目覚める時

 快晴の下、一匹のドラゴンが空を飛んでいた。背中にメイドを乗せて遠くに見える迷宮へと向かっていた。しばらくの飛行した後、遠い雲の向こう側に白い建造物である迷宮義眼が見えてくる。



「あれです」



 背中に乗るメイド、リリスが指を指して言った。その指す先に浮遊する白い巨大建造物は微動だにせず存在している。ラスティオ・ゲシムの遺産、誰も攻略を出来ずにいるこの世界で攻略困難のダンジョンである。

 竜化した静乃は飛行速度を速めた。



「んっ?」



 リリスが迷宮義眼の変化に気づいた。遠目からでも分かる変化だった。迷宮義眼は突如として委縮し始めたのだ。巨大な建造物が見る見るうちに小さくなっていく。



(小さく…なっている?)



 竜化した静乃の目にも分かる程に迷宮義眼は瞬く間に小さくなり、最後は白色の球体となって近くの山の山頂にその球体は降りた。



「降りた山に向かってください」



「ガウ!」



 リリスの指示に従い、竜(ドラゴン)の静乃は球体が降りた山に向かった。






































 「うおおおおおっ!! 空だ! 本物の空だ!」



 迷宮義眼から解放されたヘクスは子供の様な喜び様で飛び回っていた。迷宮義眼から脱出出来ぬまま約200年。諦めていただろうヘクスの気持ちはとても清々しいに違いない。



「ありがとう圭吾! 俺はもう出れないと思っていた!」



「正直、俺は大して何もやっていない。最初から知っている人間が入れば解かれる構造だっただけだ」



「それでも感謝するぞ。お前がこなければ私はまだ囚われていた」



 圭吾はふと視線を横に向けた。そこには棺に納められたラスティオ・ゲシムの遺体があった。何百年前の人物でありながら、腐ることなくずっと迷宮の奥に隠されていた遺体である。

 そして圭吾の右手には迷宮から義眼に変わった迷宮義眼が握られていた。白い強膜に覆われ、金色の瞳の部分にはゲシムの作品だという証拠であるゲシムの紋章が刻まれていた。



「これが迷宮義眼の真の姿か……」



 ヘクスが言った。ヘクスの顔はどこからしら羨ましいと思える顔だった。それに気づいた圭吾はヘクスに迷宮義眼を差し出した。



「あんたは200年もこれを求めていた。あんたが欲しいというならば俺は……」



 それほど圭吾はヘクスに同情しているのだった。



「おいおい。私にはその資格はないぜ。攻略したのは圭吾、君だ」



「だが200年もだぞ? こんな幕切れでいいのか?」



「ああ、これも人生だ。これは人生の理不尽の一部分に過ぎないさ」



「それでいいのか?」



 圭吾の問いにヘクスは間をおいて答えた。間の間(あいだ)のヘクスの表情はやはりどこか悲し気だった。



「……うん。これが私の選んだ結果だ。受け止める」



 ヘクスはそう言って笑顔を見せた。その笑顔はとても200年をも迷宮に飛び込められていた人の笑顔には見えない。それほどヘクスは前向きな人物だと物語る。



「おい。何か近づいてないか?」



 ヘクスは何か羽ばたく音を聞いた。その音は圭吾も気が付いた。



「確かに。何かが近づいてくる」



 その時、二人の背後に一匹のドラゴンが舞い降りた。舞い降りた際の強い風と土煙が二人の間をすり抜けた。ヘクスは大きく驚いて圭吾の後ろに隠れた。



「ひいぃ! ドラゴン!!」



 ヘクスの時代においてドラゴンは狂暴な魔物として言い伝えられていた為、ヘクスは食い殺されると思った。

 怖気づくヘクスに対し、圭吾は冷静にドラゴンを見定めて気付いた。



「このドラゴン……? 一之瀬か!?」



 ガウッ!と鳴いてドラゴンは座った。そしてその背後からリリスが圭吾の前に現れた。



「リリス!? どういう事だ? 何故、一之瀬がドラゴンに?」



「圭吾!? このドラゴンとお友達なのか?」



 ヘクスが問う。

 ドラゴンは白く光り、そして瞬く間に人間サイズに変化して静乃は人間へと戻った。今度は衣服が破れる事がない特別な服をディルクから与えられおり、さらには任意でドラゴン化する事も可能となっている。



「橘! 大変なのよ!」



「帝国の怪物、主と同じ魔術会の五人幹部であるベネラ・エスア・オーガルディアが義眼世界に対し侵攻を始めました。しかもその侵攻は魔王の義眼を我が物とする為の様です。ベネラは魔術会の誓いを破り、今、日本の富士山にてあの世界を一つにしようとしています」



