第4話 ようやく見えた(気がする)青春の希望

 今日も今日とて、朝から校庭を疾走する。ホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴るまで、あとどれ程の猶予があるだろうか。

「はぁ、はぁ……こ、これも薫のせいだからね……!」

 俺の後ろを息を切らせて追い縋る修が、何やら馬鹿らしいことを口走っているのが聞こえた。

「いや朝からコンビニに寄りたいっつったのはお前だろ、俺はわざわざ付き合ってやったのに……」

「そもそも、修が弁当の準備をしないのがっ……、悪いんだって……。それさえあれば、俺がコンビニによる理由なんてなかったさ……はぁ、はぁ」

「それは悪かったよ! でも、お前も地図アプリで徒歩6分のコンビニに行くのになんで20分もかけるんだ!? あんな遠回りしなければ余裕で間に合ってただろ……」

「し、知らない道なんだから仕方ないでしょ……! 逆に薫は、はぁ、迷わずに行けた自信あるの……!?」

「どんだけ迷ってもあの距離に20分はかけねぇよ」

 そんな言い合いをしながら玄関に飛び込み、教室へと駆ける。

「あぶねー、なんとか間に合いそうだ……」

「ぜぇ、ぜぇ、はぁ……も、もうこんな思いしたくない……」

 ボヤきながら教室に飛び込むと同時。

『『『おはよう富塚、御幸! これからよろしくな!』』』

 教室を埋め尽くす男どもの声に、思考が止まった。

 思わず隣の修と顔を見合わせる。

「……なにこれ?」

 絞り出すような修の声に、俺は返す言葉を持たなかった。

『いやー、よく考えたらお前らみたいな連中が伊羽名先輩みたいな美人に好かれるわけねぇよな』

『っははは、可哀想に! まあ男としての魅力が皆無なのはお前らのせいじゃない、元気出せよ』

『今日から俺らは親友だ、お前らがブサイクで本当に良かった!』

 これだけボロクソに言われているにもかかわらず、クラスの連中からは昨日のような殺意は感じられなかった。待て、俺はどうして他人の殺気なんてものを察知できるようになっているんだ。

 しかし、言葉の端々から何となく事情は察して取れた。

「今のは聞き流してやるとして……どういう事情だ、これ」

『ああ、さっき伊羽名って先輩が教室に来てよ』

『ぷっ、あっははは。如何にお前らに異性として魅力を感じないか、って話をして帰っていったよ』

『いやあ、可愛かったな〜。目の保養だぜ』

 なるほど。昨日の放課後に言ったとおり、先輩はこのクラスに誤解を解きに来てくれたというわけか。だいたい予想通りだった。俺らのいない所でそこまでボロクソに貶す意味があったかはともかくとして。

『ま、お前らが女にモテないなんてのは一目見ればわかる事だけどな。俺は初めからわかってたよ』

『顔も頭も悪い上に、痴漢をするほど飢えてるんだろ? モテるやつがそんな酷い状況になるわけねぇもんな』

「……それは、何かの冗談か? コイツはともかく、俺がブサイクな訳ないだろ」

「いやいや、薫が可哀想なくらいモテないのは確かだけど、俺がブサイクってのは目が腐ってるとしか思えないね」

「そもそもお前らも見るからにモテねぇクセに、人の事言えんのかよ」

 俺がそう言うと、そいつらはやれやれ、といった顔でこう言った。

『『『俺はお前らと違ってイケメンだからな』』』

 ……醜い顔を並べてよくもまあ。

 と言った具合で朝のひと時を過ごしていると、担任の柏崎かしわざき先生が現れた。気づかないうちにチャイムが鳴っていたらしい。

「朝のホームルームを始めますよー、席に着いてください」

 今年25歳になる若い先生で、美人と言うよりは可愛い系だ。どのくらい可愛いかは、クラスの連中が鼻の下を伸ばして顔の醜さに拍車がかかっていることを説明すれば分かるだろう。

