろ回復する有様からベネラは恐れを感じる。



「まさか……拘束の攻撃を魔力に変換したとでも?」



 その瞬間、黄金の檻は破かれた。魔王の力を前に黄金の檻は食い物でしかなかったのだ。黄金の檻は破れて、地上に向けて落下しなが消えていく。



「くっ…………まだまだ! まだ終わりじゃないのよ!!!!」



 ベネラは日傘を赤い剣へと変えた。もう、捕まえる事など考えず、ただ魔王を倒す事に変更した。

 魔王は右手を前に出すと、その手の平に黒煙が集まって剣の形となり、漆黒の魔剣が生成された。かつて勇者リヴァルの聖剣と交えた伝説の剣である。魔王は剣を構えた。ベネラも構える。



「来る!」



 それは刹那だった。一瞬でベネラの前に魔王は現れて、剣を振り上げていた。やられると感じたのかベネラは空間転移魔術で空へと逃げた。しかし、それでも安心はできなかった。魔王はベネラの背後を取り、剣を突き刺した。魔力防壁を容易く貫いてついにベネラの体に傷をつけた。



「ぐっ!」



 生まれて初めて他者から与えられる大きな痛みにベネラは涙目となった。貫かれた左肩でもう左腕は思う様に動かせない。



「この!」



 振り向き様に剣を振るったベネラであったが、それを難なく避けた魔王は一気にベネラに対して剣を次々と繰り出す、その剣の攻撃は剣聖と思わせる速さと正確さであった。ベネラは何とか剣で受け止めるので限界だった。押され後退していくベネラは続く剣の攻防から離れて得意な遠距離攻撃にシフトしたいが、もうそんな隙はない。状況を覆したいベネラは無理をして魔王の剣を大きく弾いたが、逆にそれを利用される。魔王の回し蹴りがベネラの腹部に炸裂した。ベネラは大きく吹き飛ばされていく。富士山の中腹に線を引く様に落とされたベネラはついに背中を地面に当てるのであった。



「ぐほっ! がっ……ゲホゲホッ!!」



 腹部を抑えながら、立ち上がるがベネラは限界だった。お気に入りのゴスロリの服はもう見るに堪えない程に損傷し、捨てるしかないぐらいに見えた。そして体中に擦り傷だらけにして、自慢の魔眼も両目とも力を失いつつあった。視界が暗い。



「嘘でしょ……私は天才児ベネラ――こんな所でくたばる子じゃないはずよ……最強最高の魔術師――」



 最期の力を振り絞り、剣先を空を漂う魔王に向ける。最後の魔力による全力の砲撃で魔王を葬り去るつもりだ。

 しかし、魔王はその三倍をいく。魔剣を消滅させると両腕の手の平をベネラに向けた。さらに鎧竜の口も大きく開いてベネラへと向けられる。そして両者の砲口の周囲に粒子が舞い始めた。ベネラは紫の粒子、魔王は漆黒の粒子である。



「もう――もう、あんたなんかいらない!!!! 死ねぇぇぇぇぇぇぇーーーー!!!!!!」



 ベネラの叫びと共に最大の砲撃が放たれた。それは周囲の物を吹き飛ばし風が吹き荒れる。魔王に向けて真っすぐ飛んでいく赤色のビームは凄まじい。しかし、魔王は3門による砲撃により、ビームごと押し返す。ベネラ渾身の砲撃も魔王の前には小さく見えた。赤色のビームを霧散させながら、漆黒の巨大ビームがベネラに向かって飛んでいく。



「いっ――」



 漆黒のビームが完全にベネラのビームを跳ね返した。剣も崩壊していき、ベネラにビームが浴びせられていく。その中で彼女は泣いた。



「いやあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!!!!!!!!!」



 幼き女の子の悲痛かつ無様な叫びと共に漆黒のビームはベネラを包み込んでいった。漆黒のビームはその後、水平線まで続いて宇宙の果てまで飛んで行った。

 残ったのは大きなビームが通った事を示す跡と、その中で辛うじて立っているベネラだけだった。ベネラの衣装はもうほとんど裂けており、肌と下着が所々見えていた。そしてベネラは生きてはいるが、俯いており、髪はボロボロ、あれほどあった魔力も底をつき、眼も魔眼では無くなっていた。そこに魔王が段々と近づいていく。鎧が軋む音が段々と近づいいくにつれて、ベネラの体は震えていく。



