強者と弱者

廃れた首都

 深い霧が視界を遮っていた。東京湾の出入口にあたる浦賀水道の海上に一人の男が立った。黒いローブに身を包み、フードを深くかぶった男は濃霧に包まれた海上を歩いて行く。

 魔術により海上歩行が可能な男はただの人間ではない。一月前、東京を襲った虐殺を終結させた男であり、魔力を持った人間である。

 その人、橘圭吾(たちばなけいご)は生きていた。

 



「この辺か……」



 圭吾は感知魔術で真下にいる巨大な物を感知した。それは海中を早い速度で突き進んでおり、ここ最近東京湾で発生している怪奇の原因の一つでもあった。怪奇討伐の為、圭吾は魔術を用いての濃霧を水道全体に発生させている。

 圭吾は懐から刀を取り出した。坂本竜馬の刀、吉行の模擬刀である。魔力を送って真剣化し、圭吾は構えた。



「来るか?」



 感知している存在が急にこちらに向かって浮上し始めている事に圭吾は気付いた。それは急速にこちらに向かって来ており、逃げ切る事は不能と悟った圭吾は、覚悟した。

 覚悟した直後、海面が浮き上がる。巨大な“海洋魔物”が口を大きく開けて圭吾を飲み込むようにして海中から飛び出した。その光景は雄大だ。全長100m以上のエイ型海洋魔物は圭吾を飲み込む。そのまま高く飛び上がったエイ型海洋魔物は、海上に叩きつけられて凄まじい水しぶきを上げる。そして圭吾を飲み込んだまま、深い海中を目指して潜水を開始する。

 エイ型海洋魔物に飲まれた圭吾は最初は驚きながらも冷静だった。これで10体目の討伐である。やはり海洋魔物はさほど知性は高くない事を圭吾は理解しつつ、魔力を持った存在はただひとすら食する習性だと結論づけて、左手をかざす。

 左手の掌に緑色の光が灯る。これから行うのはビーム攻撃だ。一月前の決戦で傷ついた左腕は、魔術的処理によりある程度まで回復し、魔力をビームにして放てるように圭吾は魔術を施していた。

 圭吾は集中し、左腕に魔力を送る。次第に緑色の光は大きくなり、エイ型海洋魔物の口の中は照らさせていく。光が極大になると、圭吾は魔物の心臓へと左手を向けた。

 容赦なく圭吾はビームを放つ。すると海中で大きな爆発が発生した。その爆発の衝撃は周囲を航行していたタンカーに伝わった。



「うお!?」



「どうした?」



 タンカーの船体が揺れる。船長が驚いた様子で船員に問いただす。



「どうやらまたみたいですね」



「そうか……また原因不明の海中爆発か」



 ここ最近の東京湾の怪奇とは海中爆発であった。それは半月前から発生し始め、同じく頻発していた濃霧の日に決まって起きていた。東京湾を行き来する船員達の間では、爆発を気味悪がっている者も少なくない。



「水柱は確認できるか?」



「いえ……あっ!」



 船員が進行方向の海面が浮き上がろうとしているのを一早く見つけた。



「船長! 進行方向一時の方向の海面が浮きあがろうとしてます!」



 船員の言う通りタンカーの前方の海面が浮き上がり、大きな水柱が上がった。濃霧ため水柱の高さは分からないが、相当高い。そして舞い上がった水は雨の如くタンカーに降り注いで、その中に紛れた圭吾はタンカーの甲板に着地した。



「おい。 今、なんか落ちてきなかったか?」



「いや? 何か落ちて来たか?」



 圭吾の着地の音にに気付いた船員が甲板を散策するが、圭吾は身を隠してそれをやりすごした。濡れた衣服は気分が悪いが、違法乗船を見つかるのはまずい。

 圭吾はこの船が東京港を向かうのを確認するとしばらく隠れた後、タンカーから降りて海面を歩いていく。そして義眼の魔術にて発生させた濃霧を解除させる。

 圭吾の左目はもう生身の眼ではない。半透明の様々な素材で構成された“義眼”である。





































 『東京食人鬼事変』。東京が地獄になった一月前の出来ごとは臨時政府によりそう命名された。

 全食人鬼達の突然の消滅により、東京の危機は突如終焉を迎えた。だが、正体不明の食人鬼達に襲われた東京は、前代未聞の混乱に陥った事は間違いなく、そして多くの人の体と心に傷を負わせた事は戦後最大の事件として多くの人々の記憶に刻まれた。

