本当の世界

 神樂義家の別荘に侵入した大男の魔術師は次々飛来する罠を回避しつつ、確実に地下奥深くの研究室に向かっていた。ローブを纏ったその姿から素顔は見えないが、玄馬は身のこなしから獣人だと予想した。



「こんな事ならもっと罠を仕掛けておくべきだったか……」



 研究室で玄馬は脳裏に見える大男を見ながら呟いた。研究室には既にイリスとカーラを避難させていた。本来ならば別荘を捨てて逃げるべきだったが、大男の方が一枚上手であり既に別荘周辺には大男の使い魔と化した魔物がウヨウヨしていた。数からして守りながら脱出は不可能だった。



「まさかこんな研究が狙われるとはな」



 魔王の義眼の研究などほとんど結論が付いたテーマであり、わざわざこんな奇襲をかけてまで奪う価値などない研究である。だが、それが今こうして攻撃を受けている。恐らく帝国かにこの研究に利用価値を見出した者がいると玄馬は予測した。しかし、何の利用価値があるかは分からなかった。



(この研究に何に使うのか? 今更価値が見出されたのか?)



「玄馬……大丈夫よね?」



 心配そうな顔を見せるイリス。出産の直後の為か普段より余計に不安になっていた。



「……安心しろ。俺だってもう父親だ。妻と子は命をかけて守る」



「ご主人様。ここは私にお任せ出来ませんか?」



 カーラの申し出に玄馬は顔を横に振った。



「駄目だ。お前を失うわけにはいかない。子育ての手伝いをして貰わなければ困る」



「私が人の子育ての役に立てるとは思えません。それに先代様の借りをここで返させて頂けないでしょうか? 戦闘民族で絶滅の危機だった我が一族を救ってくださったのは先代様のおかげです」



「しかし……」



 カーラの目は真剣だった。



「我が一族の戦闘力をお見せできるいい機会です」



 戦闘民族のカーラであってもこの侵入者には勝てないと玄馬は確信していた。しかし、このまま地下深くに避難していても勝機はゼロである。大男は自分たちを殺して研究成果を奪うだろう。



「分かった。頼む」



「かしこまりました」



 カーラは一礼して研究室から出ていこうとするが、出ていく直前にイリスが声をかけた。



「カーラ……ありがとう」



「奥様。お元気で」



 そう言ってカーラは笑い、一人研究室を後にした。

 二人残った研究室の中で玄馬は言った。



「正直……あの大男は俺達三人でかかっても殺されるレベルだろう。フードでよく顔は見えないが獣人であるのは確かだ。あの白豹の顔は聞いた事がある」



 フリーランスで最強の殺し屋がいると玄馬は耳にした事があった。その殺し屋は獣人で白豹の男で、大きな男であると聞いていた。



「名は……駄目だ思い出せない。しかし、これだけは思い出せる。白豹の殺し屋が帝国最強だと」



 その時、研究室が揺れた。カーラと大男の戦闘が始まったのだ。揺れはしばらく続いたが、段々と揺れは小さくなりつつあった。



「カーラなら10分程度持たせるだろう。その間に俺の提案を聞いてくれるかイリス?」



「うん」



 玄馬は息を呑み、生まれたばかりの我が子を見ながら言った。



「その子だけでも脱出させる事が出来るかもしれない。しかし、それは大きな賭けだ」



「脱出させるってこの子一人生き延びさせてどうするの!? 赤子一人外に放り投げるつもり!? 子には親が必要よ!」



 産後の不安と追い詰められた緊張からイリスは普段の様子からではありえない様な荒い声で言った。それに対し玄馬は冷静であった。



「落ち着けイリス。外に投げるなんて俺は言ってないぞ。覚えているか? 論文の事を」



 その玄馬の問いにイリスは思い出して言った。



「モスティアージュの論文の事?」



「そうだ。5年かけて父と共に解析した結果、論文は異世界に行くための基礎理論を記した論文だと判明した」



 モスティアージュの論文の解析は文字通り難儀を極めた。玄馬の父が中心となって解析に臨んだが、父は言い伝え通り狂気に呑まれて廃人となり息絶えた。しかし、ただでは倒れなかった。玄馬にほとんどの解析結果を伝えていたのだ。最後まで完全に狂人にならずにいられた事は脅威である。



