富士山決戦
迷宮義眼
そのディルクの言葉に圭吾は驚きはしなかった。むしろ納得してしまった。
「そう言う事かよ……クソジイイ」
圭吾のその声には覇気はない。そして深くため息をついた。
「魔王の義眼の真の目的などどうでもいい。さっさと三つの話を話せよ」
圭吾は見るからに士気は無い。ディルクの話を聞き、いかにして自分が無知で非力を悟ったのである。そしてもうこれ以上抗っても無意味と分かってしまったのだ。
「言った通りじゃ。お前達の旅はここで終点じゃ。竜化の呪いはわしの友に頼んで小娘にかけてもらった物じゃ。友は古代魔術の研究者でのう。現代魔術にしか精通していないお前みたいな現代魔術師では解呪は不可能じゃ」
「ははっ……全て計画通りってか?」
「大体な。おおむね満足の進行具合だったのう」
そう言ってディルクは不快な笑みを浮かべた。
「起きろ一之瀬」
壁に乗り掛かり、恐怖で黙り込んでいた静乃を圭吾は手を貸して立たせた。
「行くぞ」
「えっ?」
「人間ではない者にやさしいのう圭吾よ」
ディルクの皮肉に圭吾は無視して部屋から出ていこうとする。
「どこへ行く?」
「リビングだよ。どうせこの家からは逃げられないんだろ?」
「察しが良いな。その通りじゃ」
ディルクは満足そうな声を聞きながら、圭吾は無表情で静乃と共に部屋を出ていくのであった。
リビングに戻った圭吾は椅子に座り、項垂れた。
「…………これが真実か」
項垂れる圭吾を見て、それまでディルクを恐れていた静乃は少し落ち着きを取り戻し聞いた。
「たっ橘……さっきの話はつまりあのひいおじいちゃんがこの呪いの犯人って事?」
「そうだ。俺とお前はまんまと利用された。魔術会と戦っていると思っていたが本当はそれに利用されていたって話だ…………情けない話だよな」
圭吾は静かに言った。
「魔王の義眼が私達の世界っていうのは?」
「…………データとこの眼で見る限り、そうとしか言えん。この目で確かめない限り本当だとは信じたくはないが、お前に人魂がない所を見ると信じるしかないのかもな。まさか魔王の義眼が存在し仮想世界を作り出すほどの魔力を秘めているとは予想外だ。いくら長年探し求めても無いはずだ」
「つまり……その……私って人間ではないって事なの?」
「そういう事だな……」
静乃は圭吾の話にいまいち納得がいかず、実感が湧かない。現実と仮想の絶対的な差を身をもって実感しなければ人は理解しにくい。そんな点においても魔王の義眼は忠実に再現している。
「急に人間ではないって言われても実感なんてないよそんな事」
「俺もそうだ。俺達の世界が偽物……? どうしていいのか困る」
圭吾は冷静を装っているが内心落ち着いてなどいない。
「これからどうするの?」
「さあな……」
圭吾の頼りない返答に静乃は少しカチンときた。
「さあなって…………!?」
「どうしようもないだろ。俺は利用されていた愚か者だった。それだけだ」
「だから何よ! 悔しくないの! 利用されてたのに!」
怒りを見せる静乃に圭吾は冷笑した。
「へぇ……ならお前ならどうする? 抗うか?」
「一泡吹かせるに決まってんでしょ! 本物の世界じゃないから何!? 偽物の人間だから何!? 帰って皆に公表すればいいじゃない!」
「はぁ? 馬鹿かお前? こんなおとぎ話みたいもん皆が信じてくれるか? 証拠もないのに?」
「あんたが大勢の前で魔術でも見せ付ければいいでしょ?」
「そんなんでこの世界が仮想世界だと思うか? 単なる魔法使いは実在したっていうレベルの話になるだけだ」
圭吾の言う通りだと思ってしまった静乃は黙り込んでしまった。
「それに……仮に信じて貰えてもそれはそれで大変なんだかな」
「どういう事?」
「お前の様な奴らばかりならいいが。もし仮想世界だと明確に証明されて多くの者がそれを信じれば必ず犯罪を犯す者が出てくる。なにせ偽りの命と偽りの世界で住む人間なんだらかな。宗教とか道徳は崩壊するかもしれんないな」