 確認出来た死亡者数は民間人自衛隊含めて約5万人、行方不明者500万人近くの犠牲者数は第二次世界大戦以上の数であり、誰も想像もしなかった数字であった。その中には政府の要人達も多く含まれ、指導者の喪失が発生後の大きな混乱を招いた一因でもあった。

 多くのスタッフを失ったマスメディアは、NHKが事件終結後1週間いち早く放送を再開した。しかし、他の民放は一月経っても再会の目処が立っておらず、新聞各社も一社程度しか再開出来ていなかった。

 どちらにせよ日本の首都東京は前代未聞の損害を受け、疲弊しきっている事は明白であった。経済も大きく傾いた今、立て直すには高度経済成長並かそれ以上を求められると言われ始めていた。

 また食人鬼の正体は一向に解明されず、あやゆる国々の研究機関が東京を各地をくまなく調査しても何も分からなかった。東京の地下から現れた説が一番有力視されているが、絶対的な証拠は見つからず、気味の悪い事変をさらに気味悪がらせた。

 東京ドーム付近でバラバラになっていた東京タワーや、半壊したレインボーブリッジ、そして東京ドームにて避難していた1000人以上の安否不明など、他多数の謎を残している東京食人鬼事変は、多くの人の心にわだかまりとなって残っている。

 そんな東京の中、数少ない生き残りの一人である一之瀬静乃(いちのせしずの)はまだ東京にいた。山の手線の緑の車両の中で、数少ない乗客の一人である静乃は俯き加減で座っていた。

 一月前。敵を退けながらも穴に落ちた圭吾を助けるべく、静乃は助けを求めて郊外へと走った。一時間後、自衛隊の救援部隊と無事合流出来た静乃は事情を話し、ドームへと舞い戻ったがドームの穴は消えていた。

 混乱する静乃に対し、自衛官達は憐れんだ目で見た事は言うまでもなく、圭吾が魔術を使う事や、敵がいる事を話しても誰一人信じる者はいなかった事に静乃は意気消沈しながらも、その後も圭吾を探した。両親もすぐに来たが、娘が変わらずに元気だと知ると五日程度で東北へと帰った。静乃は「探したい人がいるの」と伝えて一緒には帰らなかった。

 しかし、圭吾に繋がる手掛かりを得られないまま一か月が過ぎ、大学も再開の目途が立たず、バイトも再開できる気配がない事で静乃は一度故郷へと戻る事を考え始めていた。



「次は東京、東京。お出口は…」



 車内に女性のアナウンスが響いた。車両が徐々に速度を下げていく。平日だろうとかなりの人が乗車していた山の手線も、今では田舎のローカル線並ではないかと思えるほどの乗車率だった。

 無理もない。地獄と化した東京に好き好んでまた住み続ける人は決して多くなく、ほとんどの人が地方へと引っ越した。また都内に大使館を置く海外政府の多くが東京を忌み嫌って大使館を大阪や名古屋に移転する話も出回っており、一月前と変わって東京の人口は激減している。

 車両が完全に止まった。自動ドアが開き、数人が降りて、一人が静乃のいる車両に入った。その一人はミリタリーコートを羽織った男で、ちょうど静乃の目の前に座った。

 そしてドアが閉まり、車両が動き出した時。俯いてた静乃はゆっくりと顔を上げ、目の前に座った男の顔を見た途端、声を上げた。



「あっ!……ああああああああああああああっー!!!」



 