「ひっ!」



 そしてその音が止まった時、ベネラは女の子座りとなり大声で泣き出した。



「うわぁあああーー! ママ! ママ! 助けてママ!! 助けてよぉぉぉぉ!」



 彼女はついに泣き出した。大きな声で泣き出した。涙を流し、鼻水を垂らして、両手で目を拭う姿にはもう最強の魔術師の威厳はない。完全敗北である。幼い子供が母親にすがる醜態を晒すのであった。

 そんなベネラを目の前に魔王はただ立ち尽くしている様にも見えたが、再び剣を右手に握っている。目の前で泣き喚く女の子に止めを指すのは躊躇うのか、一向に動こうとはしない。そしていつの間にかベネラの足から黄色い液体が広がっていた。

 さすがの魔王も幼き女の子を殺す事に心を痛めるのか、剣を黒煙に戻した。



「魔王ぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!」



 その声に魔王は振り向いた。そして声がする方に居たのはオルンだった。今まで怪我を負い、気絶していたオルンだったが意識を取り戻したのだ。取り戻したがいいが、主であるベネラの醜態に衝撃を受けてしまう。しかし、オルンは見捨てる事などしなかった。



「そこから離れろぉぉぉぉ!!!!」



 猛スピードでオルンは魔王に飛び掛かる。しかし、魔王の前には非力だった。飛び掛かかってきたオルンに対し魔王は念力使いの様に右手にオルンの体を引き寄せて、その首を掴んだ。凄まじい力でオルンの首に指がめり込んでいく。オルンは苦しみ、足蹴りで魔王を攻撃するもその前に放り投げられた。それは数百mにも及ぶもので、オルンは落ちた衝撃で動けなくなった。



「べー―ベネラ様……!」



 暗い視界の中でオルンは主の名を呟く。

 オルンが生きている事で泣き止んだベネラだったが、状況は変わらない。目の前に立つ魔王に為す術がないのは変わらないのだ。もう、終わりだとベネラが身構えた時、ベネラは気づいた。先ほどまで大きく感じ取っていた魔王の殺意が消えている事に。



「えっ……」



 魔王から殺意が消えた。つまり、見逃してもらえたのだとベネラは感じたのか、魔王に対し涙でぐしゃぐしゃの顔ながらも笑顔を見せて言った。



「ありが――」



 その言葉を遮るの如く、一瞬で魔王の蹴りがベネラの顔にヒットした。頬に直撃した右足の蹴りはベネラの歯を何本か吹き飛ばし、ベネラ自身も大きく吹き飛ばした。残酷な光景で、そして痛烈な一撃だった。やはり魔王は魔王であるのだ。魔王は幼き子であろうと容赦はしない。

 べラナは数百m程度飛ばされてやっと止まった。辛うじて意識はあるが、もう戦う意思はない。涙を流すだけだった。



「――やったの?」



 ずっと二人の戦闘を隠れて見ていた静乃は魔王となった圭吾があそこまでやった事に驚いた。いくら敵とはいえ、相手は子供。手加減なしの容赦ない攻撃とは恐ろしいと感じたのか静乃の顔はどこか引きつっていた。

