ズオーク魔書

 ゴブリンはベランダから戻って来た勇人に近付いてきた。身長50cm程度の赤いゴブリンはやたら低い声であった。服は着ておらず、全裸であるが、生殖器らしきものはない。手は五本指であるが、腕は細く足も細く、弱々しい印象を与える。

 勇人は不信感と不気味さを抱きながらも、薄暗い中でゴブリンに近付いた。



「本物なのか…?」



 近付いて目を見開く勇人に対し、ゴブリンは笑みを見せたまま言った。



「俺の名前はズヤク・ロウ。お前は可哀想だな」



「――何の事だ?」



 ゴブリンは一瞬真顔となるが、再び笑みを見せた。



「だっていじめられているだろ?」



 その通りである。しかも今日は普段より酷い目にあった。



「そう…だけど」



「復讐してみないか?」



「復讐って……というかお前は何者なんだ?」



「俺が何者なんか重要じゃない。まあ、強いて言うならお前の為だけに来たヒーローって所だ」



 ゴブリンがヒーローなどイメージに合わないと勇人は思いつつも、問いた。



「ヒーローだって? ゴブリンの癖に」



「まあ、おいらがヒーローってキャラではないと分かっている。でも、俺はお前を助けたいのだ」



 そう言ってズヤクと名乗るゴブリンは手を差し出す。



「この手をとればいい世界を見せてやるぞ坊や」



 不信感を抱く勇人であったが、一度死ぬと決めた身、騙されても良いという気持ちで勇人はズヤクの手を取った。

 その手を取った途端、またズヤクは笑った。



「よろしい――では、この本を見よ」



 そう言うとズヤクのもう一つの手に茶色の煙が突如として現れ、その煙が一冊の本を作りあげた。

 勇人は驚嘆しながらも、現れた紫色の本を凝視する。



「それはなんだ?」



「これは魔喚書(まかんしょ)と呼ばれる魔本だ。名をギオーク魔書と言う」



 異様な意匠のその本は勇人を不審がらせながらも、これまた不思議と引きつけられるものがあった。手に取ると何か災いを招き寄せる様な雰囲気を醸し出しているが、同時に今の状況を打破してくれる可能性が感じられた。



「それは一体何をする本なんだ」



「まあ、見ろ」



 ズヤクはそう言うと、魔書を開く。適当に開いたそのページに記された魔法陣が紫色に光る。そしてズヤクの隣に黒煙が突如として現れ、その煙がとある怪物を作りあげた。



「うわっ!」



 勇人は尻もちをつく。無理もない。目の前に現れたのは2mの単眼の怪物サイクロプスなのだ。紫の肌のそのサイクロプスは勇人をその一つの目で見つめる。



「ばっ化け物!!」



 驚きと恐怖で慌てる勇人にズヤクは言った。



「大丈夫だ。お前に危害は加えない。俺が命令しなければな」



 勇人は半信半疑ながらも、立ち上がりサイクロプスを凝視した。

 創作物でしか見た事が無い怪物が、今、目の前にいる。恐怖をまだ少し感じながらも、勇人は胸騒ぎを感じていた。



「――すごい」



「だろ」



 ズヤクは笑う。それに対して勇人の目は輝きが見えた。



「これを坊やにやろう。そしてあいつらに見せつけてやるのだ」



 ズヤクは本を閉じる。閉じると同時にサイクロプスは瞬時に煙になり消えた。そして魔書を勇人に手渡そうとする。



「でも――」



 勇人は躊躇する。確かにこの本を用いれば柚木達からいじめを受けなくできるだろうが、この本が自身にどんな影響を与えるか分からない。勇人は疑い深い。



「この本には何かいけないものがあるんじゃないか?」



「何かとは?」



「たとえば使用者は死ぬとか……」



「ほう――するどいな」



 ズヤクは感心した様子で再び本を開いた。開いたページは最後辺りの数十ページで、紐で袋とじされていた。



「やっぱり」



「安心しろ坊や。この袋とじさえ開けなければ災いはない」



「本当なんだな」



「本当だ」



 未だに笑みを浮かべるズヤクに勇人は不信しながらも、決心した。



「分かった」



 勇人はズオーク魔書を手に取った。手に触れて掴んだ途端、勇人は本から送られてくる何かに気付きながらも、同時に心の中で士気が高まるのを感じ、それをありのまま味合う。



(なんだこの気持ちは――何でも出来そうなこの気持ちは!?)



