イジメ

 一月前。東京の悪夢が終わり、一人異世界へと逃げ帰ったロイは薄暗い通路を走り抜けていた。ここはとある大都市の地下通路である。一般市民には知られる事がない秘密の場所だ。



「はあはあ――」



 ロイは千鳥足であった。橘圭吾という予想外の敵に苦戦し、異世界に戻る際に使用した魔術でロイの魔力は枯渇したのだった。魔力量が0(ゼロ)になると使用していた魔術は全て停止し、大きく疲労してしまうのはこの異世界の魔力を持つ住民の宿命である。



「はあはあ―――」



 おぼつか無い足取りで途中倒れこむロイであったが、突如立ち止り何故か不気味に一人笑う。通路の壁に手を掛け、俯くロイ。彼は心躍っているようだ。



「イヒャャャ!!!! やはり私は天才だ! やったぞ! 魔王の義眼の正体を看破した私はやはり選ばれし人間! イヒャャャ!!!!」



 大きくロイは高笑いする。通路にその下品な笑い声が響いた。

 ロイは知ったのだ。この世界に帰還する刹那。魔王の義眼の正体に。

 義眼は確かにあの世界に存在する事をロイは確信した。



「さあ、面白くなってきた! 私は魔術史に名を残すのだ! この天才たる私に相応しい偉業が手に入るのだ!」



「そうですかクリント卿(きょう)。それは素晴らしい事ですね」



 通路の先から若い男の声がロイの耳に届いた。その声にロイの背筋が凍る。



「――なっ!?」



「その偉業を手に入れる前に、今回の失態……どう責任を取るおつもりで?」



 こちらに段々と近づいてくる声と足音にロイの体は固まる。恐怖で動けないのだ。



「ラッ……ライット! ライット卿か!」



 立ち止まる若い男。その姿は白い学生服姿であった。正確には異なっている服であるが、学生服と呼ぶにふさわしい程類似している。



「私は見つけたのだ! 魔王の義眼を! これだけでも成果は十分だろ!」



「そうですね……ですが、今回の作戦の失敗は皆が落胆しております。期待外れだと、私もその一人でしてね」



「うるさい! あんな野郎がいるなんて知らなかったんだよ! あんな奴がいなければもっとうまく行ったはずだぁ!」



「おやおやー最初から存在を感知しておいて、過小評価し、舐めていたのはあなたですよ。最初から気を付けていればこの様な敗北などしなかったとはずだと皆申しておりますが」



「敗北などではない! 私は奴と痛み分けなのだ! 次こそは勝てるぞライット卿! だからもう一度、――もう一度チャンスをくれ!」



 そのロイの言葉にライットと呼ばれる男は無表情で答えた。ロイからは薄暗くよく見えない。



「残念ながら会員のほとんどがあなたの正式入会に反対と表明し、今回の責任を取らせる事で一致しました。ので、クリント卿。責任をとって頂きます」



 丁寧語の中に隠れる悪意に、ロイは気付く。



「やめてくれ! 私はまだ魔術師ででいたい! 人間でありたいんだ! もう魔力はない。そんな力無きか弱き者をいじめて何が楽しいんだ!?」



 ロイはそう言いつつ、後づ去る。表情は恐怖で強張っていた。



「アハハハッ! あなたがそれを言うか? 実に滑稽だ!」



 確実に少しずつ近付くライット。ロイは後ずさる速度を速める。



「やめてくれ! やめてくれぇ!!」



「どうですか? あなたが食い殺した者の気持ちは分かりますか?」



「嫌だぁああ! 私は! 私はああああああ!」



 ロイは通って来た通路をよろよろになりがらも走って戻りだす。そんなロイに向けてライットは手を向ける。ライットの手から放たれた魔術の光により、ロイは姿は通路の暗闇の中に消えた。悲鳴もなく、静寂が流れる。



「――――魔王の義眼発見の偉業を手に入れるはあなたではないよロイット」



 ライットは一人呟くと、不気味に微笑んだ。

 ロイはとある組織に属そうとしていた。その組織は古来から存在する由緒正しき魔術師達の組織だ。その組織の掟の一つに厳しい習わしがある。――失敗した者は許さない事である。






































