地獄の中の小さな希望
東京がグールに襲撃された事は瞬く間に世界各地のニュースになった事は言うまでもない。インターネット上に投稿された襲撃の映像は世界中を震撼させた。不気味な姿の子供らしき生物が奇声を発しながら、人を襲う光景に世界中の人々は衝撃を受けた。世界有数の大都市東京が謎の生物により地獄絵図と化すとは誰が予想するだろうか。誰一人想像した事などないだろう。それ故に多くの人々の心に深い傷を与え、ショックと絶望で自らの命すら捨てる者もいたその時の東京はまさに絶望が渦巻く街になっていた。
その絶望の東京で、小さな希望はあった。グールに対抗する陸上自衛隊の部隊がいたのだ。練馬駐屯地の第一普通科連隊第である。襲撃直後、都内に存在する駐屯地は大量のグールに次々集中的に襲撃され、ほとんどの駐屯地は壊滅した。しかし、第一普通科連隊の松井連隊長は、襲撃直後から冷静な判断と指揮で襲撃したグール達を一掃、その後、指揮系統が混乱していた為、独自の判断で部隊を引き連れて国会議事堂及び総理官邸に向かい、政府要人の救助に向かうも、既にグールだらけであった。
確認できたのは総理大臣を含めた全大臣の安否不明と、その他議員の一部遺体の確認しただけであり、松井連隊長は失望しつつも、政府要人救出は諦め、都民の避難地の確保を部隊に指示し、都民を率先して救出する命令を出す。その指示した避難所とは東京ドームである。
「何だあれ?」
ウィンズ後楽園にて、防衛任務に付いている第一普通科連隊所属の野々村二等陸士はこちらに向かってくる奇妙なワゴンを気付いた。それは上に刀を持った男を乗せたワゴンである。そのワゴンは猛スピードで、飛び掛かってくる食人鬼を男一人で蹴散らしながらこちらに向かって来ていた。
自衛隊はグールを、人を食らう様子から
同じく防衛任務についていた先輩自衛官の佐藤一等陸士が野々村に叫ぶ。
「何やってる野々村! 生存者だ! 受け入れ準備をしろ」
「えっ!? 了解っす!」
89式小銃を構え、野々村を含めた十人の自衛官達が歩道橋に出て来た食人鬼を狙い撃つ。ヘッドショットを成功させれば、活動を停止すると分かった今、食人鬼はさほど大きな脅威ではないと野々村は感じていた。
歩道に出て来た食人鬼の数を減らし、ワゴンがこちらに来やすい状況を作る。
「こっちです!」
佐藤が叫ぶ。ワゴンを東京ドームホテルの地下駐車場に入るように動作で指示する。ワゴンは無事に駐車場に入り、下り坂を下って停車する。圭吾達と佐藤一家は無事に避難所に到着したのだった。一家と静乃達は安心してほっとため息をついた。
そんな中、駐車場にいる自衛官達は車の上に乗っていた圭吾を奇妙な目で見ていた。圭吾は視線に気付きながらも、ワゴンの上から飛び降りた。
「なぜ、車の上に?」
とある一人の自衛官が圭吾に問う。圭吾の刀は既に小型化して懐にしまっていた。
「色々と」
自身の正体をこれ以上知られる事は避けたい圭吾は、言葉を濁す。佐藤家にも他言無用と約束している。
「それより、俺は避難はしません。外に案内して貰えませんか?」
圭吾の言葉に自衛官達は一斉に目を丸くした。
「何を言っているのだ君!? 外は地獄なんだぞ?」
「そうだ。正気か!?」
食人鬼達の非道極まりない食人光景を見てきた自衛官達は顔色を変えて、圭吾に詰め寄る。仲間の中にはショックと何もできない仲間がいると言うのにこの男は何を言っているのか、皆、圭吾の言葉に驚嘆していた。
(まあ……こうなるよなやっぱり)
圭吾は予想通りだと心中思いつつ、後から秘密裏に出ていけば良いと考えた。そしてこれで静乃達というお荷物を置いていけるいう事に少しは気が軽くなるのであった。
「お兄ちゃんはねぇ! 正義の魔法使いなんだよ!」
ワゴンから出て来たレイナが圭吾の元に駆け寄り、嬉しそうに告げるレイナ。自衛官達は言葉に詰まる。
「正義の――?」
「魔法使い?」
「何の事だ?」
何の事だか分からない自衛官達は互いに顔を見合わせる。圭吾の考えを汲んだ静乃がレイナに駆け寄る。
「ほらレイナちゃん! 行くよ」
ワゴンから出てくる佐藤一家を見て、隊長の自衛官が一同に問う。