「そんな…………」
思いもしなかった予想に静乃の顔は強張った。
「そんな事も予想できず、帰って公表しようとかバカだろ?」
返せる言葉がない静乃は涙目になっていた。
「おい……」
「あんたなら……」
「何だよ?」
「あんたならどうにかしてくれるでしょ?」
「…………へぇ……お前でも泣くんだな。泣かない奴だと思っていたぜ」
その蔑んだ顔で言った圭吾の言葉で静乃の怒りは頂点に達した。涙を拭い、圭吾の胸倉を掴み立たせて、言った。
「見損なったわこの野郎! あんたは英雄(ヒーロー)なんだよ! 東京を救った人でしょ! それがなんでここで諦めんのよ!」
泣きながら叫ぶ静乃を見て、圭吾は冷静で蔑んだ目で見つめていた。圭吾は胸倉を掴む静乃を手を掴んだ。
「いたっ」
そして静乃を床に押し飛ばした。
「黙れよ人間モドキ。本物の人間に偉そうな事をほざくんじゃねえよ! 俺の気持ちも分からねえくせに!」
「人間モドキって…………あんたも私をそう言うんだ!?」
「そうだ! 俺は本来この世界の住人だ! あの世界が偽物だと証明された今、あの世界にいる奴らは全員人間モドキなんだよ!」
圭吾の心は混乱していた。今まで現実だと思っていた世界が偽物だと証明され、圭吾の心は滅茶苦茶であるのだ。それに対し、静乃は立ち上がった。
「お前には分かるか……? 今まで信じていた存在が偽りだと証明だとされた時の絶望を。救う価値がなく無意味だと証明された時の失望を理解できるか? 理解できないよな! 本物の人間じゃないんだから!」
「本物とか偽物とか関係ない! どっちも人間なんだから理解できるわよ!」
「違うね! お前は本物の人間じゃない。理解など出来るはずがない!」
「やってみなきゃ分からないじゃん! もしかしたら本物の人間同士以上に仲良く出来るかもしれないし、愛し合う事だって出来るかもしれないじゃない!」
「仲良くする? 愛し合う? そんな偽物との関係に憐れむ人間だっているのによく言えるな」
「他人の目が何よ。偽物が本物に勝る時だってあるかもしれないわよ。そういう時がいつかくるかもしれないでしょ!」
その静乃の言葉は圭吾の心に突き刺さった。偽物が本物に勝る。そのフレーズは圭吾にとって衝撃であった。考えもしない言葉だった。よく分からない。しかし、確かにその言葉が圭吾を揺さぶった。
「偽物が本物に勝るだと……?」
「そうよ。いつも本物が優秀だとは限らないでしょ? もしかしたら偽物の方が勝る場合もあるかもしれないじゃない!」
本物に価値があり、偽物は無価値だと信じていた圭吾にとってその考えは今まで考えもしない考え方だった。常に本物が勝り、偽物が劣るとは限らない。言われてみればそうかもしれない。そういう時が来るのかもしれない。
圭吾が急に黙り込んで静乃は不思議に思った。
「どうしたの? もう口論は終わり?」
「まさか……人間モドキに教えられるとはな」
その言葉に静乃は再び苛立った。
「何!? まだそう言う気なの?」
「もう言わない。お前は人間だ」
「えっ? 何よ急に?」
「お前みたいな人に会えて良かったかもな」
「キモッ! 何よ急に! 私、何か変な事言ったっけ?」
「おい、キモイはないだろ。お前に教えられた。ただ、それだけだ」
「そう。私、何したの分からないけど良かったわ」
「ありがとう……」
圭吾に素直に感謝されて静乃は反応に困った。
「……何か困るんだけど」
「でもな……一之瀬。正直、俺一人じゃもう何もできない」
「えっ? それってどういう事?」
圭吾は部屋の隅々を見た。そして部屋に監視魔術が施されている事に気付く。
(クソジジイめ。やっぱり見てやがったな)
「見られてるぞ」
「えっ!? 監視カメラでもあるの?」
「監視魔術だ。あのクソジイイ、見てやがるぞ」
「その通りじゃ圭吾よ」