 一人、頂上に向けて歩いていく魔王に静乃は近づく。静乃は未だに圭吾であると思っている。



「やっやったね! これで勝ったんでしょ!?」



 近づいてきた静乃に魔王と化した圭吾はは無反応であった。



「ねぇ? 勝ったんでしょ!?」



 もう一度静乃は問いかけるが、反応は変わらない。その間にもただ魔王は頂上を目指して歩いていく。



「ねぇ? 聞いてんの?」



 静乃は少し強く言うが、それでも魔王は止まらない。



「ちょっと! 止まりなさいよ!」



 痺れを切らした静乃が魔王の肩を掴む。すると静乃の右手は綺麗に吹き飛んだ。全く痛みがなく吹き飛んだ右手に静乃は驚愕し唖然とした。



「はっ? はっ!?――何よこれ!? 何したのよ!?」



「お前の知るこの男は死んだ。もう、いない……だが、もう少しで会わせてやろう」



 その声は圭吾の声では無かった。それ以上語る事なく、魔王は歩いて頂上へと向かう。富士山火口の上空にある謎の黒い球体、ベネラが始めたビッククランチである。右手を吹き飛ばされた静乃は追う事が出来なくなった。恐怖である。もう自分が知る圭吾では無いとやっと気づいた。



「…………圭吾」



 頂上に一人辿りついた魔王に向けて静乃は小さく言った、聞こえるは事はない。

 魔王は右手を球体に翳(かざ)し、そして操る。するとビッククランチは急激に早まった。空にはあらゆる銀河系が見えて、星々が次々と粒子と化しては黒い球体に吸い込まれていく。それに伴い、富士山周辺も暴風に巻き込まれていき、木々や車、人や建物、動物、ありとあらゆる物体が吸い込まれていく。その中で、一人静乃は踏ん張りながら叫んだ。



「何やってんのよ!! 橘!!!!」



 暴風の中、風の音で聞こえるはずはないが静乃は叫ぶ。



「これがあんたが望んだ事!? 違うでしょうが!!!!」



 それでも声は届かない。一人立ち尽くす魔王には届かない。



「止めさいよ!! 早く!! これじゃ世界が終わっちゃう!!」



 ついに静乃の体も踏ん張りの限界を迎えて宙に浮く、もう暴風の中に包まれて球体に吸い込まれるだけだ。静乃は涙を流しながら最後に叫んだ。聞こえなくても圭吾を信じて叫ぶのであった。



「魔王なんかになるんじゃない橘!!!! 元に戻れぇぇ!!!! 圭吾ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」









































 一之瀬静乃は目を開けた。そこは渋谷。ハチ公前である。大勢の人が行き交い、老若男女の人々で溢れかえっていた。



「あれ?」



 一之瀬静乃は大きな違和感に感じた。この光景、どこかで見た事がある。既視感である。でも、よく思い出す事が出来ない。静乃は周囲を見渡す。しばらくしてこれから起きる事をやっと思い出した。

 食人鬼である。グールが出てくるのだ。そしてそれらによって東京は地獄に変わるのである。逃げなければ。



「おっと! どこに行くの静乃?」



 そこには里香がいた。静乃の肩を掴んでいる。ギャルの友達の里香と合コンに行く予定だった事を今、静乃は思い出した。



「ごっごめん……」



「どうしたの? 顔色悪いよ」



 理科の言う通り、静乃の顔色は悪かった。



「ちょっと嫌な事を思い出してさ」



「嫌な事って?」



「えーと……その」



 思い出そうとしても言葉が出なかった。さっきまで思い出した事なのに静乃は忘れたのだ。



「ごめん。何か忘れた」



「何それ~大丈夫なの静乃?」



「うん、大丈夫だよ」



 心配する里香であったが、静乃は大丈夫だと言葉を信じて二人はハチ公前を後にする。そして合コン会場の居酒屋へと向かう。そこには既に友達二人と見慣れぬ男達四人が座って待っていた。しかし、静乃が座ったその目の前の席には見慣れぬ男ではない男が座っていた。



「橘?」



「――一之瀬か?」



 地元東北の中学で同じクラスだった橘圭吾が目の前にいたのだ。圭吾はあの時と同じ顔で静乃を見た。



「なっ何であんたかここに?」



「友達に頼まれてな、数合わせだよ」



 中学の時に印象から合コンなんて来る様なタイプではないと勝手に決めつけていた静乃は意外だと思った。



「何? 圭吾と知り合いなの?」



 男子の一人が聞いてきた。



「えっ? うん、まあ同じ中学で」



「へぇ~。もしかしてかっこよくなったとか思っちゃった?」



 茶化す里香に静乃は呆れた顔を見せる。



「全然。中学から変わらず嫌な奴よ」



「ふん。お前も男勝りは変わらなんな」



 圭吾もいい印象ではない。少し険悪な感じであるが、全員揃ったという事で合コンは始まった。言葉では圭吾を嫌悪しながらも、静乃は再会した圭吾に対し、何故か鼓動が速くなっている事に気づくのであった。









