「よく来られました。大変だったでしょう……怪我人などはいませんか?」
「いえ。皆、大丈夫です」
佐藤の主人が答えた。
「では避難所はドームになります。食料や水はそこです。彼らをドームに案内しろ鈴木」
「はい」
避難所はドームであり、その周囲を連隊の部隊で囲んで防衛しているのが今の避難所の状況であった。佐藤一家と圭吾達は自衛官の鈴木の案内で東京ドームへと向かう。
「よく逃げてきましたね」
「ええ、大変でしたよ。あの……医者はいるでしょうか?」
佐藤の主人と鈴木が歩む中、会話する。
「我が部隊の衛生兵がおりますが、何か言えないお怪我でも?」
「いえ、妻が妊婦なので」
「いいのよ、あなた。私、大丈夫よ」
「心配なんだよ」
「そうでありましたか、しかし、さすがに産科は専門外ですね」
「そうですねよね」
「避難された方の中に、もしかしたら産科医の方がおられるかもしれません。着いたら探させますよ」
「ありがとうございます」
鈴木と佐藤一家の少し距離を取った辺りで静乃が圭吾に小声で問う。
「ねぇ、橘。あんたこれからどうするの?」
「出て皇居に戻るに決まっている」
「その大本って言うの? それが皇居の地下に?」
「そうだ。ここで避難してはいられないからな」
「お兄ちゃんはお母さん探してくれないの?」
話を聞いていたレイナが圭吾に泣きそうな顔で唐突に告げる。忘れていた圭吾は困惑する。
「いや……あのな」
「お兄ちゃん約束守ってくれないの?」
圭吾はそもそもそんな約束はしていない。静乃が勝手に言い出した事である。
「おい! お前が勝手にやったんだろ? 何とかしろよ」
「まあ、そうだけどさ……」
そう言いつつ、ニヤニヤする静乃。子供に泣かれそうで困る圭吾は面白く見えるようだ。
「お母さん……」
レイナは今にも泣きそうな素振りを見せる。圭吾はおどおどしながらも、なんとか泣かせないようにとする。
「あのな――そのな、まあ、なんだ?」
必死に子供の相手をしている圭吾の姿に、静乃は笑う。
「フフッ。あんたって子供苦手なんだ」
赤面する圭吾。静乃を睨みつくけたくなる。
「おい一之瀬。お前が責任とれ」
「あっごめん。そうだよね。私が勝手にい出した事だもんね」
笑いながら話す静乃に圭吾は不愉快になった。
「どうされました?」
気付くと鈴木と佐藤一家とずいぶんと離れてしまっていた。いつ間にか歩みを止めていたのだ。自衛官が聞いてきた。
「すいません。すぐ行きます」
静乃が告げる。レイナはまだ泣きそうな顔であり、涙目で俯いていた。見かねた圭吾が言葉を掛ける。
「わかった……避難所に着いたら探してやる」
「本当?」
途端に顔を上げるレイナ。軽く驚く圭吾。
「そうよね。私もやるわ」
「当然だバカ」
「何よその言い方?」
「そもそもお前が言い出した事だろうが」
「はいはい。そうですね」
圭吾は静乃の言動にさらに苛立ちを募らせる。
「喧嘩はダメだよ!」
そう言って二人の間を駆け抜けるレイナ。どこかしら嬉しそうに仲裁する。
「早く!」
駆けていくレイナ。一刻も早く避難所へと向かいたいのだ。静乃はレイナを追う。
「待てレイナちゃん」
「……」
既にレイナの母親が帰らぬ人だと確信している圭吾は、無駄だと思いつつも、少しでもレイナが元気になりそうなのであれば探してやろうと考え始めていた。もしかしたら親の知り合いや友達がいるかもしれないからだ。
二人の背中を見つめながら、圭吾は歩き出す。時刻はまだ6時過ぎ。敵はまだ動かないだろうと避難所から出ていく事を一先ず置いて、無駄だろうともレイナの為に探す事を圭吾は選択したのであった。
東京ドームへと入った圭吾達は避難した人の数に驚いた。予想以上の人数だったからだ。正面ゲートから入った一行であったが、既に正面ゲート付近は座り込んでいる人々で一杯だった。老若男女、さまざまな人がいるが共通して皆、服がボロボロで暗い雰囲気だった。四肢の一部を欠いている者や怪我をして横たわっている者達には数人の自衛官が看護している。また医者なのか背広を血で汚しながらも、けが人を手当てしている男性も見受けられ、圭吾達は心を痛めながらも感心した。避難所だが、どこか戦場さながらの雰囲気だった。