「何だと!?」



 圭吾は驚きのあまり口が開いた。あの怪物が自分の世界を壊し一つにする。止めてやるという気持ちが沸き立つが、圭吾は冷静であり、そして言った。



「あの怪物が俺の世界を纏めるだと……それはつまり」



「消えて無くなるって事よ!」



 静乃が言った。



「早く止めに行きましょう橘! このままじゃ皆消えちゃうよ!」



「分かっている! でもな」



 圭吾は躊躇(ためら)っていた。



「どうしたのよ? 迷宮義眼も手に入れたんでしょ? だったら」



「ベネラは強い。この義眼でも勝てるかどうか……」



 一度、ベネラと邂逅した圭吾には分かるのである。ベネラは間違いないくこの魔術世界最強の魔術師であるという事を圭吾は思い知っている。



「それでもやるしかないでしょ?」



「主もベネラを止める事に賛成しております。迷宮義眼を手に入れたあなたならベネラを止められるはずだとディルク様は言っておられます」



 淡々とリリスはそう言った。しかし、圭吾のベネラに対す大きな恐怖はそう簡単には払拭できそうにない。



「でも」



「おい圭吾」



 背後からヘクスが言った。



「なんだかよく知らないが行くしかないだろ。その為の迷宮義眼じゃないのか?」



「そうだ。でも勝てる見込みは……」



「関係ない。勝ち負けよりも圭吾、お前がどうしたいかだろ」



 ヘクスの言葉で圭吾はうつ向き、そして右手に持つ迷宮義眼を見つめながら圭吾は迷う。正直、この眼であっても勝てる自信などはない。だが、見過ごせぬ気持ちは強かった。

 圭吾は決心した。



「分かった。行こう!」



 その言葉を待っていたという感じでリリスも含めた他三人は笑顔となった。普段、無表情のリリスでも無表情ながら何故か笑顔に見えた。



「よし、一之瀬! もう一度ドラゴンになれ!」



「はっ!?」



「お前も戦うんだよ! 俺に戦えって言ってんだから付き合えよな」



「はっ!? 私、リリスさんから回復魔法ぐらいしか習ってないし、そもそも戦う術なんて私持ってないいのアンタは理解してるでしょ!?」



「お前はただドラゴンになって飛べばいいだけだ。あとは俺が何とかする」



「何とかするって……ええい! 分かったわよ! ドラゴンになればいいんでしょ! ドラゴンに!」



 静乃の体は再び光だし、大きくなってドラゴンと化した。

 圭吾は迷宮義眼を左目の前に持っていくと、何もない左目に差し込んだ。通常の義眼換装は痛みを伴うが、迷宮義眼はそれが全くない。



「これが迷宮義眼か……凄まじいな」



 装着しただけでその力の分かった圭吾の身は震えた。そして同時に迷宮義眼の全てを知る。全てを知ってしまった故に圭吾は困惑した顔を見せた。



「どうした?」



 ヘクスが訪ねた。



「いや、何でもない」



 圭吾はそう言うと、義眼の力を使い、肩(ショルダー)マントを生成した。緑色の生地に白いラインが施されたマントが突如として現れ、圭吾の左腕を覆う。

 迷宮義眼に施された魔術の一つ、イマジンアウト。数百年前から存在した魔術理論だが、実現させた魔術師は誰一人いなかった机上の空論である。文字通り術者のイメージを物体や魔術として生成(しゅつりょく)する魔術である。



「イマジンアウト!? 理論上可能だとされた空論だったはず」



 ヘクスが驚いて言った。



「行くぞ一之瀬!」



 圭吾はドラゴンとなった静乃に飛び乗った。圭吾が起動した迷宮義眼はゲシムの紋章が虹色に変化していた。

 ドラゴンが飛び立つ。大きく舞い上がった静乃ドラゴンの姿は壮大だった。大きく飛んだ後は、圭吾が先に迷宮義眼の力を使って、異空間への穴を開けた。日本へと戻る為の異世界移動魔術である。静乃ドラゴンは勢いよくその穴に飛び込んだ。



「行っちまったか……でも、どこに行ったんだ?」



「主、圭吾様は行かれました。はい……私は戻ります」



 リリスはディルクにテレパシー魔術にて報告する。



「ところであんたは何者なんだ?」



 ヘクスがリリスに尋ねた。



「はい?」



 ヘクスの問いにリリスはただ首を傾げるだけだった。





































 ベネラ達が現れて二時間はたった富士山は昼でありながら薄暗くなっていた。富士山に登っていた登山客のほとんどは避難し、富士山頂上にはベネラとオルンしかいない。魔人がいない世界で少女と獣人が頂上の真上で次第に大きくなる黒い球体を見つめ、世界の終わりを見届ける。 



