魔法の世界
ドラゴンと全裸
まだ世界の全てが知られていない時代。悪の根源、悪の塊、悪の集合体と呼ばれる災いがあった。それは人や魔人、魔物を魅了し狂わせ、不幸と絶望を撒き散らし、多くの命を死に追いやった。
いくつかの大国が幾度も討伐を命じるも、ただただ失敗を重ね、時には逆に吞まれる事もあった。
何も出来ぬまま月日が経ち、次第に誰もが悪の根源を滅する事が不可能と思い始めていた頃、とある予言者が告げた。
『聖女が生まれる。その子が選ぶ六人は聖女と共に悪の根源を討滅するであろう』
その予言通り、片田舎の小さな農村で一人の女の子が生まれた。名をマリサ。後に聖母となるその少女は人類で初めて光の魔力を宿して生まれていた。清く正しく成長した彼女は15歳の時、幼馴染で後に勇者と呼ばれるリヴァルと共に討伐の旅へと旅立つ。
その道中で魔術師バロン、天使ヘレネ、冒険エルフのアル、獣人バトス、人魚姫リリと知り合い、仲間となり、七人は悪の根源を倒すことを誓う。
そして世界の片隅で悪の根源を追い詰めた七人は予言通り悪の根源を消滅させる事に成功する。こうして世界は平和となり、七人は七人勇者と呼ばれ、今日にまで語り継がれる伝説となった。
橘圭吾が行方知らずとなって一月。一之瀬静乃は東京にいた。
圭吾が魔方陣と共に消え去ったあの夜。静乃は驚きつつも圭吾を探したが見つからず、仕方なく訪水路を出るとリリスと出くわした。
リリスは無表情で静乃に告げる。
「彼はもういない。いくら探しても無駄です」
「どういう事?」
「あなたは知らなくていい。それよりあなたは故郷に戻るべきです」
「教えて。あいつはどこに?」
リリスは静乃の問いに答える事無く暗闇に姿を消し静乃の前から姿を消したのだった。
途方に暮れた静乃は仕方なく故郷東北に戻り半月近く過ごした後、大学再開の報を聞いて一週間前から東京に戻っていた。
この一月の間、圭吾の身は少なからず案じていたが大学の講習やバイトが忙しくなり、あまり考える暇は次第に無くなってきていた。また圭吾の最後の言葉である関わるなという言葉や、異界からの侵攻に静乃は不安を覚える事も少なくなってきていた。なぜならここ一月の東京は目立った事件がほぼ皆無であったからだ。荒川怪物事変以降魔術が関わっていそうな怪しい事件は無く東京は事変前の平穏を少しづつながら取り戻しつつあったのだ。
そして圭吾が姿を消して一月がちょうど過ぎた日の朝。静乃は阿佐ヶ谷のアパートにて就寝中であった。
「んー」
静乃は目を覚ます。だが、おかしい事に静乃は気づく。空が見えるのだ。夜明けの空模様が視界に映っている。そして少し肌寒い様な気がした。
(えっーと、昨日は酒は飲んでないし。そもそもちゃんと部屋で寝た記憶はあるし)
静乃は冷静に昨夜の事を思い出す。外に飲みに行った記憶はなく、ちゃんと部屋で寝た記憶はある。
では、なぜ空が見えるのだ。静乃は寝返りを打った。
「ひぃいい!!」
道路にいた新聞配達のおじさんと目があった。その目はやたら怯えていた。そして即座に乗っていたバイクの向きを反転させ、猛スピードでどこかへ行ってしまった。とても慌てていたのだった。
(えっと? 何? 私のスッピンって怖いって事?)
寝ぼけている静乃は状況把握が出来てない。しかし、次第に気づく。体が重く、しかもまだここがアパートの二階だという事を。
「えっ?」
静乃の視界に見られぬ物が映りこむ。それは羽の一部。爬虫類の肌のを持った翼だ。
(はっ?)
