残酷な世界

 魔力がうねり出した。橘圭吾の魔力は急激に高まっていく。増幅の魔眼はブースターだ。魔力量を増幅できるこの眼は圭吾の切り札の一つである。



「やばい! 勇人こいつはお前が相手にできる奴ではない!」



 ズヤクは慌てた様子で勇人に叫ぶが、勇人の耳には届いていない。

 勇人は狼を圭吾に攻撃させる。



「いけっ!」



 それは一瞬の事であった。勇人とゴブリンの目には圭吾の動きは見切れなかった。

 狼が一瞬にして切断され、煙と化したのだ。



「なつ!?」



「見てわかるだろ? 俺には勝てない。早くその本を渡すんだ」



 さっきよりこちらに近づいた圭吾に勇人は焦りを感じる。



(なんだよこの人! 強いじゃないか!?)



 ズヤクは弱い奴だと言っていたが、圧倒的な強さだと勇人は感じた。目に見えぬ太刀筋はもう人間ではない。

 勇人は無意識に禁断のページに手をかけてしまう。



「そこで何をやっている!!」



 男の声で振り向く二人と一匹。そこには男性教諭がいた。騒ぎを見た生徒の一部が呼び出したのだ。



「勇人! 逃げるぞ!」



 いち早く反応したのはズヤクだった。咄嗟に煙球を手に取り、圭吾の足元に投げつけようとする。



「なんだ!? この奇妙な生物は?」



 男性教諭がゴブリンに驚く。



「待てよ! 柚木をやってない!」



 勇人は圭吾に気を取られ、柚木に背を向けていた。振り向くと柚木の姿は無かった。逃げたのである。



「くそっ! あの野郎逃げやがった」



「復讐は後にしろ! 今はこいつから逃げるんだ!」



 そう言ってズヤクは煙玉を圭吾に投げつけた。黒い煙が圭吾の周囲を覆う。煙の中でも圭吾は慌てる事無く、逃げた一人と一匹の感知を行う。



(かなり速いスピードだ。荒川方面に向かっているか?)



 圭吾は後を追う。一飛びで校舎の屋上に降り立った圭吾は、遠くを見渡す。



(いた!)



 高速で住宅やビルの上を飛び乗って逃走しているゴブリンと勇人を圭吾は確認した。



「おい! なんで逃げるんだ!?」



 ズヤクに背負われる形で勇人は逃げていた。細い体からは想像できないがズヤクは怪力の持ち主であるが、それでも圭吾には太刀打ちできないとズヤクは判断している。

 魔眼持ちの人間に勝ったゴブリンなど古今東西聞いたことがないからだ。



「あの男はやべぇ! お前と俺が束になっても勝てねぇよ!」



 勇人を負ぶったズヤクは五分足らずで総武本線の荒川に架かる緑色の鉄橋の上に乗った。そしてその直後、感じ取った。川の中から感じる悍(おぞ)ましい魔力を。



「おい――勇人。俺たちはまだ見放されていないぜ!」



 ズヤクの言葉の意味が勇人には分からない。背後を向くと、ミリタリーコートに身を包み、刀を握った男が見えた。圭吾である。



「おい! なんで止まる!?」



「焦るなって……」



 ズヤクはそう言うと、大きくジャンプした。



「待て!」



 追う圭吾。思いのほかゴブリンの動きが速い事に少々焦りを感じながらも、着実に距離を詰める。

 圭吾も荒川に差し掛かり、総武本線の緑色の鉄橋の上に乗った時、大きな違和感を感じた。



(これは!)



 魔力の流れを感じ取った。それは膨大な魔力だった。圭吾は驚くも、以前全く同じ魔力を感知したことを思い出す。



「この感覚――」



「ぐはははははぁ!!!! 私の復讐が今、始まぁあああある!!!!」



 聞いた事のある声が川全体から聞こえてくる。間違いない。協会最初の刺客にして、東京を生き地獄にした男の声である。

 ロイット・バン・クリント。黄金週間に大量のグールを東京に解き放ち、数百万の命を弄んだ非道の魔術師。

 その声が圭吾の耳に突き刺さる。



「この声は――!」



 鉄橋の真下の水面が突如波紋する。そしてその波紋は急激に激しさを増し、その中から水柱が立ち上がる。それは大きな水柱だった。

 そしてその水柱は形を変化させ、声の正体が姿を現した。



「お久しぶりですねぇえええ!!!! 橘圭吾ぉおおおお!!!!」



 圭吾の目の前に現れたのは蛇の様な、ムカデの様な魔物と融合させられた魔物、魔物と化したロイットだった。魔物の大きさはとても長く、体のほとんどは墨田川の中であった。その頭部に寄生した様な形のロイの体はあった。上半裸で肌の色は魔物と同化し水色になっていた。さらに口から気色悪い紫色の唾液と息を吹いており、どこをどうみても人間ではない異形の怪物と化していた。



