ゲシムの夢

 ラスティア大陸のほぼ中央に位置するの山脈、中央ヤディ山脈は南北に連なる山脈である。そしてその山脈の上空にはゲシムの作り出した義眼、改め迷宮(ダンジョン)が大きな存在感を持って滞空していた。

 白い正方形の建造物『迷宮義眼』。義眼工において最高の工(たくみ)として歴史に名を残しているラスティオ・ゲシムの遺産にして最高傑作だろうと言われるそれは400年以上のも間、魔術世界の空にあり続けている。

 そんな迷宮に一人の青年が挑もうとしていた。橘圭吾は列車を乗り続き、中央ヤディ山脈のふもとの村に辿り着いていた。



「ありがとう」



 山道を村人に聞いた圭吾はお礼を言い、上り坂を歩き始めた。緑の葉が生い茂る山道をひたすら進む。

 


(公式記録において迷宮義眼に挑戦した最後の者は43年前の新羅鎌夜(しらぎかまや)。それ以降公式に挑戦した者はいないか……)



 人知れず迷宮義眼に挑んだ者は43年間にいるだろうが、誰一人帰ってきた者がいない事から結果は言う必要はない。



「…………緊張するよな」



 寒さからではない。武者震いでもない。緊張から圭吾の体は少し震えていた。だが、あの怪物たるベネラと邂逅した時に比べべれば大した物ではない。

 山に入り数十分、ついに圭吾は大きな浮遊する建造物『迷宮義眼』のほぼ真下に辿りついた。近く見る迷宮は遠くから眺める時とは異なり、独特な雰囲気が醸し出されている。白い正方形の建造物は周囲の風景に比べて異質な印象を与えていた。



「……さてと」



 圭吾は大きく息を吸い、心を落ち着かせた。そして浮遊魔術を発動し上昇していく。1000mまでゆっくり上昇した圭吾は目の前まで来た迷宮義眼を凝視した。コンクリートに似た外壁には傷一なく、何百年数の経過を思わせる箇所は何一つない。



(これが何百年も存在する建造物なのか? まるでつい最近作られた物じゃないか)



 調べて分かっていた事だが、迷宮義眼の凄まじさは肉眼で見る事でさらに増した。それほどゲシムという義眼工が非凡で優れてた工だと分かる建造物であると圭吾は思った。



「行くか……」



 圭吾は唾を飲み込み、ゆっくりと右手を迷宮の外壁に近付けていく。そして触れた瞬間、圭吾の姿はその場から瞬時に消えた。

 圭吾が気付くとそこは地平線まで続く野原だった。強い風が吹き荒れ、夕暮れの強い光が圭吾を横から照らしていた。



(入ったのか……?)



 迷宮義眼内に入ったのかと圭吾は疑ったが、空を見るとすぐにその空間が迷宮内だと理解出来た。なぜならば空の上空には天井が見えたからだ。



「ここか迷宮の中か……」



 圭吾は一人歩き出した。歩き出すと同時に出来る限り魔術にて分析を行った。だが、めぼしい結果は出なかった。



(魔力の流れを感じるが、どこから来ているのかが分からない。こんな建造物を何百年も維持するには極力な魔力炉が装備されているだろうが……)



 魔力の流れを感知魔術にて感じる圭吾だったが、その流れは空間全体からであり明確にどこから来ているかは理解出来なかった。

 しばらく歩いていくと、上に向かう白い階段を圭吾は視界に捉えた。その階段は天井まで続いており、どうやら上に行ける構造らしい。圭吾が歩く速度を速めると、視界の隅に白骨化した人間の遺体が見えた。



(かつての挑戦者か……)



 残った装備からして100年以上前の人物だと圭吾は憶測した。

 丘を超えると階段の初段の位置が見える所まで来た圭吾は一気に丘を登り、頂上から階段を見た。すると思いがけない光景が視界に入った。



「人だと……?」



 つい圭吾は呟いてしまった。階段の初段の横には茶色のローブを着た者が石の上に座っていたのだ。圭吾は驚いた。



(まさか、つい最近入った者か?)