そのディルクの声はリビングの外の通路からだった。リビングの出入り口の扉が開き、車椅子に座ったディルクがリリスに押されて入ってきた。
「人間モドキなんぞに懐柔されおって。魔術師の名が泣くぞ?」
「黙れクソジジイ! お前の操り人形は今日で終わりだ!」
「ほう……」
ルディルスの眼にてディルクは圭吾に電撃を浴びせた。今までの物とは比べ物にならないレベルで流されたが、圭吾は悲鳴一つあげずに耐えきった。
「何っ?」
「ははっ……さすがにキツイな」
息切れをする圭吾はどうみてもやせ我慢だった。
「何だその様は? やせ我慢とは情けない」
「うるせえな。俺はもうお前の駒じゃない!」
圭吾はそう言うと、左目のルディルスの眼に手をかけた。
「まさか……」
「そのまさかだよ」
圭吾はルディルスの眼が宿る左目の中に指を突っ込み強引に義眼を取り出そうと試みた。本来、義眼の取り外しは魔術などで行うが、圭吾が今それを無視して強引に取り外す。
「ぐううう……!!!!」
痛みに耐えながら、圭吾は左目の義眼を強引に取り出す。
「やめろ圭吾よ! そんな事をしたら最悪二度と義眼が装着出来んぞ!!!!」
「うるせえジイイ! 黙って見てろ!」
ディルクの警告を無視して圭吾はルディルスの眼を取り出しに成功し、その眼をそのままディルクに投げ返した。左目から血の涙が流れる。
「橘。大丈夫!?」
静乃が懐から咄嗟にハンカチを取り出し、圭吾に渡した。ハンカチは血の涙により赤く染まった。
「本当に愚かな事を……! 自分の体は労われ!」
「電撃を浴びせたクソジイイが言える事かよ」
言い返す言葉がないディルクの顔は強張った。
「わしを本気で怒らす気か圭吾よ! これ以上好き勝手するなら本気でお前を拘束するぞ」
「そんな事より取引だクソジイイ」
「何?」
「あんたは今、魔術会の立場が弱いんだろ? それで魔王の義眼から得られる利益が少ない可能性が高い」
「そうじゃ。それがどうした?」
「ならば俺が少しでも立場が強くなる様にしてやる! ラスティオ・ゲシムの最高傑作『迷宮義眼』を手に入れてやる!」
「何だと!?」
ラスティオ・ゲシムとは約500年前の人物であり、今でも最高の義眼工(ぎがんこう)と評される人物であり天才義眼工である。彼の生み出した数々の義眼は国を傾け、滅ぼしたり、新たな国を作り出す程強力な物が多くあった為、多くの者から命を狙われていたという。現代では彼の残した義眼は帝国と共和国などで厳重に管理されており、決して盗まれぬ様に秘匿場所は公表されずにいる。そんな彼が晩年作り上げたのが『迷宮義眼』である。
「ガハハハッ! なんだその取引は? ありえんな! 手に入れる事が出来ない物を取引に使うとは馬鹿か?」
笑うディルクに対し、圭吾は真剣だった。
「俺は本気だ。俺が迷宮義眼に挑んでいる間、こいつを人質にする」
そう言って圭吾は静乃を見た。
「わっ私!?」
「ほう……」
「俺が無事に迷宮義眼を手に入れて帰ればこいつを返して貰う。そして俺はお前の手下になるが、魔王の義眼の利権の一部を俺に譲れ。帰られければこいつを好きにしろ。召使にするなり、奴隷として売るなりすればいい」
その本人無視の取引に静乃は困惑した。
「ちょっと! 私の意思はどうなんのよ!?」
「これぐらいしか思いつかなかった。悪いな一之瀬。もう危ない橋を渡るしか思い付かなかった」
「良くない! 全然良くない!」
怒鳴る静乃に対し、圭吾は真剣な目で静乃を見つめた。その眼差しから察した静乃はため息をつきながらも言った。
「…………分かったわよ。手段がないなら仕方ないわね。その目は本気なのね」
「ありがとうな」
「話はまとまったようじゃのう。でもな、圭吾よ。わしはお前を跡取りじゃ。帰る可能性が低い迷宮義眼の挑戦なぞ認めんぞ。それに利権の譲渡だと? 笑わせるな」
「そうか……」