 勇人の心は心躍っていた。しばらくの間、感じていなかった気持ちに勇人は酔い痴れる。

 


「どうだ? 素晴らしいだろ?」



 ズヤクは言った。まるで勇人の心を見透かしているの如く。



「ああ! これはすごい!!!」



 今までにないぐらいのはっきりとした元気な言葉で勇人は言った。その言葉にズヤクは笑うのであった。








































 勇人と別れた圭吾は、予約したカプセルホテルに向かう為、山手線に乗車していた。時間はちょうど帰宅ラッシュだが、満員ではなく、まばらだった。圭吾は座席に座っていた。



(やはり東京が元に戻るのもあと数年はかかるだろうな)



 人の少なさから圭吾は改めて東京の深刻さを感じる。世界屈指の都市である東京がたった一人の魔術師によりここまで廃れるとは誰も思わない。



(これ以上侵攻させられたらきっと東京は――)



「終わりかな?」



 圭吾は突如聞こえてきたその声に驚く。そしてその声が聞こえると同時に周囲の空間が変化する。見える物全てがモノクロとなったのだ。そして周囲の乗客が時間が停止したかのごとく全く動かなくなり、圭吾は混乱した。



(魔術!? 何で気付かなかった!?)



 圭吾は混乱しながらも、立ち上がり辺りを見渡す。自分以外の乗客や風景が全て動いていない。そして心を読まれた事に圭吾は自分以上の魔術師だと確信する。



「空間の時間停止に読心魔術。大した腕だな」



 姿が見えない敵に圭吾は言う。



「お褒めの言葉ありがとう。だが、まだまだだよ」



 若い男の声だった。圭吾が見渡す中、その声の主は圭吾の背後に立った。



「はじめまして」



 背後に立たれた事を瞬時に理解し、振り向いた。



「お前は……」



 学生服に似た白い衣服を身に纏った若い男が圭吾の背後に立っていた。整った顔で長い白髪を一本結びで束ねたその姿は一目魔術師とは思えないが、雰囲気が人並みならぬ物であり、感じられる魔力から魔術師で間違いなかった。