「思いのほか遅いわね。私の力をもっと強めればいいのだけど」



「下手に強めれば制御不可になる可能性があります。慎重に進めた方が安全です」



 いくらベネラが最強の魔術師であっても、魔王の義眼を完全に支配するのは容易では無かった。時間を掛けて支配しなければビッククランチが暴走し、二人とも吸収される危険もある。さらに魔術世界にも影響が出てしまう可能性もあるのだ。



「下の方が騒がしいわね。少し遊ぼうかしら」



 富士山の周囲は既に災害緊急事態の布告と緊急事態の布告が発令されており、数万人に及ぶ避難活動が開始されていた。それに伴う混乱も生じており、富士山周辺はとても騒がしくなっていた。さらに富士山の頂上に現れた謎の球体を監視、調査する為、麓には自衛隊と米軍が集まっていた。しかし、不用意に近づけば球体に吸収される為接近開始の目途は立っていない。



「確かに騒がしいです。私が黙らせましょうか?」



「いや、私がやるわ。暇ですもの」



 ベネラの左目が魔眼に変化する。彼女の左の魔眼は物体の貯蔵する魔眼『宝物庫の魔眼』である。瞳が赤色に変化し、オーガルティア家の家紋が瞳の中に浮かび上がった。

 ベネラの周囲から赤い粒子が現れ、そしてその赤の粒子は富士山上空のあちこちに現れ始めた。そして粒子達は集まり、物体と化す。

 骸骨で黒いローブを纏い鎌を武器とする死神を思わせる魔物スケルトン・デスサイズ、そしてその使い魔であり移動手段となる同じく骸骨の魔物スケルトン・ドラゴンがベネラの宝物庫の魔眼から次々放出された。一体一匹の一組となり、地上に向けて飛び始め、攻撃を開始する。



「何だ!?」

「何!? モンスターだと!?」



 富士山周辺に展開していた陸上自衛隊及び米軍に向けてスケルトン達は攻撃を開始する。炎を吐き、戦闘車両を焼き払う。自衛官、米軍兵士達は火器による応戦を開始するが、魔術を付加した攻撃を一切受け付けない様に強化されたスケルトンに物理攻撃は効かない。銃弾や砲弾は文字通りすり抜ける。しばらくして富士山の麓は一方的に蹂躙される自衛官と米軍兵士の死体が溢れかえるのだった。一般市民が巻き添えになるもの時間の問題である。



「手ごたえないわね」



「弱すぎて暇つぶしにもなりませんな」



 全く歯ごたえがない兵隊達にベネラとオルンは幻滅するのだった。ベネラは暇つぶしにもならないと思える様な欠伸をしたが、その瞬間、自身の感知魔術が反応した事に気づき、おもしろい者が来ると知った。ベネラは不気味な笑みを浮かべた。



「どうされましたベネラ様?」



 謎の笑みを浮かべるベネラにオルンは不審に思い訪ねた。



「フフッ。おもしろくなって来たわね……」









































 紫の光に包まれたトンネル内を飛行するドラゴン。圭吾を乗せた静乃ドラゴンは遥か先に見える光に向けて全速力で飛んでいた。魔術世界から日本に戻る為のトンネルは来た時より長く感じた圭吾は前方の何かに気づいた。それは鉄の塊である。



「何だ?」



 鉄の塊は出口付近に無数に配置されていた。段々と近づいていく中で圭吾は気づいた。



「機雷だ!!」



「ガウッ!?」



 その時には既に遅かった。静乃ドラゴンはそのまま機雷群に突入してしまい、機雷は見事爆発する。一度爆発すれば後は連鎖爆発を起こす。静乃ドラゴンは次々爆発する中を飛び込んでしまうのであった。



「ガウゥウウ!!!」



「やってくれるな! あのガキめ!」



 機雷設置はベネラの仕業だった。機雷設置は自身を止めにかかる魔術師対策である。

 圭吾は迷宮義眼の力で、魔力防壁を展開した。静乃ドラゴンの周囲に展開した半透明の丸い防壁により爆発は防がれるが、一度起きた爆発の連鎖は止まらない。



「このまま突き進め!」



「ガウッ!」



 凄まじい爆発の中、静乃ドラゴンは出口の光に向けてただ突き進む。

 圭吾達が通ってくるトンネルの出口は伊豆半島の伊豆市上空に開いた。その穴から煙に巻かれた静乃ドラゴンが飛び出す。爆発の煙に包まれながら圭吾と静乃ドラゴンは瞑っていた目を開いた。



「なっ!?」



 一人と一匹の目に飛び込んできたのは、変わり果てた富士山の姿だった。頂上の上空には大きな黒い球体があり、それは遠い宇宙から確実に空間を吸収し、富士山の周囲は薄暗くなっていた。そして富士山の麓はスケルトン達に蹂躙された自衛隊米軍の残骸が炎を上げており、富士吉田市と富士宮市からも所々煙が上がっていた。



(酷い!)