 圭吾は警戒しながら階段に近づく。するとそのローブを着た者は圭吾に気が付き、フードを取って顔を圭吾に見せた。フードの者は圭吾と同じぐらいの青年だった。赤い髪を持ち、整った顔の笑顔を圭吾に見せて言った。



「やあやあやあ! これはしばらくぶりの挑戦者だな!」



 青年はやたら嬉しそうだった。その反対に圭吾は警戒しながら近づく。



「あんたは……誰だ?」



 警戒する圭吾に青年は言った。



「まあ、そこまで警戒しなさんな。俺はかつてここに挑戦し諦めた者だ、お前さんを食い殺すとかないから安心しな」



 その言葉を容易に信じる圭吾では無かったが、挑戦者の先輩ならば何らかの情報を持っているかもしれないと圭吾はとりあえず手にかけていた刀を懐の奥にしまった。



「あんたはここで何をしている? 案内役か?」



「案内役か……違うな。説明役だ」



「説明役? 挑戦者のはずのあんたがなぜ説明役をやっている?」



「言っただろ。俺は挑戦し諦めた者だと」



「そうか。なら負け犬って事か?」



 その言葉で圭吾は鎌をかけたつもりだったが、その説明役の青年は怒る事なく笑顔を圭吾を見せた、



「あはははっ! 素晴らしいよ人との会話はさ! そんな誹り(そし)にも私の心は潤うよ」



 圭吾は気味が悪いと思った。罵倒され喜ぶなど性癖が?っ気なのかと疑ってしまう。



「おいおい、勘違いしないでくれよ。随分と人と会話してなかったからコミュニケーションに飢えていたのだよ。感じ的には十年ぶりの挑戦者だよ君は。ずっとここにいるとつまらくてね。ちなみに君が入った年号を教えてくれないか?」



 圭吾は素直に今日の年号を含めた暦をその説明役の青年に伝えた。



「がはははっ! もう私が入ってついに200年か! 俺もずいぶんと歳をとったな!」



「笑いごとか? 出れずに200年だぞ? 出たいとは思わないのか?」



 その圭吾の問いに青年は笑顔から真顔となった。



「出れるなら出たいさ。でも出れないのがこの迷宮義眼。牢獄のごとく挑戦者を閉じ込め、迷わせるのがここさ」



 説明役の青年はそう言うと、丘を見た。



「あっちに白骨化した遺体があっただろ? 彼は数年前ぐらいまで生きていてね。ついに精神の限界がきてついに自決したのさ」



 その説明に圭吾は何も言わなかった。



「分かるだろ? ここはそういう所なのさ」



「ああ、分かったよ。それで何かあと説明はあるのか?」



「急かさないでくれ。もっと話さないか?」



 圭吾はその言葉に少々苛立った。



「俺はお前と話をするためにここに来たんじゃないからな」



「皆、最初は私にそう言って階段を登って行ったよ。でもね。皆、死んではここに帰ってきたよ。何回も」



「どういう意味だ?」



「この階段を登るといわゆる二階層目に行けるんだけど。登る度に階層のダンジョンが変化するシステムらしくてね。迷宮の名の通り迷路になってたり、人がいない街になったり、火山になったり、極寒の場所だったり、一番最悪なのは魔物がウヨウヨして食い殺されてここに戻ってきた奴もいたよ。ああ、言っておくけどこの迷宮内では自決以外死ぬと必ず第一層に戻るからね」