「ロイット・バン・クリントか……随分とイメチェンしたようだな」



 圭吾は静かに怒りを感じ始めた。あの時取り逃がした敵である。レイナを殺した男である。怒りと憎しみの対象である。

 冷酷さを感じられる様な小さな声で言った。



「イメチェン!? ふざけてますかぁ君! 私の体はイメチェン程度の言葉で説明できないほどとんでもない物と合体させられたんですよぉおお!!!!?」



 おかしなほどハイテイションのロイ。醜い水生魔物と融合させられて精神に異常をきたしている様だ。

 


「いいじゃないか? 前よりかっこいいぜクソ野郎」



「黙れこの低級魔術師があァァァ!!! 誰のせいでこうなったと思っている!? 誰のせいだと思っていると聞いているんだァァァ!?」



 圭吾(じぶん)のせいであるだろうが、圭吾はあえて言わない。圭吾はいい様だと心底思っているし、そんな姿にさせた組織を恨めと思った。



「俺を殺したいか?」



 圭吾は尋ねた。

 その問いに、ロイは一瞬ニヤッとしてから真顔で答えた。



「当たり前だアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!!!!!!」



 ロイの攻撃が始まる。蛇とマムシを掛け合わせた様な体がうねり出した。鉄橋に巻きつき、圭吾を追い詰める。



「ぶぎゃぎゃぎゃぎゃ! 数日前からこの川の魔力を感知していただろ!? 私が潜んでいたんだよ!」



 ロイの言うとおり、圭吾は数日前からこの隅田川からの膨大な魔力を感知して、川を中心に調査していた。魔力の反応は上流まで続いていたが、今は目の前のロイだけに集中している。



「新たな魔術の実験台にされたのだよ私はぁ! 体を水に同化させ敵陣深くに潜り込む作戦用に新たに開発された新術だァァァ!!! どうやらある程度成功したようだが、まだ隠密性に欠けるようだなぁぁ!!!!」



 ご丁寧に説明しながら、ロイは攻撃する。口から溶解液を飛ばす。紫色のその溶解液は圭吾には当たらないが、鉄橋の一部を急激に溶かした。



「くそぉおおお!!!! 逃げるなよ当てれよカスがぁああああ!!!!」



 もう常識などないロイの言動は支離滅裂である。それに比べて冷静な圭吾は静かに怒りを募らせていた。



(こんな奴にレイナや松井さん達は殺されたのか――――)