「初めまして私の名はライット・ゲハルゲン。この世界とは異なる世界から来た魔術師です」



 ライットと名乗る男はそう言って一礼した。物腰柔らかそうなその口調は敵意を感じさせない。

 だが、圭吾は瞬時に警戒し、懐に隠していた小型化した刀を手に掛ける。



「おっと剣をとるのはやめてください。私はべつに争うつもりでここにきたのではありません」



 圭吾はその言葉を信じられない。



「では、何しに来た? そう言って騙すつもりか?」



「いえいえ。あなたをスカウトに来ました」



 ライットの言葉に圭吾は耳を疑った。



「なんだと……!?」



「スカウトですよ橘圭吾――我々協会はあなたの才能を高く評価している」



「協会だと――?」



 ジョンからも教えてもらっていない単語だった。圭吾は考え、言った。



「魔術師の組織か? それが俺に何の様だ?」



「あなたはロイを退けましたでしょ? その一部始終を我々は見ていたのですよ」



 そのライットの言葉で圭吾は悟った。



「まさかロイがお前達と同じ会員だとでも言うんじゃあるまいな」



「さすがですね。正解です」



 その返答を聞いた圭吾は刀を取り出した。



「ふざけるな!!! ここを攻めた組織に誰が入るか!!!」



 その圭吾の言葉に、ライットはにこやかに笑った。



「的確にはロイット・バン・クリントは正式な会員ではないですよ。仮入会で仮会員という立場でした。東京に攻めたのは正式入会の為の試験でした」



 その説明で圭吾は激怒した。



「何が試験だ! 馬鹿馬鹿しい! 何百万人も犠牲にしておいて何も感じないのか!?」



「こちらの人口は70億人らしいですね。たかが500万1000万程度の人命が亡くなったぐらいではさして影響はありませんでしょ?」



 煽るライット。しかし、当の本人はそのつもりがない。協会員の彼らにとって魔力を持たない者は人間扱いしないのだ。真っ当な道徳心は持ち合わせていない。



「イかれてやがる……真っ当な人間じゃねぇ」



「橘圭吾。魔術の究極を求めるならば多少の犠牲は必要なのですよ。あなたも魔術師なら分かるでしょ?」



 ライットの言葉に圭吾は全く同意しない。確かに魔術は優れた力だが、その先を求めて人を蔑ろにするのはおかしい。



「確かに魔術を発展する事は必要だろう――だが、人を多く殺してまで得る価値はない!」



 圭吾は言いきった。これが彼の魔術に対するスタンスだ。



「そうですか――残念です」



 ライットはそう言って、重々しい目つきで圭吾を睨みつけた。



「交渉決裂だな。さあ、どうする?」



 圭吾は刀を握る手を強くする。



「そうですね? 殺しましょうかね?」



 ライットは手を前に出す。圭吾は危機感を募らせる。感知から分かるのである。魔力からライットはロイの数倍は優れた魔術師であると。



「それにしてもここは狭いですね。狭い所で戦うのは趣味ではないのですが」



 ライットは周囲を見渡す。車両の中は確かに狭い。

 圭吾は警戒心を保ちながら、集中する。



(生半可な攻撃では瞬殺される)



 圭吾は今までに感じた事がない殺気を感じていた。そのプレッシャーにより、圭吾の鼓動は激しくなっていく。

 それを悟ったのか、ライットはすこやかに笑った。



「辞めます。今日は引きましょう」



 拍子抜けだった。圭吾は唖然とした。



「何?」



「あなたは将来極めて優秀な魔術師になれる可能性がある。有望な若人を殺すのは我が協会の掟に反してしまんですよ」



 ライットのその説明に圭吾は少し安堵していた。そういう自分を自覚した圭吾は情けないと感じた。



「見逃すと言う事か?」



「ええ。でも、次会ったら保証はしませんよ。成長が感じられないなら殺すかもしれません」



 そのライットの言葉に再び圭吾は緊張する。



「まあ、そこまで深刻に考えなくていいですよ。そう言って殺さない事多いですし自分」



 嘘だろと言いたい圭吾であったが、言えなかった。



「では、さらばです橘圭吾。考えが変わったらいつでも入会してください」



「永遠にそれはない。俺は外道になるつもりはない」



 その圭吾の返答にライットは笑みを見せた。



「私との圧倒的力量差が分かりながらその物言い。大した気力ですよ」



 ライットはそう言って右手を掲げ、指を鳴らした。すると圭吾の視界は一瞬にして暗闇に包まれ、気付くと圭吾は座席に座っており、駅に到着した事を伝えるアナウンスが耳に届いた。

 圭吾は、周囲を見渡す。特に何も変化はない。ただ異様に汗をかいている事に気付いた。



(……協会か)



 敵は只者ではない。異世界のトップレベルの魔術師達が集う組織だと圭吾は推測した。



「勝てるのか俺は……」


 