「異世界に行く為の理論がなんで義眼研究で必要なの?」



「恐らくモスティアージュも異世界の存在に気づき、そこに魔王の義眼があると仮定したのだろう。俺の結論と同じだ」



「同じって……」



「俺もモスティアージュと同じ考えだ。魔王の義眼は魔力と魔術が存在しないこの世界にあると思っている」



 玄馬はそう言うと水面に異世界の情景を映し出した。そこには東京が映り人々や車が行き交う様子が映し出される。



「魔力と魔術が存在しない世界……つまりその世界にこの子を送るって事?」



「そうだ」



「嫌よ!! 嫌!! この子と離れたくない! 生まれたばかりの赤子を手放すなんて正気じゃないわ!」



「そうだ! でも、もう選択肢はない! この子の人生が一日足らずで終っていいのか!?」



「いいじゃないそれでも! 三人仲良く死ねれば怖くないわ私! この子と死ねるなら私は……」



 これぐらいの口論ならば普段玄馬が折れる所だったが、覚悟を決めた玄馬は食い下がった。



「お前らしくないな。そうか――生まれたばかりで不安なんだな……」



 玄馬のその言葉にイリスは答えなかった。



「それが母親になった証拠なのだろう。子と離れたくない……生まれたばかりの子ならなおさらだ。でも、イリス。俺はその子をどうにかして生き延びさせてやりたい。俺もお前の気持ちは分かる。でも、一番悪い選択を選ぶのは間違いではないか? 最悪の状況の中なら最善の選択をするべきだ。俺の妻イリスはそんな最善の選択をする女だったはずだ。違うか?」



 その玄馬の言葉を涙を流しながらイリスは聞いた。抱いている赤子はスヤスヤと寝ていた。その頬に母の涙が落ちる。



「…………いつもならあなたが折れているのにそこまで言うって事はそれほど本気なのね?」



「ああ。俺は最善の選択を選びたい」



「……確かに私らしくないかもしれない。クラス一前向きだと言われた私なのにね」



「クラス一ではなく学園一じゃなかったか?」



 その玄馬の言葉でイリスの脳裏に学生時代が思い出された。



「そうだったかしら?」



「そうだったよ。そして一番明るい人だった。暗かった俺を変える程、イリスは明るく元気な人さ」



「そう…………私の長所は明るくて元気な所! 不安と恐怖ですっかり忘れていたわ」



 イリスは涙を拭い、笑顔で言った。



「やりましょう玄馬! この子には生きてほしい!」



「ああ、そうだ。やるぞ!」



 カーラはついに敗れた。地下通路の壁に強く叩きつけられたカーラのメイド服は血に染まっていた。



「申し訳……あり…ませんご主人さま…方……カーラはここまで……のよう…」



 朦朧とする意識の中、小さな声でカーラは一人呟きながら息絶えた。 

 大男は感知魔術にて地下深くに高い魔力を感知し、走り出した。



(研究の成果を処分される前に殺さなければ)



 基礎理論から構築した異世界に向かう為の魔法陣を玄馬は書き終えた。黒い衣を赤子に纏わせたイリスは悲しみを堪えながら愛しい我が子をその魔法陣中心部に置いた。



「やっぱり……私」



「カーラがやられた。もう時間がない。奴はまっすぐこちらに向かっている!」



 監視魔術にて大男がこちらに向かっているのが玄馬には見えている。



「最後まで語り掛けてやろうイリス」



「うん」



 魔法陣の外円に対になる様に立った二人は魔法陣に魔力を送る事を始めた。基礎理論から導き出したこの魔法陣は取り敢えず使える程度で粗削りというべきレベルであり大量の魔力を必要としたのだ。送り先の地点もランダムであり、まさに賭けであった。