 俺たちが静かになったのを確認し、先生が話し始める。

「皆さん、どの部活に入るかはもう決まりましたか?」

 部活と聞いて気が重くなる。俺はあんな得体の知れない部活に青春を捧げるのか。

 ……待て。そういえば、卓球部を乗っ取ったということは聞いていたが、結局のところ何をする部活なのかを聞いていない。

 そんな不安要素が、澱のように胃の底に溜まっていく気分だ。

「ちなみに先生はスポーツをやっている男の子が好きなので、運動部をおすすめします。あっ、勿論文化部も素敵だと思いますよ?」

 男連中の眉がぴくりと動いた。どうやら、今年は運動部が人気になりそうだ。

 その後は特にこれといった話もなく、そのままSHRはつつがなく終わった。

 今日も一日、ひとつでもいいことがありますように。そんなことを願ってしまうほど、この数日はろくでもないことが続いていることを自覚して、少し凹む。

 自分の吐いたため息すら今日一日の良くない前兆に感じられて、ますます心が淀んだ。


*


 ピロン、という音が携帯から鳴り、メッセージアプリの通知が届く。その通知から、グループに入会をした。

 俺と修を最後に40人、クラスのグループメンバーが揃ったのを確認する。

「──よし、これで全員か」

 席順は最後尾なのに人望ではクラスのトップらしい渡辺がそれを確認し、続ける。

「てな訳で、昨日の二王子先輩みたいな咎人クズの情報が入ったらグループで共有を頼む」

「ん」

「了解」

 そう答える俺と修の顔を満足そうに見比べると、渡辺は釘を刺すように付け加えた。

「もしお前らがそうなったら、このクラスに留まらず全校に知れ渡ると思っとけよ」

「……こえーよ」

 汗が背中を伝う。春とはいってもまだ4月、ブレザーを着ていて暑いということも無いはずなのだが。

「じゃあ俺たち、部活行ってくるね」

「またな、渡辺」

「……くれぐれも、伊羽名先輩とどうにかなろうって気は起こすなよ」

「分かってるよ。そもそもどうこうしようって気にもならねえ」

 そんな俺の言葉に胡乱な目を向ける渡辺に、恐る恐る背を向ける。

 命は助かったとはいえ、あれだけボロクソに言われた結果がこれに繋がるのかと思うと、つくづくコスパが悪いものである。

 背に腹は変えられない。そう自分に言い聞かせ、教室を後にした。


*


 部室に着くと、そこには見慣れない2人の男子生徒がいた。

 1人はパイプ椅子に座って文庫本を読み耽り、もう1人はノートPCを前に、接続されたコントローラーをガチャガチャと弄っていた。上履きの色から、どうやら2人とも1年生らしい。

 彼らは一体誰なのかという問いよりも先に、パソコンなんか持ち込んでるのがバレたら怒られないのだろうかという疑問が浮かぶ。

「……えーっと」

 なんと声を出していいのか分からず、そんな声が口から漏れる。

 それに反応してか、本を読んでいた方の男子が顔を上げた。

「悪い、気づかなかった。……もしかして、理宇先輩に用でも?」

 そいつは椅子から立ち上がると、こちらに歩み寄ってくる。改めて見ると身長も高く、やたらとガタイがいい。

 その体躯と、手に持った小難しいタイトルの文庫本がいまいち結びつかない。

「いや、俺たちは──」

「ああ、もしかして先輩が捕まえたとか言ってた新入部員とやらか?」

「そうだけど、君は? 1年生ってことは、俺たちと同じく新入部員?」

「先輩から聞いていないのか? オレは舟入幸太郎ふないりこうたろう。理宇先輩とは小学校の頃からの付き合いで──簡単に言っちまえば被害者第1号、ってところだ」

 なるほど。こいつも苦労しているのだろう。

「聞いていないといえば、俺たちそもそもここが何する部活なのかすら聞いてないな」

「はは……。まあ、そういう所もあの先輩の味みてーなもんだよ。そのうち良いもんだと思えてくる」

「末期じゃないかなぁ、それ……」

 修の呟きに、幸太郎は肩を竦める。

「で、そんなお前の後ろでノーパソに向かうそいつは?」

「あー、それは──」

「──僕は、豊健二ゆたかけんじ。多分、君らと同じく不用意に伊羽名さんに関わっちゃった人間だよ。僕の場合、ちょっと借りを作っちゃって。ちなみに、僕も舟入くんとは初対面だよ」