「お姉ちゃん……」
場の雰囲気に、怯えてしまうレイナ。静乃にしがみ付く。
「大丈夫だよ。ここには怖いグールはいないから」
「避難者はあなた達で丁度千人を超えました。さらに増える可能性があります」
鈴木は説明する。東京の人口を考えればこれぐらいの避難者はいておかしくはない。むしろ少ない方だろう。また、ここの話を聞いて逃げてくる生存者はまだまだいても不思議ではない。
「では、担当の者に伝えておきます。何かあったら、近くの自衛官に言ってください」
「わかりました。ありがとうございます」
佐藤の主人が礼を告げると、鈴木は担当の自衛官に説明して正面ゲートから出て行った。
「とりあえず、食料貰いませんか?」
「そうですね」
「おい一之瀬」
圭吾が、レイナの頭を掴む。
「俺はこの子の親を探す。お前は食料は頼んだ。それと探し終わったら俺は……」
「わかってる。じゃあ頼むわ」
静乃達と別れ、レイナと歩き出す圭吾。あまり人に話しかける事は好きではないが、しょうがない。
「すいません……この子の親を知りませんか?」
レイナの手を引き、最初に話しかけたのは男女四人の中年層らしきグループだった。親と知り合いならばこの年代だろうと圭吾は思い話しかけた。当然の事ながら全員の服はボロボロで表情は暗かった。
「分かりませんね……久野さんは?」
「私も分かりません」
「ごめん。分からないです」
皆、元気のない声で答える。圭吾は「ありがとうございます」と告げて、レイナの手を引き次に行く。
「そういえば知り合いの人がいるとか分からないか?」
「分かんない」
レイナの手を引きつつ、次に知っていそうなグループを探す。ここで圭吾は怯えている人や、嘔吐している人、絶望しているのか全く動かない人がいる事を初めて知る。そんな人たちを見て早くこの侵攻は終わらせるべきだと圭吾は感じるのであった。
「すいません。この子の親を知っていますか?」
次に話しかけたのは男女五名の壮年のグループだ。祖父母ならこの年代だろうと圭吾は想い話しかけた。
耳が遠いのか反応は遅かったが、一人の壮年の女性がレイナを気付き圭吾に問う。
「あなたの子ではないの?」
「いえ、この子母親と逸れてしまったのです」
「そうなの、かわいそうにねぇ」
そう言って壮年の女性は持っていたバックから飴玉を取り出し、レイナに「どうぞ」と手渡した。
「ありがとうございます」
父親みたいな気分で圭吾は礼を言う。
「ありがとうおばあちゃん」
レイナも笑って礼を言う。改めてちゃんとした子であると圭吾は思うのであった。
「ごめんさない。私達は知らないわ。でも、見つかるといいわねぇ」
「はい……」
どう考えても、渋谷ではぐれた親がいるとは思えないが、レイナの為にもこうして探すしかないのだ。レイナは飴玉を頬張り、圭吾に手を引かれながら、歩く。
「うあああああああああああっ!!!!!! もう嫌だあああああっ!!!!」
二人が歩いていると座り込んでいる避難者の中で若い男性が唐突に叫ぶ。頭を床に押しつけて両手で抱え、身震いさせながら男は叫んでいた。
「殺してくれぇええええ!!! 誰かぁああ」
周囲にいた避難者達は男から離れる。騒ぎを駆け付けた女性自衛官が男性に近寄る。レイナは驚き、怯えて圭吾にしがみついていた。
「大丈夫ですか?」
「ううっ……嫌だぁ……もう嫌だぁ」
叫んだ男は心的外傷のよるパニック障害である。圭吾は男を同情する。当たり前の日常が、たった数時間で想像を絶する地獄に変わったのだから無理もない。それで身内や友を目の前で殺され、見殺したならば尚更だ。
改めて考えてみると、レイナは強い子だと思う圭吾。この歳の子ならまだ母親が恋しいはずだが、地獄の光景やグールを見て怯えつつも大きい声で泣く事はなく、わがままも言う事も無く付いて来ている事を考えると小学一年生にしては、立派であり、いい子だと圭吾は思った。圭吾は自身にしがみ付くレイナの頭を撫でる。
「すごいな」
怯えてしがみつくレイナは何の事だか分からないが、何を察したのか圭吾に告げる。