しかもそれはどうやら自身に生えている事に静乃は気づいた。なぜなら背中に力を入れると羽ばたくからだ。
そして最後に自身の手を見て静乃は気づいた。自分が人間の体ではないということに。
「何で!? まさか!?」
静乃は鏡を探す。巨大化した自身の体で部屋がめちゃくちゃであり天井は破壊されていたが、化粧用の鏡をなんとか見つけ出すことは出来た。一部割れた鏡を三本の指しかない手で何とか持ち上げ、自身を映すと何に変化したのかようやく理解した。
「ドッドラゴンーーーーーー!!!!????」
一之瀬静乃は緑のドラゴンへと変化していた。爬虫類の肌と大きな翼を持った創作物でよく見かけるドラゴンに一之瀬静乃は変身していたのだ。
静乃は当然の如く混乱した。訳が分からない。
(どっどういう事よ!? なんでドラゴン!? 私がドラゴン!? なんでなってんの!? 意味不明! どうなってんの!?)
ドラゴンの姿でも慌てふためき困惑しているのが分かるぐらいに静乃は混乱した。辺りを見渡したり、自身の肌を抓ろうとしても三本指ではうまくできなかったり、体の感覚がおかしい事に気づき余計に混乱する。
「うわぁああああっ!!!! 何なのよこれ!! もう意味分からない!!!!」
当の本人は日本語を喋っているつもりだが、周囲にはガウガウとしか獣の声にしか聞こえない。その声で隣の住人が起き、静乃の姿を見て驚き逃げて行った。
「ひぃ! 化け物!!!」
隣人の下田さんが逃げていくのをただ黙って見届けるしかない静乃。もうこの姿では誰も一之瀬静乃だとは認識しないのだ。
(どっどうしよう!? 私だって分からせなきゃ!)
「お巡りさんこっちだ!」
道路の方からの声で静乃は振り向く。そこには見知らぬおじさんが手招きしている姿があった。そしてその先には警官が自転車でこちらに向かっていた。
「えっ!? ちょっと!?」
「お巡りさん! こいつはきっと事変の時の化け物の生き残りだ! やっちまえ!」
おじさんは警官に対し急かす。そしてその警官の腰には拳銃が装備されていた。ニューナンブⅯ60。日本の警官が正式装備しているリボルバー拳銃である。
警官は拳銃を静乃に向ける。
「動くな!」
警官もおじさん同様やや興奮しているのか、撃つ気である。静乃は身構えた。
(ひぃいい!)
警官の拳銃から弾丸が一発放たれた。それは真っ直ぐ飛び静乃ドラゴンに直撃するも、硬い肌に弾かれた。
「グオオオオオォォォンンン!!!!(いたーーーーい)」
大きな叫び声が阿佐ヶ谷に響いた。静乃本人はそこまで叫んだつもりはないが、ドラゴンの体では大声になってしまうのであった。
おじさんと警官はつい耳を塞いでしまう。
「やべぇぞ! お巡りさんよお。もっと撃て!」
「駄目です! 効いてない! 応援を呼びます」
警官はそう言って携帯無線を取り、本部に連絡する。
「こちら真田。ドラゴンを発見! 至急応援を……嘘ではありません! 本当です!」
静乃ドラゴンがふと道路の先を見ると、近隣住民たちが遠くからこちらを見ていた。野次馬が集まり始めていたのだ。
(何よ――そんなに私が珍しいの!?)
静乃は混乱しつつも、このままでは殺されると感じ始めていた。おじさんや警官達の目が普通ではないからだ。無理も無い。あの事変を経験し、人ではない異形の存在に対し凄まじい敵意、嫌悪感を持ってしまうのは当然ともいえる。
だが、ただ殺されるわけにはいかない。
(逃げなきゃ)
静乃ドラゴンは羽ばたく。全く教えられた事がないが自然と羽ばたき、ドラゴンの体は浮き始めた。静乃自身驚いている。
(なんだか飛べそう)
「逃げるぞ! お巡りさん!」
「逃がすか!」
警官は再び拳銃を撃つが、顔を掠めただけだった。
「ガウィウ!(ひぃい!)」
静乃ドラゴンは羽ばたきを早める。周囲に強い風が吹き荒れ、静乃ドラゴンは飛び上がった。
全長約10m近くの大きな体となった静乃は大きく飛び上がり、阿佐ヶ谷の空に舞い上がった。
(嘘ぉおお!? 飛んでる? 私、飛んでる!?)