そう言って圭吾は刀を取り出し、鞘を抜き、刃を首に当てた。
「ならばここで死ぬ」
「きっ貴様!」
「橘!?」
驚愕するディルクと静乃に対し、圭吾は冷静で本気な素振りだった。
「やめろ! お前を失ってはスルク家は終わりじゃ!」
「そんなの俺にとってはどうでもいい。スルク家の滅亡なぞこの世界では小さな事だろ? それにお前にとってこの取引はどっちも損はないだろ」
「何が損がないだと? 小娘一人売った所で大した金にはならんわい。しかし……お前がそこまでやるなら仕方ない……分かった」
渋々ディルクは取り引きに応じた。納得していない事は様子からして分かるがそれでもディルクを承諾させたのだった。
「取り引き成立だな」
圭吾は刀を懐にしまった。
「義眼を自ら強引に取り出しわしの支配下から抜け出すとはな。我がひ孫ながら勇猛な事だ」
「褒めて頂き感謝だな師匠……俺を舐めすぎだ」
「ふん! だが、蛮勇でもある! すぐにリリスにその目を治療して貰え! そのままでは障害が残るかもしれんからな!」
リリスがディルクの前に出て、圭吾に近づき左目を見た。
「今すぐ治療をします。こちらへ」
圭吾はリリスの案内でリビングから出て行った。
魔王城の広いテラスにてベネラは星空を眺めていた。芝生の上で仰向けに寝ころびながら流れ星がないか数えている。帝都の夜空は帝都の明るさもあって見えにくいが、ベネラの目はそれを無視して見えてしまうほど視力が高い。
「ここにおられましたかベネラ様」
ベネラの視界にオロンが現れた。ローブに身を包んだ彼の姿はベネラにとって今は邪魔でしかない。
「邪魔だよオルン。星が見えない」
「もう就寝時間ではないのですか? メイド長が探しております」
「だから何? 子供扱いしないでくれる」
「あなたはこの帝国を将来導く女帝なのですよ。体は大事にしないと」
ガルディスト帝国の現皇帝ロザンテ・エスア・オーガディアはベネラの父であるが、歴代皇帝屈指の好色家であり子供は少なくとも五百人も及んでいた。その中でもベネラは末子であり母も身分が低い者であったが、生まれ持った魔力量の多さと魔術の才能、そして前代未聞の二つの魔眼で次期皇帝の地位に掴んでいた。つまり皇位継承権第一位である。
彼女がそれを掴むまで血生臭い戦いが繰り広げられた。多くの兄や姉が皇位を狙っていたのは当然であり、ベネラも五歳からその地位争いに巻き込まれいたが、彼女は天才だった。
最初に命を狙ってきたのは長男の兄であった。ベネラとの年齢差は35歳、腹違いの兄妹とはいえ親子の年齢差であった。ベネラの脅威に最初に気づいた長男は暗殺を企て、暗殺者に依頼した。
それがオルンである。
「そういえばあなたと出会ったのもこんな綺麗な夜空の時でしたね」
「そうだっけ?」
オルンは子供の暗殺に躊躇いを覚えつつ、依頼を受けた。当時のベネラは帝都遠くの別荘にて母と離れて生活していた。五歳の子供ならば親が恋しい時期であるが彼女は常に本を読んでいる様な子で決して「寂しい」など口にしなかった。その様な我が子に父ロザンテはとても気に入り寵愛していた。
「死ね」
それがオルンがベネラに最初に言い放った言葉である。しかし、その言葉の直後にオルンは吹き飛ばされて致命傷を受けたのである。
「あの時は驚きました。長年暗殺業を務めてきましたが、あなたの様な天才児は初めてです」
「それはありがと」
ベネラは棒読み風に言った。
「あなたは歴史に名を残す事ができると思います」
「それはオルンも出来るわよ。最強の暗殺者として」
致命傷を受け、死ぬと確信したオルンにベネラは「友達になりましょう」と手を差し伸べた。オルンは驚くと同時にベネラの背後に見えるオーラに魅せられ、彼女と共に帝国王家オーガディア家の血生臭い後継者争いに終止符を打った。
ベネラは百人以上の兄と姉をオルンと共に殺し尽くし、残った兄姉達を全員口封じしている。