 その説明に圭吾は士気は少し下がった気がしたが、進まないわけには行かない。殺されても死ぬと決まったわけではないとそれだけでもマシだと圭吾は思った。



「それでも俺は行くぞ」



「まだ説明は終わってない。ここでは腹も減らないし、歳も取らない。これについてだけはいい事かな」



「分かった。そこまで説明してくれれば結構だ」



 圭吾はそう言って階段を登り始めようとしたが、説明役の青年は圭吾の前に立ち塞がった。



「何のつもりだ?」



「私も行こう」



「はっ?」



 圭吾は刀を取り出そうとした。



「おいおい、殺気を向けるなよ」



「何が目的だ?」



「暇つぶしかな」



「ふざけるな、そこをどけ」



 圭吾は青年を避けて行こうとしたが、青年は圭吾を止めた。



「私はこれまで何回か挑戦者を案内してきた事がある。どうだ? これでも色々なダンジョンを経験しているぞ」



 圭吾は少し考えた。確かに攻略方法を知っている人間がいるならば序盤は安心して行けるだろう。舌打ちしながらも承諾した。



「……いいだろう。ただし危険な状況になっても助けないからな」



「おお! ありがとう。これで少しは楽しめそうだ」



「ふん。結局、話し相手が欲しいだけじゃんか」



「そうだ。まあ、君もこの世界に何十年も囚われ続ければ分かるさ」



 その時の説明役の青年の顔はどこかしら悲し気だった。



「おっと! 名前を言っていなかったね。私の名はヘクス。君は?」



「圭吾だ」



「圭吾か、和名か。そういえば罐夜以来だな!」



「新羅鎌夜を知っているのか?」



 ヘクスは笑顔で答えた。



「おもしろい男だった。もう数十年前だが彼はどこかの階層で迷っているか骨になっているかのどちらかだろうな」



「新羅鎌夜は43年前だ」



「そうか。もうそんなにたつのか……ついこの前だと錯覚してしまうな」



「話はこれまでだ。行くぞ」



 圭吾はヘクスをおいて階段を昇っていく。ヘクスも慌てて続く。



「そう急ぐな。急いでも攻略できないぞ」



 ヘクスの忠告を無視して圭吾は速足で階段を昇っていく。階段の先の天井には長方形の入り口が光を帯びていた。圭吾は躊躇する事無くその光の中へと飛び込んだ。



「ここは……」



 飛び込んだ先は熱い日差しが照りつく広大な砂漠だった。そして圭吾達の数百m先には遺跡の様な町が存在し、遠目からでも人がいない様な廃墟だと分かる。



「おお、運がいいな。ここは静かな町だ」



 遅れて来たヘクスは言った。ヘクスが通り終えると長方形の入り口は閉まった。



「一度入ればもう下の階層に戻る事はできない。覚悟はいいか?」



「当たり前だ。この迷宮に挑戦するのに用意は色々してきた」



 圭吾はそう言うと水筒を懐から取り出した。



「水を持っていても意味はないぞ。さっき言った通り、ここでは腹も減らないし、さらに喉も乾かない。水筒なんて邪魔にしかならない」



「それは本当なんだろうな」



 圭吾は疑っていた。



「本当だ」



 圭吾は疑いづつも、水筒を捨てる事なく懐にしまった。



「邪魔になるぞ?」



「何か役にたつかもしれないからな。一応、保管しておく」



「そうかい。好きにすればいい」



 ヘクスはそう言って先に歩き出した。



「ここは簡単なダンジョンだ。私はこれで4回目だが、次の階に進むのにはドアを見つければいいだけだ」



「ドアはどこにあるんだ?」



「あの町の家々の中だ。探す必要がある。毎回、場所が変わるからな」



「そうか……なら、手分けして探すぞ」



 圭吾とヘクスは歩き続けて町へと入った。町は完全に廃墟と化したゴーストタウンであり、石造りの家々が連なって立てられていた。生活用品の類はほとんど無く、捨てられて百年の様な場所だった。



「この町も来る度に町の構造が違うな」



 ヘクスは言った。



「では二手に分かれて探すぞ」



「了解だ。ここは魔物とかは出ないから安心していい」



 そう言ってヘクスは一人町の中へと消えていった。圭吾も一軒一軒中に入り、くまなく次の階層の入り口を探すがなかなか発見はできない。



(安心安全なダンジョンだか、ドアを探すのは苦労するな)



 探し始めて30分ぐらいたち圭吾はそう思った。

 疲労を少し感じ始めていた圭吾が家を探し終えて道へと出た時、圭吾の視界にヘクスとは違う人影を見た。



(何だ? 人?)



 挑戦者かとは思ったが、見た人影は女性だった。しかも少女らしき背丈だった。圭吾はその人影を追うが、その先の道には誰もいなかった。



(見間違いか?)



