ガルディスト

 ガルディスト帝国地方都市の一つアスナリト。比較的人間種多いこの町でも無力体質である人間の奴隷売買は行わていた。市場は小汚い人間達で溢れかえり、少数の売人かと思われる魔人魔族が首枷に繋いだ鎖を引く。

 ここでは魔力皆無の人間は家畜かもしくは以下である。



(酷い……)


 

 静乃は奴隷達を横目で見ながら思った。

 市場の横を通る若い男女の二人組。圭吾と静乃はデュカ達と別れて一週間が過ぎていた。今いる場所はすでに帝国領内の街だ。全て灰色の西洋風の建物が連なる街並みのアスナリトはどこかさびれている雰囲気を醸し出していた。



「ここじゃこれが普通だ。気にするな」



 圭吾が小声で言った。フードで顔を隠しているとはいえ、人間に対し軽蔑の眼差しを向ける魔族に顔を晒すのは危険だ。いつ拉致の対象や喧嘩を売られるかわからない。



「おい。そこの人間」



 圭吾の前に一人の魔人が立ちふさがった。犬の獣人種の者だった。



「人間くせぇんだよ。風呂ぐらい毎日入れよな。それとこの市場に何の用だ?」



「これはすまない。風呂が毎日入れないのでね。それとここを通らなきゃ訪ねたい所に行けないのでね」



 そう圭吾が言っている間にも、二人の周囲に魔人達が集まった。囲まれた。



「そうか……そりゃーすまねぇな人間。でもよ。ここは奴隷市場。人間が気安く通っていい場所じゃねぇ」



 無論、そんなルールはないし法律もない。彼らは単に生意気な人間が嫌いなだけだ。自分たちの縄張りに女連れの人間の男など特に気に食わないのだ。



「そんな話は聞いていなかった。しかし、どうしてもここは通らないと行けないんだが?」



「はぁ? 話が分からなねぇ奴だな! なんなら」



 犬の獣人が圭吾の胸倉を掴もうとした瞬間、圭吾の左目と目があった。ルディルスの眼。起動した証である雪華模様と目が合う。



「てっ……てめぇ!」



「通してもらおうか?」



 圭吾はただ見つめた。それに怖気ついた犬の獣人は下がった。



「てめぇら下がれ」



「はぁ? どうしたケキル?」



「いいから下がれ!」



 犬の獣人はリーダー格だった。圭吾の魔術師としての実力を知ったからには太刀打ちはできないと悟る。魔人達は二人から下がり、二人は再び歩き始めた。



「はぁ……怖かった」



 聞こえない距離まで来ると小声で静乃が言った。



「やはり帝国は魔族の国だな。人間は基本弱者の認識だ」



「そうみたいね。首都に近づく程に魔人達が威張ってる印象だわ」



 帝国は魔族の国。帝国に入るまで圭吾から散々説明された静乃だったが、予想以上に魔族至上主義が蔓延っている事に落胆は隠せない。



(もし橘と逸れたらどうなるんだろう?)



「分かっているだろうが、俺から絶対に離れるな。何があってもな」



 静乃の気持ちを察した様な言葉を圭吾は言った。



「分かってる。それより今日はついに呪いが解けるかもしれないんだよね?」



 旅の目的。それがついに今日達成できるかもしれなかった。一之瀬静乃のドラゴン化の呪いの解除だ。



「ああ。この街には世界一の解呪師がいる。古今東西あらゆる呪いを解くことが出来る魔術師がいると」



 解呪師。名の通り魔術の呪いを解く事を専門とする魔術師である。数世紀前、とある戦争で敵将に呪詛をかけるのが流行した。その際、呪詛魔術を研究していた魔術師達が駆り出されたのが始まりだとされる。解呪師は呪詛を解く事だけではなく、逆にかけたりかけ返す事も多い。