 静乃ドラゴンの言葉がテレバシーで圭吾の脳内に響いた。



「ああ、なんて事しやがる……!」



 美しい山で日本の象徴である富士山を汚され、罪のない人々を葬った事に二人は怒りを覚えた。それに対しベネラは望遠から圭吾を見つめる。その視線に気づいた圭吾は迷宮義眼を含んだ両目でベネラを睨みつけた。



「来たねお兄ちゃん」



 ベネラの目標は圭吾達に向けられる。スケルトン達は目標を圭吾達に定めて攻撃を開始する。



「来るぞ一之瀬! コントロールは俺がする!」



「ガウッ?」



 座っていた圭吾は立ち上がり、義眼の力で静乃ドラゴンの体の支配を奪った。突然、体の支配を奪われた静乃はテレパシーで伝える。



(ちょっ!? 何、すんのよ!?)



 赤面する静乃に対して、圭吾は冷静である。

 スケルトン・ドラゴンの初弾が飛んできた。圭吾は静乃ドラゴンを操り、避けるが炎弾は次々と向かって来た。圭吾は炎弾から避け続ける為、様々なマニューバで回避する。しかし、数は圧倒的に敵が有利であり、先に回り込まれてた。そして一体のスケルトン・デスサイズが圭吾に飛び掛かる。圭吾は懐から刀を取り出した。吉行は鎌を受け止め弾いて圭吾は斬りつけるがその斬撃はすり抜けた。物理が効かないと知った圭吾は態勢を一度整える為、大きく離れた。



(あんたねぇ! 人の体勝手に操んないでよ!)



 テレパシーで文句を告げる静乃であったが、圭吾は聞く耳を持たない。持たないのではなく、持たない状況であった。スケルトン軍隊は次々と迫り、障害物の無い空で攻撃を交わすのは避け続けるか咄嗟に防壁で防ぐしかない。空中戦の経験が少ない圭吾にこの包囲網を突破するのは至難である。



「仕方ない」



 圭吾は迷宮義眼のイマジンアウトの出力を高めた。そして静乃ドラゴンの速度を爆発的に高め、大群の中を一瞬ですり抜けた。



(なっ!!!!?)



 自分の体ではない様な動きに困惑する静乃に圭吾はお構いなしなマニューバで富士山に向けて突き進む。無数のスケルトンの間を縫って静乃ドラゴンは富士山頂上付近まで辿り着いた。そして高く高度を上げて、雲より上に飛んだ。高い高度に到達した圭吾は、静乃ドラゴンから飛び降りた。



「なっ!? 何すんのよ!?」



 突然、飛び出した圭吾に対して静乃がテレパシーで訪ねる。



「撃つ! 離れろ!」



 圭吾は左腕に装備された肩マントを起動する。肩マントの砲撃により、ベネラを吹き飛ばすつもりなのだ。迷宮義眼内の縮退魔力炉が全力稼働し、生成した魔力がマントに送られる。マントは白く輝きだして圭吾は左手の手の平をベネラへと向けた。迷宮義眼で狙いを定めた。



「くたばれ!」



 圭吾の左手から巨大なビームが放たれる。そのビームは緑色に輝き、広い範囲を明るく照らしながら真っすぐにベネラに飛んでいった。凄まじい轟音を響かせて、富士山頂上付近に立つベネラに巨大ビームは直撃する。直撃後、大きな爆発を起こして富士山が噴火した様な光景となった。大きく土煙は舞って砕かれた岩々が飛んでは落ちてくる。