 魔物と融合させられたとはいえ、ロイの今の姿、言動は無様としかいい様がない。こんな屑に殺された人々は浮かべれないなと圭吾は思った。



「おいロイ。お前は反省しているのか?」



 ロイの攻撃を全てかわしきった圭吾はロイに問いた。



「反省? 何を言ってるんですか? 馬鹿ですかぁ?」



 お前に言われたくないと圭吾は思ったが、続けた。



「答えろ!」



「グハハハッ!!!! そんなもんあるわけねぇだろがバーーーカ!!!!」



 圭吾の背後から鋭い針の突いた尾が襲う。しかし、圭吾はそれを感知し予測済みであり、体を翻して、刀ではじき返した。

 すさまじい勢いで尾は飛ぶ。



「畜生めぇぇぇ! てめぇ強くなってんじゃねぇぇーよ!」



 ロイは無茶な罵声を飛ばす。その言葉にさらに怒りを募らせる圭吾。圭吾は距離をとる。隅田川の水面に立った。

 それと同時に圭吾は気づいた。総武線の電車がこちらに向かっている事に。黄色の車両が上りで来ていた。

 車両は橋に入る前に急ブレーキをかけるがもう遅く。ロイはそれを見逃さない。



「ヒーーーヤァァァァァァ!!!! 人質だぁぁぁぁあ!!!!」



 ちょうどよく鉄橋のど真ん中で停止してしまった車両にロイは鉄橋ごとその長い体で締めつぶす。鉄の軋む音が響きながら、黄色の車両は完全に橋ごと締め付けられた。

 中の乗客達が慌てふためいている。



「どうだぁ橘圭吾ぉぉ!? 攻撃できまい!?」



 確かに以前は攻撃をできなかっただろう。しかし今の橘圭吾は左の眼帯の下にさらなる切り札を持つ。

 “エナルド六号義眼”瞬間移動を可能とする魔術が組み込まれた魔術義眼。

 圭吾は右目の増幅の魔眼を閉じる。そして眼帯を解いた。



「――なっ!?? その眼は!」



 青の五角形の瞳に、黒い強膜。五角形の瞳の中にはアスタリスクに酷似した紋様がうっすらと見えるその義眼は、義眼工エナルドの前期作品の中で名眼と評される一品。



「間違いないそれはエナルド六号義眼! なんでお前がそれを!」



 義眼にさほど興味がないロイでも知っているそのエナルドの眼は、偽物も多数流通している。が、その橘圭吾に宿る左目の義眼は間違いなくオリジナル。本物だった。



「ふっふざけるなっ! お前なんかが持っていい眼じゃな」



 言葉を遮る様な形で、ロイの目の前に突如現れた圭吾はロイの顔に周り激しい蹴りを食らわした。瞬間移動である。有効範囲であればどこでもを移動できる六号義眼の力が発揮された。



「ぐぽぉぉぉぉっ!!!!」



 ロイの情けない声が漏れた。歯が弾け飛ぶ。



「黙れよカス。お前はただでは済まさない」



 



 



























 リリスの言葉を信じ、一之瀬静乃はまだ東京にいた。圭吾が危うい事を説明された静乃はいち早く圭吾と合流する為、リリスから教えられたルートににてとある場所に向かっている。それは総武本線平井駅から荒川に向かうルートだ。静乃はリリスに教えられたとおり、総武本線沿いの道で荒川へと住宅街の中を歩いていた。



(グロリア教団――――東京危機を立案し、魔王の義眼を見つけ出す事を目的とした組織。早く橘に教えなきゃ)



 リリスの口から発せられた敵の組織の名。グロリア教団。500年近くの歴史を持つ異世界の秘密結社にして密かに魔術師達が目指しているとされている魔術至上主義の集団。

 組織結成当時からの目的の一つ。『魔王の義眼を真偽を確かめ、真(まこと)であれば我が物とする』という目的に沿い、教団は義眼があると考えられるこの世界に極秘裏に侵攻した。

 侵攻作戦は当初順調に進んだが、第一段階最終局面において橘圭吾の妨害に合い失敗。教団は障害を排除する為、橘圭吾を殺害する計画を企ているとリリスは静乃に語った。



『グロリア教団は危険。あなたからも説得して』



 リリスの言葉を静乃は思い出す。橘はどうにかして教団を止めるつもりだが、強大な権力と武力を持つ組織にたった一人で立ち向かうなど自殺行為だとリリスは言っていた。

 そう説明されれば誰でも止めるだろうと静乃は思った。そもそもあいつが一人で背負う事ではないと静乃は思っている。



「そうよ。それにあいつが死んだら優衣香が悲しむし……」



 誰にも聞こえないような小さき声で静乃は呟いた。もうすぐ荒川である。静乃は周りの通行人が急激に増えている事に気づいた。



(何? 何があるの)



 老若男女の人々が挙(こぞ)って川の方へと歩いている光景に静乃は違和感を覚える。今日、イベントがあるという情報やドラマの撮影があるとも聞いていない。そもそも民放は復興の目処がたっていないし、事変から一月しかたっていないこの時期にのん気にドラマなど撮っている場合ではないだろう。



(何があるの?)



 野次馬が見えてきた。その野次馬の視線の先は河川敷の堤防の先だ。何名かが堤防を登って、その先を覗き込んでいる。

 そしてその先にはなにやら金属同士がぶつかり合う様な音が聞こえてきていた。



「何だあれ!?」

「化け物だ!」



 野次馬達の驚嘆している言葉を聞きながら、静乃も堤防を登る。そしてその正体を視界に捉えた。



(あれはっ!?)



 それはムカデの様で蛇の様な怪物に人一人が戦っている光景だった。怪物は鉄橋にて止まる電車をその長い胴体で橋ごと絡み、その上空では怪物の頭部に向けて刀で攻撃を繰り返している一人の人の姿が見えた。その人の姿は途中、瞬時に移動していた。

 そして静乃は確信する。フードを深く被り、顔は見えないがあれは間違いなくあいつだと。



「橘!」



 圭吾は全く劣勢に陥る気配はない、ロイを追い詰めていた。圭吾の表情は無表情だが、心の奥底では憎悪している。この男をさっさと蹴散らして、勇人を追うべきだが、こいつはただでは済まさないと言う気持ちが先走っていた。

 圭吾は冷静にロイの攻撃を見極め、確実に長い胴体を刀で次々と切り刻んでいく。人質の事など全く配慮せず、ロイを痛めつける事だけに集中する。そうすればおのずとロイの体の力も弱まると確信しているからだ。