「ララ・ファルコット。世界一の解呪師と言われる魔女だと聞いている」



 魔女。静乃のイメージとしては老婆の魔女が浮かぶ。



「魔女って言えば悪巧みしてそうなイメージだわ」



「この世界の魔女は女性の魔術師の俗称で、俺たちの世界とあまり意味は変わらない。別に魔女だからってずる賢いとか悪いイメージを持つなよ。そういうのはこちらの世界のイメージなのだからな」




「分かったわよ」



 静乃はやや不機嫌そうな返事をした。

 二人は奴隷市場を過ぎて食品を売買する市場へと入った。市場は魔人や獣人達でごった返していた。人間も何人がいるが、圧倒的に魔族が多い。

 混雑の中をかき分けながら二人はとある露店の前で立ち止まった。そこには魔女のイメージ通りの老婆が一人椅子に座っていたのだった。帽子はかぶっていないが、黒いマントを身に纏い、杖をついていた。



(まんま魔女じゃん!)



 静乃は内心そう呟くのであった。



「あなたがララ・ファルコットか?」



 圭吾の問いに老婆は耳を傾けた。



「ええ? なんだって?」



「ララ・ファルコットと聞いている」



 少し大きな声で圭吾は言った。それに対し老婆は頷いながら言った。



「ああ~お客さんかい」



 老婆はそう言うと、立ち上がり店の奥へと歩き出した。圭吾達について来いというジェスチャーを見せた。



「行くぞ」



「……うん」



 何か胡散臭いと静乃は思いつつ、店内へと圭吾と共に足を踏み入れた。店内には不気味な品物のオンパレードだった。とある魔物の剥製、得体のしれない何かの眼玉、薄気味悪いお人形など悪趣味な物ばかりが棚に陳列していた。

 老婆が向かう先には一つの部屋があった。老婆に案内されるまま圭吾達がその部屋に入るとそこは書庫であった。それほど大きな書庫ではないが、中央には机とソファーがあった。そしてそのソファーには毛布と本に埋もれた人らしき物が蠢いていた。



「起きろクソババア!」



 突如大きな声で叫ぶ様に言った老婆に圭吾と静乃は驚いた。



(あなたがララさんじゃないの!?)



 驚きつつも静乃は内心そう思うのでった。



「誰がクソババアだ! クソ使い魔!」



 毛布と本に埋もれていた人らしき物が突如起き上がり、本を老婆に投げつけた。その本は見事老婆の顔にクリーンヒットし、使い魔が化けていた老婆は白い煙と共に元の姿へと戻った。