 周囲の乗客は驚いた。そして我に返った静乃は急に恥ずかしくなり俯いたが、そのまま立ち上がり、目の前の席に座る男に迫った。



「橘! あんた何してたのよ!」



 やや涙声の泣きそうな顔の静乃に、圭吾は少し驚いた。圭吾は医療用の白い眼帯を左目に付けていたが、それ以外は一月前とほぼ変わらない格好であった。



「お前こそまだ東京にいたんだな」



「当り前よ! 心配してたんだから」



「お前が……俺を?」



 泣きそうな顔の静乃は黙って頷いた。圭吾は周囲を見渡す。完全にその他の乗客達の注目の的となっていた。



「とりあえず――次で降りるぞ」



 圭吾の問いに、ただ静乃は黙って頷いた。






































 神田駅で降り、駅近くのとあるカフェに圭吾と静乃は入店した。向かい合わせに席に座りコーヒーを注文すると、静乃がいち早く口を開いた。



「あんたねぇ! 人を心配させておいて今まで何してたのよ!?」



「……いきなりそれか」



 ほぼ憶測通りの静乃の言葉に圭吾はため息をついた。



「お前が嫌いな俺を心配するとはな……そういう奴じゃなかったはずだか?」



「私があんたを心配するのがそれほど変!? 優衣香(ゆいか)もねぇ。あんたの事を話したら、すごく心配してたわよ!」



 鈴野優衣香(すずのゆいか)。静乃の親友にして、かつて圭吾のクラスメイトだった女子である。静乃と同じく上京しながらも、海外留学していた為、食人鬼事変には巻き込まれていなかった。

 優衣香は事変後の半月後、静乃を心配して帰国し、現在静乃の家に居候中である。



「今、私のアパートにいるの。あんたの事を話してみたらすごく心配してたわよ」



「そうか……」



「しかもあんたら中学時代に秘密を共有してたらしいじゃない! 優衣香あんたが魔法を使えるの知ってたわよ」



「ああ。知ってるよ鈴野はな」



 そう言った圭吾はどこか悲しげであった。



「何か仲間外れにされた気分よ」



「仲間外れって……当時の俺達ってそれほど仲良かったか?」



「仲良かったのは……そうね、 あんたと優衣香だっ……じゃない! とりあえず、私の部屋に来て。優衣香だって会いたがるでしょうし」



「いいのか?」



「いいわよ」



 そこへ店員がコーヒーを持ってきた。圭吾が半分ほど飲み干すと、静乃は俯いて悲しげそうに言った。



「レイナちゃんの最後の言葉……聞く?」



 レイナ。圭吾が救えなかった命である。満身創痍だったとはいえ、圭吾はその少女を救えなかった。敵に騙され、純粋無垢な気持ちを利用されて殺された少女の事は、圭吾の記憶に決して忘れてはならない者として刻まれている。



「……ああ」



「『お母さん。私がんばったよ』…………最後、私を母親と勘違いしてたらしくね……今思い出しても」



 泣きそうになる静乃。静乃の目の前で命を落としたレイナの姿は今でもたまに夢で見てしまうのであった。それほど印象的だった。



「意識が朦朧としていたのだろう。でも、いいんじゃないか。母と再会出来たと思えたまま死ねたんだ……ある意味救いかもな」



「私、今でも罪悪感を感じるのよ」



「しょうがなかっただろ。俺もお前も限界だった。俺も助けられなかった事に罪悪感は感じている」



「改めて考えると私の無力さを呪うわ。あんたみたいに魔法が使えたら……きっと」



 静乃は自身の掌を望む。



「勘違いするな。魔術が使えるといってどんな苦痛からも助けられると思うなよ」



「そうか……そうよね。あんたもそうだしね」



「そうだ。魔術は万能ではない。決してな」



 静乃はふと圭吾の左手を見る。黒い手袋に包まれた左手を見ながら、静乃は言った。



「そういえば、左腕はどうなったの?」



 静乃は一月前の黒こげになった左腕を思い出す。あんな状態になった腕が今こうして普通に動いている事を不思議に感じている。



「ああ。辛うじて動かせるまでに回復させた。とはいえ触角はかなり鈍いし、触られても感じない事が多い」



「それと左目は?」

 


 圭吾は眼帯を右手で触る。



「これは今“義眼”となっている」



「義眼?」



 義眼。瞼や眼窩(がんか)の形状を保ち、美容上の観点から失った眼の代わりとして装着する物であるが、圭吾が装着しているのは“魔術義眼”である。これは通常の義眼とは異なり、視力を取り戻す事が出来る代物であり、物によっては魔術効果を持つタイプも存在する。まさに見る事が出来る人工眼球とも言える代物である。



「ただの義眼ではない。こちらの世界には存在しない。視力を与える義眼だ」



「こちらの世界には存在しないってまさか……」



「そうだ……この世界の代物ではない。そして俺も……この世界の人間ではない」



「どういう事よ!?」



 静乃は少し前の乗りになる。



「説明してやる。お前は最初、今まで何をしていたと聞いたな? なら教えてやるよ」



 圭吾の説明に静乃は息の呑む。



「まずはお前が穴に落ちた後の話からだ」






































 圭吾は朦朧とした意識の中で目を覚ました。薄暗い中、コンクリートの天井が見えると途端に左目の痛みで悶えた。



「ぐっ!」



「お目覚めになりましたか圭吾様」



 聞いた事がない女性の声に、横たわる圭吾は周囲を見わたす。すると、すぐ隣にメイド服姿の若い女性一人立っていた。ベージュ色のロングヘアーを持つ女性は圭吾に対し、無表情かつ単調な口調で告げた。