 圭吾は不安に駆られるが、不思議と逃げる気持ちは湧かない。あんな地獄は許すつもりはないからだ。











































 召喚されたサイクロプスに対し、勇人は凝視する。時間は既に深夜近く。マンションの一室にてゴブリンから渡された魔喚書は勇人に呼応し、単眼の怪物を召喚したのだった。

 青い肌のサイクロプスは、創作物に良く見かけそうなタイプだが、本物はやはり異なった。目の前にいるだけで威圧感は凄まじい。



「これが俺の思い通りになるのか?」



「そうだぞ。これで思うぞうんぶん奴らをぶちのめせる」



 勇人の背後からゴブリンのズヤクは言う。



「どうやって動かすんだ?」



「本を持ったまま念じろ。歩けとか攻撃しろとか」



 ズヤクの言う通りに念じる勇人。するとサイクロプスは右手を上げた。



「本当だ」



「細かい動作は慣れるしかないが、単純な動作は簡単だ」



「練習すればもっとすごい奴とか召喚できるのか?」



 その問いにズヤクは笑みを浮かべた。



「ああ。まあ、かなり使い込まないと召喚できないが、最強クラスはドラゴンだ」



 ズオーク魔書は単眼のモンスターを召喚し、使役する事が出来る魔本である。ファンタジーにてよく見かける怪物類はほぼ網羅しており、全て単眼という形であるが実体化する。使用者の魔力を必要としない画期的な魔本であった。

 開発当初は革新的と謳われていた。



「明日は学校を休んでこいつを練習するよ。もう、あんなつまらない所にいく必要はない」



「おい、いいのか? 学校ってのは行かなきゃいけない所なんじゃないのか?」



「いいんだよ。あんなクズどもが俺をいじめる所なんて行く必要はない」



 その勇人の言葉にズヤクは感じ取った。既に変化がみられる事を。



「そうか――そうだな勇人。俺も付き合うぜ」



「ありがとうズヤク。君は本当の俺の‘救世主’だ」



 その言葉にズヤクは喜びを感じた。ゴブリンであるズヤクはは今まで小汚い事ばかりして生き延びてきた。人間に感謝されるなど今まで生きた中で無かった。

 だが、その喜びは一瞬にして消える。命令と企みの方が大事だからだ。



「救世主か――勇人。おもしろい事言うな」



「何か言った?」



「いや。なんでもない」



 ズヤクは勇人に背を向けて笑みを浮かべた。彼の企みは、彼の物ではない。彼の主の物である。








































 カプセルホテルを出た圭吾の前に現れたのはリリスだった。早朝の都心で、朝早くメイド姿を見るとは思いもしなかった圭吾は目を丸くしたが、リリスの目的を問いただす。



「三日ぶりか。何の用だ?」



 これまで何度かこうして現れるリリスに対し、圭吾は自分に発信魔術でも掛けられていると疑い、自身の体を幾度か調べたがそれらしき魔術は見つけ出せずにいた。

 圭吾はリリスが自分が及ばない高等魔術を使用していると憶測している。



「おはようございます圭吾様。ご主人からの連絡です」



「連絡? 半月ぶりだな」



 リリスの主人とはジョンの操り主。この世界とは異なる世界の住人で、圭吾の魔術の師である。



「主人はあなたに警告します。もう東京は救えないかもしれないと」



「はあ? どういう事だ?」



「言った通りです。ですからもうヒーローごっこはやめて、一度こちらに来いと言っておられます」



「ふざけるな!」



 圭吾はやや大きい声で怒鳴った。その声に通行人の何人が圭吾達に視線を送る。早朝であり、東京の人口は減っていても通行人は数人いる。



「東京が壊れるのを黙ってみてろと? お前らみたいに」



「あなたはこの世界の住人ではありません。何故そこまでこの世界に拘るのですか?」



「俺の故郷はここなんだ。産まれはそっちだろうが、俺はこの世界の住人だ」



 素直な気持ちを圭吾は言った。故郷を守りたいのは偽りない気持ちだった。



「そうですか。その言葉、主人にそのままお伝えします」



「勝手にしろ」



「東京事変の際あなたを助けたのに……忠告もしてあげたのに」



 無表情で愚痴を告げるリリス。圭吾はそれに対し苛立ちを感じた。



「はいはい。それには感謝しているよ」



「そうですか。では、さようなら圭吾様。小さき魔物にはくれぐれもお気を付けて」



「何の事――」



 その時だった。圭吾は巨大な魔力感知をする。それは昨日訪れた東京の東側。江戸川区方面だった。圭吾はその方面を見る。



(何だこの反応!? 昨日まで無かったのにこれは――)