「クソがっあああ!!!! おめぇーこっちは人質がいんだぞ!? 少しは躊躇しやがれぇ!」



 圭吾に圧倒されるロイは次々切り刻まれる事に耐え切れず、圭吾に向けて情けない言葉を発した。その言葉に圭吾は苦笑した。



「何、馬鹿げた事言ってんだ? 俺に気を使わずにさっさと電車を締め潰せばいいだろ?」



「てめぇ!? 本気かよ!? 本当にやんぞ!?」



「好きにしろ」



 その言葉通りロイは鉄橋ごと電車を締め付けたが、圭吾の刀はその瞬間に大きく振動する。凄まじい振動音が響いたかと思うと、一瞬でロイの長い胴体を次々輪切りになった。その攻撃はロイには見切れなかった。



「いでぇえええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!」



 ロイの断末魔が鉄橋周辺に鳴り響く。胴体はバラバラにされて川へと落ちていった。そして圭吾は、頭部部分の前へと瞬間移動し、足を振り上げて、激痛で悶絶するロイの顔目掛けて思いっきり蹴りを食らわした。



「死ね」



 蹴った瞬間、圭吾はそう言った。右足で顔を蹴られたロイの顔は変形し、歯が何本も飛び散り、言葉にならない声を発して、飛んでいく。



「ぶぎょおがぁぁぁぁ!!!!」



 ロイは大きく飛ばされ、隅田川沿いを走る首都高の高架橋の柱に叩きつけられた。そして中州へと落ちていく。

 圭吾はそれを追い、地面を這い虫の息へと化したロイに近寄り、刀の先を向けた。



「おごっ! げほっ! げほっ!」



 咽ながら血を吐くロイに、圭吾は容赦しないつもりである。



「さあ、何から聞こうか? まずは組織についてかな?」



「言うと思うますかぁ――低級魔術師風情が!」



 圭吾は地面に這い蹲るロイの頭を右足で踏んだ。



「ぐおっ! 瀕死の野郎を踏むなんて悪名魔術師ぽくて私は好きですぉイヒヒヒヒッ!」



 圭吾は踏む力を強める。



「おごっ! あんまり強く踏まれるとしゃべれないのですがぁ?」



「黙れ」



 その時だった。背後に近づく気配を察した圭吾は後ろを振り向いた。そして驚嘆する。



「――――一之瀬!?」



 圭吾の背後に現れたのは一之瀬静乃だった。静乃は息を荒くしながら、落ち着いた様子でロイを見て言った。



「何やってんのよあんた?」



「それは俺の台詞だ! なんでここにいる!?」



「あんた一人で立ち向かうつもりなんでしょ? リリスさんがそう言ってた」



 一之瀬からのリリスという言葉に圭吾は軽く驚くも、そういう事かと悟った。



「あの人形め。余計な事を」



「リリスさんの言うとおり、一回あんたは生まれ故郷の世界に帰るべきよ。この世界についてはやっぱこの世界の住人が立ち向かうべきだと私は思う。だから公表する」



「馬鹿かお前は! 政府にはもうあいつらの手が回っている。世界各国の政府にだっておそらく……。公表しても余計な混乱を招くだけだ! それに簡単に信じて貰えるとは思えない! 異界からの侵攻など作り話だと笑われるだけだ」



「たとえ信じて貰えなくても最初だけよ! あんたが目の前で魔術を発動させれば」



「やってどうになる? そもそも今の政府にこれ以上問題を抱え込み解決できる能力はないだろう」



「それはあんたの考えでしょ? やってみないと分からないじゃない!」



「余計な混乱と不安、恐怖を招く事に俺は賛成しない。やりたいならお前一人でやれ」



「何よその言い方! 私、心配してんのに……」



「お前に心配される程、俺は弱くない!」



「おい、痴話喧嘩はそれぐらいにして貰いませんかねぇ?」



 いつのまにか圭吾の足から脱していたロイは笑みを浮かべていた。そして胸の手を当て、自爆への準備を終えていた。



「こっこの感覚――自爆する気か!?」



「そうです橘圭吾。あなたにここまでやられては私のプライドが許さないので」



 そう言ってボロボロの顔で笑みを浮かべるロイに圭吾は狂気を感じた。



「最後に言い残す事はありますか?」



 ロイの心臓にあたる胸が急激に膨らんでいく。ジョンから与えられた魔書にて心臓に仕込む自爆魔術の記述を圭吾は思い出す。その爆発範囲も圭吾は暗記していた。



「その自爆術。リリアン式心中魔術だな」



「ほう、よく知っていますね」



 笑みを浮かべるロイ。それに対して圭吾は無表情で言った。



「残念だが、俺の瞬間移動で回避できる爆発範囲だ」



「知ってますよ。でもね」



 ロイは背後の高架橋の柱を見る。



(まさかこいつ!?)