驚きながらも、静乃はとりあえず東へと向かう。理由は特にないが、今は逃げるしかないと思っているからだ。
阿佐ヶ谷から中野区に向かう中見下ろすと慌てふためいたり、唖然として空を見上げている人々が見えた。
(うわぁ……すごい事になってるな。って!? 私のせいだよね! どうしよ)
とりあえず飛んでみたものの、行く当てなどない静乃。中野区上空に差し掛かった辺りで、静乃は高層ビルに逃げ込む事を考えた。
(そうだ! どこかのビルに隠れればいいんじゃない)
ちょうど目の前には新宿区の高層ビル群が見えていた。中野区を通り過ぎた辺りで静乃は進む方向を南へと向けた。
そして無事に都庁周辺まで飛び、都庁に近いビルの屋上に着陸した。
(ふぅー。とりあえずここに隠れるか)
静乃は少しであるが冷静になっていた。とりあえずであるが自身の状況を整理する。
(えっと今、私はドラゴンになっている訳でそれで撃たれた訳でそれで逃げてきたという事よね)
ドラゴンの姿になり少し冷静に思考できている自分に対し静乃は戸惑った。
(そもそもなんで私こんなに冷静なんだろ? ドラゴンなんだよ)
静乃は考えた。しばらく考えぬいた末、事変の経験で異常事態に対し免疫が出来たんだと結論づけた。
(それもこれもあいつのせいよ)
あいつ。一月前突如目の前から姿を消した橘圭吾の事である。事変において命を救われ、一月も姿を見せずに心配させ、またもやどこかに消えたあいつは静乃にとって嫌いな男でありながらもどこか気掛かりな存在だった。
(そういえば私なんであいつの事心配してるんだろ? えっと、まさかつまり……好きって事? ありえない! あいつは優衣香を振った。泣かした男だ。断じてありえないし!)
ドラゴンの姿で静乃は頭を振る。頬が赤くなっているが気のせいであろう。
その時だった。屋上のとある扉が開き、そこから警官達がぞろぞろ現れた。
「いたぞ!」
「囲むんだ!」
「気をつけろよ!」
ほとんどの警官が網や暴徒鎮圧用の装備を持っていた。その姿から静乃は察した。
(わっ私を捕まえるつもり!?)
静乃の察した通りで、警官達はドラゴン捕獲の命を受けてここに来た。現代社会に突如現れた架空の存在に警視庁は捕獲を命じたのだ。
「行きます!」
一人の若い警官が網を静乃ドラゴンに投げた。それは見事覆いかぶさり、静乃は身動きが取りにくくなった。
「ガウガウガアーン!!!(何すんのよもう!!!)」
静乃は覆いかぶさった網を鋭い手の爪で切り裂いた。そして自身の言葉が通じない事を理解し、見世物として捕獲されるだろうと考えて、この場から逃げることを決心した。
(とりあえず逃げる! 見世物なんかになるのは真っ平ごめんだし!)
静乃ドラゴンは急に大きく羽ばたいた。それに驚く警官達だが、一人が麻酔銃を静乃に向けて撃つ。
「このっ!」
それは見事静乃ドラゴンに命中した。尻尾の付け根辺りに命中した。が、麻酔の針は直ぐに取れた。痛みは無きに等しく、静乃はそのままビルの屋上から飛び上がった。
(とりあえず海に逃げれば追ってはこれないでしょ)
静乃は新宿から一気に東京湾に向けて飛ぶ。飛行になれてきた静乃は比較的早い速度で飛んでいった。千代田区の皇居上空を高速で通過し、東京駅上空で再び南下し始めた静乃ドラゴンに一人、追う者がいた。
コートに身を包み、フードを深く被った男がビルの間を縫う様に飛び追ってくるその者は明らかに普通の人間ではない。
静乃は全く追って来る者に気づかず、そして追う者は静乃ドラゴンの背中に飛び乗った。
「グワッ!?(何っ!?)」
静乃は驚きながらも後ろを見た。そこには日本刀を持った男が自身の大きくなった背中に立っていた。静乃は驚きつつも、その日本刀に憂惧し払い落とそうと暴れた。左右に速く蛇行飛行する。
「落ち着け一之瀬! 俺だ! 橘だ! 橘圭吾だ!」
そう言って男はフードを取った。その顔を見た途端、静乃はまるで迷子が母親に見つけた時の様に安心感を得た。
