#17 選択

 灯りを持っていたトワさんが居なくなると、自然にここは暗闇に戻る。

 僕はリュックの中に手を入れて、鏡とスマホとを手触りで確認しようとする。

 すると辺りに光が広がった。

 エナガが、どこから取り出したのか小さなLEDランタンを掲げている。


「おいおい。人の荷物を勝手に漁るのか?」


 口の方は相変わらずだけど、エナガの表情からはもう怒りが消えているように感じる。


「これはもともと僕のリュックなんだ。たまたま彼女に預けてあっただけで」


 そう言いながら指先に触れたスマホを取り出し、電源を入れてライトを灯した。

 リュックの中には、トワさんが彼女のバッグも入れたのか、僕の荷物以外にもいろいろと入っていて、この一瞬では鏡までは確認しきれなかった。

 だけどエナガにはまだ鏡のことを知られたくなかったし、不自然な動きになっても困るから、そのままジッパーを閉じてリュックは背負う。


「電気は貴重だ。二人とも点ける必要はない」


 さっきまでの剣幕がなんだったんだってくらい、エナガはおとなしくなった。

 言っていることも感情的ではなく合理的だ。

 僕はスマホの電源を切り、ジーンズの後ろポケットへしまう。


「なぁ……もしもあの女と……お前の探している女とが、さっきみたいな状況になって、どちらかしか助けられないとしたら、どっちを助けるんだ?」


 エナガが僕を見つめながらそんなことを言い出した。

 トワさんとトリーってことか?

 どっちって……そりゃ僕はトリーを助けに来たんだけど……。


「僕は……どちらも助けたい。最後の最後まで、助けられる方法を模索したい」


「いい子ちゃんの回答だな。どっちもなんて先延ばしにしているうちに両方を失うこともあると、俺は思うけれどね」


「ああ、それは分かっている。僕だって理想ばかり追い求めているわけじゃない。ただ、はじめからあきらめたくはないだけなんだ」


「それが甘いって言ってるんだよ」


 エナガの声に少しキツさが戻って来る。

 彼もきっと何かわけありなんだとは思うんだけど。


「甘いのはわかっている。そういう性格なんだ」


「お前は、そういう目にあったことがないから!」


 その時ようやく僕は彼の必死さのようなものに気付いた。

 彼もきっと助けたい誰かがいる……そんな風に感じたんだ。


「……すまない。君の事情も知らずに。ただ、僕は」


「いいさ。変な話を振ったのはこっちの方だ……ただ、この先そういう選択をするかもしれない。そんときに慌てても遅いんだ。今のうちからどっちって決めておかないと一瞬の迷いが永遠の距離になってしまうことだってあるから」


「ご忠告、ありがたく受け取っておく」


「なになに? 何を受け取ったの?」


 トワさんがいつの間にか戻ってきていた。


「行くぞ」


 エナガはランタンの灯りを消して先に進もうとする。


「待って。外の二人は?」


 そういえば……。建物の外はいつの間にか静かになっている。


「裏口、開くかな?」


「もしかしてさっきバンバン叩いてた音のヤツか? 俺はあれを聞いてゾンビロードを上って来たんだ」


 厨房を出て正面口の方を覗くと、回転扉は相変わらず威勢よく回っている。

 逆方向、ゾンビロードの方を見ると、トワさんが照らした先、ゾンビロードへの曲がり角付近に扉が一つ浮かび上がった。

 外から叩かれている様子はない。


 三人でミシミシ床を通りぬける。

 エナガ曰く、端を歩けば音はほとんどしないとのこと。

 一休さんかよ。


「ところでその二人と遭遇したらどうする気だ? さっきのエレベーターにでも突き落とすのか?」


 扉の前で、エナガがそんなことを言い出した。

 そうだ……エナガは鏡のことを知らない。

 エナガが僕に対していろいろ黙っていることがありそうな以上は、こちら側も全ての情報は開示せずにいた方が良いような気がする。


「遭遇したくはない。すぐ近くに居ないことを確認したいだけだ。ゾンビロードを下っている途中に別のヤツラに遭遇した時、後ろからも来られて挟み撃ちにされたら困るから」


 そう言いながら僕は裏口の扉に耳をつける。

 瑛祐君の声も、女のうなり声も聞こえない。

 さっきと変わらない少し強い風の音が吹きすさんでいるだけだった。


「風の音しかしない。この建物から離れたのだとしたら、仲間を呼びにいったとかだとイヤだね」


「嫌。それ嫌。早く移動しましょうよ」


 僕らは再び灯りを消し、ゾンビロードの入り口まで足早に移動する。

 先頭はエナガ、真ん中がトワさんで、しんがりが僕。

 一番後ろを歩いているせいか、気持ちがさっきの裏口の向こう側になんとなく引っ張られたまま。


 瑛祐君、どうしたんだろうか。

 あの女、姿は母親でも中身は違うんだ。

 状況を把握できないでいる瑛祐君を一方的に攻撃したりしていないだろうか。


「ね、アレって」


 急に立ち止まったトワさんに思わずぶつかりそうになる……というかぶつかった。

 トワさんはきゃっと小さな声をあげて僕の胸元にぽふんと後頭部を埋める。

 エナガが居るせいか、こういうささいな出来事に妙に緊張してしまう。


「ごめん……で、アレって何が?」


 一歩下がってトワさんに聞き返す。

 トワさんはちょっとだけ僕を見つめ……その表情が、窓から入る月の光でやけに物悲しそうに見えて。

 それから目を閉じて、ふぅ、と息を吐いたあとヒソリとつぶやいた。


「向こうから気付かれないように窓の外を見て」


 向こうから!