「おーい!」



 ヘクスの声に圭吾は振り向いた。振り向くと道の先にヘクスの姿が見えた。ヘクスは圭吾と合流した。



「見つかったか?」



「いや、そっちは?」



「ダメだ。いくら探してもダメだった」



 ヘクスはそう言いながらどこか嬉しそうだった。今の状況を楽しんでいるのだろうと圭吾は思った。



「楽しいのか?」



「えっ? そう見えるか? まあ、そう見えるんだろうな。なにせ数年ぶりに生きた人間に会えたんだから私は無自覚に喜んでしまっているのかもしれない」



 ヘクスはそう言って笑顔を見せた。

 圭吾はヘクスのその笑顔から大きな寂しさを感じ取った。この迷宮に挑戦して帰れなくなったのは自己責任だが、圭吾は同情せずにはいられなかった。攻略しなければ自分もヘクスと同じ運命を辿るか、骨になるかだ。



「そうか……」



 圭吾はそう言って、懐から携帯食を取り出した。



「いくら腹が減らなくても食う喜びは感じたいだろ? 食べるか?」



 圭吾はクッキーの様な携帯食を二つに割った。



「食べ物なんて数百年ぶりだよ。でもね、はっきり言って食欲が無い。正確には最初にはあったはずなんだが、この空間に囚われ続けている影響なのかそれがもう無いんだ。食欲どころか睡眠欲、性欲もね」



 そのヘクスの言葉に圭吾は驚くと共に唖然とした。人間の三大欲求が失われる空間、いくら腹が減らず喉も乾かないとはいえ、それらが無くなって生きている実感は保てるのかと圭吾は不思議に感じた。