 圭吾は視線を戻す。しかし、もうリリスの姿はそこには無かった。







































 

 学校に登校せず、朝からズヤクと共に人気のない路地裏の大きな一角に来た勇人はズオーク魔書を開いた。そしてサイクロプスを召喚する。

筋骨隆々の怪物が、いじめられっ子の思い通りに動く。



「行くぞ」



 昨夜夜遅く練習した成果なのか、サイクロプスは勇人の意志通りに動く。ジャンプやジャブ。キックや飛び蹴りなど思いのままだ。操る勇人は寝不足なのか顔色は悪いが、その表情は笑みを浮かべていた。



「なかなか素質がいいな勇人。もしかしたらもう他のモンスターを使役出来るかもな」



「本当かズヤク? なら他のページを試してみよう」



 勇人は一旦魔書を閉じる。するとサイクロプスは消えた。そして異なるページを開く。そのページには狼らしき獣が描かれていた。単眼の狼である。



「出で来い!」



 念じるだけで単眼の狼は彼らの前に召喚された。青い毛の狼である。一つの眼しか持たないその狼は異質である事は一目で分かる。



「やった! 狼召喚成功だ!」



「二日目で二体目のモンスターを召喚できるとはな。予想外だ」



「これであいつらを蹴散らせる。見てろよ――」



 勇人は笑みを浮かべる。この怪物達に恐れ、ボコボコにした柚木達の光景が目に浮かぶのだ。



「勇人。ちょっと待ってろ」



 ズヤクはそう言うと、どこかへと向かって行った。そして数分後。とある良く見る動物を腕に抱えて戻って来た。



「――猫?」



 ズヤクが抱えて連れてきたのは、首輪を付けてない白黒の野良猫だった。猫は暴れ、ズヤクはそれを必死で止めていた。



「そうだ! ほら、こいつを殺してみろ!」



 ズヤクの細い腕には猫に噛まれたり、引っかかれた傷があった。それを見た勇人はズヤクは小さな体でよく捕まえたなと感心するが、同時に猫に対して憐れむ気持ちもあった。



「そんな……殺すなんて」



「何、ビビってる! ここの人間は保健所とやらで何万匹も殺してんだろ!? たかが一匹殺したからなんだ?」



「でも――かわいそうだよ!」



「だからお前はいじめられるんだ。殺せばお前は強くなれる! さあ! やってみろ勇人」



 ズヤクはそう言うと、必死に捕まえていた猫を狼の前に出す。猫は逃げようとするが、ズヤクが威嚇して角に追い込み、猫も威嚇するが、狼を目の前にすると猫は大人しくなった。



「さあ! やれ勇人!」



 ズヤクは笑っている。この状況を楽しんでいる様だ。しかし、勇人は踏み切れない。



(猫を殺していいわけがない――)



 勇人は迷う。しかし、ズヤクの傷ついた体を見ると、自身の為に猫を必死で捕まえた彼の為にも報いる必要があるのではないかと勇人は思う。



「さあ! やれよ勇人!」



 勇人は決断した。



「やれ!」



 単眼の狼が猫を襲う。それは一瞬の事だった。猫はズタズタに引き裂かれ、血を噴き出すが、その光景を見て勇人は不思議と不快な気分にならなかった。むしろ快感を覚えている。