「ガァアア!!!(橘!!!)」
静乃は驚きつつもまた圭吾と再会できた事に喜んだ。そんな静乃の気持ちを知ってか知らずか、圭吾は魔術的解析に入る。右手を背中に当ててこれが魔術による物なのかと解析する事。左目の力を用いての解析は即座に終わった。
「やはり。これは魔術の呪い。呪術だ」
呪術。自然的な力や神秘な力に働きかけ願望を叶う様にする事であるが、橘圭吾が言っている呪術は意味は異なる。圭吾が言う呪術とは異世界の呪いの魔術。つまり魔術の呪い。魔力呪術の事である。これは言葉通り魔術を応用した呪いの術であり、魔術師達の間では古き時代からある攻撃手段の一種である。敵に対し遠距離から直接手を下さずに攻撃出来る為、かつての戦争では呪術の掛け合い合戦となる戦争もあった。現代においても殺人目的で使用される事がある。
「厄介だ。この手の魔術は専門外。俺にはどうしようもできん」
「グアェ!? アガーア!?(嘘!? どうすんのよ!?)」
「とりあえず東京から離れる。いい場所がある。俺に身を委ねろ」
圭吾はそう言うと、左目の力を用いて静乃の体を魔術にて支配する。圭吾の魔力が静乃ドラゴンの体を包み込み、静乃の意思とは関係なくドラゴンの体は動き出す。
「グァアア!?(ちょっと!?)」
変な感覚に嫌悪感を感じつつも、静乃は大人しく圭吾に従う。
その一方、地上は大騒ぎとなっていた。突如現れた本物のドラゴンに日本中の人々のみならず、世界中の人々も騒ぐ事となったこの騒ぎは後に『東京ドラゴン事件』と呼ばれ、多くの人がドラゴンを行方を追ったのだった。
東京湾沖。東京湾アクアライン建設の際、作られた人工島があった。川崎人工島である。東京湾アクアラインのトンネル側の喚起を行う為に建設されたその島は普段は無人島であり、島の中央には大小二つの塔が存在していた。それは通称『風の塔』と呼ばれている。
そこに一羽ならぬ、一頭の緑のドラゴンが舞い降りた。静乃ドラゴンである。そしてその背中に乗っているのは橘圭吾。彼女の窮地に駆けつけた魔術師だ。圭吾は背中から降りると、塔に近づいた。
「少し待ってろ。結界を張る」
圭吾はそう言って塔に触る。すると塔に仕掛けられていた魔術が発動する。それは結界魔術である。結界は塔を中心に発動した。周囲から塔の姿を普段のまま完璧に見せる事ができるその結界は一月前から圭吾が仕掛けていた物であった。
その日東京湾は靄が発生しており遠くはよく見えない状況だったが、念のためと圭吾は発動した。
「いくら靄があろうとも念のためだ」
「ガウ?」
静乃ドラゴンは首を傾げる。
「では、その姿をどうにかしようか」
「ガウガウガオーン!!!(そうよ! これは一体どういう事なのよ!)」
激しく吼える静乃ドラゴンに圭吾は耳をふさいだ。
「うるさい! 一応言っておくが何を言っているか分からないからな」
「ガウーン……(やっぱり……)」
ドラゴンの姿であっても静乃は傷心した。体はドラゴンでも、心は人間のままなのだ。
「何とか人に戻してやる。それまで我慢しろ」
「ガウン?(本当?)」
泣きそう静乃ドラゴンに対し、圭吾は気遣った。圭吾は我ながららしくないと思うが、さすがに気の毒だとは思っている。
「だから黙ってろ。どうもドラゴンの声は馬鹿みたいにデカい。うるさいからな」
いつもの橘だと静乃は思った。
「ガウ!(はい!はい!)」
それ以降、静乃はただ大人しく待っていた。そして圭吾は静乃ドラゴンの体を周囲から隈なく観察し、何回か考察して、塔の非常口から内部に入って塔内部に隠していたとある本を持ち出して調べていた。
そんな事をしているうちに一時間が過ぎていた。
「グアーー」
静乃ドラゴンは欠伸をした。
「よし。分かったぞ」
胡坐をかいて座っていた圭吾は本を閉じながら言った。その言葉に静乃は心躍る。
「ガガウ!?(戻れるの!?)」
立ち上がった圭吾に吼える。