 ということは、向こうに誰か居るってことか。

 ここの窓からは正面ゲートを入ってすぐの広場が見えたはず……あれは!


「瑛祐君とネイデさん? トリーも居るっ!」


 すぐさまゾンビロードを駆け下りようとした僕の肩を、エナガがぐいっと引っ張った。


「馬鹿が……向こうは何人居ると思ってんだ。勝算はあるのか?」


 確かに全部で10人近く居る。

 ツアー参加者が13人で、さっきの2人とトワさんにエナガを差し引くと……残り全員居るってことか?

 トワさんは殺人鬼にならずに済んだってことか!

 いやいや。今はそんなことを言っている場合じゃない。

 あいつが居たんだ。

 トリーがすぐそこに居るんだ。

 ミラーハウスに連れていかれる前に、取り戻さなきゃいけないんだ。


「僕には奥の手がある」


「風悟さん、急ごっ!」


 トワさんは身を屈めながら走り出した。

 もちろん僕も同様に走り出す。

 エナガも走ってついて来る気配がする。


 こっちは3人、トリーとネイデさんと瑛祐君とで6人。

 それだけ居ればなんとか逃げきれやしないだろうか。

 ……瑛祐君……あの瑛祐君は、中身が本物の瑛祐君ではなさそうなんだけど、どうにも敵には思えない。

 霊能力みたいなものに今日目覚めたばかりの僕の勘が、そう告げている。

 それに。

 いざとなったらこっちには鏡だってあるんだ。


 女優、俳優、ハリウッドスターたちのゾンビが立ち並ぶゾンビロードを僕たちは駆け下りる。

 一回折り返すと今度はミュージシャンのゾンビたち。

 マイケル置くならこのロードじゃないのか。

 もう一回折り返して今度は政治家とか富豪とか。

 次に折り返したら最後、入り口まではスポーツ選手のゾンビが並んでいた。

 さすがにユニホームと背番号だけで、ゾンビのモデルが誰かなんて僕にはわからない。


 入り口のすぐ手前で僕らは急ブレーキをかけて止まる。

 早鐘のように打つ心臓の音を手のひらで押さえながら息を整える。

 トリー達が集まっている場所までここから何十メートルかある。

 走ったとしても確実に向こうに発見される距離。

 どうやって近づこう。

 こうしている間も、トリー達がずっと何かを口論しているみたいなのが気になってならない。

 何を話しているんだろう。


「風悟さん、あたしのバッグ、リュックの中から出して」


 トワさんの小声に、僕は無言で彼女のバッグを取り出して返す。


「一人二人ならこれで……」


 そう言って彼女が自分のバッグの中から取り出したのはスタンガン。

 本物は初めて見るが、これって映画とかドラマとかだと簡単に人を気絶させているけれど、本当にあんなに効くもんなんだろうか。

 僕がそのスタンガンとやらをじっと見ていると、横からぬっと手が出てきて、それを奪い取った。


「なるほど。奥の手ね」


 エナガだった。


「ちょ」


 驚いた表情のトワさんの肩に、エナガはスタンガンを当ててその直後、バチバチッという音と共に眩しい何かが目の前で弾けた。

 何もできないほどわずかな間のことだった。


「この女と引き換えに返してもらう」


 エナガはおもむろにトワさんを肩に担いだ。

 ぐったりとしたトワさんと目が合う……意識こそは失ってはいなさそうだけど……僕はエナガの肩から無理やりトワさんを引きはがして抱きとめた。


「お、おい、何やってんだよ」


 エナガはその手に持ったスタンガンをじっと見つめる。


「いざって時のためにとっておきたい。無駄撃ちさせるなよ」


「だから! なんでトワさんに」


「言ったろ。俺にとって大切なのはたった一人。その一人を助けるためなら、どんなことでもする。どんなことでも、だ」


「助けるってことは人質を取られているのか? でもこっちの3人と、あそこで捕まっている3人とが居れば」


「お前の探している女が、この女と引き換えならば戻って来ると、そう言われてもお前は俺を止めるか?」


「約束を守るような相手なのか?」


「俺にはそのたった一人を、無理やり連れだせるほどの力がない。今は従う他に方法がないんだ」


「だからと言って仲間を」


「それが甘いって言ってんだよ!」


 エナガの声に怒りが戻って来る。


「両方助けるなんてのができないことだってあるんだよ! お前はいったい誰を助けたいんだ? 今助けたいたった一人をあきらめて、残りの人生その女と一緒に生きていくのか? その女が居れば、助けたいとかいう相手がどこでどうなろうと平気だってのか?」


 言葉に詰まる。

 何も言い返せなかった。


「俺は、その一人を助けるためならなんでもする……だからもし、その一人を取り戻す過程で俺がどうにかなったら……その時は不本意だけどお前に頼るしかないんだ」


 僕に……頼る?

 一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。

 その隙に僕の手の中からトワさんが居なくなり、エナガの肩に再び担がれる。

 ハッと気づいた僕はエナガを追いかけようとして、すんでの所で立ち止まる。

 エナガがゾンビロードの入り口から広場へと出てしまったからだ。

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