「ヘクス……それでよくあんたは数百年もここにいられるな」



 白骨化した遺体はある意味、当然だと圭吾は思った。



「おいおい、この事を事前に説明しなかった事怒らないのか?」



「もう入り込んでいる時点で覚悟は出来ている。それに別にこの迷宮攻略に支障をきたす大きな事ではないだろ?」



「確かにそうだが……」



 ゲシムという男は何を目的にこの迷宮を作ったのかは定かでないが、欲求を奪い取るような魔術などは前例がない。圭吾はゲシムから恐ろしさを感じた。



「そんな事より挑戦者の中には女の子もいるのか?」



「いや? 俺の後に入った者に女の子……いや、そもそも女性が入った事なんて数えるぐらいしかない」



「そうか……なら見間違いか」



「いや、そうでもないぞ」



「どういう事だ?」



「新羅鎌夜が見たと言っていた。橙色の髪の女の子を」



 圭吾はあの人影を思い出したが、髪の色までは明確に見えていなかった。



「橙色? ダメだ。そこまで明確には見てなかった」



「そうか……でも、鎌夜は言っていた。10代半ばらしき少女がダンジョン内をうろつき回っていたと」



「間違ってここに迷い込んだ者ではないのか?」



「ありえない。ここは1000m上空の建造物だぞ。子供が扱える魔術でここまで来れるのか?」



「あんたの時代の常識ならばな。今はもう時代が違う。10代で飛行魔術の取得は優秀な子では可能だろう、だが好き好んでここに入るなんて訳ありだろうな」



 魔戦川でおいて三人娘を相手にした圭吾は実感している。現代の魔術教育はここ数十年で飛躍的に成長しており、飛行魔術を操る学生がいても珍しい事ではない。



「訳ありねぇ……10代ならば家出かもしれないな。でも、ここに入った者は必ず一層からだ。数百年ここにいる私と出会っているかもしれんが?」



「この迷宮はまだ不明な箇所が多いんだろ? ならば一層を通らずに二層三層に迷い込む可能性もあるだろ?」



「確かにありえるが、聞いた事がない」



 ここにおいては先輩のヘクスの意見である。それは無視できない。



「あんたが聞いた事がないなら本当に俺の見間違いかもしれない。まあ、こんな話よりも今はさっさと次の階層の扉を探そう」



「そうだな」



「あの別荘らしき所へ行くぞ」



 圭吾はそう言って、町の奥に立つ別荘を指差した。



「ありそうな場所だ。前回は小さな家だったが……」



 二人は町の奥へと歩き出した。



「前回は一人で来たのか?」



「いや、前回も案内役だったよ。途中で見捨てられたけどな」



 その時のヘクスの顔は悲し気だった。



「そうか……死んで一層からリスタートだろ?」



「そうだ、それはもう数千回ね」



「なんだと……?」



 圭吾はヘクスの言葉を疑った。



「最高で56階層目まで行ったんだけど、そこで諦めたよ。さすがにあの時はこたえたな」



 淡々と告げるヘクスに対し、圭吾は少し後悔しそうになった。そして少しの恐怖も感じたか、もう手遅れである。ここからは出られない。



「おいおいどうしたその顔? 覚悟しているとか言っといてここに来て後悔か?」



 誹りの仕返しの如く、ニヤついた顔でヘクスは言った。



「違う。ただ想像の少し上をいっていただけだ。許容範囲内だ」



「へへっ! そうかい。でも無理はすんなよ。死にたくなったら言ってくれ。最後ぐらい看取ってやるし」



「お断りだ。俺はクリアするまで死なない」



「そう言う奴はいくらでもいたぜ」



 ヘクスはそう小さな声で言った。

 そんな会話をしている内に二人は町におてい一番大きな建物の前に辿り着いた。敷地面積からして別荘と思えるその家屋も石造りである。



「さてと……ここも二手に分かれて探すか」



「そうだな」



 ヘクスの提案にただ圭吾は承諾した。圭吾は明るいヘクスに対し当初は苦手意識を持っていたが、彼から告げられるここでの苦労を聞いて考えを改め始めていた。ここで数百年耐えてきたメンタルの強さは尊敬に値する。三大欲求が奪われ、自決以外の脱出方法がない場所での生活は圭吾の想像を遥かに超えている。

 分かれた二人は別荘内を散策する。ヘクスは終始明るい様子で見て回るが、圭吾は少し憂鬱になりながら一部屋一部屋を見て回る。




(ジイイがここから脱出する方法を見つけ出さなければ俺もどうなるか……)



 その時だった。再び少女の人影を圭吾は見た。今度は明確にその姿を見るのだった。橙色の髪をポニーテールに纏め、白いコートを羽織った少女は後ろ姿を見せながら突き当りを曲がり見えなくなった。圭吾はそれを追い、その先の部屋に少女が入った所を見た。圭吾は警戒しながら懐から刀を取り出す用意をした。



「お前は誰だ?」



 部屋に入った圭吾は少女に問いかけた。少女は圭吾に背中を見せて顔をこちらに向ける気配はない。



「やっと見つけたんだ……」



 少女が小さく呟いた。



「何?」



 少女はくるりと圭吾の方に振り向いた。ポニーテールの少女はまだ幼げが残りながらも美しい顔立ちを持つ美少女だった。万遍の笑顔を圭吾に見せつつ、美少女は明るい口調で言った。



「初めまして。私はこの迷宮の管理人でーす!」



「……はっ?」



 拍子抜けだった。圭吾は呆気にとられた顔をした。それほど美少女の言動は迷宮の雰囲気とはかけ離れた明るいものだった。



「ふざけるな! 誰だと聞いている!?」



「だから! 私がここの管理人なの! 名前を聞いてるなら無理だよ! 私に名前つける前にお父さん死んじゃったし」



「お父さんだと? 何を分からん事を言っている!?」



 美少女の言動に圭吾は理解できなかった。管理人? 父親? 言われても分からない。



「あなた魔王の義眼について詳しい事を知っているみたい。やっと私は目的を果たす事が出来る」



「目的を果たすだと?」



 その少女の言葉で圭吾はある憶測を立てた。ゲシムが魔王の義眼について研究をしていたならば、この子はゲシムの娘ではないかと圭吾は考えた。しかし、ゲシムは生涯独身だったという記録が残っており、恋人らしき存在も記録に残っていない。しかし、婚姻せずに記録がないだけで子を残した可能性もある。