 


「私の名はリリス。魔術人形。略称魔人形(まにんぎょう)と呼ばれる存在です」



 リリスは流暢な日本語で告げた。圭吾は不審に思いながらも問う。



「俺はどうしたんだ? ここはどこだ?」



「あなたはロイットにより穴に落とされ、穴深く落ちる前に私が回収しました。ここは東京メトロ南北線のトンネル内です」



 地下鉄のトンネル内と言われ、圭吾は周囲を見渡す。確かによく見ると地下の路線であった。すぐ横に線路が見える。東京メトロ南北線は東京ドームの真下を通る地下鉄であり、圭吾は落ちてすぐ気絶し回収された事を理解した。



「ところで何をした? 俺の左目辺りの痛みが和らいでいるのだか?」



「はい。私が治療し、左目は摘出させて頂きました」



 リリスはそう言うと、懐からビンに液体と共に詰められた左目を取り出した。それを見た圭吾は驚嘆しつつ激怒する。

 圭吾の左目は包帯で覆われていた。肩マントの使用により黒こげになった左腕も包帯に包まれている。



「お前! 俺の左目を!?」



「はい。損傷激しく回復は不可能と判断し、取り出させて頂きました」



「俺の許可なくよくも」



 圭吾は体を動かそうとするも、増幅の魔眼のリスクの疲労と魔力切れ、肉体疲労で体はもう動かない。



「くっ!」



「無理をしてはなりません」



「勝手に人の左目を取り出しておいてよく言うぜ。さっさとそれを返せ!」



「できません。その代わり、あなたの左目には今は義眼が備わっております」



「義眼だと?」



「はい」



 リリスはそう言うと、しゃがんだ。



「あなたの左目にあるのはジョン・エナルド作『エナルド六号義眼』です」



「“六号義眼”……なんだそれは?」



「ええ。我が主はあなたにお教えしておりませんから」



「我が主って……まさか」



 圭吾の脳裏にあの犬がよぎる。



「ジョンか!?」



「そうです。この世界ではあなたにそう呼ばれておりますね」



「この世界って、やはりジョンは異世界の奴か。思った通りだ」



「そうです。そしてあなたもですよ圭吾様」



「何っ?」



 圭吾は一瞬驚いた様子を見せつつも、すぐに冷静な顔をリリスに見せた。



「あまり驚いていませんね」



「ああ。そうだろうと思っていたからな」



「どうしてです?」



「この世界の人間は魔力を持っていないの普通だからだ。だったらおのずと俺は異世界人という可能性が湧いてくる」



 リリスは無表情のまま聞いた。



「主はそう言うだろうと言っておられましたが、本当にそうなりましたね」



「俺もバカなつもりはない」



「では、次に六号義眼について説明させて頂きます。よろしいですか?」



「事務的だな……さっき魔人形とか言っていたが」



「私はこの世界で言うロボットと呼ばれる物と同等です。あまり感情は組まれてないので」



「だから単調なのか」



「そうです」



「魔力で動くロボットって所か……で、その六号義眼って言うのは?」



「数世紀前の義眼工ジョン・エナルドの製造した魔術義眼であり、魔術が施された一種の武装です」



 当然、義眼工やジョン・エナルドという名はこちらの人物ではない事を圭吾は分かっている。異世界の人物である事は容易に理解出来た。



「義眼に魔術? そんな物があるのか?」



「ええ。我が主があなたにお教えしていない事はいくらでもあります」



「義眼に魔術を埋め込んだ物。それで魔術義眼か」



「ええ。こちらの世界では機能的な義眼はまだないようですが、我らの世界では5世紀前からある代物です。歴史が長く、多くの魔術師が使用しています。特に魔眼を開眼できない魔術師が多額の資金を叩いて義眼工に作らせる事は珍しくありません。その為、極めて高い値が付けられた義眼もあります」