 目覚まし時計の大きな音により、佐藤勇人(さとうゆうと)は目を覚ました。勇人は江戸川区のとあるマンションに住む二年の男子中学生である。特にこれと言った特徴もないどこにでもいる男子中学生であるが、彼の精神はとても疲弊していた。



「……はあ」



 彼の目は虚ろであった。その理由は三つある。その一つはグール事変である。彼には血の繋がらない幼い弟と妹がいたが、あのおぞましいグールに目の前で襲われ帰らぬ人となった。

 二つ目はその二人の実の母親。父の再婚相手にして、現在同居している義母だ。義母は実の息子と娘と再婚したばかりの夫を失ったショックから鬱状態と化してしまったのだ。そして血の繋がらない勇人に対し、冷徹な態度ど唯一生き残った勇人につらく当たる様になっていた。

 そして最後の三つ目は彼にとって一番の原因である。それは事変前からあり、事変後からはさらにエスカレートしていた。

 憂鬱な目覚めの勇人はいつもの通り、リビングに向かう。一般的な家庭ならば母親が朝食を作っている光景が見られるが、佐藤家は異なる。リビングから覗くキッチンには義母の姿はない。ただ白ごはんとみそ汁が机の上に置いてあるだけであった。

 看護師の義母は息子に顔を見る事無く、朝早く仕事に出ていくのである。

 勇人にとってもう慣れ始めた光景である。事変後から一週間で義母はこの様な行動をとり始めた。もう一月になろうとしている。

 勇人はテレビの電源をつけ、ニュース番組を確認する。相変わらず良いニュースは見かけない。



「いただきます」



 勇人は椅子に座り、一人挨拶した。テレビの音しか聞こえてこない中、黙々と朝食を食べ始める。こんな生活はいつまで続くのか、最近の勇人はそればかり考えていた。

 朝食を終えた勇人は学校に向かう為の身支度を開始した。ブレザーの制服に着替えて、部屋の鍵を閉めて登校する。鍵を閉める刹那、勇人は『行きたくない』という言葉が脳裏を横切った。が、彼にはもう逃げる場所はない。仮病を使った欠席など、義母がもう許さない。



「くそ……」



 鍵を閉め終えた勇人は呟いた。彼の精神の限界は近付きつつあるのだ。

 江戸川区のとある中学校の門の前を通り過ぎた彼に、男子中学生三人組が声を掛けて来た。同じクラスの者達である。



「よお勇人。こっちだ」



 最初に勇人に声を掛けたのは整った顔で女子人気が高い柚木だ。背が同年代の平均よりやや高く、バスケ部に所属する彼はクラスの人気者である。そして柚木と行動を共にするは柳と石田である。柳は校則違反の常習犯で、煙草を吸っている所を勇人は何度か見た。石田は暴走族の兄がおり、大きな体で喧嘩はとても強い、他校の生徒と幾度か問題を起こしている問題児である。

 そんな彼らが勇人に求めるのは、決まっている。



「例のもん持って来たんだろうな?」



 校舎裏の人気のない場所に連れて来られた勇人は壁際に追いつめられる形で三人に囲まれる。もう勇人には慣れてしまった光景だった。高圧的な態度で自分に求める物――――現金である。