「まあ、とりあえず試してみる。詠唱の一つで、変身を解く言葉だ」
圭吾はそう言いながら静乃ドラゴンに近づき、右手をかざした。
「いくぞ」
「ガウ(うん)」
「ライーガ、ソル、イディアン」
どこかの言語の様な詠唱をする圭吾。しかし、何の変化もない。ただしばらく沈黙が流れた。
「――――ガウーン……(何の変化ないじゃない……)」
「おかしいな。これが一番妥当な解除方法だと思ったん」
その時だった。静乃ドラゴンは白煙に包まれた。そしてみるみるうちにドラゴンの姿は小さく変化していき、そして完全に人の姿へと戻った。
「よし! 成功だ!」
白煙の中でも静乃が人間に戻ったことを分かった圭吾は安堵したが、白煙が少しづづ消えていくと次第にまずい事に気づいた。
「――――やった……やった! やった! 人間に戻れたぁ! やったぁあああ!!!!」
静乃はそう大声で喜び、つい大人気なく両手を大きく上げて喜んでしまった。万遍の笑みを浮かべていると目の前の圭吾が気まずそうな顔をしているのを気づいた。白煙が少しづつ消えていく。
「どうしたの?」
「いや――すまんな」
静乃はここで気づく。体がやたら涼しいことに。
「えっ?」
静乃はゆっくりと下を向いた。そして気づくのである。よく言えば生まれたままの姿。悪く言えば素っぽんぽん。そう全裸である事に。
「はぎゃああああああああああああああああああっっっ!!!!」
ドラゴンの時より大きな声で静乃は叫んだ。結界で遠くまで声は届かないが、その悲鳴は結果以内に盛大に木霊した。
真っ赤に赤面し、悲鳴を上げた静乃に対し、圭吾は視線を逸らして考察し言葉を選んで言った。
「別に減るもん――」
圭吾の言葉を遮るようにして、一之瀬静乃は橘圭吾に平手打ち。つまりビンタを食らわしたのであった。
「あー最悪」
風の塔の内部。静乃は圭吾からミリタリーコートを借りて全裸から脱したが、今まで人生最悪の出来事に遭遇し、憂鬱になっていた。
壁に寄りかかり、体育座りで俯いていた。
「それは俺の台詞だ。助けたのに殴れるとはな」
その隣で経つのは圭吾だ。圭吾の頬にはもみじが出来上がっていた。痛そうに摩る。
「うるさい! わっ私の裸見れたんだからいいでしょ!?」
「別に誇れるほどの体ではなかった様な」
「何か言ったかおい」
その言葉だけ静乃の声色が違った。
「――何でもない」
「あー本当最悪だわ。好きでもない男に裸を見られるなんて……しかもあんな格好で」
「あー万歳してたな」
今、思い出しても赤面である。盛大に万歳していたのだ。
「――何か言うことないの?」
「そうだな――――うーん。普通だな」
「普通って何よ!? 普通って!? どこを見て普通って思ったのよぉ!?」
「えっと、下?」
「下ぁ!? あんたおっぱいしか見てなかったんじゃないの!? 何、下とか見てんのよ変態!」
「どっちが変態だ。万歳全裸娘が」
「変なあだ名付けんじゃないわよ変態! なんか、ばっ万歳全裸娘って何かいそうなキャラじゃないの!?」
「そうだな。いそうな感じだな」
圭吾は自分らしくない会話に気づいた。人と話して楽しいと思うのは久しぶりだった。
「あっ――」
「どっどうしたのよ」
「いや。なんでもない万歳全裸娘」
「だからその呼び方止めろ!」
他愛の無い会話だった。そんな会話をしばらくしているうちに静乃が泣いているのを圭吾は気づいた。
「――――すまん。言い過ぎた」
圭吾は素直を謝った。それほど万歳全裸娘が嫌だったのかと思ってしまう。何か面白い、いい名前だと思っていたのは秘密だ。
「いいのよ変態――グス。あんたのせいじゃない」
「じゃあなんで泣いている?」
「分かんないけど……多分、安心したのかな」
泣いている静乃に圭吾はただ黙って見守っていた。
「ぐっ!」
突然、静乃は苦しみだした。圭吾は驚きながらも問いた。
「どうした!?」
「背中が――背中が熱い……!」