「……ごめんね、名前をちゃんと決めてなくて。お父さんといろいろ考えたんだけどこれだって名前がなくて……」



 光り輝く魔法陣に照らされながらイリスは再び涙を流し始めた。大粒の涙が頬を流れる。



「ごめんね。一緒に……一緒にいられなくて……もっと居たいのに、居るべきなのに……不甲斐ない両親でごめんね」



「お前をよく分からない異世界に飛ばす事を許してくれ…………もう俺達にはこれしかなかった、ごめんな。願わくばいい人に拾われる事を願う。お前の成長を見届けたかった…………それができない親で本当に……本当にごめんな!」



 魔法陣の光が一層強くなり、それに驚いた赤子はついにオギャーオギャーと泣き出した。それを見てつい抱き上げようとイリスが一歩出ようとするが、寸前で押し留まった。



「もう少しで飛ばせる! がんばれイリス」



「うん……! いい子にしてね……! おねしょとかしてもいいからいっぱい食べて飲んで大きくなりさない! 早寝早起きで健康でいてね! それと…」



 言いたい事は山ほどあるが、イリスは嗚咽でうまく声が出なかった。



「元気でね…………」



 それが最後の言葉だった。赤子は泣きながら魔法陣の中心から一瞬で消えたのだった。魔術は一応の成功はしたが、二人には悲痛な思いしか残らない。

 イリスは泣き崩れた。



「来るぞ……」



 玄馬が言った通り扉が勢いよく破壊され、ローブの大男が研究室に入ってきた。



「一体、誰の差し金だ?」



 玄馬が大男に問いかけた。



「知る必要はない。お前達はここで死ぬのだから」



「そうか……だが、俺達の研究は渡さない!」



 玄馬は魔術を使い、研究室に火をつけた。一瞬にして炎に包まれる。



「貴様……」



「遅かったな……」



 ローブの端から鋭い爪を見せる。玄馬はイリスを立たせる。



「刺し違えてもお前を倒す!!!」



「やってみろ!!」






































 「それが俺の両親の最期なのか?」



 最初、食い入る様に聞いていた圭吾は最後辺りで悲し気な表情を見せた。つまり生みの親はもういない。殺されたという事だ。予想は付いていたが、やはり悲しさはあった。



「そうじゃ……お前の両親はお前をあの世界に飛ばし、そして運良く橘夫妻にお前は拾われた。賭けに勝ったのじゃよ」



「それにしても駆け落ちされた後の事もよく知っているな? 何故だ?」



「わしはこの共和国でも指折りに入る魔術師じゃぞ? 使い魔の数匹を孫夫妻の周囲に侍らせておくなど容易いわ」



「それってまさか本当は助けられたかもしれないって事じゃないのか?」



「使い魔がいくらいてもあの状況は覆らなかったわい。それに言う事を聞かぬ孫にそこまで世話を焼く気にはならなくてな……」



 そのディルクの言葉に圭吾は拳を強く握った。



「それって見捨てたって事じゃねぇか!?」



「大声を出すな耳が痛いわ。わしは当時から高齢なんじゃよ。あまり老人に無理させんでくれるか?」



「高齢って…………じゃあ、今何歳なんだ?」



「120歳以上と言っておくかのう……」



 圭吾は曾祖父が魔術にて延命しているのではないかと疑った。共和国屈指の魔術師ならば不思議ではない。



「延命でもしてんのか知らないが、不老不死の研究でもしているのか?」



「それを教える義務はない。さてと……話の三つのうち、一つはこれで終わりじゃ。これから二つ目を話すぞ」



「もっと両親について聞きたいんだが?」



 ディルクは部屋の壁を指した。そこには何枚かの写真が額に入れられて飾られていた。そこには玄馬とイリスがツーショットで写った物もあった。



「これが俺の両親か?」



 初めて見る実の両親の姿を圭吾は壁に近づき食い入る様に見た。



「お前は父親似だが、目は母親似のようじゃの。魔眼にそれがよく出ているからのう」