 

 



 


 


 



 


 聖マリサ・アスティアール学園の中庭の家屋にてディルクは静乃の目を通して、魔王の義眼の見届けていた。もう、義眼に吸い込まれた静乃からは何も見えないが、どうなったかは予測がつく。



「おい! じいさん! 圭吾達はどうなったんだよ!」



 ヘクスが騒ぎ立てる。その後ろでリリスが壁際に立っていた。



「うるさいぞ。少し黙れ」



「気になるでしょうが! それとも助けにいくべきじゃ!?」



 どうしてヘクスがいるというと圭吾達を見送った後、ゲシムの遺体に興味を持ったディルクにそこまで運ぶと言ったのがヘクスだった。最初は迷ったディルクであったが、ヘクスが迷宮義眼に200年もいたと聞くとディルクはヘクスにも興味を持ったのだ。しかし、いざ招くととても口うるさいヘクスにディルクは後悔していた。



「辞めておけ。もうあの世界は一つに纏まっておる。今、行っても魔王の義眼に取り込められるだけじゃ」



「じゃあどうやって助けるんだよ!?」



「――不可能じゃ」



「はあ?」



「だから無理じゃ」



「おい! あんたこの国でもトップクラスの魔術師なんだろ!? どうにしかしてひ孫助けてやれよ!」



「あのベネラがボコボコにされて帰ってきた相手じゃぞ? そう簡単に手出しできるか」



「あんたそれでも身内かよ!?」



 その言葉にディルクは呆れた顔を見せる。



「はぁ――もういいわい」



「なんだと?」



 ディルクにとって圭吾を見失った事は大きいが、圭吾が魔王の義眼に選ばれた事は大きな誤算であり、そして何よりも嬉しい事態であった。今の状態では魔王の義眼は制御できずにいるが、今後どうにか手を打って圭吾を見つけ出し、魔王の義眼を完全に支配させればもうこの世界に敵はいない。スルク家は永遠(とわ)に安泰であろう。



「どのみち、我が魔術会が総力をもって魔王の義眼の解析と支配を行うであろう。時間はかかるであろうが、その過程で圭吾を見つけ出し魔王の義眼を支配させ、こちらに帰還させればよい」



「魔王の義眼が圭吾を生かし続けるとは限らないぞじいさん」



「それはないな」



 ディルクは笑みを浮かべた。



「何?」



「まあ、当分、魔王の義眼に変化はないだろう。暇つぶしにお前に魔王の義眼がどうして作られたか教えてやる。それが圭吾が生かされる理由でもあるしな」



「魔王の義眼がどうして作られたかだって? そりゃ、世界征服の為だろうよ。それと圭吾が生かされる理由とどういう関係がある?」



「まあな、でも、その世界征服が正しいものだとしたら?」



「正しい世界征服だと? そんなもんあるわけないだろ」



 誰もがそう思うはずだ。世界征服という言葉からして最大の悪事のイメージが強い。だが、しかし、この世界の魔王の目指した世界征服は違う事をディルクは知っている。



「人類の夢の為の世界征服だったのじゃ。魔王の世界征服は」



「どういう意味だ?」



 ヘクスは首を傾げた。意味がよく分からない。



「魔王はこの世界を憂いた。強き者が弱き者を食らう様な社会、魔人と人間達の戦い、その戦いに巻き込まれ大切な者を失う者、貧しい者、生まれ持って体が不自由な者、奴隷となる者、罪を犯す者、怪我や病気で何もできぬ者。そらを見て魔王は気付いたのだ神はいないとな」