「ねっ猫?」



 老婆の正体は白い猫であった。ただ普通の猫とは違う。尻尾が二股に分かれていた。日本の妖怪猫又によく似た猫である。



「何がババアよ。てめぇより超若いわ!」



 毛布と本の下に埋もれていたのは少女であった。寝癖だらけの灰色のショートヘアーに眼鏡、ブレザーとミニスカを着込んでいる少女は寝起きの様だ。



「たく。いい加減主が変わった事理解しなさいよね。まさかあんたもボケてんじゃないでしょうね」



 頭をボリボリ掻きながら少女は呟く。圭吾達の存在には気づいていない様だ。



「おい」



 圭吾が声をかけた。



「えっ? 何……はっ? あんたら誰? 何、勝手に入って来てんの?」



 眠そうな眼を圭吾達二人に向ける。



「案内されて来たんですけど?」



 静乃が言った。



「えーあー、そっか! 私、店で寝ちゃったのか! アハハハハ!」



 一人笑う少女に二人は唖然としていた。



「って!!! 何やってんの私! 年頃の女の子がこんな所で寝ていいわけないでしょうが!」



 頭を抱えながら少女は机に頭を付けた。悶えている様だ。そして頭を上げると静乃に聞いた。



「ねぇ……お姉さん。若い10代の女の子がこんな所で寝ていいと思う?」



「えっと……」



 返答に困る静乃。しばらく考えた後、言った。



「疲れてたんじゃしょうがないかも?」



「残念ながら別に昨日疲れる仕事なかったんだ! 完全に本に夢中で家帰るの疎かにしたのよ! 笑うしかないわ! アハハハッ!」



 一人笑う少女に静乃はただ苦笑いするしかなかった。



「お前がララ・ファルコットか? 聞いていたより随分若いが」



 笑う少女に圭吾が訪ねた。すると少女は突然笑いを止め、真顔で言った。



「違うわよ」



 突如真顔になったのを静乃は驚いた。



「ここだと聞いて訪ねて来たんだが?」



「確かにここはララ・ファルコットの店よ。でも、お祖母ちゃんはもう床に伏せってるわよ」



「お祖母ちゃんと言う事は、お前は孫という事か?」



「そうよ。私はロラ・リル・ファルコット。祖母ララ・ファルコットの孫であり、弟子よ」



 そういうとロラはソファーに座った。そして足を組み、偉そうに見せた。



「ならばララ・ファルコットを紹介してくれないか? この女の呪いを解いてほしいんだ」



「それは無理ね。さっきも言ったけどお祖母ちゃん起きれないし、ボケちゃって魔術なんて危険よだから無理ね」



「何……だと」



 圭吾は落胆した。頼みの綱が切れた。これ以外に静乃の呪いを解く方法など知らない。分からない。



「残念だけどもうお祖母ちゃんは解呪師として働けないわ。二日前もお祖母ちゃんを訪ねてきた人もいたけどあなたみたいな顔して去っていったわよ。まだ噂は広まっていないようね。まあ、まだお祖母ちゃんが起きれなくなって半月だししょうがないか」