「魔眼が無ければ作ればよいか……だったら魔眼持ちはあまり重宝されないな」



「義眼も完璧ではありません。専用に作ったとしても100%の性能を引き出せる事は極めて稀です。定期的に点検もしなければなりませんし、正常な眼をわざわざ取り出す魔術師もいるので昔から問題視されております。ですから生来の魔眼の方が良いと考える者も少なくありせん。また、かつて義眼をめぐり争った経緯から義眼の製造は国際法にて厳しく制限されており、現在活動している義眼工は全盛期に比べて少なく、管理機関により厳重に監視されている者もおります」



「義眼といってもやはり人の手によって作られた物。神の与えた魔眼には及ばないって事か」



「当然、魔眼持ちの方々には最強と呼ばれる者もおり、その方々の魔眼と比べるとまだ義眼は見劣りする場合が多いですね」



「なるほど。そちらの世界の義眼については分かった。じゃあ俺の左目に装備されたこの義眼はどんな機能があるんだ?」



「六号義眼の基本機能は宿主の使用している魔術効果を最大100倍にする魔術と、魔力を貯蔵する魔術が組み込まれております。そして最大の特徴が“瞬間移動”の魔術です」



「瞬間移動だと?」



「はい。正確には空間転移魔術ですが、便宜上瞬間移動の方が分かりやすいでしょう」



 圭吾は例の怪物を討伐する際、東京タワーを空高く飛ばした時に使用したが、あれは大掛かりな下準備があってこそ出来た事である。それを義眼一つで可能など圭吾には思いもしなかった。



「空間転送魔術は複雑な魔術式を組み込む必要がある難易度が高い魔術のはず。それを義眼一つで出来るのか?」



「出来ます。あなたの方式はもう時代遅れの方式です」



 あの魔術はジョンから教わったのだ。と圭吾は心の中で呟いた。



「じゃあ六号義眼は最新式なのか?」



「いえ、そうでもありせん。空間転移魔術でも、結構な数があります。六号に組み込まれている術は古い方式ですが、今でも十分通用する代物です」



「やはり俺の知らない魔術はまだまだあるようだな」



「ええ。我が主はあなたにまだ必要最低限の物しかお教えしておりませんので」



「もっと教えろってんだよ」



 圭吾はジョンに対しやや怒りを感じつつも、感謝はしている。ジョンから魔術を教わなければ、自分は何も出来ないフリーターだっただろうと思っている。



「ジョンはそれで俺に何をさせる気だ? まだ脅威は過ぎてないだろう」



「ええ。分かっておられるなら話は早いです。あと数日もしないうちに東京湾で海洋魔物が放たれるでしょう」



「海洋魔物とは何だ?」



「海に潜む魔物です。魔物は分かりますね? 魔力を持った獣、動物と言った方が分かりやすいでしょう」



「ああ、知っている。じゃあ、つまり海の魔物って事か……」



「全長100m以上クラスの大型が10匹。随時放たれます」



「やってくれるな。俺の産まれ故郷にはクソ野郎しかいないのか」



「今回の侵攻を行っているのは魔術至上主義の集団です。無力体質のこちらの人々がどうなろうとも気にしておりません」



「本当、嫌になるぜ」



「それが我らの世界です。こちらの世界も差別する事はまだありますでしょう? それと変わりませんよ」



「だからってここまでするのか? 何万……いや何百万人を食い殺していいのか?」



「ロイットはそういう男です。侵略者が外道だった。ただ、それだけでしょう」



「可哀想とは思わないんだな……ああ、お前ロボットだったな」



「はい。私は魔人形リリス。人の感情を理解する事が出来る事は組み込まれておりません」



 リリスはそう言うと立ち上がった。そして歩き始める。



「どこに行く?」



「穴を塞ぎます。そして他もすべて元通りにします」



「そういえば一之瀬を知らないか?」



「一之瀬……? ああ、あの婦人の事ですか?」



 婦人と言うリリスの言葉に圭吾は笑いそうになった。一之瀬は婦人と呼ばれるイメージなど皆無だからだ。



「そうだ。俺と行動を共にしていた奴だ。お前、監視していたんだろ? 俺達を?」



 その問いにリリスは、間を置いて言った。



「それはお答え出来ません。ただ、一之瀬というお方はもうドームにはいませんよ」



「感知しているのか?」



「ええ。もう私の感知外の領域です」



 リリスはそう言うと再び歩き出す。リリスが向かう先には大きな穴が見えた。

 圭吾は一之瀬が無事だと知ると、ひとまず一安心するのであった。






































「それであんたは海洋魔物退治に出ていたと」



「そうだ」


 