「そんなもんどうしもないだろ。 幸福があれば不幸もある。希望もあれば絶望もある。この世界はそうやってバランスを保って回ってるもんだろ」



「確かに。魔王もそう思って最初は何もしなかった。しかし、大きな悲劇に会い、考えは変わったのじゃ。どんな悲劇に見舞われたのは知らんが、それにより魔王は変わった」



「例え悲劇に会おうともどうしようもないだろ? この世全ての不幸、絶望を一人で解決できるとでも思っていたのか?」



「もちろん出来なかっただろう。魔王は考えた末、この様な考えに至った。人それぞれ好みが違う。ならば幸せも違う、理想も違う。その違いが争いが生む原因の一つだと」



「まあ、確かにな……だから世界征服をしたのか? 皆同じ思想教育を受けさせ、同じ価値観にしようでもしたのか? 無理な話だ。価値観なんて同じする事なんて出来ないだろう。いくら同じ教育を受けても時間が立てばそれぞれ差異が生まれる」



「そんな事は魔王だって知っていた。だから、一人一人に与えたのじゃ……理想郷をな」



 ヘクスは目を見開いた。魔王に理想郷など似合わない。



「理想郷だと……?」



「そうだ。パーソナルユートピア。魔王の考えを一言で表すならこの言葉だろう」



 個々の理想郷。魔王が世界を見続けて辿り着いた答えがそれであった。もう神になどに頼らない。自らよりよい世界にすると魔王は決意したのだった。



「それってつまりいい事じゃないか? 個々の理想郷を作るなんて支持されるだろう。なのに何で魔王なんて呼ばれる様になったんだ?」



 笑顔でヘクスは言ったが、ディルクは険しい表情だった。



「支持されるか……だが、現実は非情じゃ。魔王の個々の理想郷実現のやり方は大いなる問題を抱えておった」



「何だよその問題は?」



「…………それは人から脳を奪うのじゃ」



 そのディルクの言葉にヘクスは言葉を失った。人から脳を奪う。最初はよく理解できなかった。想像できなかったが、しばらくしてその意味を理解した。



「人から脳を奪うだと……!? つまり」



「そうだ。この世界の生き物の共通点は脳を持つ事。そして幸福を感じる場所はそこじゃ。あとは分かるな?」



「つまり個々の理想郷てのは個々の仮想世界って事か……!? それを魔王は世界中でやろうとしたのか!」



「そうじゃ。魔王はそれが正しいと信じ、脳を水槽に詰める事を始めた。そして魔術を用いて脳を管理し運営し、その者が無意識に望んでいた理想世界を見せてその中で生きらせたのじゃ」



「正気じゃないだろそんなもん! 脳だけ生かすって!? 生きていると言えるかそれは!?」



「そんなのは問題じゃなかったのだろう魔王にはな。最も大切な事は、その者が幸福であると言う事だけじゃ」



 ヘクスの表情は曇る。そこまでやるなら魔王と呼ばれるのも納得も出来るし頷けた。



「だから魔王か……そしてそれに気づいた人類に反対されたってわけか――」



「ああ、人類はその狂気に満ちた行いに異議を唱えた。しかし、魔王は止める事は無かったのじゃ。それが正義であり正しいと宣言した。確かに魔王に何ら利益は無く、苦しむ者の中には進んで魔王に脳を差し出した者さえいた様じゃな」



「確かに魔王には何ら利益がねぇ。でも、魔王は本当は何か企んでいたんじゃないのか?」



「もちろんそれを指摘してきた者もいたようだが、魔王は否定したようじゃな。『私の望む事は全種族全人類の幸福だと』と言ったらしい。しかし、それだけで人々は信用せぬ。もちろん今でも魔王の真意は分からぬ」



「例え幸福の為でもそれはやりすぎだろ。人の脳を管理運営する。気味が悪いし、生理的な嫌悪感すらあるな……と言う事は魔王の義眼は圭吾を保護してるって事か……」



「まあな。でも、それが魔王の辿り着いた結論……答えだった。そしてその中に圭吾はいる」



「そしてそれを実現させる為に義眼を生み出し、魔王はついに全人類から脳を奪う為に戦争を始めたってわけか……」



「そうじゃ。個々の理想郷の次は完全なる世界平和を目指す事とした魔王は人類を含めた全種族から脳を奪う為、戦争を始めた様じゃ。もちろん、人類側は抗った。しかし、魔人、魔物を中心とした魔王軍は強く追い詰められた。それでも最後は勇者リヴァルの前に魔王は倒れた様じゃな」