そして高齢となった父を魔王城の最上階の一室にて閉じ込めていた。ベネラの魔術にて無理矢理延命させられ、操り人形としていた。さらに城内にいるオルン以外の者も決して自分の事を外部に漏らさぬ様にと全員に口封じの魔術をかけていた。
「最強の暗殺者など霞む存在になる事ができますよあなたなら」
「あんまり興味ないかも……最強の称号なんてさ」
ベネラは九歳にして人生に飽きを感じていた。もう刃向かう者がいない世界で彼女は飢えてきていた。強すぎる。強すぎてつまらない。敵う敵がいない。
「つまらない」
ベネラは呟いた。
「流れ星は見えましたか?」
「いいえ。見えなかったわ……オルン、流れ星に願いを三回唱えると叶うと言うけれど本当だと思う?」
子供らしい質問にオルンは意外だと思った。
「さあ……私は目的があるならば自力で手に入れますよ」
「オルンらしい答えね。でも、私の願いは叶わないでしょうね」
「何故です?」
「私と互角に戦える奴と出会いたいなんて、無理でしょうね」
「それは分かりませんよ。あなた以上の子が生まれるかもしれませんよ」
「それはそれで脅威ね。まあ、殺すでしょうけど」
それは子供の発想ではない。だが、それがベネラだった。
ベネラは起き上がった。
「ねえオルン。会の会合って明日の昼だったわよね?」
「そうですね」
「私……星を見ながらいい事を思いついたわ」
そう言ってベネラは笑みを浮かべて、城内へと向けて歩き出した。
「いい事とは?」
その背後をオルンが追う。背後のオルンに振り向き、ベネラは言った。
「この世界に居ないなら、違う世界に求めればいいのよ」
迷宮義眼。ラスティオ・ゲシムの最後の作品にして最高傑作だと言われる義眼である。義眼と言っても眼ではなかった。
世界各地の空にランダムに現れる迷宮。つまりダンジョンである。最初、誰もがこれがダンジョンだと思っていたが、数十年後にとある魔術師により義眼が変形している物だと判明した。
「最近の魔術雑誌に掲載された『迷宮義眼についての考察』にてどうやら魔王の義眼を目指して作られた可能性であると書いている」
アスティアール学園は朝を迎えていた。圭吾はディルクの部屋にて椅子に座り一冊の魔術雑誌を開き読んでいた。その横でディルクが聞いている。
「だろうな。ゲシムは幼少の頃から七人伝説が好んで読んでいたとされている。特にそこに出てくる魔王の義眼に憧れて義眼工となったらしいからのう」
「最近の魔術でやっと内部構造の一部が判明したのか。内部は文字通り迷路らしき物が確認できるか……それまで数々の冒険者が迷宮に入ったが誰一人帰って来ていないか」
迷宮義眼とは上空1000mに浮遊する正方形の建造物である。一辺の長さが1㎞の白色の物体であり、世界各地の空にランダムで現れる。特徴としては人里近くには現れない。鳥などの動物が近づかない。少しでも触れると内部に吸い込まれて消えるなどである。
「ゲシムが晩年姿を消したのはこれが原因だとされているのう。晩年のゲシムはこれを作るために工房を捨て弟子達と別れて一人山籠もりしていたとされ、その最中にこれを作り上げて命を落としたとされている。しかし、肝心の遺体は現代でも見つかっていない」
「それってつまりこの迷宮義眼の中にゲシムの遺体があるって事だろ?」
「昔からそう言われているがよく分からんのか事実じゃ。なにせ迷宮に入って帰ってきた者はいないからな」
迷宮義眼の一番恐ろしい所と言えばそれである。一度入れば帰れない。どんな魔術や手段を用意しても内部に入った者とは通信できない。それは現代においても変わりない事であった。
「お前は本気で挑むつもりか?」
「ああ。魔王の義眼が存在したと証明された今、ゲシムが本当に魔王の義眼に憧れていたならば迷宮義眼には何か変化があるかもしれない」
「まさか魔王の義眼に呼応して変化するとでも? 確証はない。どうみても分が悪い挑戦じゃ」