 ベネラ操るスケルトン達は動きを止めた。



「なっ!?」



 圭吾の攻撃に静乃は口が開いたままになった。

 圭吾はゆっくりと落ちていき、富士山の中腹に降りた。そして静乃ドラゴンもその近くに降り、人の姿へと戻った。



「ちょっと! 橘! いくら敵が強力だからって富士山ごと吹き飛ばす様な攻撃してんの!? これじゃ……」



 静乃の言葉を圭吾は手を出して遮った。



「何よ?」



「……こうでもしないと勝てないからやったんだ。でもな……」



 圭吾の言葉の意味が分からない静乃は圭吾の様子が変だと気づいた。凄まじい攻撃を決めた後なら余裕があるはずだが、焦っているのを静乃は感じ取った。



「……はぁ――こんなもんなんだ」



 土煙の中から聞こえてくるのは幼い女の子だった。そよ風に流された土煙の中から見えてきたのは黒いゴシックロリータ姿の女の子とローブを纏う白い豹の顔をもつ大男だった。ベネラとオルンである。圭吾の渾身の砲撃にも無傷のまま立っていた。特にベネラは余裕の表情を見せている。



「何よあれ……橘の攻撃が全く効いてないなんて」



「あれが魔術世界最強の魔術師ベネラ・エスア・オーガルディアとその従者オルンだ」



 冷静に説明する圭吾であるが、その顔には冷や汗が滲んでいた。その圭吾の様子に静乃も感染した様に恐怖に近い焦りを感じた。



「……勝てるの?」



 静乃の問いに圭吾は答えなかった。



「ベネラ様。ここは私にお任せください」



「そうね。あなたの眼とお兄ちゃんが今着けている眼は因縁があるもんね。どっちが強いか確かめなきゃ」



 オルンは一人山を下り始めた。そして圭吾達の前に来ると、歩みを止める。



「これで二度目だな」



「ああ。あんときは見逃してくれてどうも」



「今回は逃がさんぞ。覚悟してもらう」



「覚悟するのはあんたもだ」



 圭吾はそう言うと刀を構え戦闘体勢に入った。



「一之瀬。お前はこのまま下ってあそこに隠れている登山者を助けろ」



 圭吾の指示通り、少し下った先には二人の親子らしき登山客がいた。父と娘で父親の方が足を挫いて動けない。リリスから教わった治癒術が役に立つ時が来た。



「分かったわ…………勝ちなさいよ」



 静乃はそう言い残して圭吾の返事を聞かずに行ってしまった。



「だそうだ。橘圭吾……私に勝てるか?」



「あんたもS級の魔術師なんだろオルン……帝国最強の殺し屋だと聞いた」



「それもあのお方の前では霞むだけだ」



 オルンの目線がベネラに向けられる。



「あんた……昔、あのガキにボコボコにされたか?」



「お前もそれに加わるかもしれんだけかもな」



「勘弁。俺はあのガキを止める」



「そうか……では、やってみろ!」



 次の瞬間、オルンの右ストレートが圭吾の顔面目掛けて飛んできた。それは一瞬だった、目に見えぬ速度でオルンは圭吾の目の前に現れて殴った。しかし、オルンのパンチは刀に受け止められて防がれた。



「ほう! やはり、前回とは違うな!」



 オルンの連続パンチが始まった。それに対し圭吾は後退りしながらもどのパンチも刀で受け止めた。そして一瞬の隙をついて蹴りを入れるが深く入らずにオルンは圭吾から距離を取った。



「ほう……この私に一撃入れるとは」



 オルンの膝に入れた蹴りの後から白い煙が出ていた。しかし、小さなダメージでしかない。



「やはり、その眼の力だな。ゲシムの最後の義眼にして最高の眼、迷宮義眼」



 圭吾の左目に宿す迷宮義眼の瞳の中のゲシムの紋章は虹色に輝き美しかった。



「最高の眼だけあって綺麗な眼だ。しかし……」



 オルンはローブを脱ぎ捨て、筋骨隆々の体を見せつけた。そして右目の眼帯に手を掛ける。



「我が義眼とどちらが強いか勝負しようではないか」



 オルンは眼帯を取り、隠された右目を晒した。その右目に宿っていたのはゲシムと同じく天才と呼ばれた義眼工、獣人バエルの最高傑作『ウルラ最終義眼』である。漆黒に包まれた中に赤い瞳を持つその義眼は闇属性の魔力を生成し、装着者の使用魔術を闇属性に変質させる効果を持つ。