「じゃあ誰かいい解呪師を紹介してくれ」



「紹介って……お祖母ちゃんを頼るぐらいでしょ? 相当な呪詛魔術なんじゃ? だとしたら紹介しても治せる人なんていないって思った方がいいわよ」



 ロラの言う通りである。ララ以上の解呪師は聞いた事が圭吾はなかった。



「確かにな……」



「残念だけど諦めて……いや、私が見てあげようか?」



「何?」



「こうみえて私も解呪の教えはお祖母ちゃんから教わっているの。まだお祖母ちゃんレベルではないけれどどんな物かぐらいは分かるわ」



 ロラの提案に圭吾は失礼と思えるため息を見せた。



「そうか……しかし、見た感じ俺より魔術の腕は劣っていそうだが?」



「失敬ね! これでもあなたの左目が義眼だって一目で見破ったわよ。舐めないでよね」



「その程度じゃな」



 少し怒って頬を膨らませるロラに見て静乃が圭吾に言った。



「ちょっと橘失礼でしょ! 見てくれんだからお願いしようよ」



 圭吾は納得していない様子を見せたが、勝手に部屋にあった椅子に座ると足を組み言った。



「好きにしろ」







































 「ほほう。これは見たことがない呪いね」



 ロラは感心しながら露になった静乃の背中を凝視する。静乃の背中にあるのは緑色の竜の紋章である。竜化の呪い。かけられてた者は定期的にドラゴン化する呪いである。



「古代ラティン語にデュラシュ語が組み合わさった様な魔術文字が見えるわね。だとしたら帝国式……? いや、これは神聖式の式にも見えるし」



 ロラは一人ぼそぼそと呟いた。何を言ってるのか静乃は分からないが、圭吾は理解出来る。



「そうだ。帝国式だと思ったら神聖式が紛れ込んでいる。こんなタイプは見たことがない。それに古代文字が魔術式に使われている時点で難解だ」



「確かに古代文字を使われると現代魔術師はお手上げでしょうね。でも、私なら……」



 自信ありげに言うロラに対し、圭吾は期待を募らせた。その間に静乃は服を着た。



「まさか分かるとでも?」



「えっと…………残念! 私も現代魔術師なんで意味不明でーす!」



 誤魔化す様に笑い言ったロラに対し再び圭吾はため息をついた。



「ほらみろ。やはり俺の予想通りだな。無駄に期待させるな」



 きつい言葉をかける圭吾にロラは涙目になった。それを見た静乃は言った。



「ちょっと女の子泣かすなんて最低!」



「情けねぇな。何泣いてやがる」



「あのね橘」



「何よ! あんたも分かんない癖に偉そうに! こんな呪い誰もこの世界じゃ解けないわよ!」



 涙目ながらも言うロラに静乃は気まずくなった。



「ごめんね。こいつ偉そうにするの好きみたいなの」」



「そうみたいね! あなたもよくこんな奴に付いていくね」



 我ながらそう思ってしまう静乃であった。



「大体あなた達ってどういう関係? 夫婦っていうか恋人には見えないけど」



「俺の失態で呪いをかけられた。だから責任を持って解呪してやろうって話だ」



「ふーん。でさ……誰に呪いをかけられたの?」



 そのロラの言葉に圭吾は気が付かされた。



「誰にって……こちらに侵入した魔術師……」



 次第に小さくなった圭吾の声にロラは耳を傾ける。



「はぁ? 何? 聞こえない!」



 泣かされた腹いせに大きな声でロラは言った。



「そうか! 俺は思い込んでいた! お前に呪いをかけたのは潜入した正体不明の魔術師だと思っていた! ロイットだ! 奴にかけられた可能性もある!」



「ロイット?」



 ロイット・バン・クリント。東京危機(とうきょうクライシス)を引き起こした魔術師であり、東京を地獄に変え圭吾達を苦しめた男だ。



「ロイットってまさかあの男?」



 静乃の問いに圭吾は頷いた。



「ロイットって誰よ?」



 ロラの問いに圭吾が答えた。



「ロイット・バン・クリントだ。俺達の街を攻め込み大勢の人を殺した男だ。最後は俺と戦い自爆したがな」



「ロイット・バン・クリントと言えばこの国の専属医師よ。 最近、行方不明だと聞いたけど死んでたのね」



 ロラの言葉に圭吾は驚いた。



「ロイットが帝国の専属医師だと!?」



「何? 知らなかったの?」



 泣かされた腹いせに馬鹿にしている様な笑みをロラは見せる。



「そっかー知らなかったのかおにーさん! いや~意外だな~」



 勿体ぶるロラに圭吾は少し苛立った。



「勿体ぶってないで教えろ!」



「それが教えてほしい態度かな~?」



「お願いロラちゃん。私は少しでも呪いを解ける方法が知りたいの」



 静乃の真剣な目付きにロラは押され仕方ないなという顔で説明を始めた。



「ロイットは帝国の専属医師の一人よ。医者としての腕は確かで病の王族を治した実績も持ってる魔術医師だったけど、裏ではとんでもない事をしているって帝国魔術師達の間では噂だった。なんか食人魔物の研究をしてるとかしてないとかって話だったかな……」



 それは噂ではなく事実だ。東京危機にて製造した人造グールを大量投入、東京の住まう人々を恐怖のどん底につき落とした。

 圭吾の神妙な面持ちからロラは悟る様に言った。



「その顔じゃ食人魔物は本当の話だったようね。それにロイットにはあの有名な秘密結社に関わっているとも話もあったわね」



「それってグロリア教団?」



 静乃が言った。



「よく知ってるわね。でも、それは時代遅れの呼び方。今はイデア魔術会よ」



 イデア魔術会。圭吾も最近聞き慣れつつあった名前だった。古き時代から魔術世界に存在し、歴史の転換期、多くの事件、事故に関りがあると言われる魔術師達の秘密結社。こちらの世界のフリーメイソンやイルミナティと相違ない物だと最初聞いた時圭吾は思っていたが、ここ最近の出来事で実在して間違いないと確信している。



「どうやらイデア魔術会も実在するっぽい様な顔ね。でも、それ以上言わなくていいわ。そういう秘密結社に関わるとろくな事にならないって決まっているから。教えないでくれる」