「私……お姉ちゃんになるから」
「えっ?」
「お母さんが言ってた……私お姉ちゃんになるって……」
「……そうか」
圭吾はそれしか言えなかった。妊婦だとしてもグールは容赦ない。この子は同時に二人の家族を失った事を考えると、圭吾の心はさらに痛む。
「お姉ちゃんは強くならなきゃならないんだってお父さんが言ってた……だから泣かない!」
圭吾はしゃがみ、レイナを見る。その目は涙目となっていた。
「まだ泣いていいぞ」
「えっ?」
「本当は怖いし寂しいんだろ? 泣きたいなら我慢するな。誰にも言わないと約束するから」
「いいの……?」
「弟妹(きょうだい)に会う日までに強くなればいいんだ。今は無理して強くなろうとしても辛いだけだ」
とは言いつつ、永遠に会えないと圭吾はここのどこかで思ってしまっていた。
「うん……じゃあ泣く」
そう言うと、レイナは圭吾の肩に顔をすりつけて、すすり泣き始めた。
「会いたいよう……寂しいよお母さん」
その母親という言葉に思う事が圭吾にはある。自身の母ももういない。この子も母もおそらくいない。圭吾はこの残酷な時間を早く終わらせると静かに心の中で誓ったのであった。
後に静乃も加わり、二手に分かれて30分以上レイナの母親探しをしたが、結局誰一人レイナの知り合いや友達は見つからず、重要な情報も得られないまま、夜の七時を近くになって、圭吾は内野席で座る佐藤一家の所へとレイナと共に戻って来た。静乃が先に戻っていた。
「どうだった?」
戻ってきた圭吾達に静乃が問う。
「ダメだ」
「そう」
静乃も心のどこかで無駄だと思っていたが、やはり悲しい。
「……レイナちゃん。おなかすいたでしょ?」
悲しげで寂しそうなレイナに気を使い、貰ってきた食糧を静乃は食べさせようとする。少しでも食べれば気が紛れると考えた。とはいえ貰えた食料は少量だ。
「……うん。食べる」
「じゃあ、こっちよレイナちゃん」
「おい、一之瀬」
「何?」
真剣な表情の圭吾に気付く静乃。
「そうか……行くのね」
「ああ」
「……気を付けてね」
思いの寄らない静乃の言葉に圭吾は困惑した。静乃は助けて貰った事には感謝はしているのだ。
「……お前から、そんな事を言われてるとはな」
「感謝してるのよ。あんたにはね……気に食わないけど」
最後の一言が余計だなと思いつつ、圭吾は少なからず嬉しかったのは言わない。
「はいはい。俺もお前から言われると気に食わないぜ」
「何よそれ」
それを最後に静乃に背を向ける圭吾。正面ゲートへ歩き出す。静乃とレイナは圭吾の姿が見えなくなるまで見送った。
「お兄ちゃんどこ行くの?」
「悪いのを倒しに行ったの」
「そうか! 正義の魔法使いだもんね」
「そうだよ。だからお兄ちゃんが勝つように祈ろうね」
「うん」
静乃は思いのほか圭吾の身は案じている自分に戸惑いを感じつつも、やはり心配している自分を認識し、圭吾の無事を祈るのであった。
東京ドーム総合案内所。その前に第一普通科連隊の東京ドーム避難所司令部テントが張られている。そのテントの中で連隊長松井一等陸佐と三名の中隊長、及び数人の自衛官達が郊外からの通信を待っていた。
既に夜の七時を迎え、辺りはもう暗くなっていた。避難所を開始して既に五時間を迎ていた。減る事のない食人鬼の襲来に弾薬は底をつき初めており、避難所防衛任務は限界に迎えつつあった。
角刈りで強面の男である松井は、一見すると“その手”の男に見えるが列記とした自衛官であり、優秀な指揮官である。
「残りの弾薬でどれぐらい持つ?」
「あと二時間程度です。このままの襲撃速度ではですが」
第一普通科連隊の人数は当初1000名程度あったが、第四中隊以下の部隊は最初の襲撃及びその後の作戦行動によりほぼ全滅。残りの第三中隊負傷者含めて322人でこの防衛任務を行っているが、辛うじて防衛出来ている状態であり、食人鬼の対処が確立しているとはいえ、一時間に数人は死亡まだは負傷している。
隊員達のメンタルを含めて考えると、これ以上の戦闘維持は時間経過と共に困難になっていく可能性が高い。