「私にこの眼を使わせるのはお前で三人目だ! 光栄に思え!」



「ほう! それ、ありが」



 圭吾が言い切る前にオルンは圭吾の懐に飛び込み、圭吾を吹き飛ばした。しかし、圭吾もそれを寸前で見切っており、腹部に魔力防壁を展開して致命傷を避けていた。

 オルンの突いた右手指先から白い煙が出る。



「ほう、やはりそうこなくてはな!」



 オルンは攻撃を開始する。闇属性に変化したオルンの突きの攻撃力は爆発的に飛躍する。圭吾は避けて対応するが、避けた背後の地面は大きく抉られた。



「すげっ……これはすげえな、おい」



 次の突き攻撃を圭吾は刀で受け止めた。凄まじい衝撃が圭吾に伝わる。



「もっと出来るはずだ! その眼を手に入れた実力はそんなものか!」



「……この!」



 微かな隙を突いて圭吾は刀の突きを繰り出したか、オルンの頬を霞めるだけだった。しかし、当たらないわけではないと理解した圭吾は防戦から攻勢に転ずる。



「来い!」



 オルンの得意な戦闘は接近戦である。獣人のほとんどは接近戦を得意としており好んでいるがその中でもオルンは歴代最強と言われている。生まれ故郷では敵なし、帝国国内においても数々の武闘大会を総なめとした過去を持つ。



「うおおおおおっ!!!!」



 高速な拳と刀の攻防は長く続いた。一進一退、圭吾とオルンの力はほぼ互角だと思えたが、オルン側に限界が見えた。圭吾の刀の突きが腹部に浅く刺さったのだ。オルンは思わず引いた。



「ぐっ! そういえば……言い忘れていたな」



「何がだ?」



「お前の両親についてだ」



 思いもしないオルンの言葉に圭吾は驚いた。



「何? 俺の両親について何を知っている?」



 オルンは治癒術にて腹部の傷を治した。



「そう……お前の両親を殺したのは……私だ」



 圭吾は誰かも分かる様に動揺した。親の仇が目の前にいる。圭吾の心は揺らだのか、隙が生まれた。

 今だ!とオルンは渾身のストレートパンチを圭吾に食らわした。それは一瞬の出来事であり、綺麗にオルンの拳は圭吾の腹部を捉えた。圭吾は勢い良く吹き飛び、数百m飛んで富士の樹海まで飛ばされた。



「ははっ! 卑怯と思うなよ! 私は殺し屋! 手段は選ばんぞ!!」



「橘!」



 静乃の声は聞こえない。圭吾はゆっくりと立ち上がった。酷いダメージを負っているはずだが、外面上はそうは見えなかった。



「そうか……あんたが俺の実の両親を」



 圭吾は数百mの間合いを一気に詰めて、オルンに斬撃を繰り出した。しかし、オルンはそれを受け止めた。



「お前の父には感謝するぞ! お前の父に右目が潰されたがおかげでさらに私は強くなった!!」



 オルンは蹴りを圭吾の横腹に繰り出し、再び圭吾は吹きとされ様になるも踏ん張り押とどまった。



「何っ!?」



 圭吾は刀を横腹を蹴ったオルンの足を地面まで突き刺し固定して、空いた右手でオルンの顔に拳を繰り出した。しかし、オルンの顔にめり込むことなかった。



「……その程度か」



「まだまだ! ぐおおおおおっ!!!!」



 迷宮議案のイマジンアウトを用いて右椀部の筋力を倍増させた。するとオルンの顔に拳はめり込み、オルンは上半身はのけ反った。



「フハハッ! ここまで滾る戦いは久しぶりだあ!」



 オルンは血を吐きながらもは圭吾に拳の攻撃を繰り出すが、圭吾は突き刺した刀を引き戻した。そして治癒術を発動させる隙を作らせない為、刀の斬撃を連続で繰り出す。



「ぐおおおおっ!!!!」



「うおおおおっ!!!!」



 凄まじい速さで拳と刀の繰り出しあいが続く。その二人の攻撃は遠い場所からでも観測できる程だった。富士山周囲の雲は消し飛び、衝撃波が何度も重なり合い大きくなる。人ではない戦いが繰り広げられた。