「まさかゲシムの……」



「おーい! 見つけたぞ!」



 その声に圭吾は振り向いた。振り向くとそこにはヘクスがいた。



「ヘクス! 女の子を見つけたぞ!」



「何だって!?」



 ヘクスは驚いた様子で圭吾に駆け寄る。



「ヘクスが言った通りの子がいた」



「どこにいる!?」



 圭吾は部屋の中を指さした。



「……いないぞ」



「何!?」



 圭吾は視線を部屋の中に向けると、ヘクスの言う通りそこには誰もいなかった。



「何だと……!?」



「この迷宮はよく分かっていないのが現状だ。お前はきっと亡霊でも見たんだろ?」



「亡霊だと? ありえない。俺はその子と会話をした」



「ゲシムは天才だ。幽霊としゃべれる魔術を知っていてもおかしくない」



「そんな魔術は現代でも開発されていない。ゲシムでも出来ないだろう」



「そうか……まあ、いいさ。扉を見つけた。先に行こう」



 ヘクスはそう言って一人先に行ってしまった。圭吾は腑に落ちないが、ここにいても何も始まらない。大人しくヘクスの後を追った。



「これは悪い予感がするぞ」



 扉に入ったヘクスの最初の一言はそれだった。

 扉の入るとそこは真っ暗の階段だった。ただ白い階段が暗闇の中に続いているだけで、上には光も何も見えない。



「どういう事だヘクス?」



「このタイプの階段を登っていった階層は大抵最悪のパターンが多い。火山地獄とか針山地獄とかだったかな」



「そうか。やっとそれっぽい所に出れるのか」



「何言っている? 最悪だぞ」



「ダンジョンなんだからそれっぽくないとつまらないだろ?」



「その口がいつまで持つか見てみたいね」



 二人が階段を登り続けていくと断端と暗闇に呑まれて、二人が気付いた時には三階層目に着いていた。三階層目は平らな空間が続く虚無的な黒い場所だった。



「着いたみたいだがこれはどんな場所なんだ?」



「うわぁ……ここかよ」



 ヘクスは明らかに嫌そうな顔を見せた。



「ここは……」



 圭吾達から一キロ先には四階層目に行ける白い階段が見えていたが、その間に次々と黒い煙が立ち込め、煙は形を得て魔物と化した。ケロべロス、ゴーレム、スライム、ケンタウロス、サイクロプスなど多種多様な魔物が姿を次々と姿を現した。



「極めて単純じゃないか。ここにいる魔物を全部ぶった切ればいいんだろ?」



「簡単に言ってくれるな! こいつら強いぞ。何度食いころれた事か!」



 圭吾は刀を取り出し、構えた。



「行くぞ!」



 圭吾はそう言って飛び出した。右目の貯蔵の魔眼を起動させて、刀を大きく振り上げて同じく突っ込んでくる魔物に刀の先を向ける。



「どうなっても知らんぞ」



 ヘクスは一人諦めた様子で呟いた。しかし、ほんの10分程度で圭吾の戦闘力の高さを見せつけられて唖然とした。圭吾の動きは並の戦士以上だったのだ。



「すっすげぇ……」



 ほとんどの魔物が切り伏せられ、あちこちにその残骸が霧散し黒煙となっていた。圭吾の戦闘力を見縊っていたヘクスはただ腰を抜かしている。



「こんなもんか……思ってた以上に多かったな」



 圭吾の背後から攻撃を繰り出したサイクロプスの攻撃を避けて圭吾は頭部を切り、蹴り飛ばした。そして残った魔物達も瞬く間に倒して、三階層に現れた魔物全てを圭吾は倒した。