「臨時総監部との通信はまだか?」
防衛省及び朝霞駐屯所も襲撃されており、東部方面隊の方面総監部は壊滅した為、指揮系統の混乱が数時間あった。その後、大宮駐屯地に設置された臨時総監部との通信は確立して、ここ数時間は密接な連絡は取っていたのだが、ここ数十分で電波状況が著しく悪くなっていた。原因は不明である。
「だめです。電波状態悪く通信できません」
携帯電話すら10分前までネットに通信出来ていたが、今となっては不可能である。
「原因を探れ。何としてでも通信は回復させろ」
通信担当に強く告げる。松井はこのまま補給または援軍が来なければ、この避難所は壊滅するだろうと考えていた。通信担当の自衛官は通信機を懸命に操作する。とはいえ通信を回復しても、郊外の状況からして援軍及び補給はあまり望めないのも事実である。郊外には多量の食人鬼が移動し、現在、郊外全域で自衛隊と交戦しているからだ。
(空自による空からの補給ぐらいか……)
可能な事はヘリの輸送による物だ。とはいえ1000人以上を輸送するとなるととんでもない数のヘリが必要となる。非現実的である。
襲撃後数時間は報道ヘリが飛び交っていたのだが、今は音すら聞こえない。臨時政府が報道規制を行ったのだ。人が食われる光景など公共電波で流す物ではないと判断したのである。
「連隊長。一度、私が部隊を連れて駐屯地に戻ります。弾薬はあそこに大量にまだあるはずです」
一人の中隊長が意見を述べる。松井は強面のその顔で睨む。
「ダメだ! もうこれ以上隊員を犠牲には出来ん」
ここに来るまで100人以上の隊員が命を落としており、松井はその責任を感じている。これ以上部下を失うのは辛いのだ。
「しかし! このままでは我々は危うくなるだけです」
お前の言う通りだと松井は言いたい。今の状況では危険だという事は松井は十分理解しているのである。
曇り始めた夜空を見上げながら正面ゲートから外に出た圭吾は出た瞬間に感じた魔力に歩みを止めた。それは真下からであり、皇居の地下にあったはずの魔力の感じそのものだった。圭吾は危機感を一気に募らせ、それまで感知出来なかった己を攻める。そして恐らく自分を狙って来ただろうと考え、罪悪感を抱く。攻めると同時に近くにて警備をしていた自衛官に詰め寄る。
「今すぐここから逃げろ!」
「はっ?」
唐突に言われ、唖然とする自衛官。
「真下に敵がいる! 隊長に今すぐここから退避しろと伝えろ」
すごい剣幕で言いよる圭吾に、自衛官はショックで精神が参ってしまったと考え、圭吾を落ちつかせる。
「落ち着いて。ここはもう食人鬼はいませんよ」
「俺は正常だ! ここまでは全員死ぬぞ!」
「大丈夫です。きっと応援が来て救出されますよ」
「来る前に終わる! いいからさっさとあんたらの司令官に会わせろ」
「どうした?」
もう一人の警備していた自衛官が、異変に気付き二人に近寄る。
「どうやらこの人、錯乱してるみたいで……」
「俺は錯乱なんてしてない!」
「まあ、落ちついて! どうしたんですか?」
その時だった。電気が途絶え、きらびやかな光を放っていた東京ドームは真っ暗となる。ドーム内部でも突如暗くなった為、ざわついた。
「何だ?」
「電気が止まった?」
驚く自衛官二人を横目に、圭吾は冷静な一言を告げる。
「遅かったか……」
「きぃいいいいいいいやあああああああああああああああああああ!!!!!!」
突然真上から現れたグールが奇声を三人に向けて放った。その奇声はドーム内部にまで聞こえ、停電により怯えていた避難者達をさらに怯えさせた。悲鳴を上げる者もいた。
「こいつどこから入って来やがった!」
「何見てたんだ防衛してる奴らは!」
今の東京ドームは、5つの小隊でドームを囲んで防衛している。それぞれ約50名程度で食人鬼から避難者達を守っているが、それでも入り込むグールはいた。しかし、東京ドーム正面ゲートまで来たのは初めてだった。
自衛官の一人が装備している89式小銃を放つ。見事、ヘッドショットを決め、グールは倒れた。
「中に戻ってください!」
自衛官は圭吾の腕を掴むが、圭吾は動かず、グールを見つめて言った。