「へぇ……やるじゃんお兄ちゃん」



 二人の戦いを見持っていたベネラが呟いた。



「ぐっ!」



 オルンが押され始め、圭吾の斬撃が次々とオルンの体を斬りつけた。オルンは引くが、負傷した足の怪我により動きは鈍い、圭吾はチャンスを逃すまいと追い詰める。



「これで終わりだ!!!!」



 圭吾も頭から血の流しながらも最後の一撃をすれ違いざまにオルンに浴びせた。白い体から血が噴き出し、オルンの意識は朦朧となる。



「まだ! まだ終わらん!!」



 しかし、オルンは意地で体を翻して背中をこちらに見せる圭吾を背後から襲おうとした。しかし、翻した所で限界を迎える。オルンはうつ伏せに倒れていく。



「俺の勝ちだ……」



 倒れ行くオルンに対し、圭吾は勝ち誇った様に言い放った。そして倒れたオルンに近づく。オルンの体は血まみれとなっていた。



「俺を……殺すか? 親の仇を……取るか?」



 掠れた声でオルンは聞いた。



「俺は生んでくれた両親の思い出はない。だからかたき討ちという思いはない」



「そうか……でも、お前ももうじき……おわ……」



 オルンの意識はそこで途切れた。圭吾は止めを刺さずに頂上にいるベネラを見た。



「次はお前だ! ベネラ・エスア・オーガルティア!!」



 圭吾の大声の言葉はベネラまで届いた。その声にベネラは笑みで答える。そして黒い日傘をさして浮遊する。



「来てよお兄ちゃん! 遊びましょうか」



 圭吾は迷宮魔眼の力を用いて、体を治癒した圭吾は頂上を向けて歩き始めた。



「橘!」



 声を掛けられ圭吾が立ち止まり振り向くと、そこには静乃がいた。



「一之瀬。助けたのか?」



「うん。自力で降りて行ったわ」



「そうか……」



 圭吾はそう言うと、再び歩き始まる。



「一之瀬、お前は下山しろ」



「嫌よ。ここで見届けるから」



 その静乃の声色は断じて動かない強い決意が感じられた。圭吾もそれを感じ取ったのかそれ以上は言わずにただ富士山を登る。そして空を浮遊するベネラの下方に立ち、刀を構え戦闘体勢に入った。



「オルンを倒すとは凄いねお兄ちゃん。見直しちゃった」



「怪物に褒められるとは光栄だぜ」



「その怪物って言うのやめてくれない。私、これでも乙女なんだから」



「なら怪物乙女って呼んでやるよ」



 その圭吾の言葉に苛立ったのか、日傘を持つ手が強くなった。



「どこまでそんな口が叩けるかな? その未完成な義眼で」



 そのベネラの言葉に圭吾は驚いた表情を見せた。



「……気づいたのかよ?」



「まあね。どうやらゲシムは完成させる前に死んだみたいね」



 ベネラの言う通りである。迷宮義眼は未完成品である。完成度は8割強であった事は装着した圭吾が一番分かっていた。



「そこまで分かるのかよ。怪物乙女さんは」



「だから怪物言わないでくれるかな?」



 ベネラの目は魔眼化していた。左目の瞳は赤く変化し、右目は紫色に変化して古代帝国紋章が浮かび上がっていた。



「さあ、来てよお兄ちゃん。その眼の力を見せてくれないかな?」



 二人の戦闘が始まった。空中戦が始まる。圭吾の刀とベネラの日傘が重なると、大きな衝撃波と大きな地震が発生した。衝撃波は東京までに到達し、ビルのガラスを多く割った。

 



「アハハハッ!! 私とここまで戦えるなんて凄い! 迷宮義眼は凄いな!」



 ベネラは興奮している。ここまで力が出せる者と対峙でき驚喜しているのだ。



「お前……!」



 一方、圭吾はベネラの真の力を目の当たりして、まずいという気持ちが生まれたのか顔は曇っていた。



「ヒヒっ! まさかちびったのお兄ちゃん!!?」



「ちびらすのはてめぇだ! クソガキ!!」



 刀と傘の斬り合いが始まり、凄まじい攻防で次々と富士山とその周辺は変化する。河中湖の水は突如として大きく噴き上げ、富士山演習場は多くの地割れに見舞われた。二人の対決は周囲の環境を次々と変えてしまう。神話の神々の戦いを再現している様だった。



「アハハハッ! 楽しい!!!」



 戦いが楽しいベネラに対し、全く勝機が見えてこない圭吾は少しづつだが精神的に追い詰めらいるのか不安な顔を見せる。



「おっと!」



 ベネラの攻撃が富士山の斜面を通る。その流れた攻撃の先には静乃がいた。



「なっ!」



「ごめんねお兄ちゃん。殺す気は無かったんだけど」



 こいつ、絶対わざとだと圭吾は思いつつ、静乃を助ける為にベネラに背を向けてしまった圭吾はベネラにより地面に叩き落された。

 


「ぐあああっ!!!」



「お姉ちゃん~! 危ないよ~!」



「逃げろ静乃!」



 圭吾のの声に振り向いた時、静乃はベネラの攻撃により吹き飛ばされた。そして落下した場所の岩に頭を強くぶつけてしまい気絶してしまうのであった――――



























 














 



 一之瀬静乃の意識が戻った時、空は紫色になっていた。痛む頭を押さえながら静乃は上半身を起こす。そして目を見開て見た光景に静乃は絶句するしなかった。



「な……何よこれ……」



 もうあの綺麗な山である富士山の姿は無かった。斜面には多数の大小のクレーターが蔓延(はびこ)り、富士山は無残な穴だらけの山と化していた。そして富士宮市は巨大隕石の様な巨大岩石の下敷きになっており、樹海は炎の海と化していた。