「二万なんて無理だよ! どうやっても無理だったんだ」



 その返答を聞いた柚木は勇人の胸倉を掴み、校舎の壁に勇人の体を叩きつけた。



「お前さーこれで何度目だと思ってんの? いいから親からパクッてこいって俺言ったよな?」



「ダメだよ……犯罪じゃないか!?」



 その勇人の返答に柚木は舌打ちし、郷田に合図を送る。郷田は大きく右足を振り上げ、そして勇人の腹に向けて蹴りを当てて、勇人を蹴り上げた。



「ぐほっ!!!」



 激痛に涙目になる勇人。その場に倒れ込む。

 柚木はニヤッと笑った。



「なあ勇人? 分かってんだよな? 痛いの嫌だよな?」



 俯く勇人は黙って頷いた。



「おっけー。じゃあ明日よろしく。もし無かったら死刑だから」



「クソ。これじゃガチャ引けねぇーじゃん」



 柳がポケットからスマホを取り出し言った。彼らの間ではスマホゲームが流行っているのだ。



「柳。お前課金厨バカにしてた癖にもうすっかり課金厨だよな」



 同じく柚木もスマホを取り出し言った。



「うっせー! てめぇだって同じ様なもんだろ!」



 遠のいていく彼らの会話に勇人は安心感を覚える。一先ずこれできり抜けたのだ。だが、根本的な解決には至らないこの状況に勇人は未だに不安、恐怖を覚えるのであった。









































 静乃達と別れた圭吾は、朝早くから荒川の河川敷に来ていた。事変前はここはランニングの姿の近隣住民を見掛ける事が多かったが、最近はほとんど見かけなくなっていた。事変の影響はやはり大きいと圭吾は改めて感じた。やはり東京には前ほどの活気はないのだ。

 圭吾は周囲をを見渡す。理由は荒川から感じられる魔力だ。昨夜遅くに感じ始めた荒川の魔力は、ここ一月に感じた魔力の中で一番高い感度だった。これは第二次攻撃の前触れなのではないかと圭吾は考えて始めていた。



(川全体から感じる……どういう事だ?)



 圭吾は荒川の不自然な魔力の感知に戸惑う。川に近付いて分かった事だがこの様な感知は圭吾は経験がない。ロイの食人臓体の様に一か所で感じる訳でもなく、川全体から感じる感知に圭吾は困惑する。

 感知は上流まで続いており、感知外の領域まで続いているだろうと圭吾は予想した。



(カモフラージュかもしれない。もっと調べてみる必要があるか)



 圭吾は周囲を見渡す。怪しい人物は見当たらないが、魔力は確実に感じている事は確かである。危機感は拭い去れないのだ。








































 



























 自身の部屋に鍵を閉めた静乃に声が掛けられた。その声に振り向く静乃。そこにはメイド姿の女性が立っていた。



「一之瀬静乃ですね?」



 極めて単調な口調に違和感を静乃は覚えつつも、静乃は答えた。



「はい……どなたですか?」



「初めまして私はリリス。あなたにお伝いしなければならない事があります」



「伝えたい事ですか? なん……ですか?」



「橘圭吾の事です」



 圭吾の名が出た途端、静乃は悟った。



「まさかあなたは魔術師? 橘に何か……いや私に?」



 圭吾から魔術関連の怪しい者が現れたら一目散に逃げろと言われた静乃は身構えた。事変の数少ない生き残りである静乃は魔術師に目を付けられる可能性があるかもしれないと圭吾から警告された静乃はいち早く東京から離れる為、準備を終えてこれから新幹線で故郷の東北へと帰郷する所だったのだ。



「安心してあなたに危害を加える気はないです」



「どう信じろと?」



 東京をこんな場所に変えた世界の住人など信じられるわけがない。静乃の警戒心は募るばかりだ。



「どうすれば信じて貰えますか? そもそも私は彼の知り合いでもあります」



「知り合いって……いえ、信じないわよ」



「……そうですか――なら彼が死んでもよろしいので?」



 その言葉に静乃は興味を抱いた。圭吾からは何を言われようとも付いて行くなと言われたが、彼の身が安全ではないというのは静乃にとって気がかりだった。優衣香も心配するだろう。



「――場所を変えましょう。人目の多い場所へ移動すればよろしいですか?」



 リリスの提案に静乃は思考した。確かに人目のある場所に移動すれば、そう簡単には騒ぎを起こすとは思えない。静乃はしばらく考え抜いた末、答えた。



「わかった……駅のスバタでいい?」








































 時間はもうすぐ夕方を迎えようとしていた。荒川周辺を調査していた圭吾は数時間見回ったが、目ぼしい所は特になく、感知も朝から変わることもなかった。怪しい人物も見渡らず、平穏な河川敷であった。



(この感知意外何もない。怪しい者も見渡らないが、警戒は継続するべきだろうな)



 歩道の隅で腰を下ろし、荒川を見渡しながら圭吾はそう思った。やはり人の姿を見かける回数は少なく。警戒心を怠りそうになるが、安心はできない。



「おい勇人! チンタラ歩いてんじゃねぇ!」



 その声に圭吾は視線を向けた。それは中学生達の声であった。三人の中学生が一人の中学生を蹴飛ばす様にして歩かせているのを圭吾は見た。



(いじめか……)