「フハハハハッ!!! いいぞ勇人! この調子で柚木達をボコボコにしてやろうぜ!」



「うん! なんだか気持ちがいいよズヤク!」



 その勇人の言葉を聞いたズヤクは心の中で笑みを浮かべた。思惑通りの勇人の変化が見られて気分がいい。

 猫は無残に食い殺されて、狼の口の周りは血により真っ赤になった。



「すごい――」



 食い終わった狼を見て勇人は言った。



「さあ。もうちょっと殺してみるか勇人。次は――」



 ズヤクは近付いてくる魔力を感知した。それは前日に勇人と一緒にいた者の感覚だった。



「どうしたの?」



「やばい。敵が来る」



「敵?」



「そうだ敵だ!」



 主からの命の一つ。本を渡した少年に奴に会わせていけない。ズヤクはその命に従い、勇人を誘導する。



「勇人! 逃げるぞ。ここに敵が来る」



「敵って――よく分からないけど分かったよ」



 勇人は本を閉じ、ズヤクに手を握られる形で路地裏から出ていった。そしてその数分後。敵がその場に現れた。

 橘圭吾である。



(ここか――)



 江戸川区に来た圭吾は、大きな魔力の動きを追ってこの場に来た。人気のない路地裏の一角。滅多に人などこない様な場所は魔術師が好みそうな環境である。

 路地裏を見渡すと血だまりがある事に気付く。



(何者かが殺されたのか!?)



 血だまりに圭吾は近付く。腰を下げて確認すると時間が立っていない血だまりだと気付いた。



(――新しい血だ)



 まだほんのりと温かい血に、圭吾は戦慄を感じるが、恐れている場合ではないと立ち上がる。そしてまだ敵は周囲にいる事を確信して路地から出ていった。








































 ズヤクの言う敵から逃げ回る事数時間。昼休みに差し掛かる時間帯を見越して佐藤勇人は登校した。制服に着替え、ある程度魔書を使用できる様になった勇人は目的達成の為、不気味な笑みを浮かべながら校門を抜ける。

 目的。それは報復。いじめに対する報復である。柚木達のいじめに耐えられず、自殺を考えた勇人の前に現れたズヤクは勇人にとって真の救世主だった。東京を救った橘とは違い、自身に力を与えてくれたズヤク。それは密かに願っていた事だったのだ。



「おい佐藤。今頃登校か?」



 玄関の所、上履きに履き替えている所で勇人は担任に男性教師に声を掛けられた。



「すいません先生。病院行ってました」



「心配したぞ? 自宅に電話しても誰も出なかったからな」



 何が心配だ。どの口がそういう。勇人の脳裏にこの言葉がよぎった。勇人の担任はいじめを見逃している事を勇人は知っている。先生も東京事変で家族を失い、辛い思いをしているのは分かっているが精神的負担をこれ以上抱え込みたくないが為にあえて見逃している担任に勇人は恨んでいる。



「すいませんでした。今度からは気を付けます」



「そうしてくれよ」



 先生も報復対象の一人だが、今は第一目標達を始末するのが優先である。



「おい佐藤。何だその本は?」



 担任が勇人の手に握られた奇妙な本を指差し言った。ズヤーク魔書だ。紫色で異様な装飾のその本は見るからに何か災いを呼びそうな本である。



「学校に余計な物は持ってくるな」



「これは――」



 担任は近付いてくる。勇人は魔書を抱えて走り出した。

 没収されるわけにはいかない。



「おい!」



 担任は逃げる勇人を追う事をしなかった。勇人は一安心しながらも奴らがいる個所へを向かう。柚木達が屯しているいつもいじめを受ける校舎裏だ。ついに柚木達の泣き叫ぶ顔が拝めると思えると勇人はワクワクが止まらない。



「やってやるよズヤク――俺はもう弱くないんだ!」



 一人呟きながら、校舎を出た勇人。もうそこは校舎裏である。

 その光景を校舎の屋上で眺めている小物の魔物がいた。ズヤクである。



「そうだ勇人――やってしまえ。人間の無様な姿を俺は見たいんだ」



 ズヤクは笑みを浮かべる。不気味な笑みだ。



「しつこいな」



 ズヤクの感知器官が反応する。高い魔力を持った者が学校に近付いたのだ。昼になるまで散々こちらを追いまわしてきたこの反応はズヤクにとって厄介者でしかない。



(だが動きは止まった――校舎には入れない様だな)