「この柱を吹き飛ばすには十分です。上を走る車がどんな目に合うか見られないのが残念ですけどね」



「てめぇ!」



 ロイの自爆するという言葉に、静乃は怯えて、圭吾は焦る。



「ただでは死にませんよ。道連れはさせて貰います……もう時間ですね。3.2、」



 笑みを浮かべながら最後のカウントを行うロイに対し、圭吾は1を言おうとした刹那、ロイの体に触り、強制的にロイを瞬間移動させた。六号義眼の力である。瞬間移動にてロイを上空へと飛ばすのだ。ロイは移動したとほぼ同時に上空にて自爆した。

 大きな爆発が荒川上空で起こった。爆発する瞬間、閃光が走り、首都高や都道を走る車を停止させ、多くの野次馬が悲鳴を上げた。爆風と熱風が平井大橋周辺に吹き荒れる。

 静乃は情けない声を出して、身構えた。しかし、すぐに爆発が上空で起きた事を理解すると少し恥ずかしくなった。

 そんな静乃を尻目に圭吾は言った。



「奴は上空に飛ばした。この爆発で車の運転手が驚いて衝突事故を起こしてしまったかもしれないが、高架橋が倒れるよりはマシだろ」



「すごい――それが瞬間移動ってやつね」



 静乃は感心しているが、圭吾は一人立ち去ろうとする。



「ちょっと、どこに行くのよ?」



「追っていた奴を追う」



「待ちなさないよ」



 圭吾の肩を静乃は掴む。



「この騒ぎどうするのよ。ネット上ではもう動画とか画像が出回ってる。あんたの姿もばっちり映ってる。まあ遠くてよく見えないからあんただって特定できないけど、これ以上大きな騒ぎを起こしたらあんたの正体はばれるかもしれないわよ」



「騒ぎが収まるまで目立った動きはしなければいいだけの話だ。それに次からは顔がばれない様にすればいい」



 もしもの時は仮面なりマスクなりで顔を隠せばいいのだと圭吾は考えていたが、どこか陳腐でどこかで見た事がある気がするので個人的にはあまりやりたくはない。



「それじゃ何かの漫画のキャラね」


 

 静乃も似た様な事を考えの様だ。



「とにかく……話はそれだけか。俺は行くぞ」



 掴む手をなぎ払う様な形で圭吾は歩き出すが、それを静乃は止める。それも魔術にてだった。



「なっ!?」



 静乃から魔力反応を感知した事に圭吾は驚嘆する。それと同時に体の動きを止められた。



「どう? リリスさんから与えれたブレスレットの力は!」



 ドヤ顔で右手を圭吾に向ける静乃の右腕には銀色で鮮やかな装飾を施された、中央に魔力石を埋め込まれた腕輪があった。

 名をエンカーブレスレット。魔道具開発企業エンカー社が販売している無力者の為の魔力石埋め込型魔道具である。



「てめぇ正気か?」



「何びっくりしてんの? にしてもリリスさんの言う通りね。あんたびっくりしてる」



「そんな事はどうでもいい! どういう事が説明しろ!」



「あんたが人の話を聞かないからよ。いいから、そのまま話を聞きなさい」



「断る」



 圭吾は無理やりな形で六号義眼の瞬間移動を発動させ、腕輪の拘束から逃れた。



「なっ!?」



 消えた圭吾に驚きつつも、話が違うと静乃は怒った。



「もうリリスさんってば話が違うじゃない!」




























「嘘だろ。あんな怪物を短時間で」



 墨田区のとある建設途中のビルに逃げ込んだズヤクは、圭吾の戦闘力の高さに驚いていた。その目で見なくても分かるほどの圭吾の戦闘力は魔力は感知のみで危険と判断できるのだっだ。特に途中から急激に上昇した事は驚嘆を隠せない。



「ねぇ。逃げ切ったんだよね?」



「うるさい黙れ!」



 むき出しの鉄骨に体育座りで背をもたれかかる勇人にズヤクは暴言を吐く。それほどもう余裕はない。着実にあの橘圭吾という男はここに向かって来ている。



(クソクソクソっ! 死にたくねぇ! 俺は本当に主に捨てられたのかよ。マジで運がねぇ! クソっ!)