 秘密結社との関りはろくなことにならないんだと聞き、それに関わってしまっている私達はどうなんだろうと思うのであった。



「それじゃロイットの事をもう少し教えてくれ。もしかするとこの呪いは奴による物かもしれないからだ」



「どういう事?」



 圭吾の言葉にロラが問う。



「静乃は戦いの最中奴に捕まり人質となった。人質となったしばらくの間は気絶していたらしくその間に呪いをかけられた可能性は大いにある」



「なるほどね」



 ロラは納得した態度で頷いた。



「でもロイットが呪いの魔術を使うって話は聞いてないわね。魔術会が提供したなら話は別だけど」



「とにかくだ。ロイットがこの帝国の専属医師だと言うなら話は早い。帝都に向かう」



「橘? 帝都ってまさか?」



「ガルディスト帝国の首都『ガルノア』に向かう。もう呪いを解く手がかりは奴の研究所ぐらいだ」



「ちょっとまさかと思うけど研究所に侵入する気? 正気なの?」



 ロラが訪ねた。



「さあな。ただ、俺たちの旅が徒労に終わるのは勘弁だ」



 圭吾の顔はやるつもりである。帝都の公共施設に侵入するなど危険極まりないが男としてロマンがある。



「私はもう何も聞いてないからね! 何も聞いてない」



 ロラは耳を塞いで言った。危ない事に巻き込まれたくはない。



「行くぞ一之瀬。帝都は馬車で数時間で着く」



「ちょっと待ちなさいよ。包帯巻くの手伝ってよ」



 包帯を巻こうとする静乃にロラが手伝う。



「あっありがと」




「言っておくけど、もし魔術会の奴らが来たらあなた達の情報は売らせてもらうからね」



「えっと……うん」



 先に店先に出た圭吾には聞こえない様にロラは静乃は言った。それほど魔術会は危険な組織である事を静乃は改めて感じるのであった。



「巻き終えたわよ。気を付けてね」



 ロラに対し静乃は一礼し店を出た。その礼の意味が分からないロラであったが、しばらくして気づいたことがあった。



「あっ! 情報料とればよかったじゃない! 何やってんのよ私!」



「へーいバーカバーカ!」



 主を茶化す猫又(つかいま)に対し、ロラは魔術にて鉄の鍋をその頭に落とすのであった。







































 ガルディスト帝国首都『ガルノア』。魔術世界屈指の軍都である。直径10キロに及ぶクレーター内を街としつつ、その周囲を高層建造物で全て囲み、クレーター中心部上空には魔王城が空高く浮かんでいる異彩を放つ巨大都市である。空飛ぶ城は地上から黒い三本の巨大な鎖で繋がれ、建物の全てが漆黒に塗られたこの街はまさしく歴代の帝王が住まうにはふさわしい街であるとも言われている。

 人口は魔族約1500万人、人間が100万で、魔族の種族は10万種以上に及び帝国が魔族中心の国である事を物語っている。

 この日の帝都は雲一つない快晴であった。



 「すごい」



 アナリストから二時間、馬車の荷台から帝都を初めて見た静乃の一言はそれだった。長いトンネルを抜けた途端現れるその巨大な都市は誰もが驚きの声を上げる事は珍しくない。



「お嬢さんは帝都は初めてかい?」



 馬車を操る亜人種の魔人の問いに静乃は素直に「はい」と答えた。ヒッチハイクにて乗せてもらった亜人種の壮年の男性は頭に角が生えている以外人間と変わらない魔族である。魔族でありながら圭吾達を乗せてくれたのであった。