「まだだ!」
「きぃやあああああああああああああああああああああっっっ!!!!」
グールは活動を停止していなかった。起き上り、奇声を発した。
驚く自衛官二人。驚きながらも、再び銃口を食人鬼に向ける。
「ちゃんと当てろよな佐々木!」
今度は2人目の自衛官が89式小銃で頭を打つ。見事頭に直撃するが、今度は倒れず、銃弾が眉間に食い込むだけだった。
「何っ?」
「何で倒れない!?」
今までヘッドショットや数発撃ちこめば倒せていた食人鬼。しかし、もうアサルトライフル程度では倒されないのだ。夜を迎えて食人鬼は強化されたのであった。
自衛官2人は同時に89式小銃を撃ち続けるが、当たっても貫通せず凹むだけである。食人鬼は撃ち続けてもやや怯むだけでこちらに向かってくる。
「きぃやあああああああっっっ!!!」
「何だよこいつ!」
「弾が効かない!」
次第に危機感を自衛官達は募られていた。その背後で圭吾は懐から刀を取り出し元の大きさに戻して、鞘を抜き構えた。
「くそっ!」
撃ち切ったマガジンを交換する2人。しかし、それを狙っていたの如く食人鬼は飛び掛かる。その速度は明らかに今まで見て来た食人鬼とは異なるものだった。とても速い。
(やられる!)
2人が覚悟を決めた直後、食人鬼は頭を切断されていた。一瞬の出来ごとに驚きながらも、2人は何が起こったのか瞬時に理解した。
圭吾が刀ですれ違いざまに斬り倒したのだ。
「なっ!?」
驚く2人。そんな2人に背中を見せながら、鞘に刀をしまう圭吾。そして告げる。
「司令官に会わせてくれますか?」
圭吾は佐々木によって東京ドーム総合案内所前の司令部テントに案内された。突然の停電に対応に追われていたテント内であったが、刀を持った男の登場にざわつく。
テントの近くで休憩をとっていた野々村が、圭吾の姿を見て思い出した様に告げる。
「お前はさっきの刀野郎」
野々村は圭吾達が避難所に来た時の刀を持った圭吾の姿を見ていたのだ。見た直後、圭吾は刀をしまってしまった為、見ていた自衛官は野々村だけであった。
野々村は刀持っていたと先輩に言っていたが、見ていないと言われ気のせいだと思っていた。が、そうではなかった事に少し有頂天になる。
「松井連隊長。彼がお話があるそうです」
ドーム周辺の警備担当佐々木が圭吾を紹介する。強面の松井に屈することなく圭吾は告げた。
「あなたがここの最高司令官ですね?」
「そうだか君は?」
刀を持つ青年に奇異の眼差しを向ける上官達。しかし、佐々木だけが違う目で圭吾を見ている事に松井は気付く。
「自分は橘圭吾と言います。率直に言います。早くここから逃げてください」
何を言うと思えば、そんな事かと周りの中隊長達は呆れ、圭吾に言う。
「素人は大人しくしていてくれ。我々は自衛のプロだ。怖いのは分かるが」
「刀を持って自分も戦うって言い出すと思っていたよ。かっこいいなそれ」
皮肉で罵る者もいる中、ただ松井は真剣な目で圭吾を睨んだ。
「何を根拠に言ってるんだ君は?」
「――分かるんです俺には」
圭吾は間接的な説明しか出来ない。魔術の事を話した所で、信じてもらえない上に単なる精神異常者扱いされるだけだろう。それでもここの避難者達が危機に晒されているのを黙っているわけにはいかない。折角助けた2人、佐藤一家もいるのだ。
「非科学的な根拠しかありません。ですが……信じてください」
「自分から非科学的な根拠しかないと言ってる奴の言葉を君は信じるのか?」
松井の的確な問いに圭吾は返す言葉がない。
「……いえ。ですが……」
「下がってくれ。停電でこちらは忙しいのでな」
「……」
「早く発電機を持ってこい。各隊の通信を速く回復させるんだ」
松井は停電前に突如起こった各隊通信途絶という問題を早く解決する為、指揮を慌ただしく伝える。松井は何がなんでもここは死守すると決意している。どんなトラブルだろうとも解決しなければならない。
「……戻ろう。連隊長は忙しいんだ」
佐々木の言葉を圭吾は無視する。先程から感じている違和感に圭吾は意識を集中する。
(周囲に感じるこれは……妨害魔術か?)