 困ったような幸太郎の声に被せるように言うと、そいつは画面から目線をこちらに向ける。

 こちらに背を向けて座っている間はわからなかったが、よく見るとかなり小柄だった。幸太郎と比べると、頭一つ以上の差があるかもしれない。

「で、そっちのお2人は一体どういう事情で? 僕達、名前すら聞いてないんだけど」

「あ、ああ、悪い。俺、御幸薫。で、こっちが」

「富塚修。2人とも、よろしく」

「ああ、よろしくな。同じ理宇先輩の被害者として仲良くしてくれよ」

「御幸くんと富塚くん、それに舟入くんね、こちらこそよろしく」

 それから健二は一瞬考えるような素振りを見せ、唐突に俺を指さす。

「……御幸だから、ミユ」

「え?」

 そのまま、修と幸太郎を順に指すと、

「富塚でトミーと、幸太郎からコウ」

「……えーっと」

 そうして、困惑する俺たちの目をもう一度順に見ると、

「あだ名だよ、あった方が気軽に呼べるかなと思って。嫌なら辞めるけど」

「……いや、別に構わんが」

「俺も、別に」

「オレも気にしないぞ」

「ありがと! よろしくね、ミユ、トミー、コウ!」

 ……こんな風にあだ名で呼ばれることはあまり無かったからか、妙にむず痒かった。

 そんなやり取りを終え、一瞬の沈黙の後に幸太郎が呟く。

「……先輩、人の事呼びつけといて来ないな」

「ほんと掴めないからなぁ、伊羽名さん。勤勉、努力家、怠惰、不精ぶしょう、どれも当てはまるんだよね」

 そう言いつつも、健二の視線は画面に集中している。

武将ぶしょう? 伊羽名先輩が? 戦国武将とか、そういうこと?」

 こっちのメガネ付きバカの発言は取り合う価値もないのでスルー。

「……2人が伊羽名さんに目をつけられた理由、何となくわかった気がするよ」

「待て待て、俺とこのバカを一緒にするな。俺が普段からどれだけ迷惑掛けられてると思ってるんだ」

「まったくだ、薫とかいうバカの相手するのも楽じゃないんだよ?」

「「…………」」

「はは、似たもの同士って訳だな。オレにはそんなに仲のいい友達ってーのがいないから羨ましいよ」

 どうやら幸太郎には、ガンをくれ合う俺たちの姿が仲の良い友達のように見えているらしい。違う文化圏で育ったのだろうか。

 と、教室の扉を開ける音。振り向けば、何やら紙袋を小脇に抱えた伊羽名先輩のご登場だった。

「おっと、もうみんな集まってるみたいだね。おはよう諸君、では今日の活動を始めようじゃないか」

「……それはいいけど。理宇先輩は何してたんだ」

「ちょっとばかり生徒会室に寄っていてね。待たせたなら悪かったよ」

 呆れ顔の幸太郎に、先輩は口先だけで反省してみせる。もっとも、顔を見ればそれが本当に口先だけのものである、というのが手に取るように分かるが。

 というか、生徒会室って……?

「先輩、生徒会にでも入ってるのか?」

 そんな疑問を口にすると、先輩は、分かってないな、と言いたげな顔で持っていた紙袋を差し出してきた。

「生徒会長が友達でね、村上ちゃんって言うんだけど。これを借りに行ってたんだよ」

 生徒会長か……。確か始業式で壇上に立っていた気がするが、よく覚えていない。

 そんなことを思い出しながら、紙袋の中身を確かめる。

「なんだこれ……って少女漫画?」

 試しにページをパラパラと捲ってみると、あらゆるページが美少年と美少女で構成されたコテコテの恋愛漫画だった。流し見ただけで胃もたれがしてくる。

「へぇ……先輩って、こういうの読むんですか? 意外だなぁ」

 俺と同じような感想を抱いたらしい修が、横から覗き込んでくる。一方、以前からの知り合いらしい健二と幸太郎は、特別な反応はしていなかった。

「まぁ伊羽名さん、恋愛脳スイーツ入ってるからね。普段からは想像つかないけど」

「む、意外とはなんだ。別に良いじゃないか、女の子が恋に憧れるくらい」

 そう言ってすねた表情だけを見ていれば掛け値なしの美少女なのに、勿体ない。

「そんな話はどうでもいいんだが」

 そう俺が話を変えようとすると、先輩は不服そうな顔で抗議してきた。

「待て、私の乙女としての沽券に関わる大事な話だろう」

「……別に、続けたきゃ先輩ひとりで勝手に続けて貰って構わないけど」

「本っ当に可愛げのない後輩だな、君は! ……仕方ない、それで、何の話がしたいんだい?」

 ようやく本題に入れる。

「結局、ここって何をする部活なんだ」

「──えっ?」

 この上なく間抜けな声が、先輩の口から漏れた。例えるのなら──そう、回答の思いついていない題を問われた時のような、そんな声。

 それで、全てを理解する。

「みんな、どうやらこの部活は今日をもって廃部らしい。理由は活動の実態がない事。つーわけで、解散」

 男連中にそう声をかけ、俺は先輩に背を向けた。

「まあ待ちたまえ薫くん! 別に部活の内容を考えていなかったとかそういうことではないんだ! ただ、そんな大事なことを言い忘れていた自分に驚いて呆れていただけなんだって!」

 すると、先輩は慌てて俺を羽交い締めにしてきた。

「わ、わかった! わかったから離せって! いや離してください、頼むから!」

 そう密着されると、その……双丘が背中に──!!