 

「ここか!」



 やっと動きを止めた魔力を突き止めた圭吾の眼前にあるのは中学校だ。時間は既に昼。昼休みを迎えて、校庭でサッカーななどをやっている男子学生達などが見える。



(この高い反応。何かする気だな)



 魔力反応を追い詰めたい圭吾であったが、ここは公共施設である学校。許可なく校舎に入れば不審者扱いされ、警察を呼ばれる。



(クソ。敵は知っててここに逃げ込んだのか?)



 どうやらこの反応の敵は学校の防犯システムをよく理解していると圭吾は思ったが、同時に思い当たる事があった。



(まさか中学生が起こしている反応なのか――?)



 こちらの世界の住人は魔力を生成できない。それはもう分かり切っている事だが、例外はある。あちらの世界にも魔力を持てずに産まれる人間はいる。そんな人間は差別される可能性がある為、親は魔力石と呼ばれる極めて高価な鉱物を買い与え、自身の魔力を石に込めて子に不自由なく魔術を使用させる様にするとジョンから教わっていた。ならばその方法で魔術を使えないこの世界の人々に魔術を使役させる事が可能ではないかと圭吾は思っていた。



(奴らの目的は魔王の義眼。こんな学校にある訳がない――)



 考えていても時間は過ぎていくだけである。きっと教師に化けて侵入したに違いないと圭吾は結論づけて学校の裏から侵入しようと走り出した瞬間、急激に魔力を感知した。



(この急激な反応!? まさか)








































 ついに佐藤勇人は復讐を始めた。彼の眼前に広がる光景は血生臭い景色だ。

 サイクロプスが石田を殺したのだ。校舎裏に頭を失った中学生の遺体が一つある光景は異様であり、残酷な場面である。



「何なんだよそれ、何なんだよそれはぁ!!!」



 柚木が少し怯えた様子で叫んだ。その隣で柳が体を震わせて、頭が綺麗に吹き飛んだ石田を直視して叫んだ。



「うわぁあああああああああああ!!!! 許してくれ勇人!」



 完全に戦意喪失し、柳は土下座する。しかし、勇人は許すつもりはない。

 完全に怯え、命乞いをしそうな柳と異なり、柚木はまだ勇人に多少ながら敵意を向けている。



「お前――こんな事をしてどうなるか分かってんのか?」



「それはこっちの台詞だよ。今まで散々いじめくれたね? でも、今日でそれは終わりだ」



 サイクロプスは煙の様な吐息を吐く。右手の拳は石田の血で真っ赤に染まり、鋭い単眼で柚木達を睨みつける。



「ひぃいいい!!!!」



 柳は柚木にしがみ付くが、柚木はそれを払う。



「なあ、勇人。それ――すげぇな」



 突如、態度を変える柚木に勇人は少しの苛立ちを覚える。



「本当すげよ。マジで尊敬しそうだぜ勇人。どこで手に入れたんだよそれ?」



 その言葉を聞いた勇人は近付いてくる柚木を攻撃せず、後ろで怯える柳にサイクロプスは攻撃させた。サイクロプスは柚木の横を一瞬で通り過ぎた、腹部に強烈な蹴りを受けた柳はサッカーボールのように吹き飛び、フェンスに強烈に叩きつけられた。



「ごほっ! ごっほ! あっ! げあ!」



 柳は血が混じった吐瀉物を盛大に吐きだす。嗚咽し、情けない涙を流す柳を見てようやく柚木は怯えた。



「ハハッ……友達だろ勇人」


 