 中央線の阿佐ヶ谷駅を出た圭吾と静乃は阿佐ヶ谷パールセンター内を歩いていきながら、静乃のアパートへと向かっていた。静乃の本来の目的は上野での買い物であったが、圭吾と再会し、予定を変更して優衣香が待つアパートへと戻って来たのだ。

 阿佐ヶ谷パールセンターは事変前は賑わっていたが、今は閉じている店が目立ち、開店している店もどこか悲壮感が漂っている。

 ここまで来るまでの電車の中、旅客機撃墜の件や、大本討伐の件まで圭吾は説明し、静乃は悲しくなっていた。 



「佐藤さんの家族は全員亡くなったのね」



「ああ。残念ながらな」



 静乃はふと周囲を見渡す。悲壮感漂う商店街を見て言った。



「あの東京がこれってとんでもない事よね」



「ああ」



 活気がない商店街を抜けて、しばらく歩いた後静乃が住むアパートへと到着した。静乃の借りているいるのはバストイレ付のワンルームである。階段を上り、二階にある静乃の部屋を向かい、扉を開けた。



「ただいま」



「おかえりない!」



 出迎えたのは秀麗な女性。圭吾の同級生にして、静乃の親友である鈴野優衣香だった。黒のショートヘアー、スラリとした手足を持つモデル体型の美しい優衣香は静乃自慢の親友だった。静乃とは幼稚園からの付き合いである。優衣香は高校卒業後、静乃と共に上京し、事変当時は留学でアメリカにいた。



「圭吾……君?」



 優衣香は圭吾の姿を見て目を丸くした。そして目が段々と涙目へとなっていく。



「……久しぶりだな鈴野」



「やっぱ圭吾君! 圭吾君なんだ!」



 優衣香は泣き出した。圭吾と静乃は突然に泣きだした優衣香に驚く。



「何!? どうしたの優衣香!?」



「どっどうしたんだ!?」



「だって! 圭吾君死んじゃったんじゃないかって。こうして見るまで不安だったんだよ」



 泣き出した優衣香を見て、圭吾と静乃は変わらない事に安心した。昔から泣き虫だった。他人思いの優しい子である事は二人とも知っている。



「全く――。あんたって子は」



「変わらないな」



「えっ?」



「泣かないの! 玄関で泣かれると入れないわよ」



「ごっごめん」



 優衣香はそう言って下がる。静乃と圭吾は入室した。



「邪魔するぞ」



「あっ!」



 静乃が思い出した様に言った。



「どうしたの静乃?」



「始めて自分の部屋に入れる男だわあんた……」



 静乃は納得できない顔で言った。



「――何だよ? 彼氏いなかったのか?」



「静乃ねぇ、高校の時のトラウマで」



「優衣香、言わないでよ! こいつに教えないで!」



 静乃が咄嗟に優衣香の口を塞ぐ。



「何があったんだ?」



「あんたは知らなくていい」



 静乃はそう言って、居間へとそのまま優衣香を連れて行った。



「あんたはここに座って」



 居間のテーブルに横に座る様指示された圭吾は、指示通りにテーブルの横に座った。



「幽霊じゃないよね?」



 圭吾の右側のテーブルの横に座った優衣香が圭吾に問う。



「ああ。生きているぞ」



「本当に?」



「ああ」



 優衣香は信じられないのか、圭吾の肩を両手で叩く。



「優衣香……何してるの?」



「生きてるんだね!」



「当り前よ」



「相変わらずだな」



「そう?」



「まあ、心配してくれてありがとう鈴野。心配かけたようだな」



「ねぇ。私も一応心配してたんだけど?」



「そうか……ありがとう」



 棒読みで圭吾は言った。



「何か感謝が感じられないんだけど?」



「気のせいだ」



「……何か納得しないんだけど」



「それより二人とも忠告したい事がある」


 