圭吾はコートを無理やり脱がせて、静乃を背中を見た。強引な圭吾に静乃は羞恥心を感じた。赤面する。
「ちょっと!」
「いいから見せろ……これは――――!」
圭吾は驚愕した。静乃の背中には竜の紋章が浮かび上がり始めていたのだ。緑色で刺青の様な紋章が背中全体に現れ、瞬く間にそれは背中全体を覆った。
「――すまん一之瀬。俺はまだ完全に解除できていなかった様だ」
言葉のよく意味が分からない静乃。引き始めた痛みの中、スマホのカメラの撮影音が聞こえてまた恥ずかしくなった。
「ちょっと! 何撮ってんのよ!?」
痛みがまだ残る中、静乃は苦情を告げる。そんな静乃に圭吾は撮ったスマホの画面を見せた。
「これって――――!」
「そうだ」
撮られた自身の背中には異様な竜の刺青が浮かび上がっていた。緑色のその刺青は竜の紋様を中心に見たことがない文字でびっしりと囲まれていた。
呪われた事を意味する紋章である。
「呪いはまだ解けていなかった。一之瀬……つまりお前はまだドラゴンになる可能性がある」
夕方の東京。阿佐ヶ谷の路地裏で静乃は一人待っていた。待っているのは圭吾である。圭吾は一人、静乃のアパートの様子を伺いに行っていた。
静乃の呪いは解けていなかった。それは紛れもない事実。圭吾がいくら解析しようとも呪術の形式程度しか解らず、一時的な解除は出来ても完全な解除は圭吾の技量では不可能と分かった。その事を圭吾から伝えられた静乃はショックを隠しきれなかった。
その後、風の塔を出た後は静乃の衣服を圭吾が調達し、騒ぎがある程度落ち着くまで都内で待機していた。
当然の事ながらマスメディアによりニュースとして大きく取り上げられていた。東京の空に突如現れたドラゴンは多くの人の目によって目撃され、ネットにより瞬く間にその姿は世界に広まった。特にドラゴンの飛行姿を映した動画は動画サイトにて凄まじい再生回数を叩き出した。
ニュースによるとドラゴンは行方知らずとなり、破壊された部屋に住んでいた静乃の事も報道されて同じく行方知らずとして伝えられていた。
(一生ドラゴンとして暮らしていくのかな――――)
静乃は憂き目を感じた。もうどうする事もできないのだ。人生最悪の日だとも思える。
「一之瀬」
様子を伺ってきた圭吾が帰ってきた。
「どうだった?」
「やはりニュース通り警察が周囲を立ち入り禁止にしている。それとお前の母親を見た」
「お母さんがいるの!?」
当然だろう。娘の部屋からドラゴンが現れ、当の娘は行方知らず。普通に考えればドラゴンに喰われたとも考えてしまうだろう。実際圭吾は泣いている一之瀬の母親を見てしまった。
「ああ……泣いていたよ」
「私、会ってくる!」
そう言って走っていこうとする一之瀬を圭吾は止める。
「離してよ!」
「行ってどうする!? 無事だと分かってもお前はいつドラゴンになるか分からなんだぞ!」
「もういいじゃないそんな事! 大体なんでそんなに魔術の事を隠すの!? 前にも言ったけど、公にすればいいじゃない!」
「公にしても奴らの侵攻は終わらない。一致団結して対抗しようとしても奴らはそれを利用してさらなる混乱を引き起こすだろう。なにせ魔術師の集団だ。魔術でどうにでも出来る」
「そんなの私に関係ないじゃない!!!」
静乃は叫ぶように言った。その声は路地裏の周囲にまで聞こえ、二人の耳に「何? 痴話喧嘩?」
という会話の声が聞こえてきた。
「落ち着け。呪いを受けて混乱しているのは分かる。だが呪いの事をしゃべるな。それに俺に一つ提案がある」
泣きだした静乃は小さな声で言った。
「提案?」
「そうだ。俺の手では終えない。ならば異世界で解決するしかない」
「それってつまり……」
「俺が連れて行く。もう一つの世界。奴らの本拠地。魔術世界に」
「魔術世界……」
魔術世界。圭吾が便宜上命名した‘この世界とは異なる法則を持つ世界’。圭吾の故郷にして、敵の世界だ。
「魔術世界ってのは俺が便宜上命名した名だ。本当はあっちも“地球”と言うけどな」