「よくそんな事言えるね?」



 後ろからのサイクロプスの気配を感じ、柚木は逃げようとすうが勇人はそれを許さない。



「ひっ!」



 逃げようとする柚木の前にサイクロプスを回り込ませる。



「君はただでは殺さない。石田君の一瞬の痛み、柳君の悶絶の痛みをはるかに超えた痛みを君に与えてやるよ」



 勇人はそう言って不気味な笑みを浮かべた。もうかつての佐藤勇人ではない。ズオーク魔書の精神汚染を浴びた佐藤勇人は別人である。人格は犯された。



「やめろ!」 



 その声に勇人は背後を振り向く。そこには橘圭吾がいた。右手には刀が握られて、ミリタリーコートのフードを被っている。



「橘さん――へぇあんたがねぇ」



 勇人は鋭い目つきで圭吾を睨みつけた。昨日会った時とは完全に違う勇人に圭吾は不安に駆られた。



「まさか……君がその本でこれを?」



 眼前に広がる一人の男性生徒の遺体。頭は喪失し、首から血だまりが広がっている。その光景を見ても完全に信じたくなかった。この仕業は勇人ではないと。しかし、彼の手には異様な魔本が握られており、怪物がいる。



「そうですよ。すごいでしょ? この本ならなんでもできる。俺に勝てる者などいない」



「その本をいますぐ捨てろ! その本は禁書だ! 使うんじゃない!」



 その圭吾の言葉に勇人は笑った。



「ハハッ! 馬鹿じゃないですか? 捨てろ? ふざけるな、これは俺の物だ!」



 圭吾は勇人がもう本の影響を多大に受けている事を感じた。もう完全に本に呑まれていると圭吾は察した。強行的にでも本を奪い取る必要があると判断した。

 そうしなければ彼は完全なる悪となり、殺戮を開始する。



「それにしても橘さん。あなたが魔術師だったとはね。しかもこれまで僕達を追いまわしていた奴だったとは」



「僕達だと?」



「そうだ魔術師」



 その声で背後を振り向く圭吾。今まで感じられなかった魔力を突如感知した。少しの危機感を感じながらも圭吾は視界にゴブリンを捕えた。



「ゴブリン――?」



「正解だ。本物を見るのは初めてか魔術師?」



 ジョンから渡されていた魔物図鑑に掲載されたいた事を圭吾は思い出す。図鑑そのままの姿でこちらを見ている。



「お前が勇人をこんな事にしたのか?」



 圭吾は怒りが湧いてきた。



「こんな事? 失礼だな。俺はこいつの救世主だぜ」



 救世主だと? 笑わせるなと圭吾は思った。禁書指定の魔本を与えている時点でこのゴブリンは勇人で弄んでいる事は明白である。



「ふざけるなよ。てめぇ……知っていてやってんだろ?」



 圭吾はゴブリンを睨むが、ゴブリンは笑う。



「さあね。お前にはそう見えるのか? まあ、いいさ。やれ! 勇人!」



 その時だった。圭吾が魔力を感知して振り向くと何かが向かって来ていた。圭吾は寸前で避けるが、コートの袖に爪が引っかかり裂けた。

 攻撃して来たのは単眼の狼であった。



「やはり魔喚書か!」



 圭吾はジョンから魔本の種類について説明を受けており、魔喚書を知っていた。魔喚書とは‘魔物召喚書’の略であり、魔物を召喚し、使役できる魔本の事である。魔術がうまくない者や少ない魔力の者でも強力な魔物を使役し高い戦闘力を手に入れる事が出来るメリットはあるものの、正常に使用できる物は少なく、ほとんどが欠陥品である。その為、魔本の中でも禁書指定される本が多い。



「勇人……どうしてもその魔書を捨てないと言うならば――」



 圭吾は目を瞑り、魔力を右目に送る。そして開かれる時、その右目の瞳は青色に変化し、白いラインの逆三角形が浮かび上がっていた。



(まさか……魔眼持ちだと!)



 ズヤクは驚きを隠せなかかった。魔眼持ちだとは主からは知らされていない。

 咄嗟に圭吾の魔眼を見てズヤクは理解するのである。自分はもう用済みだと――




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