 珍しい光景ではない。圭吾が学生時代にも問題になった。どこの時代にもどんな場所でも‘いじめ’は存在するのだ。前の圭吾なら見過ごす所だが、東京事変の経験を経て弱者に対し同情的になっていた圭吾は橋の下に隠れた中学生を追う。



「おい勇人! てめぇ逃げるとかふざけてんのか!?」



「ダメだよ! 万引きなんて僕にはできないよ!」



 佐藤勇人は放課後、柚木達によってとある店からの万引きを強いられていた。現金二万を用意できなかった勇人に対する柚木達の罰であったが、勇人は寸前で思い止まり、逃走するも河川敷まで逃げて柚木達に捕まったのであった。



「うっぜ! 俺達は寛大だろよ勇人? だって万引きで許してやろうってんだからよ」



「うっわ柳それすげぇー鬼畜っぽいわ!」



 柳の発言に柚木が茶化す。



「とりあえずボコろうぜ」



 郷田が言った。すでに地べたに膝をついている勇人の胸倉を石田は掴む。一番力が強い石田に殴られるのが嫌な勇人は涙目になった。



「てめぇが悪いんだからな」



 そういって郷田の拳が振り上げられたその瞬間。圭吾の声が四人に届いた。



「やめろ!」



 その声に柚木は舌打ちし、ほぼ四人同時に振り向く。そこには圭吾が立っていた。



「なんすかお兄さん?」



 最初に口を開いたのは柚木だった。ミリタリーコートに眼帯姿の圭吾に問う。



「弱い者いじめはするな。いじめだろそれは」



「違いますって……なあ勇人」



 掴まれた胸倉を解放され、よろめく勇人に柚木は恐ろしい眼光で勇人を見つめる。「そう言えと」目で言っているのだ。

 その間にも圭吾は四人に近付く。



「えと……いじめではないです」



 小さな声で勇人は言った。



「嘘をつくな。さっきから見ていたぞ」



 その言葉で柚木は勘弁したのか、舌打ちし、悪い態度で圭吾に言った。



「へいへい! すいませんでした! クソ! 行くぞ」



 柚木はそう言って、わざと圭吾の体に肩を当てて、柳と石田を連れて橋の下から姿を消していった。

 完全に姿が見えなくなると、圭吾は勇人に問いかけた。



「大丈夫か?」



「はい……ありがとうございます」



 圭吾の顔を近くで見た勇人は目を丸くした。その様子に気付いた圭吾は問う。



「どうした? 俺の顔に何か付いているのか?」



「あなたは……あの時の……!?」



 驚いた顔の勇人に対し、圭吾はこの子と面識があるか思い出そうとしたが、あるはずもない。これが初対面のはずである。



「どこかで会ったか?」



「俺! 見てたんです! あの戦いを!」



「まさか……?」



 ‘あの戦い’という台詞で圭吾は悟った。



「まさか、事変の時に俺を見ていたのか?」



「はい……」



「どこで?」



「東京ドームです」



 あの時の東京ドームを圭吾は思い出す。千人の避難民は全滅だと思っていたが、まさか生き残りがいたのかと圭吾は驚いた。




「そうかあの避難民の……」



 千人と自衛隊数百人を全滅させた一因が自分にあると思っている圭吾は引け目を感じていた。しかし、こうして生き残りの一人と出会えた事は圭吾にとって救いであった。



「いえ、違います。避難民の事はニュースで知りました。僕は……あの時、東京ドームにはいませんでした」



「どういう意味だ?」



「その……あなたを見たのは変なマジシャンみたいな男と戦っている所です」



 その勇人の言葉で圭吾は驚いた。



「まさかあの時の東京ドームにいたのか?」



 圭吾は食人臓体を吹き飛ばし消滅させた後、ロイにより東京ドームに落とされて最後の戦いに挑んだ。そこにこの少年はいたのだ。



「よく見つからずにいたな」



「はい……寸前までアトラクションズの地下で隠れてましたから」



 地下からグールが現れたというのに幸運な少年だと圭吾は思った。