「それでも俺は行くぞ。大切な場所を守りたいんでね」
大切な場所が仮想世界などとディルクは笑った。
「お前は本当に愚かじゃ。魔術師ならば分の悪い賭けはせんぞ」
「ジイイならそうするかもしれないが、俺はそうするだけだ」
「こんな奴に育てた覚えはないわい」
「俺を育てたのは橘の父と母だ。お前じゃない」
「生意気な口をしよって」
「昔はよく言われたな」
「そうじゃったな」
二人は昔を思い出した。小学生時代の圭吾と橘家の飼い犬ジョンとのやり取りが脳裏に浮かんだ。圭吾が散歩に連れていき、山奥で人目を避けて魔術の鍛錬をしていた。
「ジイイは本当は魔王の義眼で何がしたいんだ?」
「魔術の真理の到達じゃ。魔術師ならば誰でも追い求めている事柄じゃろ?」
「俺にはそんなもん興味ないな。真理に至るとどうなるんだ?」
「さあな、分からん。ただ言える事は世界が変わるって事だけじゃ」
「世界が変わる…………魔王の義眼の発見は世界が変わるぐらいのもんだと俺は思うけどな」
圭吾はそう言うと、椅子から立ち上がった。
「行くか?」
現在、迷宮義眼はアステア共和国のとある山脈の上空に一週間以上滞空していた。その気になれば半日もかからずに辿り着ける場所である、
「ああ。一応、これが最後の別れかもしれないから言っておくぜジイイ……じゃあな」
「ふん。痛い目に合え、生意気な弟子よ」
圭吾はディルクの部屋から出て言った。
そしてそれを見届けたディルクは内心つぶやいた。
(例えお前が帰ってこれなくても、魔王の義眼の力を利用すればお前を迷宮から救出できるだろう。やはりまだ甘いな圭吾よ……)
「橘!」
玄関に差し掛かった圭吾を止めたのは静乃だった。静乃は何故かメイド姿だった。
「どうしんだその恰好は?」
「あんたのひいじいちゃんに着せられたのよ。圭吾が帰ってくるまでメイドだってさ」
静乃のメイド姿は意外にも似合っていると圭吾は思ってしまったが、決して言う気はない。
「そうか……なんか普通だな」
「普通って何?」
「良くなく悪くもないって事だ」
「なんか複雑なんだけど」
「まあ気にするな」
圭吾はそう言って歩き出した。
「大丈夫なのよね?」
玄関のドアノブに圭吾が手をかけた所で静乃が問いかけた。
「さあな」
「さあなって……私、一生メイドするはめになるの?」
「あのジイイは何か企んでるよ。迷宮の脱出方法も何か考えてるだろうよ」
圭吾はそう静かに小さな声で言った。
「そうなの?」
「ああ。多分な」
圭吾はそう言ってドアノブを回して扉を開き、一人外へと出た。
「橘……!」
圭吾は振り向いた。振り向くと不安そうな静乃がそこにいた。
「その……いってらっしゃい」
「……ああ、行ってくる」
学園の中庭を一人歩いていく圭吾の背中をただ一人静乃は見つめ、見送るのであった。
夏の日の富士山、快晴のおかげで昼前には多くの登山客が行き交っていた。そんな中、突如山頂付近にて突然黒い穴が現れた、そしてその中から二人の魔術師が現れた。富士山に降り立ったのはベネラ・エスア・オーガディアとオルンであった。
ベネラは漆黒のゴスロリファショッンに身を包み、黒い日傘を持っていた。オルンは普段と変わりなくローブに身を包んでいる。
「なんだあれ?」
「おい。コスプレイヤーいんぞ」
「何か穴から出てこなかった」
当然現れた二人に遠くから見つめる登山客達はざわめく。中には面白がって写メを撮る者がいた。
「何よここの人間。私の魔力に気づかないの?」
ベネラは魔力を解放していた。通常の魔術師ならばその脅威に気づく。
「無理もありません。彼らは全員、‘無力体質’なのですから」
「そうだったわね……」
ベネラは念動魔術にて登山客達の列の一部を軽く吹き飛ばした。老若男女の者達が内部から破裂しながら飛んでいく。地獄絵図だ。
「きゃあああっ!!!!」