圭吾は突如テントに入り、無線機に触る。無線機は内臓電池で動いているが、依然として繋がらないままであった。
「おい! 何をする?」
圭吾は無線機に魔力を送る。無線機は一瞬緑色に点滅した。その光景に周囲にいた自衛官達は驚く。
「何をしてる!?」
通信担当の自衛官が圭吾を怒鳴る様に問いただす。
「これで通信できるはずです」
「何っ? 何をしたんだ?」
半信半疑ながらも、通信担当の自衛官は二つの外野席口周辺を守る第三小隊に向けて通信を行う。すると、難なく無線は繋がった。
「つっ繋がった……こちら指令所! 第三小隊、状況を報告せよ」
『こっこちら第三小隊! 至急救援求む! 繰り返す至急救援求む! 急に大勢の食人鬼が襲来し……銃が効かないとはどういう事だ!? なっ何で……ぐあああああああああ!!!! やめろ! やめてくれ!』
無線機のスピーカーから聞こえた悲鳴は身が震える程、強烈であった。予想外の展開に驚きを隠せない自衛官達の中には再び恐怖を感じ始める者もいた。その中でただ一人圭吾はやはりという顔を見せ、心の中で手遅れてしまった事を悔んだ。
「おい! どうした第三小隊!? 応答せよ!」
今まで外で聞いていた松井が、慌ただしくテントに入って無線機に駆け寄り、強引に担当の自衛官から無線機のマイクを奪い、話す。
「おい! どうした篠山! 土田!? 応答しろ!」
無線機から聞こえてくるのは、最初は雑音であったが、その後生々しい肉を食らう音が聞こえて、そして突如あの奇声が通信機のスピーカーから大声で聞こえて来た。
『きぃぃぃぃぃぃやああああああああああああああああ!!!!!!!!!!』
それを最後に通信は切れた。最後の奇声に驚嘆し身震いする自衛官達。ただ、ここではっきりしたのは第三小隊がやられた事だ。松井は指示を出す。
「第三小隊は全滅した! 第二小隊の分隊を外野席入口に回せ!」
第二小隊は都道434号線沿いの東京ドームの北側付近を防衛している小隊である。
「はっはい!」
慌ただしくなるテント内。中隊長達が慌ただしく動いていく。その中で、圭吾の肩を掴む松井は、強面で圭吾を睨む。
「どういう事だか教えて貰おうか?」
「――ドームの真下に敵の本拠地があります」
松井は目を丸くする。信じられない様だ。当たり前だろう。
「敵だと!? これは侵攻なのか?」
食人鬼の姿形を見て、人の仕業だとは考えていなかった松井。圭吾の言葉に驚きながらも、考えを改める必要があるのではないかと考える松井。
「そうです。これは侵攻戦争です。一方的な」
「だとしたら敵は相当質が悪いな。しかし、なぜ、分かる?」
魔術による感知であるとは言えない。
「お教えられません」
「……まあいい。本当なんだな? もっと情報を教えてくれ」
「松井連隊長!」
通信担当の自衛官が、大声で松井を呼ぶ。
「今度はどうした?」
「第二小隊から連絡! 第三小隊の生存者を確認しましたが、2人のみとの事です」
「2人だけだと?」
第三小隊は計53人の小隊である。それが数分でたった2人になるなどありえない。
「グールは強化……いや、進化したと言ってもいい」
圭吾は感知で得た感覚を伝える。明らかにグール一体一体に内包される魔力は数時間前とは異なる事をここ十分で圭吾は感じていた。それが意味するのは意図的な“進化”であり、そしてさらなる“絶望”を意味する。
「ほう。君はグールと呼ぶのか……」
「もう、あなた方が持つ銃程度ではグールは倒せません。このままでは壊滅です。そうなる前にここから脱出するべきだ」