「そうか……運が良かったんだな。そういえば名前を聞いてなかった」



「えと……佐藤勇人です……あなたは?」



「橘だ。訳あってフルネームは話せない」



「そうですか……それにしてもあの時の橘さんはカッコ良かったです!」



 勇人は急激に目を輝かせる。



「カッコ良いだと?」



「はい……! だってあのマジシャンみたいな男って敵だったんでしょ? それを撃退したんですから」



「カッコ良いもんじゃなかったさあれは……」



 撃退したのは事実だが、その代償としてレイナを亡くしてしまったのも事実である。

 悲しい顔を見せる圭吾に勇人は、戸惑った。



「何かすいません。そういえばレイナって子は? 助かったんですか?」



 その問いに圭吾は俯いて言った。



「もういない」



「そうですか……」



 二人の間の空気がネガティブな方向へと向かっていると察した勇人は言った。



「……でも!」



 俯いていた圭吾は、その勇人の言葉で顔を上げた。



「あなたのおかげで僕は助かりました。きっとあなたの事を知れば多くの人があなたに感謝すると思います! 本当にありがとうごさいます」



 その言葉にくるものがあったのか、圭吾はらしくなく赤面し、そっぽを向いた。



「俺の目的は救済じゃなかった。感謝される筋合いはない」



「でも、俺は助かりました。今、ここにいられのるはあなたのおかげです」



「大げさだな」



「そんな事ありませんよ」



 避難民やレイナの件で塞ぎこみがちだった圭吾の心に、勇人の感謝の言葉はありがたい言葉であった。この言葉を聞きたいが為に戦ったわけではないが、それでも圭吾の心は嬉嬉してしまう。



「そうか……その言葉ありがたく受け取っておく」



「はい……!」



 勇人は笑った。他人の本当に嬉しそうな笑顔など、圭吾は数年ぶりに見た気がした。



「それにしても橘さん。荒川で何を?」



「この辺に怪しい気配を感じてな。一日調べていた」



 勇人の様子から、魔術の事や自身の正体には気付いていないと圭吾は確信した。もし知っているとなると魔術師に目を付けられる可能性がある。せっかく生き残った命をみすみす危険に晒す事はさけるべきである。圭吾はひとまず安心した。

 圭吾は勇人に座るよう促し、二人はコンクリートの段に腰を降ろした。



「怪しい気配?」



「ああ。まあ、直感でな。なんとなく嫌な物をこの辺で感じるんだ」



「……何か超能力みたいですね。俺もそんな力があったら……」



 ‘いじめ’などに合わずにすむと言いそうになる勇人であったが、途中で止めた。命の恩人に気を使わる訳にはいかない。



「いじめなどに会わずにすんだか?」



 結局、気を使わせてしまった。



「……はい」



「いじめか……俺もかつて先輩から理不尽な暴力を受けた事はある」



「橘さんが?」



 意外そうな顔を勇人は圭吾に見せた。



「俺だって最初から強かったわけじゃない……とある女の子を振ってな。その子の事が好きだった先輩に呼び出されてボコられたよ」



「えと……本当はその子の元彼だったり?」



「あの様子からしてないな。一緒にいた先輩が『お前、彼氏でもないのにボコるとかマジ理不尽だな』と笑いながら言っていたからな」



 笑いながら言う圭吾に、勇人は苦笑いした。



「災難でしたね」



「そうだな……だが、ある種の社会勉強でもあったと思うよ」



 生きていけば理不尽や不条理な事は出くわす。それをどう乗り越えていくのかが重要だと圭吾は思っていた。



「いじめは確かにいけない。だが、この世から完全に無くす事は不可能だと俺は思っている」



 人間社会においても自然界同様、常に強者と弱者が存在すると考えている圭吾はいじめはなくらない問題だと思っていた。それでもない事に越した事は無く。出来れば根絶すべきだと思っているが、それは理想論であると自覚している。