「圭吾、とんでもねぇ魔術師だったんだな」



 ヘクスが畏怖を込めて言うが、圭吾もヘクスはとんでもない人間だと感じている。



「ヘクス、あんたもとんでもねぇ奴だよ。こんな所に数百年なんて」



「そんなにすごいか? 俺はただ、ぼーとしてただけだ」



「それでよく正気が保てていたな。メンタルの強さなら世界一と言っても過言じゃないだろ」



「言い過ぎだ。俺はそんなにすごい人間じゃない」



「すごいと思うよ。ヘクスさん」



 その女の子の声に二人は驚き、声がした方へと二人は顔を向けた。



「お前は!?」



「おっ女の子!?」



 階段の前に例の美少女が立っていた。橙色のポニーテールに白いコートを羽織ったその美少女は二人を見て笑顔を見せた。



「はじめましてヘクスさん。私は‘ここ’の管理人です」



「誰だ!? 初めて見るぞ」



「あの子だ! 二階層で見た子は!」



 驚く二人に対し、美少女はゆっくりと歩き近づいていく。



「いやいや圭吾さん。私、あなたに惚れてしまいました! だからあなたを主だと認めましょう」



「はっ!? 何を言っている?」



「なんだと圭吾! あんな可愛い子に好きと告白されるとか羨ましいぞ!」



 ヘクスが顔を赤くしながら言った。それに対し圭吾は呆れた顔を見せる。



「はっ?」



「いくら性欲が無くてもかわいい子に告白されると羨ましいと感じたぜ! くそっー! 俺と代われ圭吾!」



「あははっ! ヘクスさんおもしろいですね」



 二人の前にやってきた美少女は二人を交互に見つめた。ヘクスはさらに顔が赤くなった。



「やばい! どうしよう! 数十年ぶりの女の子だ! 何か緊張する!」



 まるで子供みたいなヘクスに圭吾はただ呆れるだけだった。



「残念ですけど私本物の女の子じゃありませんよ」



「へっ?」



「何? では、何者なんだ?」



「だから私はここの管理人。つまりあなた方が言う迷宮義眼そのものです」



 最初何を言っているか分からなかった二人であったが、圭吾は理解した。



「……なるほど、つまり君はゲシムによって作られた作られた知能ってことか」



「その通りです。さずが私が惚れた人です」



「えっ!? どういう意味?」



 訳が分からないヘクスは両者を見る。



「ここではあなたの実力を試さしてもらいました。結果は私が満足いくものでした。なので、あなたを主として認めます」



そう言って美少女は笑顔を圭吾に向けた。それを見ていたヘクスは羨ましい顔を見せた。



「いいなーいいなー。俺もご主人様とか言われたいなー」



「だから私は人間じゃありませんよ」



「詳しく説明しろ。ゲシムの作り出した存在ならばこの迷宮義眼がどんな目的で作られたか知っているだろ?」



 圭吾の問いに美少女は黙って頷く、頷くと同時に彼女の雰囲気が変わった。



「分かりました。では、こちらに着いて来てください」



 美少女はそう言って階段に向かい始めた。二人も続く。

 階段を登り切った三人を待っていたのは、夕暮れの野原だった。どこかで見たような、正確には初めての場所であるが、風も吹いておらず穏やかな空気が漂う空間に圭吾とヘクスは少し和んだ気持ちになった。



「こちらです」



 美少女はさらに進む。すると小高い丘に棺桶が頂に置いてあるのを二人は気づいた。美少女はそこに向かっていた。



「何があるんだ?」



 ヘクスが美少女に聞いた。



「ここは迷宮義眼の最奥、つまり最終階層です」



「何っ!?」



 ヘクスは驚き歩みを止めた。



「これが最終階層!? ここが!」



「そうです」



 ヘクスは当たりを見渡す。最終回層と言っても天井はあり、無限に広がっている空間ではないが数百年求めた場所に立っているというだけでヘクスは感激し、興奮した。



「ここが迷宮義眼の終着点! 誰もが追い求めても辿り着けなかった場所! 俺は今、そこにいる! 歴史の大きな瞬間に俺はいるのか!」



「ヘクス……感動している所悪いが、俺の憶測だとお前達にとって納得しがたい事を聞かされるかもしれない」



「何? どういう意味だ?」



 喜ぶヘクスを尻目に見ながら美少女は歩く。圭吾達も続いて小高い丘の頂にある棺桶の前に辿り着いた。そして棺桶の中を見た圭吾達二人は驚嘆した。

 棺桶の中には髭面の年老いた男性の死体が収められていた。



「この人は誰だ!? こんなおっさん挑戦者には……」



「父です……」



「この人がラスティオ・ゲシムだな」



「はい」



 少女の返答にヘクスは誰よりも驚嘆する。



「ゲッゲシム!? あのラスティオ・ゲシム!!?」



 驚くヘクスを横に美少女と圭吾は会話を続けた。



「通りで遺体が見つからなかったわけだ。こんな所にあるんじゃな」



「ええ、父は最後に未来過去を見る事が出来る魔眼の持ち主で太古の世界を見ました。その中で魔王の義眼が実在した事を知り、そしてどこかに飛ばされていつか帰ってくると信じた父は私を作りました。我が目で見届ける為に。父は自分を人工冬眠させる事も視野に入れていましたが、魔眼の影響で体が限界だった父は私の中で息絶えました」



「そういう事だったのか……ゲシムの天才ぶりは魔眼のおかげだったわけか。過去、未来から魔術を盗み見て、それを義眼に組み込んだ。今でもゲシムの義眼の解読が難しいのもそれで頷ける」



 ゲシムの魔眼については詳しい情報は残っていなかった。魔眼持ちだった事は近年になって分かった。当の本人が魔眼について誰にも明かさず、さらにその効果を説明していなかった事は知られている。だが、今となりその理由は分かる。商売道具として利用していたならば企業秘密として隠していた事は容易に想像できる。