 褐色肌の少年と青い長髪の少女がそれぞれ引きつった笑顔と万遍の笑顔で写っていた。学生時代に撮られた写真だと制服姿から憶測できる。



「さてと……圭吾。これからが重要じゃ。二つ目の話をするぞ」



 圭吾はディルクの前に戻った。



「二つ目の話とは何だ?」



「…………そうじゃのう――お前は魔王の義眼について知っているか?」



 思いがけない問いに圭吾はあっけにとられるが、答えた。



「知っている……この世界の伝説である七人伝説の後編にて出てくる魔王が造り、その右目に宿した義眼の事だろ」



 七人伝説とはこの魔術世界で世界各地で語り継がれている説話である。古代、悪の根源と呼ばれる存在が猛威を振るい、多くの人や国を苦しめた。悪の根源に対し人々は討伐に何度も向かうも返り討ちにされ、誰もが諦めかけた時、予言の子が生まれる。それが『マリサ』。後に聖女と呼ばれ、勇者リヴァルと結ばれて聖母とも呼ばれる女性である。マリサが旅の中選定した7人は皆才能と勇気溢れる若者達であり、七人は協力して世界の片隅に追い詰めた悪の根源の破壊に成功する。それが前編である。

 そして後編は討伐成功から約20年後、東の大陸にて突如現れた魔族と魔物の長、つまり「魔王」が人類に対して宣告する所から始まる。七人は再び集まって魔王と戦うが苦戦を強いられ、都の決戦にてリヴァルが魔王を討つまでの話が後編である。その前後編を合わせて七人伝説と呼ばれる。



「この世界じゃ誰もが知っている話だろ。俺の世界じゃ何かテレビゲームに出てくる様な話だ」



 圭吾にとって七人伝説は架空のお話し程度の認識である。日本神話やローマ神話、北欧神話と同じ様な物であり、架空の話、つまり作り話だと思っている。



「そうか……やはりお前もその程度の認識なのじゃな」



「当たり前だろ? この世界の誰だって七人伝説は架空の話だと思ってるだろ」



「それが…………本当だとしたら?」



「はっ?」



 この老人は何を言ってるのかと圭吾は思った。



「何を言ってる。七人伝説は神話とかおとぎ話の類だろ? この世界の歴史ではない」



「一週間前までわしもそう思っていた。思い込んでいた。だがな……とある組織がそれを覆す大発見をしたのじゃよ」



「まさか……」



「そうじゃ……‘魔王の義眼’じゃ。あれは実在したのじゃ」



 圭吾は驚愕する。イデア魔術会が探し求めていた魔王の義眼が実在するなど思いもしなかったからだ。

 森羅万象の目、万物の目、全てを知る義眼など数多くの異名を持つ魔王の義眼は魔術歴史学において長らくその存在の有無について研究され続けてきたが、100年前以上から存在しないという結論が多く出されており、現在でも‘存在しない架空の義眼’と言うのが一般論である。



「イデア魔術会だな! あいつらはどこで見つけたんだ!? やはり俺の世界か!?」



「落ち着け圭吾よ。まあ、お前の言う通りだなある意味」



「ある意味とは何だ……?」



「具体的に言うと…………魔王の義眼はお前の世界をどこを探しても無かった。魔術会はあらゆる手段を使い、それこそ宇宙の果てまで調べたが魔王の義眼は見つからなかった。何もできなかった奴らはそこで見方を変えたのじゃ」



「見方だと?」



「最初に気づいたのは東京を侵攻した者だ。帝国において医師をしていた男……」



「ロイットか!」



「そうじゃ。ロイットは一応記録においては最初に魔王の義眼の所在について勘付いた者として記録された。まあ、魔術会には侵攻作戦の失敗の責任を問われてあんな哀れな最期だったがな」



「ロイットが気付いた事とは何だ?」



「それはこちらの世界とあちらの世界があまりにも似ているという事じゃ」



「似ているか……確かにな」



 スケールが違うが、暦や星の公転周期や自転速度、人種などがが一部類似しているのは圭吾にも分かっていた。魔物、魔族、魔力、魔人が存在しないが物理法則がほぼ同じなど、基本的には似ている世界である。