 いじめは根絶を目指すのではなく、いかに件数を減らせるかが問題という考えが圭吾の結論である。



「やはりそうなんでしょうね……僕みたいなやつはやっぱどこにでもいるんだな」



 そう言って勇人はため息をついた。



「だからっていじめられ続けるのはよくない。無理して学校に行くな。先生とかにも相談したのか?」



「……相談なんて……何をされるか」



「そういうのがダメなんだ。親には?」



 親という言葉に、勇人は俯いた。その様子から圭吾は悟った。



「……すまない――もういないのか?」



「いえ……母がいます。義理の母ですけど」



「そうか。その母親には言えないのか?」



「無理ですよ。事変で再婚したばかりなのに父さんと連れ子を亡くしましたから。そのショックで僕にきつく当たるんです」



 予想以上に酷い状況に圭吾は即座に返す言葉が無かった。



「――――悪い。そこまで悪い状況だとは思っていなかった」



「いえ、いんですよ。しょうがない事です。こういうのも社会勉強でしょ?」



 そう言って苦笑いした。

 社会勉強という単語で済まそうとする勇人に圭吾は危惧を感じた。



「連絡先を教えてやる。あまり役に立てると思わないが相談に乗るぐらいはできるだろう」



 圭吾はそう言って懐からスマートフォンを取り出した。



「えっ!? いいんですか?」



 嬉しそうな顔を見せる勇人に圭吾は少し戸惑った。



「そこまでうれしいものなのか?」



「えっ!? ああ、その。メアド交換とかこれが初めてで」



 クラスにメアドを交換できる友達がいないという事に圭吾は勇人に対し不憫を感じるも言った。



「俺以外にもメアドを登録しくれそうな友達を作れよ」



「はい……がんばってみます」



 その勇人の言葉はどこか不安を感じさせるものだった。そんな勇人に圭吾は言った。



「いじめはいけない。いじめる方が問題だが、受けてしまう方にも問題があると俺は思っている。そんな調子ではお前はまだいじめられる」



 その圭吾の言葉に勇人は『人の気持ちも知らない癖に』と言いたかったが、命の恩人であり、無理矢理メアドを交換せずに交換してくれた圭吾にそんな言葉を発する事は出来なかった。



「そう……そうですよね!」



 見るからに空元気風に勇人は言った。



「帰ったら母に言います。今は嫌な母だけど、事変の前はやさしい人だったし、もしかしたらどうにかしてくれるかもしれません」



「そうだ。黙ってはいけない」



 勇人は立ちあがった。すでに周囲は薄暗くなっていた。



「俺、帰ります。今日は橘さんに会えて良かったです!」



「そうか……」



「心が楽になりました」



 その言葉を聞いた圭吾は、今日まで戦い続けた意味はあったと感じた。決してその言葉を聞きたくて戦ったきたわけではないが、実際に言われるとやはり心にくるものがあった。



「役に立てたようだな。俺も嬉しいよ」



 つい本音を口走ってしまった。らしくないと圭吾は思った。



「今日は本当にありがとうございます。じゃあ」



 勇人はそう言い、圭吾の前から姿を消した。

 最後まで見送った圭吾は、何か報われた思いを感じながら、再び感知魔術を発動させた。















































 




 薄暗い夜道の中、圭吾と別れた勇人は自宅であるマンション周辺まで辿りついた。幸い柚木達に出くわす事もなく、ここまで帰れた勇人は安心していた。正直、柚木達はどこかで待ち伏せていると思っていた。



(もしかしたら母さんが帰っているかもしれない)