 無表情な圭吾であるが、口調から真剣な話だと静乃達は理解した。



「二人ともいますぐ東北に戻れ。東京は危険だ。東京には今、何人魔術師がいるか分からない」



「そっか……やっぱり危険なんだね東京は」



 優衣香が言った。



「私も最初帰ろうとしたけど、あんたの事心配で残ったのよ。それとあんた、今までどう生活してきたのよ?」



 優衣香も尋ねたい質問だった。一月も飲まず食わす出来るはずがない。



「パチンコだ。最初から持ってた金を元に魔術で当てまくって稼いだ」



「はっ!? ずる!」



「そっか。その手があったか」



 静乃に攻めるが、優衣香は何故か納得している。



「いいだろ。バカみたいに稼いだつもりはない」



「でも魔法が使えるからって卑怯よ」



「静乃。よく考えたらそれぐらいはいいんじゃない? 圭吾君はヒーローでしょ?」



 圭吾は確かに英雄と称えれてもおかしくない活躍である。敵を退けた事は称賛に値する。



「確かにそうだけど……」



「ヒーローね……俺はそんなつもりで戦ったわけじゃない。それに救えなかった命は多くある」



 その圭吾の言葉で、優衣香は静乃から聞いていたレイナの件を思い出す。



「それでも……凄いよ。立派な事をしたと思うよ圭吾君」



 優衣香は静乃から事細かく圭吾の事を聞いていた。



「こいつは確かに私達を助けてくれたけど、最初は見捨てようとしてのよ優衣香」



「静乃は本当、圭吾君の事嫌いだね」



「当然。だってあんたこいつに――」



 言いきる前に静乃は中学時代の事を思い出して言い止まった。



「……ごめん」



「いいよ静乃。私が中学時代に圭吾君に振られた事、未だに気に食わないのでしょ?」



 静乃にとってはそれは当時から許し難い事だった。それは今でも続いている。親友を泣かせた男は気に食わない。



「そっそうよ。橘は嫌いよ。今もこれからも」



「ごめんね圭吾君。静乃はツンデレちゃんなんだよ」



「誰がツンデレよ! いつデレたの!?」



「だってすごく心配してたじゃない? 半月近く避難所とかで探し回ったんでしょ?」



「優衣香! それは言わない約束でしょ!」



 静乃の顔が赤くなる。圭吾から視線を反らしつつ、静乃は言った。



「勘違いしないで! 私はただあんたに礼を言いたかっただけ! それ以上の感情はないから」



「ああ。知ってる」



 圭吾は単調に返答した。



「全く静乃。『勘違いしないで!』とかもろツンデレの台詞だからね」



「茶化さないでよ! 私はもっと男らしい奴がタイプなの! こんなモヤシは趣味じゃない」



「そうだったね]



 笑う優衣香に、静乃は顔を赤くしたままだった。



「話はとりあえずこれぐらいにして、出来るだけ早く帰る準備をした方がいい」



「待ってよ橘。私達だって色々あんのよ」



「うん」



「そうか。でも、急いだ方がいい」



 圭吾は立ち上がった。



「とりあえず忠告はしたからな。邪魔したな」



 圭吾は静乃の部屋を出ようとするが、優衣香が呼び止めた。



「圭吾君。もう夕方だし、夕飯ぐらい食べていったら?」



 時刻は確かに午後六時を回ろうとしていた。しかし、静乃は少し嫌そうな顔をする。



「ちょっと優衣香!?」



「いいじゃない静乃。命の恩人なんだから、礼の意味も込めて」



「だけど」



 静乃は料理が下手だった。それは彼氏を作らない理由の一つでもある。自炊は得意ではなく。比較的コンビニ類の弁当が多い一人暮らしだった。

 それを思い出した優衣香は言った。



「あっ……そっか。悪かったよ静乃。私が作るから」



 圭吾はその言葉から大体の事を察した。



「別にいいよ。冷蔵庫にはあまり食材は無いんだろ?」



 東京の流通は一月が立とうとしても、未だに改善されておらず開店しているスーパーは珍しく、食料を手に入れのにも苦労するのだった。



「まあ、そうだけど。せめて出来るのはこれぐらいだから」



「橘? 何で食料が少ないって思うの?」」



「……誰にだって得意不得意はある」



「えっ?――私が料理苦手なのどうして分かったの?」



「イメージで」



 その圭吾の言葉に静乃は不機嫌になった。



「何か腹立つ」



「うん。確かに静乃って料理得意そうな感じしないよね」



 優衣香は笑顔で言った。



「ちょっと優衣香まで! もう」



 優衣香の笑い声が部屋に響く。久々の日常的な光景に、圭吾は安堵を感じていた。

 しかし、まだ東京には危機が迫っている事は圭吾自身よく分かっていた。束の間のひとときだと感じつつ、圭吾はこの日常を守りたいと思うのであった。







































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