「どうして似ているのか調査する為にロイットは志願した部分があるかもしれん」



「この世界と似ているという事が魔王の義眼の有無とどうつながるんだ?」



「まあ、組織はこう考えた。神がいて似て作ったとな」



「はっ?」



 圭吾は呆れた声を出した。



「神じゃよ神。お前らの世界にも宗教はあり、神を信仰している者も多いじゃろ?」



「バカにしているのか? 神だと? 魔術師達が集まってそれが結論かよ」



「組織の一会員が言い出した戯言じゃよ。似てる世界が二つあるだけで神の証明など浅はかじゃ」



「そうだ。ならば組織はどういう結論を導き出した?」



 その問いにディルクは笑みを浮かべた。その笑みは不気味だった。



「組織…………つまりイデア魔術会が出した答えとはお前がいた世界は‘魔王の義眼が作り出した世界’じゃ」



「…………なん……だと?」



 圭吾の目は丸くなり、しばらく思考が停止した。驚きは隠せない。



「お前が20年過ごしたあの世界は魔王の義眼が作り出した世界だという事じゃ。つまり嘘の世界。‘仮想世界’だと言えるのう」



 圭吾にはその言葉が信じられなかった。今まで住んでいたあの世界が偽物。信じられない。



「嘘だろ! そんな! ありえないだろ! だって魔王の義眼は魔王の魔術にて作り出された代物だと言い伝えられている! だが、現代魔術の常識では宇宙を完全にシミュレーションするなんて不可能だ!」



 一個人が持って生まれる魔力量の問題から宇宙を丸ごとシミュレーションする事が出来ない事は現代魔術の常識なのである。



「もちろんその意見は組織内でもすぐに出たらしい。だが、事実なのだ。数多くの観測の結果、そうとしか考えられないという結論しかでないのじゃ」



「つまり魔王の義眼は現代の常識から外れた存在なのか? 確かに伝承では強力で恐ろしい存在だと言い伝えられているが……」



「その件に関しては複数の仮説が立てられた。その一つにこの世界には呪いがかけられており、生まれてくる者は全て魔力量を抑えられて生まれてくるというのがある……」



「なんだその仮説は……神の魔術でもあるみたいな言い回しだな」



「神の魔術か…………もしかしたら古代の魔術は現代魔術より遥か先にいっていたのかもしれん。だが、行き過ぎて大きな災いを招いた。それを憂いたとある者が世界のルールを書き換えたかもな」



「世界の法則を書き換えるだと…………そんな神の魔術が信じられるかよ! 俺は信じないぞ!」



 圭吾の目は断じて信じないという目だった。しかし、ディルクは呆れた様子で言った。



「残念ながらそれが事実なのじゃ圭吾よ」



 ディルクはそう言って机の引出しから書類を出し圭吾の足元へと投げた。



「それがイデア魔術会から横流しで手に入れた魔王の義眼について資料じゃ。多くの客観的観測結果からお前のいた世界は仮想世界だと証明されている。この発見は世紀の大発見じゃ。しばらくして世間に公表するらしいが、誰が言うのじゃろうな」



 もう圭吾には半分ぐらいしかディルクの話は聞こえていなかった。それほど信じたくないのだ。圭吾は力なく書類を手に取り、めくり読み始めた。



「……どのデータも確かに魔術的反応を示している…………だが、信じられるか! あれが仮想現実だと! あの世界はどう見ても現実だ! 俺が20年も嘘の世界にいたなんて嘘に決まっている!」



 圭吾は手に取った書類をゴミを捨てるように床に捨てた。



「お前はシミュレーテッドリアリティやシミュレーション仮説を知っているか? これらの単語はこの世界でも通用する言葉だ。こちらでも古い時代からある考えで、さほど珍しくない」



 シミュレーテッドリアリティとは現実と区別がつかないシミュレートを指す単語であり、シミュレーション仮説とは自分が住んでいる世界は仮想世界ではないかと考えた仮説である。