 そんな事を考えながら、曲がり角を曲がった瞬間。勇人は腹部を蹴られた。突然の事に驚嘆するが、蹴られたと同時に何者の仕業が即座に理解した。



「ぐほっ」



 尻もちを付く勇人の目の前に現れたのは仁王立ちで立つのは柚木だった。



「よお勇人。さっきは邪魔されたけど万引きの続きをしようぜ!」



 そう言って柚木は笑った。



「柚木君……」



 途端に勇人は恐怖を感じる。そう笑って何度暴力を受けた事か。柚木の笑みだけで恐怖する自分がいる事に最近、勇人は自覚していた。

 そうしているうちに背後に石田が現れ、さらに柚木の背後にも柳が現れた。三体一。いつものパターンである。

 恐怖で従いそうになる勇人だが、彼は決心したのだ。この様な状況はいけないのだと、あるべき姿ではないと。



「嫌だ……」



 恐る恐る勇人は呟いた。



「はぁ? 今、なんつった?」



 小さな声で言った勇人。しかし、その言葉は確実に柚木達には聞こえていた。



「嫌だって言ったんだ」



 その勇人の言葉に一瞬固まる柚木達三人だったが、特に気に掛ける様子もなく三人は笑った。



「アハハハハッ! 聞いたかよ!」



 最初に笑ったのは柳だった。



「お前が俺達に歯向かうとはねぇ! 人生何があるか分かったもんじゃねぇな!」



 滅多に笑うイメージがない石田が笑いながら言った。



「てめぇさっきの野郎に何言われたんだ? どうせ親とかに相談しろとかだろ? 大人なんざその程度だよバーカ!」



 恩人を馬鹿にされた勇人は、無性に腹立たしくなった。その原因は勇人は分かった。自分は圭吾に憧れているのだ。



「バカにするな! あの人は東京の救世主だ! お前達だって感謝しなきゃいけない相手なんだぞ!」



 立ち上がりながら勇人は珍しく大声で言った。今までの人生で他人を擁護した事などない。



「感謝だあ? 何、言ってんだ馬鹿じゃねぇーの!?」



 当然の如く、柚木は圭吾の事績など知らない。



「わけ分からねぇ事ほざくなよキモイぜ勇人」



 石田がそう言って勇人を背後から蹴り飛ばした。



「ぐっ!」



 当然、倒れこむ勇人。そんな勇人の前髪を柚木が掴み、言った。



「どうやらお仕置きが必要みたいだな」



 柚木はニヤリと笑う。その笑みは勇人には悪魔の笑みに見えた。途端に勇人は恐怖を感じ始めた。



「人気のない所連れていこうぜ。今日は苛立つ事ばかりだから気合い入れてボコボコにしてやんよ」



 



 


































 マンションのとある一室の玄関口が開かれた。その中に入るのは一人の少年だ。暗い部屋に対し、明かりもつけずに進む。

居間を通る過ぎる中、少年は立ち止り、スマートフォンを取り出した。そして一通の着信メールを確認した。

 義母からだった。



『遅くなるから勝手に食べときなさい』



 そう記されたメールに少年は対しいつもの通りだなと思いながら、スマートフォンを机に置き、自身の部屋に入ると、ボロボロの体をベットにうずめた。

 佐藤勇人は一時間、柚木達から暴力を受けた。



「…………」



 暴力を受けていく中、勇人は泣いてやめてくれと頼んだが、彼らはそれをおもしろがって笑った。スマートフォンを用いて画像や動画に勇人のその姿を収めばら撒かれたくなかったらこれからもずっと言う事を聞けと言われた。

 この暴力は今までの中で最悪の物だった。



「うっう――」



 うずめく中で勇人はまた泣く。もう嫌だ。こんなのは嫌だ。という言葉が頭を巡る。彼の言う通りには自分は出来ない。弱い自分を嫌悪した。



「くそ……」



 勇人はしばらく泣いた後、顔を上げた。そしてベランダを見る。勇人が住む部屋は25階であり、相当な高さがあった。

 勇人は時折ニュースで聞く飛び降り自殺を思い浮かべる。たまに中学生が飛び降り自殺したニュースを聞くが、こうして考えると別に珍しい事ではないと思ってしまう。



(別に死んだって誰が悲しむんだ……)



 勇人はゆっくりとベランダに進む。そして窓ガラスのサッシに手を掛け、ゆっくりと開けた。都会の光が見える。

 ベランダに入った勇人は、息を呑む。そして手すりに手を掛けた時、とある声が掛けられた。



「坊っちゃんや。復讐してみないか?」



 突然の声に驚く勇人。その声に驚く勇人は辺りを見渡すがそれらしき者はいない。



「うしろ――うしろ――」



 その声でやっと勇人は声の正体を見た。勇人はその者を見た瞬間。自身の目を疑った。



「――なんだお前は……!?」



 架空の生き物。創作物でしか見た事がない存在。小さな悪をイメージするモンスター。



「ゴブリン――!」



 勇人は驚きつつ、呟いた。勇人の目の前に現れたのは空想の生き物であるゴブリンだった。赤い肌と鋭い歯を持つそのゴブリンは大きな目で勇人を見つめていた。



「こちらに来るのだ坊や。復讐は罪ではいのだ」



 ゴブリンはそう言って手を差し出した。しかし、ゴブリンは悪だくみの笑みを浮かべている。怪しむ笑みだが、それでも勇人にはそのゴブリンが何故か不思議と真の救世主に見えるのだった――















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