#16 助けに、行く

「ど、どういうことなのか、わかる説明をしてくださいよ」


 本当にわからなかった。

 彼が何に対して怒っているのか、そして一緒に居るはずのトリーはどうしているのか、こんなに攻撃的なのは僕をヤツラ側だと判断したからなのか。

 彼は僕を締め上げる手を緩めることもなく、睨み付けるばかり。


「……なんなんだよ……君はいったい、トリーネの何なんですか?」


 ギリ、と、歯を噛む音が聞こえた。


「トリーネなどという女は知らないし、俺が誰だろうとてめぇにも関係ねぇことだ」


 参ったな。埒が明かないとはこのことだ。


「か、関係ないなら、なんで突っかかってくるんだよっ」


 穏便に交渉しようと思っていたけれど、つい声が荒くなってしまった。

 あいつがどこに居るのかもわからない、誰が敵か味方かもわからない、そんな状況で理由も明かさず威嚇してくるような通り魔的な奴が現れて、いい加減こちらも頭に来ているのは確かだ。


「とにかく俺と一緒に来てもらおうか。お前の会いたいヤツならそこに居るかもしれないからな」


「まて、どういうことだよ」


「黙ってついて来い」


 男はゾンビロードの方へと向かって降り始める。

 このイラついてる細マッチョに着いて行くしか僕の選択肢はないのだろうか。


「ダメ! 行かないで!」


 トワさんの声だ。

 ゾンビハウスの……ミシミシ床の向こうの方からのようだ。

 チッという舌打ちのあと、エナガは僕の腕をつかんで引っ張っていこうとする。


「おい待てよ、彼女を置いていくのか?」


「俺じゃねぇ。あの女が勝手に……」


 勝手に……そうだ。

 トワさんは勝手な人だ。

 だけどまださっきの行動の真意を確かめたわけじゃないし、それに多分あの鏡もまだ彼女と一緒にあるだろう。

 僕はエナガの手を振り払うと、トワさんの声がした方へ走った。

 床がミシミシミシと小刻みに鳴り、カウンターのあたりまで戻って来る。


「トワさん、どこだよ?」


「こっちー!」


 彼女の声は……カウンターの奥、厨房の方から?


「こっちだよ。こっち!」


 その声に合わせて厨房の天井にチラチラと光が揺れる。

 床から懐中電灯で天井を照らす、そんな感じに。

 光源を探すとそれは厨房の奥の……エレベーター?

 荷物や食材とかの運搬用だろうか。


 僕がその前まで来ると、トワさんが助けを求めている理由がすぐにわかった。

 エレベーターは扉が開いてはいるものの、本来この床と同じ高さにあるべきエレベーターの床は、階下へ随分と沈み込んでいる。

 こちらか見えるのは実際のエレベーターの1/3ほど。

 もっとも、エレベーターの扉は天井ギリギリまで開いているわけでもないので、実際の開口部のサイズはせいぜい大人が一人通り抜けられる程度しかない。

 開口部から覗き込むと、トワさんは僕のリュックを背負った状態でわずかに震えていた。


「なんでこんなところに……」


「風悟さん、助けて」


 弱々しい声を出してはいるけれど、僕の中ではまだ彼女のさっきの行動に腑に落ちないものがある。

 それに開口部が狭いとはいえ、こちらの床は向こうからしてもせいぜいトワさんの頭くらいの高さだ。

 彼女の運動能力からしたら越えられない壁ではないと思うんだけど……罠って事はないよね。


「勢いつけたら上がってこれそうじゃない?」


「ダメなの」


「何がダメなんだよ」


「揺らしちゃダメなの……あたしがここに入ってから、ここまで下がったんだから」


「……おおぅ」


 エレベーターを吊るしているワイヤーが劣化しているのだろうか。

 というかトワさんが中に入ってからこんだけ下がるってことは、一刻の猶予もないんじゃないのか。


「じゃあ、ここから肘くらいまでは出せるでしょ。僕が引っ張るから、手を出して」


「……怖い」


「怖いって何が」


「だって! あたしが出ている途中にエレベーターが墜ちたら、あたしの体真っ二つだよ? あたしにはその入り口がギロチン台にしか見えないの」


 彼女の気持ちはわかるけれど、状況的にはすぐに動かないとだよな。


「でもさ。トワさんが足を踏み入れてからなんだろ? 下がり始めたのって。時間が経つとここ、もっと狭くなっちゃうんじゃないか?」


「やだやだやだ! 風悟さんがこっちに手を入れて、あたしのこと引っ張り上げてよ」


 自分が、と考えただけで背中がひやりとする。

 口ではトワさんに早く出るよう言ってはいるものの、自分がトワさんの立場ならトワさんと同じように行動を起こせないでいたかもしれない。

 しかしギロチン台だなんて言い得て妙というか……。


「やってやったらどうなんだ?」


 いつの間にかエナガも厨房にやってきていた。

 再びエレベーターの開口部へと目を向ける。

 トワさんは懐中電灯を持ったまま、ガタガタとさっきよりも大きく震えているようだ。

 言うほど簡単じゃないのはわかっている。

 心霊的なものとは違う恐怖。

 物理的にリアルな「死」が目の前にあると、足って本当にすくむものなんだな……とか言ってる場合じゃない。


「エナガカツマ! あたしがここに居るの、あんたにも原因があるんだからね! あんたも手伝いなさいよ!」


「おいおい。お前が勝手にそこに入り込んだんだろ」


「暗闇で急に声かけてくるからじゃないっ! 普通逃げるでしょ!」


「逃げるにしても他にもっと安全な」


「は、早く上げて! もう限界!」


 トワさんの震えが明らかに大きくなっている。

 まさかここ、何か怖いモノでもいるのか?