「そっそんな……こんなことって」



 静乃は富士山頂上を見た。すると富士山の頂上は噴火し、噴煙を噴き出していた。

 痛む体を起こして、静乃は立ち上がった。頭から血が出ている。



「橘は……どうしたの?」



 圭吾の姿を探すが見えない。くまなく探した後、噴火口付近を浮遊する二人を見つける事ができた。だが、もうその時既に勝負はついていた。



「がんばりましたねお兄ちゃん♪」



 上機嫌なベネラに首を掴まれた圭吾は満身創痍だった。肩マントはほとんど破れ、刀も刀身が完全に折れてしまっていた。衣服は土と血でくまなく汚れて見るに堪えない姿となっていた。



「橘……そんな」



 かろうじて迷宮義眼は稼働しているが、虹色の光は点滅しており、義眼にはヒビが入っていた。



「迷宮義眼も国宝指定されるレベルの物だけど、やっぱ魔王の義眼の前には劣るよね」



「…………ま……だ……やれ……るぞクソ……ガキ」



 掠れた声で圭吾は言った。



「無理だよね」



 ベネラは圭吾の左腕を切り落とした。切り落とされたのにも拘わらず圭吾は悲鳴一つ上げなかった。



「そんな撃ち過ぎた腕で何が出来るの?」



 圭吾の左腕はもう完全に機能不全と化していたのだ。神経も血液も回らくなったのは肩マントの連続砲撃の影響である。ベネラに勝つため何発も撃った腕は壊れたのだ。



「く……そ……」



 ベネラは首を強く掴む。抗う力がもうない圭吾は右手でどうにかする事はできない。

 迷宮義眼のヒビは広がっていく。ピシピシと音を立てて、ついに迷宮義眼は割れてしまった。それと同時にベネラは虫の息と化した圭吾を富士山の火口へと放り投げた。



「圭吾!!!!」



 大きな声で静乃は言ったつもりだったが、その声は届かない。圭吾が火口の中に消えたと同時に富士山は噴火した。

 その光景を見た静乃は顔は大きく沈んだ。



「お兄ちゃん……楽しかったよ」



 ベネラはそう言って徐々に降下し始めていく。降りて行く中、斜面を必死に上る静乃を見つけたが、ベネラは特に気に止める事無く中腹に向けて降りていった。

 そして噴煙の中、空間を吸収し続ける黒い球体を見上げるのであった。

 圭吾が落ちて10分が過ぎ、やっと静乃は頂上火口付近まで来た。本来ならば近づく事など危険だが、落ちた圭吾を見つけるために来た。希望はゼロではないと信じて、しかし、無駄だった。火口に近づくだけでこの熱さ、とても近づく事など出来ない。静乃は諦めずにここまで登ってきたが、全てが終わったと理解した。涙を流す。



「これで……終わり……」



 その時だった。火口の中から何かが蠢く音が微かに静乃に聞こえて来た。それそれ段々と登ってきているのか、音は大きくなっていく。涙を流す静乃であったが、まさかと思い始めた。そしてそれは姿を現した。



「橘! 良かった無事……」



 静乃の声はそこで止まる。無理もない。火口から這い上がってきたのは焼死体と化した人間だったのだ。左目に宿る義眼から辛うじて橘圭吾だと分かる。だが、黒焦げになっても動けるのは不可思議である。焼けて固まった筋肉は動かないはずである。



「橘……あんた」



 焼死体になっても動く圭吾に静乃はただ恐怖を感じるだけだった。しかし、ここで静乃は気づく。圭吾の左目は迷宮義眼ではない事を知った。



「……迷宮義眼じゃない?」



 焼死体の圭吾の体はどこからか集まった黒煙に包まれていく。それは足元から始まり、黒い煙は漆黒の鎧と化した。黒煙は次々と圭吾の体に纏まりつき、漆黒の鎧と変化する。プレートアーマーの鎧に覆われ、頭に兜を身についた圭吾は、仮面を自らの手で兜へと嵌めた。その仮面は左目だけが開いている特殊な物であり、左の目の見知らぬ義眼は完全に起動する。黒いマントが最後に現れ、騎士に似た黒く禍々しい存在が姿を現した。



「……まさか……」



 ベネラは火口に現れた謎の存在に気づく。そして気付くのである。その存在こそが求めている物であると。



「そうか……そうなのね……あなたが……魔王の義眼!!!!」








































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