「ほんとに? 離したらまたすぐ逃げたりしないだろうね?」

「大丈夫だって! あんな脅し方しといて逃げられるわけないだろ!」

 俺がそう言うと、先輩は渋々といった様子で解放してくれた。温もりが背中から離れる。

 そうして振り返ると、湿度の高い修の視線。

「なんだ修、何が言いたい」

「べっつにー。あんだけ部活を嫌がってた割に、随分楽しんでるなーと思っただけ」

「……ほっとけ」

 しかし、冷静になってみると勿体なかったかもしれない。見てくれだけで言ったら滅多に居ないレベルの美少女である先輩に抱きつかれるなんて経験、そうできるものでは無い。

 いやいや、何を考えてるんだ俺は。これじゃ本当の痴漢魔マインドだ。

「それで、この部活って何をするところなんですか」

 ため息をついて先輩の方を向き直った修が、改めて尋ねる。

「まあ、簡単に言ってしまえば、だ」

 健二はゲームのポーズ画面を開き、幸太郎は文庫本を閉じて、先輩の方へと顔を向けた。俺と修を含めた4人の視線が、一様に先輩へと集う。

「他人を幸せにする、これに尽きる」

「「「「……?」」」」

 そうして。一言一句聞き逃すものか、という気持ちに反して、俺たちは誰一人としてその言葉の示すところを正確につかめずいた。

 他人を幸せにする、という日本語の意味は、当然理解出来る。ただ、それを部の活動内容と言う形に落とし込むことが出来ずにいるのだ。

 毎日、世界が平和でありますように、と祈れとでも言うのか。

「おいおい、なんだいその目は。これでもまだわからない?」

「宗教活動でもしてるのか、理宇先輩は」

 幸太郎のそんな冷ややかな言葉にも、慣れた様子で返答する。

「冷たいなぁ、コウくんは。昔みたいに理宇ちゃんって呼んでくれてもいいのに」

 幸太郎が苦虫を噛み潰したような表情になる。

「ま、それについては後回しだ。簡単に言うとウチは、依頼者の悩みを聞いてそれを解決する、それだけの部活さ」

「……悩み、って。そんなの、本当に来るのか?」

「もちろん。去年はまあ……月に1、2件くらいだったかな。逃げ出したペットの捜索だとか、浮気調査だとか。大抵そんな、興信所みたいな相談ばかりさ。もちろん、お金は取らないけどね」

「でも、なんだってそんな事してるんですか。伊羽名さん、他人に尽くすことが幸せなんてタイプじゃないでしょう」

 健二が疑問の声をあげる。

「はは、当たり前だろう。私だって、あなたの幸せがわたしの幸せ! なんて寝言を吐く気は無いよ。最終的な目標は──モテる事だ」

 その瞬間、空気が変わった。

「「「「詳しく」」」」

 俺らの声が重なる。

「ふふ、それでこそ工業と書いて‘バ’と読む、工業科バカ共だ」

 先輩は、満足気に俺たちを見渡した。

「言ってしまえば、私たちの活動ってのは人気取りだ。私たちは、悩める無辜の民を救う。当然、救われた誰かはこう思う。『なんの見返りもなしに、私のために頑張ってくれるなんて! 素敵! 好き!』……ってね」

 ……あまりの感動に、声が出ない。完璧だ。俺は今まで誤解していただけで、この人は俺の青春を満たしに来てくれた天使だったのだ。

「最高だ──いや、最高っス、伊羽名先輩! 一生ついて行きます!」

 気づけば、そんな感動の言葉が口から溢れる。

「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。それで、あとの3人はどうする?」

「俺だって着いて行くに決まってるじゃないですか!」

「そんなこと言われたら、僕だって協力するしかないじゃないですか」

「……オレは今まで、理宇先輩の事を誤解していたかもしれない。最高だ、先輩!」

「よく言ってくれた、4人とも! よし、明日から活動開始だ。今日は連絡先を交換して解散だ! いざ、青春を掴み取ろうじゃないか──!」

「「「「おお────ッ!!」」」」

 狭い部室に、男4人の声が響き渡った。俺の青春も、まだまだ捨てたもんじゃねえ!

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