「それがなんだ! 俺の世界は現実だ」



「違う。偽物のまがい物じゃ。レプリカ、もどき、模造品の類じゃな」



「違うっ!!!!」



 その圭吾の叫びにディルクは呆れた顔を見せてため息をついた。分からせる為に圭吾の左を目を指差した。



「ならば身をもってその目で確かめると良い」



 ディルクのその言葉により、ルディルスの眼は勝手に起動した。雪華模様が瞳に浮かび上がった。



「そのルディルスの眼で‘あの娘’を見ると良い。わしが区別できる様に今細工を施した」



「何……?」



「わしをその眼で見ていると、魂の様な物がわしの胸に見えているじゃろ? それが本物の人間という証拠じゃ」



 ディルクの言う通り、人魂らしき物が蠢いているのを圭吾は見た。



「あの娘をこの部屋に呼んでやる。我が身で感じろ。あの世界の真実を」
















 






 
















 「どうしたのよ橘? すごく怯えた顔してるけど?」



 状況が一切分からない静乃は圭吾の怯えた顔を見て少し不安と心配になった。部屋の奥で机に座る老人がニヤニヤしながら自分を見ている事に静乃は気づき、不愉快になる。



(何、私を見てニヤニヤしてんの? エロオヤジなの?)



「どうだ圭吾よ。これで信じられるか?」



「……一之瀬はつまり」



「そう。本物の人間ではない。お前達の世界の言葉ならばボット、オートマタ、NPCと呼ばれる存在だ。さらにそちらの哲学者達らに言わせれば行動的ゾンビとなるかな」



「ゾンビって……私、腐ってないわよ!」



「そういう意味じゃない!!」



 急に怒鳴った圭吾に静乃は驚き怯えるも、言い返した。



「何よ急に怒鳴って! 何にびびってんのか知らないけど、分かる様に説明してよ」



「この人間モドキはやたら気が強いな圭吾よ。リリス以上に感情豊かで人間臭いとは高く売れそうじゃ」



「クソジイイ! てめぇ、何を考えてやがる!」



「これは大きなビジネスじゃ圭吾よ。無力体質の者が70億人以上。しかも、こちらの世界に連れてきても存在になんら支障はないときている。70億人の奴隷じゃぞ。とんでもない金が手に入るチャンスではないか? 他にも利用価値があるだろう」



「ジイイ……てめぇの本当の目的って」



 ディルクは不快な笑みを続ける。



「お前の思ってる通りじゃ…………魔王の義眼が生み出し続けている天文学的な莫大な魔力を野放しなどありえん! 利用するに決まっておろう! それが我々‘イデア魔術会’の答えなのじゃ!」



 そのディルクの言葉でようやく圭吾はこの老人がイデア魔術会の会員であると気づいた。気づくと同時に懐に隠していた刀を取り出し鞘から引き抜こうとしたが、それを見抜いていたディルクはルディルスの眼を用いて電撃を圭吾に浴びせた。



「ぐあっあああ!!!」



「橘!」



 膝をついた圭吾に静乃は駆け寄る。



「大丈夫!?」



「ぐっ……」



「無駄じゃ。それを与えたのは誰だと思っている?」



「ジジイ…………俺を騙していたのか!? 20年も!」



「人聞きの悪い事を言うものではない。言わなかっただけじゃ。大体イデア魔術会と対立し生き残っているなんて不思議に思わんかったのか?」



 圭吾はそう言われるまでイデア魔術会を甘く見ていたのだ。対抗できる組織であると思い込んでいた。しかし、違った。最初から魔術会に利用されていたのだ。ディルクの手引きによって生かされていただけであった。



「わしは五人幹部の一人でな。どちらかと言えばハト派なんじゃよ。タカ派の連中より先にお前たちの世界の存在に早く気づき、20年かけて観測し研究したがめぼしい成果はなかった。20年も何とか隠していたのじゃが、ついにタカ派の奴らに気づかれしまってのう。今の状況となったわけじゃ。情けない話じゃ」