「住居地でいいのかい?」



「ああ。そこまでいい」



 住居地とは街を囲んでいる黒い高層建造物の事であり一種のマンションであった。基本的に魔族が多く住んでいるが、人間も少なからず住んでいる。

 馬車はその住居地前に着くと停車した。



「着いたぞ。気をつけてな」



「ああ、ありがとう」



 圭吾はそう言うと荷台を降りた。静乃も続いて降り、去っていく馬車に静乃は手を振った。



「ありがとう~」



「何をしている。さっさと行くぞ」



 圭吾に急かされ、静乃は急ぐ。



「はいはい。でも、もうちょっとゆっくりできないの?」



「俺たちは観光しにきたんだじゃないだろ」



「分かっているけど……」



 歩いて住居地に近づくにつれ、何者かの視線を静乃を感じた。

 露店などが連なっており賑わってはいる場所に来ても視線が止まる事はない。



「橘。何か誰かに見られている気がするんだけど?」



「まあ、スリなんて珍しくないからな。狙われているかもしれない。気を付けろ」



「そう……気を付けるわ」



 不安を覚えながらも静乃は圭吾の後を付いて歩いた。しばらく住宅地沿いを歩いていくと帝都中心部に向かう事が出来る大きなトンネルに差し掛かった。そのトンネルは東西南北に四つあり、どこからでも出入り出来る。圭吾達が来たのは東口である。トンネル周辺は露店のみならず店も存在しており、とても賑わっていた。



「住宅地は住む場所ともう一つ外壁としての役割がある。ガルノアは軍都だからな。どんな攻撃や侵略にも耐える事が出来るようにしている」



「だからこんな壁みたいな建造物で囲んでいるのね」



 圭吾の説明を聞きながら、静乃は改めて住宅地と言われる高層建造物を見上げた。何層にもなっている住宅地は中に住居を何件も連ねている。基本的には黒い建物ばかりであるが何件かの住宅は色が異なっている。

 圭吾と静乃はトンネル内へと足を踏み入れた。トンネルの長さは100mないぐらいであるが、反対側の出口は光でよく見えない。

 トンネル内を数分歩いた後、トンネルを抜けて帝都中心部を初めて見た静乃はまた驚きの声を上げた。



「すっすごい……!」



 見渡す限り大きなクレーター内を隙間なく黒い建物が連なり、その中心部には魔王城と呼ばれる浮遊城が空高く浮かんでいた。その様子はまさにファンタジー世界で見たことがある様な情景であり、静乃には壮観だった。



「城が空に浮かんでる……」



 口をポカンとしながら静乃は呟いた。



「あれは魔王城。歴代の帝国の帝(みかど)が住まう所だ」



「魔王城って……つまり魔王が住んでいるの?」



「魔王城と呼ばれているのはこの‘世界で初めて魔王と呼ばれた者”が作り上げ浮かせた城だからだと聞いている。そして今住んでいるのは数百年前からこの帝国を支配してるオーガルディア家だ。今の帝王は第89代ロザンテ・オルン・オーガルディアだ。まあ、巷では帝王の事を魔王と呼ぶ事があるがな」



 圭吾の説明に聞いた静乃はただ感心するばかりだった。



「説明はとりあえずこれぐらいにして宿を探すぞ」



「えっ? うん」





 


 















 


 