「行ってどうなるのよ。私の呪いが解けるってわけ?」
「分からない。だが、この世界にいるよりは解ける可能性は高いだろう――――どうする?」
圭吾の提案に静乃はしばらく考察した。確かにドラゴン化に怯えて暮らすなんて嫌だ。しかし、見る知らずの世界に行くのも不安しかない。そもそも敵の居場所である。
「あんたはここを守るのも大事な事じゃないの?」
「実はパトロンがいる。そいつは権力者でな。組織の活動を妨害してくれる。その間にお前を呪いを解けばいい」
組織。その言葉で静乃は思い出した。
「そうだ! グロリア教団! グロリア教団よ橘」
すっかり忘れていた。一月前リリスから教えられた敵組織の名である。それを伝える為に平井大橋まで行ったのだが、その場で行われていた圭吾の戦闘にあっけに取られて伝えてるのをすっかり忘れていた。
「グロリア教団。今更だがそれは“組織”の数ある名前の一つに過ぎない。リサディア商会、グラデァンの会などいう複数の名を持ち、表舞台には出ないが数々の事件に関わりがあると言われる秘密結社だ。魔術世界の庶民には都市伝説程度の認知しかなく実体が掴めない謎の多い組織だが目的の一つは分かる――それは魔王の義眼を見つけ出すことだ」
「そっそんな組織と戦ってんの?」
「そうだ。約束の為にもな」
「約束?」
「いや、こっちの話だ……それでどうする? 強制はしない。言っておくが危険だ。俺は狙われているからな。一緒に行動すると命の保障は出来ないぞ」
圭吾の説明を聞き静乃はさらに考えた。このままではどう考えても普通の生活などできない。ドラゴンにいつなるか分からない以上、呪いを解く方法を見つけに異世界に行くという手段は妥当かもしれないが、圭吾は危険な組織と戦っている。自分がいると足手まといになるかもしれない。だが、このままで良いわけがない。
「……分かった。私、異世界に行く」
その静乃の言葉を聞いた圭吾はどこか不安になったが、同時に安心した気分にもなった。
「よし。ならば、準備しろ。今夜にも立つ」
「はぁ? ちょっと! 早すぎない!?」
「あまり時間はない。一緒に旅をするならば俺の言う事には従ってもらうからな」
静乃にとってどこか気に食わないが、仕方ない。圭吾はその世界の経験者だ。
「分かったわよ。それで服とかバックとか必要なの?」
「それは現地調達だ。衣服もそのままで行く。余計な荷物は持たない。ただ……」
「ただ?」
「あのブレスレットはどこだ? あれがあればだいぶ旅が楽になる」
エンカーブレスレット。一月前リリスから与えられた道具である。腕輪であるが、静乃は部屋のタンス内にしまっていていた。
「ごめん……部屋だ」
「だろうな」
圭吾は予想していた。
「ブレスレットは俺がどうにかする。お前は最低限の物を揃えてここに行け」
そう言って圭吾は紙を渡した。そこには地図が描かれていた。
「橘」
「何だ?」
「……お金貸して」
「そうか。財布も部屋か」
「うん……」
「分かった。ついでに財布も取ってきてやる。異世界ではあまり必要ないけどな」
「悪いわね」
静乃は申し訳ないという顔だった。
「――お前も鈴野の俺の事を気にしすぎだ。鈴野は外人の彼がいるわりには初恋の相手を気にしすぎだろ」
「何よ、心配してくれてんだから感謝しなさいよ」
「余計な気遣いだ。俺は強いからな」
「自分で言うか」
「冗談だ。帰ったらちゃんと鈴野に礼を言う」
「そうしなさい。でなきゃ私が許さない」
「はいはい。じゃあ俺は行くぞ。誰かさんの財布と腕輪を盗まなきゃならんからな」
「さっさと行け!」
圭吾はコートのボケットからボロボロの万札を数枚静乃に渡すと一人夕暮れの街へと消えていった。一人残された静乃は渡された紙を見る。そこには東京のとある地が描かれていた。
「これって……!」
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