 そう言ってディルクは残念そうな表情を見せた。



「まあ、これからどう魔術会内で利益を配分するか話し合う予定じゃ。だが、わしは長年隠していたツケで立場が弱くてのう。できる限りうまく交渉して利益は増やしたいものじゃ」



「幹部? 利益? 交渉って? ねえ橘、一体なんの話?」



 静乃は蚊帳の外である。



「どうして母親がジイイから逃げたのか今、分かったぜ…………」



「ほう、言ってみよ」



「そういうエゴイストな所だよ!! こちらの世界の犠牲も損失も何も考えてない所が腹が立つ! 何様のつもりだクソジジイ!!!!」



 その圭吾の言葉はディルクを怒らせるのには十分だった。ディルクは再びルディルスの眼で電撃を圭吾を浴びせた。今度は先ほどより強めである。



「ぐあぁぁぁぁ!!!!」



「橘!」



 圭吾の体は痙攣し、今度はうつ伏せに倒れた。



「何様だと…………それはこっちの台詞じゃ。仮にも師匠に向かってなんじゃその口のきき方は? 弟子ならば師の意向に刃向かうな」



「ねぇ! さっきから酷いわよ!」



 突然の静乃の言葉にディルクは少し驚いた。



「何?」



「あなたは橘のおじいちゃんなんでしょ!?」



「まあな。正確には曾祖父じゃがな」



「だったらもっと優しくするべきじゃないの! さっきから電撃浴びせているけど、そんなことが祖父が孫にしていい事なの!?」



「ほう……言うな小娘。これは我がスルク家の問題じゃ。身内の問題に部外者が首を突っ込むな小娘」



「嫌よ! だって橘は私の命の恩人なのよ! 恩人がいじめられているのを黙って見てる人間じゃないのよ私は!」



 その時の静乃は圭吾から見るとやたら頼もしく見えた。



「ならば代わりに受けるか? 電撃を受け耐える自信でもあるというのか?」



「えっ!?――――正直、痛いのはごめんよ! でも、やめなさいよ!」



「ガハハハッ!! おもしろい娘じゃ! 気に入った! わしがもっと若ければ口説いていたかもしれんな!」



 笑い声を上げ笑うディルクに対し静乃は口説いてたかもという言葉で恥ずかしくなり赤面した。



「だがな…………人間モドキに説教されるなど虫唾が走るわ。死ね!」



「やめろぉ!!!!」



 次の瞬間、静乃の体は吹き飛ばされ、背後の壁に強く叩きつけられた。



「きゃあ!」



 凄まじい痛みに静乃は大きな悲鳴が出なかった。



「ぐあっ……」



 静乃は殺されはしなかった。しかし、口から血が出た。



「はあはあ……」



「殺しはせんよ。まあ、またおもらしでもして貰おうかな?」



 静乃はディルクの目を見て、戦慄が走った。背筋がゾッとして一気に恐怖に駆られた。



「……その目は!」



「そう……お前が宿していた左目じゃ」



 ディルクの左目はかつて圭吾が東京危機(トウキョウクライシス)にて開眼し失った増幅の魔眼だった。義眼と取り換える形でリリスにより取り出された目であったが、今は回復されディルクの新たな目となっていたのである。



「どこまで身勝手なんだ……ジイイ!」



「さすが身内の目じゃ。よく馴染んでよく見えるわい」



 そう言って笑みを浮かべたディルクに圭吾は憎悪しか抱かない。



「さてと……この話はするべきか?」



 圭吾は痺れる体ながらなんとか立ち上がった。しかし、まだふらついている。



「どうせロクな話じゃないんだろ?」



「ロクな話というよりもお前にはさほど関係ない話じゃな」



「一体、何の話だ?」



「魔王の義眼の作られた目的…………真の目的じゃよ」



「真の目的だと?」



「そうじゃ。それと三つ目の話はお前たちに大いに関係するぞ」



 圭吾はこれ以上酷い話は聞きたくなかったが、それを知ってか知らずかディルクは話始めた。



「今日でお前達の旅は終わりじゃ…………そしてその娘の呪いを解いてやるわい」





































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