登山客の一人が悲鳴を上げて、瞬く間に富士の登山ルートはパニックと化した。誰もが下山し始め、我先にと逃げ惑い、倒れた者を吹き倒していく。
「本当脆いわね……」
ベネラはつまらなそうに呟いた。
「この世界の者達はこんな物ですよ姫様。私たちの世界の廉価版です。魔力は無く、それ故魔術は存在しない。そして魔族と魔物が存在せず、人間種のみが地上を支配する世界……それがこの世界です」
「他の四人はこの世界からどんな利益を得ようとしたか知らないけど、私が有効活用してあげる」
ベネラはイデア魔術会の五人幹部の一人である。ベネラは浮遊魔術にて富士山火口付近に飛び、そこで止まった。
「さあ……魔王の義眼よ。私の物となりなさい。あなたは私にこそふさわしい」
ベネラの言葉により、世界は一瞬揺れた。そして富士山山頂の真上に黒い風が舞い始めた。黒い風は火口の上にて丸く回転し渦巻いた。
それを見たベネラはニヤリと笑った。
「成功ね…………!」
ベネラが世界に仕掛けた魔術は世界が纏まる魔術。つまり魔王の義眼が本来の姿となる魔術だった。そしてそれは世界の終焉を意味する。宇宙の終わりである。
「ビッククランチ」
オルンが呟いた。宇宙の始まりだとされるビックバンの反対であるビッククランチは宇宙が一つの特異点に纏まってしまう事を指す。そしてそれが今、始まった。世界は一つに纏まり、特異点、つまり魔王の義眼が姿を現すのだ。
「世界の終わりを見れるなんてレアだと思わないオルン?」
「そうですね姫様」
逃げ惑う登山客の中には足を止めて、山頂の黒い風を見る者もいた。だが、山頂付近にいた登山客達は次第強くなる風に耐えることが出来ずにふと飛ばされ、風の渦に巻き込まれた。そして次第に素粒子レベルで分解され次第に大きくなる球体の黒い風に吸い込まれていった。その様はブラックホールに類似している。
「なんだあれ!? 人が吸い込まれてんぞ!」
「逃げろ!」
少しづつ吸い込む大きなる黒い球体にさらに人々は恐怖し逃げ惑う。
「人間じゃないのにやたら人間ぽいのね。ここの住人は」
逃げ惑う人々を見ながらベネラは言った。
「良く出来ていますよこの世界は。それほど魔王という者は魔術に優れていたのでしょうね」
「私とどっちが強いかったのかな。どうせなら同じ時代に生きて勝負したかったな」
黒い球体を見つめながらベネラは言った。
魔術世界最強の魔術師により世界の終焉は始まる。身勝手な行動だ。魔術会の承諾無しに始まったベネラの行動は、瞬く間に魔術会に知れ渡った。
昼下がり、ディルクの部屋にメイド姿の静乃が紅茶を用意して入ってきた。不慣れな作業に静乃はどこか挙動不審である。
「茶を入れろ、人間モドキ。リリスに教えて貰ったのだろ?」
「私は人間モドキって名前ではありません! 一之瀬静乃って名前があります」
「そうかい。さっさと紅茶を入れろ」
態度が悪いディルクに対し、静乃は嫌々紅茶を入れ始めた。
静乃が紅茶を入れる中、ディルクの元に一枚の手紙が転送され送られてきた。手紙に記されている紋章はイデア魔術会の物だった。
(緊急の手紙だと?)
さらに手紙には緊急と書かれていた。静乃はディルクの元に紅茶のカップを置く。そしてディルクは手紙を開いてから紅茶を口にしようとするが、その瞬間叫んだ。
「なんだとっ!!!!」
急に怒鳴ったディルクに静乃は驚いた。
「ひいっ!!」
「どうされました主様!?」
リリスが急いでディルクの部屋へと入ってきた。
「あのクソガキめ!!! やからしおった!!」
「クソガキ……ベネラ・エスア・オーガディアの事ですか?」
「そうだ! あの小生意気なガキめ! わし達を差し置いて魔王の義眼回収に向かいおった!」
「それってどういう?」
静乃の問いにディルクは答えた。
「お前の世界は終わりって事じゃよ……一之瀬静乃」
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