「勇者リヴァル様様だぜ。もしリヴァルが負けていたら、俺達は嘘の世界で暮らしていたのかもしれないからな」



「だが、その方が幸せだったかもしれんぞヘクスよ。迷宮義眼に200年も閉じ込められるよりはな」



 そのディルクの言葉に対し、複雑な思いを感じたのかヘクスは何ともいえない顔をした。



「何が幸せでなんか不幸か……考えさせられるぜ」



「このやり方や考え方は魔王は個人原理と唱えていた。個人を中心にして世界を作る。個人の幸福の為に世界を作り管理運営する事をよしとする考えじゃ。ある意味個人主義の到達点ともいえるな」



「俺はそこまでして幸福にはなりたくはない」



「お前は本当に前向きじゃな。200年も閉じ込められて己が不幸だとは思わんのか?」



 そのディルクの質問にヘクスは笑って答えた。



「俺にとって確かにあの200年は苦痛だった……でも、その中にも小さいながらも幸せはあったさ」



「そうか……」



 その時だった。ディルクの脳内にテレパシー魔術で連絡が入った。それは魔王の義眼についての魔術会からの連絡だった。



「何っ!?」



 突然、大きな声を出したディルクにヘクスは驚いた。



「なんだよ急に!?」



「空を見よ!」



 ディルクに言われるがまま、ヘクスは窓から外を見た。するとそこには黒く巨大な魔術文字が空を覆っていた。



「何が起きた?」



「魔王の義眼じゃ!」



「何!? まさか、こちらの世界に帰ってきたのか?」



「その様じゃ! 魔王め……もしかするととんでもない物を作り上げたかもしれんぞ!」



 最悪の予想がディルクの脳裏をよぎった。それは魔王の義眼が‘意思’を持っている可能性である。



「このままでは……わしらは脳を奪われる!」









































 あの合コンから一週間後、色々となりがなら静乃は圭吾に好意を向けている事に自覚し、デートする約束までに至った。そして今日はそのデートの日。週末デートでお台場を散策する。

 待ち合わせ場所は新橋だった。待つ静乃に圭吾が近づく。



「おお、悪い。待ったか?」



「いや、大丈夫だけど。何かおごりね」



「はぁ? 集合時間五分前だぞ?」



「女の子を待たせるなんてダメ」



「はっ? 女の子? お前が?」



「……殺されたいね?」



「冗談だ」



 そんな会話をしつつ、二人はゆりかもめに乗り台場駅で降りて、フジテレビを見たり、その後はヴィーナスフォートで買い物をしたり、食事をし、さらにはジョイポリスで遊んだ。楽しい時間が過ぎるのは早い。お台場海浜公園に着いた時には、既に夕暮れであった。綺麗な夕日を見ながら二人は背伸びをした。