「1000人いる避難者をここから出すだと……不可能だな」
話を聞いてい中隊長の一人が2人のすぐ横で呟いた。
「第二小隊から通信! 食人鬼と交戦中。銃撃が効果なし! 負傷者発生! 至急応援を頼むとの事です」
その報告にどよめき、危機感を募らせるテント内。その中で松井は目を閉じ、どうすれば良いか思案する。
「松井連隊長。この男の話を信じるのですか? 単なる妄想が、偶然当たっただけですよ」
同じく話を聞き、圭吾を否定的なもう一人の中隊長の高木が松井に詰め寄る。すると佐々木が割って入った。
「高木さん。彼は何者かは知りませんが、高い戦闘力を持っています!」
「佐々木。お前らしくないな。一体何を吹き込まれた?」
「自分は目撃しました。この男の実力を」
「何だと?」
佐々木は目撃している。銃弾が通用しない食人鬼を刀で倒す圭吾の姿を。佐々木の目に曇りがない事に、高木は驚く。
「お前――」
「食人鬼を瞬殺しました。その動きは見切れませんでしたよ」
「お前がそう言うとわな……」
「橘君と言ったな?」
松井が口を開く。目はまだ瞑ったままだ。
「はい」
「この際、何者でもいい。これからここはどうなる?」
松井の言葉に圭吾は安堵した。しかし、納得できない中隊長のもう一人が松井に詰め寄る。
「怪しい一般人の言葉を信じるのですか?」
「そうだ。手遅れになる前に動く。臨時総監部に通信を繋げろ」
「はい」
納得できない中隊長に真剣に取り合う様子もない松井。顔を向けないまま、通信担当に指示を出す。
「松井連隊長。私は信用できません」
「私の決定に従え。第三小隊が壊滅した今、彼の提供する情報は重要度が高いと判断した。何としてもここは死守しなければならない」
「ですが」
「くどいぞ」
「……分かりました。私も前線に出ます」
納得していない様子であったが、ミニミ軽機関銃を持ち、装備を付けて東京ドームの東側へと二名の部下と共に中隊長は向かって行った。
「すまないな」
「いいえ。当たり前です」
こんな素人が口出ししていい気分にはならないだろうと圭吾は思ったが、仕方がない。この魔術による攻撃をいち早く察知できるのは自分だけでなのである。
「――なっ! これは!?」
圭吾は感知魔術が突如反応した事に驚きの声を上げる。それは多数の反応であり、圭吾の予測を超える物であった。思いのほか敵の動きが早いのである。
「どうした?」
「これはやばい……」
東京ドーム周辺にグールの反応を多数感じる圭吾。その感知の感覚は皆、進化したグールの物である。圭吾は危機感を募らせる。この数からしておそらく自分の排除を狙ってここを集中的に攻撃し始めた可能性が大きくなったと圭吾は感じる。もしそうならば圭吾はとんでもない疫病神だ。
「敵が増えて続けています。このままでは――」
東京ドームは一時間もしないうちに壊滅するだろうと圭吾は言いたい。しかし、松井がその言葉を遮る様に言った。
「そんな事にはさせない。必ず生き残られてみせる。必ずだ」
松井の言葉は不思議と圭吾の心に響いた。ここまで来るのに色々見捨てた圭吾であったが、自身もその気になっている事に圭吾は気付いた。自分にもそれなりの正義感はある事に意外だと感じるのであった。
しかし、東京の地獄がこれからだという事は、圭吾を含めてその場にいた者は知らない。東京への侵攻作戦は第二段階に移行しつつあったのである。
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