「ゲシムが魔眼持ちでしかも未来過去を見る魔眼だったとは……」



 ヘクスも理解したのか納得した様に言った。



「そして私は無きゲシムの娘を模して作られた存在です。私がこうして実体化出来るのはこの世界だけです」



「ゲシムは密かに結婚していたのか?」



「いえ、正式な婚姻をしなかったと聞いています。なぜなら周囲が認めない関係でした。ゲシムとその妻は最初、医者と患者の関係でした。妻の父親が病気で視力を失った娘にどうしても視力を取り戻したいと依頼したのがゲシムです。当時若かったゲシムでありますが当時から腕がいいと評判でした。技師と患者として接するうちに親しくなり恋仲になったと聞いています」



「よくある話だ。それで娘の父に関係を反対され駆け落ちって落ちだな?」



 美少女は頷いた。圭吾にとっては珍しくもない恋愛模様である。



「駆け落ちしてからしばらくして妊娠しましたが親子共々出産時に亡くなったと聞いています」



「うわーー! ゲシムは悲しい恋をしていたんだな! 何か悲しいぞ!」



 ヘクスは一人泣いていた。それを見た圭吾はやや呆れた笑顔を見せた。



「そんなに悲しいか?」



「うん!」



 ヘクスは大きく頷いた。



「ゲシムの半生はこれぐらいして、お前は魔王の義眼の為に作られた? そうだな?」



「はい。私は父に代わり、魔王の義眼を見届ける役目を与えられました。私の代わりに魔王の義眼を見てほしい。それが父の遺言です」



「魔王の義眼って七人神話の話に出てくる義眼だよな。ありえない物だと言われたはずだが?」



 ヘクスの疑問に圭吾が答えた。



「それがありえたんだよ。魔王の義眼は実在した。この世界ではない所でな」



 それが俺がいた世界だとは圭吾は言わなかった。



「にわかには信じられないが、こうして最終階層に辿り着いた理由と関係があるのか?」



 ヘクスの素朴な疑問に圭吾は言いづらいながらも言った。



「魔王の義眼について詳しく知っている人間が入るとこの迷宮義眼はその者に与えられる。違うか?」



 美少女は後ろめたい様子で頷いた。



「そうです。私が誰かの物になる条件はその通りです。父との約束は魔王の義眼を見届けること、それまで誰の物になってはならない」



「そんな……」



 つまりほとんどの挑戦者は無駄だったのだ。最初から迷宮義眼は攻略させる気はなく、魔王の義眼が帰還するか魔王の義眼についてよく知っている者が訪れるまで迷宮としてあり続けているだけだったのだ。

 ヘクスはその事実にショックを受け、落ち込んだ顔を見せた。



「つまり俺達は犬死って事か?」



 美少女は答えなかった。



「あんたはまだ死んでない。これでやっと外に出れるんだぞ」



 圭吾が言った。



「ああ、でも……新羅やロバート、ロイジア、バロ…………ここに何人挑戦したと思っている! あいつらを思い出すとあの時のやる気に満ちた顔が思い出される。みんな野心家だったし、悪い思い出もあるけど俺にとっては仲間だった」



「……ごめんなさい。私はただ父の命令に従うだけの存在です。どうする事も出来なかったのです」



「いいよ。俺達挑戦者は覚悟を持ってここに入った。最後はこうして納得できない落ちだったが、それも人生だろう……」



 ヘクスは悲しく言った。



「ヘクス……あんたのいた時代からもう200年たった世界だが、居場所がないわけじゃないはずだ。あんたなら人生をやり直せるはずだ」



「慰めてくれるのか圭吾? ありがとう。そうだな! せっかくだし未来の世界を楽しむか!」



 ヘクスは落ち込みながらも、外の世界に戻れることを喜んだ。



「では、私の手を握ってください。このまま外に出ます」



 美少女は手を差し出した。それを圭吾が掴むと眩しい光に包まれた。



「うわっ!」



 ヘクスの驚いた声が圭吾の耳に聞こえて来た。眩しい光の中、迷宮義眼が委縮していくのを圭吾は見た。

 ラスティオ・ゲシムが作り出した最期の義眼、迷宮義眼は攻略された。魔王の義眼に憧れた義眼工が作り出した義眼、魔王の義眼を模して作られたその眼はその瞳に魔王の義眼を映し出せる時が来たのだった…………
















































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