「とりえあず夜まで待つぞ」



 路地裏の小さな宿の一室にて圭吾と静乃は体を休めていた。時間は既に昼過ぎ。安宿であるゆえに薄汚い部屋ではあるが、もう二人には慣れた環境である。



「夜まで待って何すんのよ?」



「城に侵入する」



「はぁ!?」



 静乃の声はとても大きかった。咄嗟に圭吾が声が小さくしろとジェスチャーする。



「ごめん……でも、侵入って!?」



「ロイはこの帝国専属の医者だ。だとしたら研究所とか研究室があるはずだ。お前に呪いをかけたのがロイであるならば解呪する手かがりがきっとあるかもしれない」



「まさか本気で侵入する気でここに来たの? もし捕まったりしたら?」



「ああ、即死刑だろうな」



「ちょっと! やめてよ橘! それであんたが死んだら後味悪いし、もしそうなったら私どうなんの? どう元の世界に帰るのよ!」



「ああ、そうだな。それすっかり忘れていたな」



「あのね!」



「安心しろ冗談だ。俺は捕まらない。そもそもお前はずっと呪われたままでいたいのか?」



「それは……嫌よ。嫌に決まってるでしょ……でも……なんであんたここまでしてくれるの? まさか……その」



 段々と顔を赤くする静乃に対し、圭吾は察してため息をついた。



「はぁ……俺がそんな気持ちをお前に抱くわけねぇだろ。中学の時俺の胸倉掴んだ女だぞお前は。そんな女を女として見れるか今更」



 その言葉に淡い気持ちを砕かれた気分となった静乃はカチンときた。



「あーあ! そう! そうですよね! そうっすよね! 私あんたには男女だもんね! 勘違いしそうになってわるーございました!」



「何、怒ってんだよ。とりあえず俺は街にでて情報収集をする。帰ってくるまでここで待ってろ。鍵をかけて誰もいれるなよ」



「あーはいはい! 分かりました!」



 圭吾は示度を整えてさっさと部屋から出て行ってしまった。一人取り残された静乃はベットにて一人うずくまるのであった。







































 深夜になっても帝都は明るい街である。電力を地下深くの大型電気炉により生成しており無数の街灯もあって場所によっては昼並みと評される場所もある帝都ガルノアは夜なき街とも言われている。その明るい街にて夜を好む暗躍者が動くのは容易ではない。もちろん軍都だけあって警備は厳重であり、軍や王政関連施設周辺は武装した兵士が常に巡回している。

 その中を圭吾は侵入する。これは簡単な事ではない。だが、圭吾にはそれなりの準備があった。後見人からの贈り物である。



「これがこの街の地図だ。城直下は軍施設や議事堂などがあって警備は厳重。通常城に入るのはエレベーターだが、それは使うのはもちろん不可能だ」



 机の上に広げた地図で圭吾は静乃に説明をしていた。侵入ルートを静乃に説明する必要はないが、もしもの時の事も説明するついでだった。



「じゃあどうすんのよ?」



 昼の情報収集にてロイットの研究室は魔王城の一室だと知った。しかし、それはとても難易度が高い事も意味している。



「城を繋ぐ三本の鎖。その内の一本を伝って侵入する」



 城を帝都上空に滞空させ続けさせる為の黒い鎖。一つの環が自動車とほぼ同じ大きさを持つ巨大な鎖はクレーターの端から三本繋がれている。



「鎖って……登るって事?」



「そうだ。空に浮かぶ城に行くにはこれぐらいしかない」



 鎖の傾斜はさほど急ではないが、歩きにくい事は容易に想像できる。



「いくら夜でもこんだけ明るいと見つからない?」



「その為にこれを用意した」



 圭吾が懐から取り出したのはペンダントだ。白い宝石が埋め込まれたそのペンダントは透過魔石と呼ばれる魔道具である。



「これは透過魔石と言って透明化する事ができる物だ」



「魔法の道具ってわけね」



 圭吾は試しにペンダントを持つ右手を透明化して見せた。右腕が見事消えた。



「すごいわね。これならできそうかも」



「簡単に言うな。これでも成功率は30……いや20もないかもしれない」



 圭吾は明らかに緊張していた。無理もない。失敗すれば死。戦場に赴く気分。



「――大丈夫よ。あんたなら」



「何を言って……」



 無責任だと思いつつ圭吾は静乃の顔を見た。そして何故か言葉を失い、同時に不思議と見惚れてしまった。その時の静乃の顔は何故かやたら魅力的に見えた。その真剣な眼差しは強く信じている目だった。