「なあズヤク? もっもしかしてあの人ここに来るのか?」



「あっ?―――そうだよ弱虫」



「だったら早く逃げようよ! あいつにこの本取られるよ!」



「うっせえ! もう手遅れなんだよ! もうどうしようにも――」



 ふとズヤクは勇人が大事そうに抱えるズオーク魔書を見て、とある事を思い出す。そう、最後の六ページの袋とじのページの事だ。

 笑みをズヤクは浮かべる。



「ヒッヒャャ! すっかり忘れてぜ! 袋とじの事をよぉ!」



「えっ? 袋とじって開いちゃだめって言ってたよね?」



「うっせえな。もういいんだよそんな事。さあ、開けよ勇人。じゃなきゃその本は奴に取られるぜ?」



 そう言われて勇人はズオーク魔書を見つめる。せっかく手に入れた魔法の本。柚木達をボコボコにし、痛めつける事ができる力。心の底で願っていた力。手放すことなど出来ない。出来るはずがない。



「やるよズヤク。あの人を殺す!」



「そうだ勇人! お前なら出来る!」



(こいつがあいつを引き付けていてる間、俺は逃げるぜ。すまねぇな勇人。俺はまだ死にたくないわ)



 勇人が最後のページを開いて、袋とじを破っていくのを見ながらズヤクはどうにして逃げるかを考察していた。



「見つけたぞ」



 その声に同時に振り向く一人と一匹。そこには橘圭吾が立っていた。右目を閉じ、アスタリスクに酷似した紋様が浮かび上がっている左目の義眼で勇人とズヤクを見つめる。

 ズヤクは圭吾の左目が義眼である事を見抜いた。

 



(やはりか。まあ、大丈夫だな。逃げ切れるか)



 勇人は立ち上がる。



「その本を渡すんだ」



「嫌だね。あんたなんかには渡さない。これもう僕の体の一部なんだ。絶対的な力なんだ」



 勇人は心の中で語る。もう弱い自分に戻るなんて不可能だと、強い自分になるのだと。弱いことはいけないのだと。強くなければ生きる価値などない。



「そんな借り物の力で真に強くなったと思っているのか? 本当の強さはそんな物ではない」



「黙ってよ。所詮ありふれた言葉でしか僕を慰めなかった奴に説教されたくない。あんたは東京の人々を大勢救ったかもしれないけど、僕個人は助けてくれなかった」



「……それは謝る。もっと真剣に相談に乗るべきだった。だから償いをさせてくれ」



「償い? だったらこのまま好きにさせてよ。柚木は痛めつけないと気がすまない」



「それは間違いだ。復讐は何も生まない」



 圭吾は言った直後に後悔した。ついさっきの戦闘に復讐心が含まれていたからだ。言えた口ではないと圭吾は自己嫌悪した。自分は何様だと心の中で呟くのであった。



「それは嘘だよ。僕は石田を殺せてとても清清しい気持ちだ。今まで生きてきて感じたことがない喜びを感じられているよ。何も生まないなんて嘘だね」



 それはズオーク魔書の影響だと圭吾は言いたいが、ロイを倒せてどこか安心している自分に嫌悪しつつ認めてしまい言えなかった。



「そうかもしれない。だが、もうやめろ。そんな喜びは間違いだ」



「間違いだろうといいよ。僕はただ復讐を遂げる。それだけだ」



 そう言って勇人は笑みを浮かべて、本と向き合った。そして袋とじのページに目を通す。



「さあ! 来い! 最強の力!」



 その叫びに呼応して、本が激しく光りだす。そして勇人の目の前にズオーク魔書最強の魔物が召還された。

 オーガだ。単眼のオーガが勇人の目の前に現れた。サイクロプス以上に筋骨隆々、金棒らしき武器を持ったそのオーガ(鬼)は圭吾を敵として認識した。



「いけっ!」



 勇人の叫びに答える様に、常人には見えぬ速度で圭吾にオーガは突進する。誰しもやられると思える速度でかかって来るオーガに対し、圭吾はただ一振りで答えた。



「なっ!?」



 ただ突進してきたオーガに対し、圭吾は刀の一振りで切り倒した。オーガはいとも簡単に二つに斬り割れて、煙と化した。



「そんなっ!」



 勇人は焦る。次の袋とじを開こうとするが、突如本から溢れだした紫の煙に腕を掴まれた。



「なっなんだよ! なんだよこれ!」



 煙に腕を掴まれて勇人は本から逃れようと本を地面に投げ捨てるが、本から出る煙はあっと言う間に勇人の足を覆い、本の中に引きずり込もうとし始めた。



「勇人!」



 圭吾は助けようとするが、本の異様で悍ましい魔力を感知して、自分ではどうすることもできないと瞬時に分かり、足を止めてしまう。



「だっ助けて!」



 勇人は足の半分を本に呑まれた状態になり、その場に倒れこむ。うつ伏せに倒れた勇人は懸命に這うが、どんどんと下半身は呑まれていく。

 圭吾はただそれを見ているしかなかった。



(この魔力。下手をすれば俺も呑まれる)



 圭吾は助けだそうとしなかった。ではなく、出来ない。救助できる能力がない者が無理して助けようとすると二次的な被害を招く。父から教わった事である。それが今、起こっている。



(駄目だ! いくら考えようと手がない!)