「今日は色々遊んだな」



「うん」



 穏やかな空気が流れる。周囲にはほろんど人がいない。静乃は圭吾を見た。圭吾も静乃に気づき見つめるが、顔が赤くなった。



「何か違和感があるな」



「何よそれ?」



「お前を女子として意識する日が来るとは思わなかった」



 その言葉に静乃も顔が赤くなった。



「何それ……不意打ちでしょ」



「何かすまん」



「何であやまるの?」



「いや……何となく」



 二人の間にぎこちない空気が流れるが、二人の顔は徐々に近づいていく。静乃は目を閉じた。しかし、閉じると同時に声が聞こえて来た。



『おい、ふざけんな! てめぇ! 俺とキスするつもりか!?』



 聞きなれた声が聞こえる。圭吾の声であるが、目の前にいるはずであり、脳内に聞こえるはずがない。



『おいゴリラ女! 万歳全裸娘! ドラゴン女! 目を覚ましやがれ!』



 ああっ! もう、うるさいと静乃の拳に力がこもる。



『おいおいおい! 顔近い! やめろこのアホ! 聞こえてんだろ!? 無視するなボケェがあ!』



 何、この声と静乃の怒りは頂点に到達しようとしている。



『いいかげん目覚めろよ!! このお漏らし陥没乳首イビキうるせぇ万歳全裸娘がぁぁぁぁ!!!!』



 その事は誰にも言っていない。という事はあの時、全裸を見た圭吾だけ知っている事実である。



「あんた、そのこと誰に教えたら殺すからなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」



 一之瀬静乃の右ストレートが見事、目を瞑ってキスをしようしていた圭吾の顔面にヒットした。軽く吹き飛び、尻餅をついた。そして静乃は全てを思い出したのである。



「そうよ! 私は! 私はあいつといた! こんなデートするかあいつと! つーかこんなの私が好きになった圭吾じゃないわ!!」



「いてて……何を言ってんだお前? 俺は橘圭吾だ」



「嘘をつくな! この世界は魔王の義眼が見せてる私の理想なんでしょ!!」



「何、おかしな事を言ってるんだお前!?」



「うるさい!」



 静乃は男勝りに圭吾の胸蔵を掴む、睨みつけた。



「さあ、答えなさいよ! ここは私の理想郷なんでしょ!?」



「何を言って……」



「答えろ!!!!」



 その怒号にその圭吾は黙ってしまった。そして、ため息をつき右手でパチンと指を鳴らすと世界は止まる。電車や車、鳥、雑音がすべて止まり、聞こえなくなる。



「その娘から私を見る者よ。私に刃向かうのか?」



「やっぱりここはそういう世界なのね! 圭吾! 圭吾! いるんでしょ!? 答えてよ」



 周囲に向けて静乃は訪ねたか、答えはない。



「愚かだな。その橘圭吾はもう閉じ込めて…………ぐう! 聖母め!」



 偽物の橘圭吾は突然に左目を抜き取った。その行動に驚く静乃であるが、蹲っていた圭吾が立ち上がると気づいた。



「圭吾なの……?」



「――お前、俺の名前呼び過ぎだろ?」



 そこにいたのは正真正銘、本物の橘圭吾だった。本物だと気づいた途端、静乃の目から涙がこぼれた。



「生きてたのね! 良かった! 本当に良かった!」



 涙を零して喜ぶ静乃に圭吾は安堵する。



「お前も取り込まられずにいて良かったな。それにしてもお前の望む俺ってあんな感じだったのか?」



 静乃の顔は赤くなった。



「うっさいわ! 恥ずかしいんだからやめてくんない!?」



「ははっ。でも、嬉しいよ。お互い存在がそのままで会えるとはな」



 安堵した表情を見せる圭吾に静乃も自然と安堵した顔となった。



「さてと――これからが問題だ」



「問題って?」



「これから魔王の義眼をどうするかって話だ」



 もう、あの世界は終わったのだ。今あるこの世界は魔王の義眼が作り出した無数におよぶ世界の一つでしかない。



「圭吾よ。無事であったか!」



 その声は突然周囲から聞こえて来た。ディルクの声である。



「ジイイか? そちらの世界はどうなってんだ?」



「魔王の義眼から浸食を受けている。魔術会が総力を上げて対応しているがかなり厳しい」



「ふん。ざまあみろ」



 圭吾のその言葉にディルクは返す言葉が無かった。



「……そうだな。さまあみろじゃな」



「偉く素直だなジイイ」



「圭吾よ……こちらには帰ってはこれぬか? もう魔王の義眼には手を出さん。魔術会も説得する」