 僕は自分が目眩に襲われていないことを確かめる。


「漏れそうなの! 我慢しているから足が震えて……エレベーターに変な振動加えちゃってるのっ!」


 ご、ごめんなさい。

 うら若き女性にとんでもないことを言わせてしまった。


「トワさん、ごめんね。今助けるから」


 僕は慌てて開口部の左端の手前に寝そべった。

 左手でしっかり建物側の壁を抑え、右手を差し伸べる準備をする。


「エナガさん、君も手伝ってくれないか? 二人でなら一瞬で引き上げられると思うんだけど」


「そいつは命をかけてまで守らなきゃいけない女なのか? お前はここに何しに来たんだ? その女を助けるためか? 下手したら自分が真っ二つになって死ぬんだぞ」


 そりゃ僕はあいつを……トリーを助けに来た。

 でも、人を助けに来たのに、助けるべき人を探す途中、それ以外の人を見捨てながらってのは、どこかおかしいと僕は感じるんだ。


「僕は……世界を救おうとか、そんなだいそれた考えの持ち主じゃあない。ただ、目の前の手が届く場所に助けられる人が居て、それを見捨てられるほど心が強くない小市民なんだよ」


「小市民とやらが死ぬかもしれない危険を冒して他人を助けるのか? もしかしてもう他人じゃないとかか?」


 いちいち表現に毒がある。

 でも、ここで怒ったら僕の負けで、事態は悪い方にしかいかないんだ。

 この程度のイヤミやセクハラ表現なら何度も経験がある……仕事でね。

 そんな理不尽な状況を何度もおさめてきた社会人魂、見せてやろうじゃないですか。

 ああ、徹夜でトラブル対応しているときの変なテンションになってきた。


「彼女は僕にヤツラの存在や、このホラーランド内のことをいろいろ教えてくれた。ト……相模さんを探す手伝いをずっとしてくれている。大事な仲間だと、僕は思っている」


 この言葉はエナガにだけではない。

 トワさんに対しても、そして自分自身に対しても向けている言葉。

 自分も含め皆どことなく不審な点はあるし、振り返れば失敗だったんじゃないかって行動もある。

 だけどそういう部分をほじくって、あげつらっても良い結果には結びつかないことを僕は知っている。

 障害発生中に障害のことを嘆いたり犯人探しをしていても、そんなこと障害からの復旧にはつながらないんだ。

 まず最初にすることは障害を乗り越えること。

 全てはそこから先の話。


「悪いが俺は手を貸さないぞ。お前みたいな博愛主義者じゃないんでね」


 今はエナガにはもうかまわないことにする。

 とっとと作業を始めよう。


「トワさん、捕まって。引っ張り上げるから」


 僕は右手と右肩、そして頭まで開口部に入り、トワさんへと手を伸ばした。

 トワさんは持っていた懐中電灯をリュック横のメッシュポケットに挿すと、恐る恐る僕の手をつかんで、それからぎゅっと握りしめた。

 なんか手をつないでばかりいるな。


 ギッ。


 頭上、エレベーターの天井の方から嫌な音が聞こえた。

 ギロチン台という言葉が再び頭の中を駆け抜ける。

 肩が自然とすくむ。

 でも急ぐしか他に方法はないんだ。


「トワさん、なんとか引っ張り上げるから、その後は頑張って僕の腕をよじ登って」


「サンキュ」


 ギシ……。

 またこの音……いや、考えちゃダメだ。

 僕以上に、中に居るトワさんの方がキツイ状況なんだと思うし。


「せーのっ」


 左手で懸命に踏ん張って、トワさんの手を握りしめている右手を思いっきり引っ張った。

 僕の腕や肩にぐいっと力が加わる。

 やっ、という小さなかけ声と一緒にトワさんの香りがふわっと近くに飛び込んできた。


 ギギッ。


「……助かったぁ」


 映画でよくあるような脱出と同時にエレベーターは墜ちましたみたいな劇的展開にはなっていないけれど、さっきに比べ開口部は更に10センチは狭くなっている気がする。

 これだと背中に背負っていたリュックは引っ掛かってしまっていたかもしれないくらい。


「ちょ、ちょっとだけ待っててよね!」


 彼女は僕にリュックだけ返すと懐中電灯を抜き取り、エナガを避けるように厨房の入り口へと走っていってしまった。

 リュックを簡単に返してきたってことは、さっきの逃避にはやっぱり深い意味などなかったのだろうか。

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