 焦る圭吾。考えている間に、勇人は圭吾の足元まで這ってたどり着き、圭吾の足を掴んだ。



「助けてよぉおおお!!!! 痛いよおお!!!」



 勇人の煙に呑まれた肉体はもう形を成しておらず、ズタズタに引き裂かれているのであった。その痛みは恐ろしい程の激痛でありながら、気絶させずに呑み込むというのは本の仕様である。

 その激痛に、勇人は耐えられず、多く涙を流し、鼻水を垂らし、悶絶を超えた表情で圭吾に渇望した。まさに地獄の苦しみ。



「ぐおおおおっ!!!! いだいぃいいいいいいい!!!!! だずげてぇえええええ!!!!!」



 地獄の業火に焼かれる罪人の様な勇人の顔に圭吾は思わず顰蹙(ひんしゅく)してしまうが、どうにして本から助け出してやろうと圭吾は懸命に考えた。しかし、思いつかない。ない。

 その間にも煙は腰部を呑み込み、上半身にまで達した。そして激痛は倍増する。



「あぎゃあああああああああああああっっ!!!!!!」



 足を掴む勇人の握力は異常レベルに達した。助け出そうと懸命に圭吾は思案する。しかし、足元で苦しみの顔を見せる勇人があまりにも印象的で、圭吾は恐れを感じた。



(どうすればいい! どうすれば!!)



「ぐぁああああ!!!! いだいよぉ!!!! 母さん!!!! いだいよぉ!!!!」



 もう見ていられないと圭吾は思ったその直後。助ける方法の一つを思いついた。しかし、それは正確には救済とはいえないだろうと思える選択である。

 だが、圭吾は勇人に尋ねた。



「勇人? 助かりたいか?」



 勇人は冷静に静かに聞いた。



「うっうう! ああっ! 助かりたい!!!!」



 その言葉を信じ圭吾は息を呑み。右手て握っていた物を静かに振り上げて振った。勇人の首目掛けて振ったそれは刀。

 橘圭吾は初めてその手で人を殺した。悪意、殺意を持って殺したわけではない。どちらかと言えば介錯だろう。だが、橘圭吾は人殺しをしたという事実は今、出来上がってしまった。



「あっ」



 それが佐藤勇人最後の言葉であった。驚いたのだろうと圭吾は思った。助けると聞いておいて、殺した事に勇人は驚き、同時に恨んだと圭吾は思った。

 勇人の苦痛に満ちた首が圭吾の足元を転がる。そして頭を失った胴体は瞬時に煙に呑まれ、ズオーク魔書は閉じられた。

 しばらく圭吾の体は振るえ、嘔吐感に襲われると刀を落としてその場に膝をついた。



(やってしまった……俺は)



 圭吾は罪悪感に襲われる。違う方法はあったはずだと、生きたまま助けられる方法はあったはずだと。しかし、やってしまった。殺してしまった。それしか無かった。

 圭吾は転がる勇人の頭を見つめた。そして恐怖する。その顔はもう忘れる事ができない表情だった。



「俺は……何をやっているんだ」



 圭吾は罪悪感と後悔に呑まれながら、逃げたゴブリンの魔力感知を行う。逃げたゴブリンは北に逃げていた。

 立ち上がる前、勇人の見開いた目を圭吾は閉じさせた。そしてズオーク魔書に左手を向けて、魔術にて発火させ処分する。



「許さねぇ……俺も――そしてあいつも!」



 燃え盛る本を見つめながら、逃げたゴブリンと非力な自身を憎む圭吾であった。































 首都圏外郭放水路。埼玉春日部に存在する洪水を防ぐ目的で地下に作られた貯水施設に一匹の赤いゴブリンが辿り着いた。ズヤク・ロウである。勇人を囮にして圭吾から逃れた彼は夜になってついに最終目的地に付いたのだ。

 この施設の奥に異世界に戻る為の魔方陣が敷かれていた。それはこちらに来た時に使用された物であり、帰還できる形で残っているのだ。



(ふう――ここまで来たらもう安心だ。勇人は殺されたようだが、しょうがなねぇな。あれは元々そういう本だ)



 疲れきったズヤクは安心した様子で地下神殿を進んでいく。巨大な柱が何本も続く地下空間は非現実的な雰囲気をかもし出している。



「どこにいく?」



 柱を何本か過ぎた所でズヤクは立ち止まった。その声に聞き覚えがあるからだ。ズヤクはゆっくりと横を向く。するとそこには柱の影に隠れていた橘圭吾がこちらをうつろな魔目で睨み付けていた。