「そんな事をしても無駄だよジイイ。どうせまた欲深い誰かがこれに手をかけようとするだろ」



「――かもしれんな。でも」



「でも、何だ?」



「……お前はそちらが故郷か?」



「ああ――そうだな。俺の居場所はこっちだ」



「そうか……ならば仕方ない」



 その時だった。周囲の世界が一変する。一瞬で世界は宇宙空間となった。無数の銀河が続く宇宙に変化し、二人を困惑させた。



「何っ!?」



「落ち着け。魔王の義眼だ」



 ディルクの声も無くなり、圭吾は魔王の義眼に遮断されたと理解した。



『その通りだ』



 二人には聞いたことがない声だった。とても落ち着いた声であり、若い青年の声だと感じた。



『あなた方は何故拒むのだ? 君達は幸せでいたいのではないのか?』



「幸せは世界に導いて貰うんじゃない。自分で見つける物だ。お前の世話になるつもりはない」



『それが出来ぬ者がいるから私が生まれているのだよ。理解できないとは愚かだ』



「そこまで人間におせっかいは必要ねえよ! それにあんたも飽きてくるじゃないか? 人間を幸せに導く事に」



『それはありえないな。私は既にあの時いた70億以上の人間達をもう幸福な世界に導いている。これが飽きる事はない』



「随分とお優しいな魔王の義眼よ。NPCまで幸福に導くとはな。でも、そんな事をずっとしていて楽しいか?」



『楽しいだと?』



「そうだ。お前、本当に人々を幸福に導いてそれで満足なのか?」



『当たり前だ。その為に私は作れられた。これ以上求める必要はない』



「今はそうかもしれないが、いつか考える時が来るかもしれないぞ」



『人間の君らならばそうかもしれない。でも、私はこの世界そのものだ。ありえない』



「そうか。なら勝負しようか?」



『勝負だと?』



 声からして意外な提案だと魔王の義眼を思わせている様だった。



「そうだ勝負だ。お前が飽きるか。お前が見せる世界に俺が屈服するか勝負しよう」



 その圭吾の案に、魔王の義眼は答えなかったが、間をおいて答えた。



『……そうか、おもしろい。いいだろう。お前を加護している正体も知りたいしな』



 魔王の義眼と橘圭吾。世界と個人の戦いが始まる。しかし、それは個人、つまり圭吾が圧倒的に分が悪い戦いである。負けるのが当たり前の勝負だ。幾度負けるかわからない。



「圭吾……私も行くよ!」



 静乃が元気に言い放ったが、圭吾は首を横に振った。



「何でよ!」



「よく見ろ」



 圭吾は静乃の体を指差した。そこには光の粒子となりつつある指があった。



「なっ何で!?」



「ジイイがなんとかお前を通してここを見てお前を維持していたようだがもう完全に繋がりは切れた。お前はもうこの世界に戻るだけだ」



「そんな……なんでよ! 私だって何か出来るはずよ! ここまで来てこんなのないじゃない!」



「何を言ってるんだ。お前はこれから幸せな世界に行けるんだぞ。少しは喜べよ」



「また偽者のあんたと恋愛しなきゃなんないの!? そんなのおかしいでしょうが!」



「そうだな。でも今度はすげぇ好みのイケメンと恋愛できるかも知れないだろ? 幸福な人生を歩めるんだ」



 静乃の眼から涙が再び流れた。



「――あんたはこれでいいの? 私だって分かるわよ。勝負が長くなる事ぐらい……もしかしたら何万年とかになるかもしれないじゃない!」



「そうかもしれない。そしたらもう俺は別人かもしれないし、別の存在になっているかもしれない。記憶も無くしているかもしれない。でも、約束する。勝ったら最初に静乃を迎えに行く、そしたらおかりないさいと言ってくれ。約束しよう」



 その圭吾の顔は穏やかで決意に満ちている事を静乃は気づいた。静乃は涙を拭う。



「――分かった。約束よ。破ったら何か奢りね」



「ハハッ――何を奢らせる気だよ全く」



 圭吾は笑った。

 いつの間にか静乃の体はほとんどが消えかかっていた。そして離れた箇所に光の入り口が現れた。そこに向かえという事だと圭吾は悟った。



「じゃあ、行ってくる」



「うん……いってらっしゃい」



 歩き出した圭吾を涙を溜めた目で見届ける静乃は今すぐ追いかけたいのか歩み出そうとしたが、既に足は消えている。それは出来ない。そして胴体も消えていき、最後は顔だけになった静乃が見たのは好きな人の立ち向かう背中だった…………








 









 



 

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