「――――何してんの? ぼーとして?」



「いや……馬鹿な顔だなって思って」



「ひど! 人が信じてるのに!」



「そろそろ出る。それと俺が失敗した場合だが……」



 静乃にとってあまり説明されたくない話だ。



「俺が朝になっても帰ってこない場合。この宿を出てこの店に迎え。リリスがいてお前を東京に帰す手はずになっている」



 圭吾はそう言いながら地図上のとある店舗を指さした。そして「地図はここに置いていく」と言って出ていこうとしたがそれを静乃は言い止めた。



「橘。私ずっと待ってるよ」



「馬鹿か、それは無しだ。東京に帰れ。一応、言っておくぞ。失敗してお前の呪いを解けなかった時は本当にすまない。こんな場所に」



 静乃は手を出し圭吾の言葉を止めた。



「それは無しよ。そんなの私は聞かないから」



「分かった……」



「それとこういう時ってどういうんだっけ?」



 静乃はそう言って腕を組み考えた。



「そうよ! これよ! 武運を祈っておくわ」



 静乃はそう言ってサムズアップした。それを見てつい圭吾は小さく笑ってしまう。



「なんだそれは……まあ、悪くないな。じゃあ、行ってくる」



 圭吾は緊張が少しほぐれた事を感じながら部屋を出ていくのであった。







































 魔王城を地上と繋ぐ巨大な鎖の一か所に圭吾は辿り着いた。街の外れとはいえ人の数も少なくはなく。通行人はそれなりにいた。さらに当然ながら警備の兵士一名とドーベルマンに似た犬型の魔物が周囲を警戒していた。



(クソ……あのタイプの魔物は明らかに嗅覚が優れている犬みたいなもんだろうな)



 何らかの警備に適した魔物がいる事は想定内であった。いくら透過魔石があろうと匂いは消せない。だが眠りを誘って眠らせる事が出来る物は準備している。

 圭吾は二つ石の様な物を物陰からその犬型の魔物へと投げた。すると瞬時に煙となり、犬型の魔物は大きな欠伸をして瞬く間に眠りについた。



(よし)



「おいおい寝るなよ。警備中だぞ」



 眠りについてしまった警備犬に軽く蹴りを入れる魔人の兵士。しかし、起きる気配はない。



「くそ。いくらここの警備が暇だからって寝るなよな」



 そんな兵士も欠伸をした。その隙に完全に透明化した圭吾は背後の大きな鎖に飛び乗った。そして急いで駆け上がる。靴底に吸着魔術、体には感知妨害魔術を施している。鎖事態に感知魔術が施されているが、それも事前の調べで分かっていた圭吾にとっては脅威ではない。今の圭吾にとって脅威になるのは風である。



「おっと!」



 三分の一まで登った所で強風に煽られ圭吾はよろめき、つい鎖に手をついた。



(この時期は風が強い……吸着魔術を用意して正解だったな)



 肉体強化の魔術にて平衡感覚が常人より優れているとはいえ、鎖から落ちる可能性はゼロではない。風対策として用意した吸着魔術は想定通りの活躍を見せた。



(このままの調子でいけば見つからずに行ける)



 圭吾の侵入は順調にいっていた。鎖の半分まで来たところで相当な高さとなり、圭吾はあまりの高さに緊張したが駆け上がる速度は緩めるわけにはいかない。



(もう少しだ)



 あと数十mの時、圭吾に向かって再び強風が吹いた。それは先ほどとは比べ物にならない程の強風だった。吸着魔術は限界を迎え、鎖から足が離れて圭吾はよろめき倒れた。そして落ちると思った瞬間、圭吾は辛うじて手で鎖を掴んで落ちる事は無かった。



(ふう……)



 間一髪だった。圭吾は安堵のため息をついた。そして圭吾は再び鎖に乗り再度吸着魔術を発動させ、登り始めた。

 登り始めて20分弱、ついに圭吾は城の端へとたどり着いた。



(よし! 成功)



 しかし、圭吾の安堵はすぐに終わる。城の地面へと両足を踏み入れた瞬間、侵入対策の捕縛魔術が作動したのだ。圭吾の足元に紫色の魔法陣が突如浮かび上がり、網状の魔力が圭吾を囲む。



(しまっ……)



 それと同時に警報が鳴り響き、圭吾の一気に鼓動は高まった。天下の浮遊する城魔王城。侵入が容易ではあるはずはなかった――――












































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