「ひっ!」



 ズヤクは尻餅を付く。圭吾は左目を閉じた状態で、増幅の魔眼を発動させていた。その目はどこか悲壮感を感じさせた。



「勇人をあんな目に合わせてよく逃げられるな」



「てめぇが言えた口かよ! この人殺しがぁ!」



 そのズヤクの言葉で圭吾は癇に障った。



「黙れゴブリン!」



「ほう。本当に殺した様だな! 勇人は恨んでいるだろうよ!」



 圭吾は刀を握る手を強めた。ゴブリン如きに鎌をかけられた事に少し苛立つ。



「さあ。殺せよ人殺し! もうガキ一人殺したんだ。ゴブリン一匹殺すなんて朝飯前だろが!」



 その言葉で圭吾の沸点は限界を向かえ、思いっきりの速度でズヤクを蹴った。

 見えぬ速度で蹴られたズヤクは飛び、柱に叩きつけられて落ちた。



「ごほごほっ! くそっ……」



 ズヤクは逃げる。奥に向けてズヤクはボロボロの体を引きずる様な形で歩いていく。



「逃がさない」



 ズヤクの後を歩いて圭吾は追う。その時だった。圭吾は背後から近づく気配に近づく。



「橘!」



 静乃だった。圭吾は呆れた顔を見せる。



「またお前か! なんでここまで付いて来るんだよお前!?」



「リリスさんに教えて貰ったのよ。それよりあのゴブリンを捕まえなきゃ!」



 圭吾は納得しきれないが、静乃の言われるがままズヤクを追う。

 ズヤクはもう転送魔方陣の上にいた。



「じゃあな! これでさらばだ!」



 ズヤクは魔方陣を発動する。が、魔方陣は光らない。ズヤクは唖然とした。



「なんでだ!? これでいいはずなのに!」



 圭吾はそれを見逃さない。瞬時に近づいてズヤクの頭を踏みつけた。



「橘!」



 静乃が叫ぶ。



「ぐおっ!」



「逃がさねぇ! もう逃がすわけにはいかない!」



 圭吾の目はどこか狂気を含んでいた。静乃にも感じてられる様な目つきであった。



「橘。あんた――」



 圭吾は左手でゴブリンの首を掴み、持ち上げた。



「ぐっ――! てめぇ完全に人殺しの目になってるぜ」



「――うるさい」



 圭吾は小さく言った。



「何度だって言ってやる! 人殺しがぁ!」



「黙れ!」



「人殺し!」



「黙れぇえええ!!」



 圭吾はズヤクを殺した。首を絞めて殺した。ズヤクの死顔は苦しみに満ちている。



「橘! それって……」



 ぐったりとしているズヤクを見て、静乃は半信半疑な気持ちで圭吾に問いかけた。



「殺したよ」



「えっ?」



 聞き取れなかった風に言う静乃。しかし、本当は聞こえていた。



「殺したんだよ俺が!」



 広い地下神殿に圭吾の声が響き木霊した。



「そいつを殺したって意味よね?」



 静乃は信じる事ができない。いくら圭吾が力を持っていても、人を殺す事などないと思っているからだ。



「違う」



「えっ? じゃあ、あんた――」



 そう言いながら静乃は圭吾に近づき、肩を掴もうとした瞬間。二人の足元は急に光り出した。二人は眩しさで思わず目を隠す。



「何!?」



「これは!」



 魔方陣が発動し始めたのだ。足は固定されて、圭吾と静乃は動けなくなった。



(くっ! こいつの死がトリガーだったか!)



 最初からズヤクの死で発動する仕掛けだったのだ。このままでは二人とも異世界に強制転送される。しかし、助かる方法はある。それは瞬間移動だ。圭吾は六号義眼を発動させるが、時間はない。あと数秒で転送開始が始まる魔方陣に対し、逃げ切れるのは一人のみだ。

 もう迷っている暇はないと、圭吾は静乃の手を掴んだ。



「お前はもう関わるな!」



 圭吾はそう言って静乃を瞬間移動させた。魔方陣から50mはなれた地点に場所に飛んだ静乃は何が起こったか理解できない。唖然としつつも、圭吾の姿を目で捉える。



「圭吾!!」



 つい下の名で呼んでしまった。初めてだった。だが、その声は届かなかった。そこにはもう橘圭吾の姿は無かったからだ。

 沈黙が流れる。魔方陣は完全に消滅し、眩しい光はない。



「橘……?」



 地下神殿の奥で一之瀬静乃は一人となった。東京事変から一ヵ月。体に異変が起こる一月前のこの出来事は彼女の転機であると言うことがこの時の静乃は知る由もなかった。


























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