第16話 カップメンクラブ
フォックス社の工場は州内にいくつかあったが、最大級のものは町外れの、崖に三方を囲まれた天然の要塞にあった。
工場区域の中央には崖を貫いて線路が走り、できたてのカップメンが連邦中に運ばれていく。
しかし、州内では鉄道網が発達しておらず、馬車による輸送に頼っていた。
社にとって重要な施設ではあるが、あくまで生産工場にすぎず、上役がここを訪れることは滅多にない。
だが、今日は社長が自らこの工場に訪れていた。視察にしては警備部の連中を引き連れており、やけに物々しい。
さらに来客まであった。こちらも数台の馬車に分けて全身黒ずくめの配下を何人も引き連れて来ており、工場にはただならぬ雰囲気が漂っている。
そんな気配を気にする風もなく、フォックス社の社長、ザ・フォックスは、応接間に数人の部下を従え入ってきた客人を、大げさな身振りと笑顔で迎えていた。
「やあ、ようこそブラウン連邦保安官。お待ちしておりましたよ」
そう言って右手を差し出す。
フォックスの名を冠する社長だったが、その雰囲気はむしろアライグマに似ていた。イギリスなまりをあえて強調する気取り屋。温和そうな表情の裏で、鋭い狡猾さを忍ばせる男。
一方、その手を握り返した男も、一度見たら忘れられない、強い印象を残す風貌をしている。
「聞きましたよ、フォックスさん。カップメン泥棒を捕まえたとか」
低く、穏やかで、どこまでも吸い込まれそうな声。
部下達と同じく全身黒ずくめで、大学教授のような知的で浮世離れした雰囲気を漂わせる男。しかし、連邦保安官として未開の州に派遣されると、連邦政府に反抗的な先住民の集団を次々と鎮圧し、西部の伝説となった男。
――キリングBである。
「さすがはフォックス社ですな。保安官の手を借りず、自ら問題を解決されるとは」
「ええ。しかし、その泥棒の正体が問題でしてね」
フォックスは握った手を離すと、ドアの方へとキリングを手招いた。
「是非ともあなたのお力が必要なのです。まあ、詳しくは食事の後に」
キリングは勧められるまま、フォックスと共にドアをくぐる。
その先にあったのは、イギリスの邸宅風の大ホールだった。ふとすると、ここがアメリカ南部であることを忘れそうになる空間。
ホールには何十人もが一度に席に着けるテーブルがあったが、準備がされていたのは二席だけ。フォックスに案内され、キリングが席に着く。
ほどなくして調理場からコックコートを着た男が現れ、キリングとフォックスの前に料理を置く。
「ほう」
置かれた料理を見て、キリングは感嘆の声を漏らした。それはカップうどんだった。
「さあ。まずはご試食を」
フォックスに促され、キリングは箸を手に取った。そして、カップを持ち上げると、まずは匂いをかぎ、そしてスープを一口すする。
「ほう。海の遠いこの州で、これほどの魚介だしを取るとは」
驚くキリングを見て、フォックスは微笑んだ。
「そこがカップメンの魔術というものです。新鮮な食材をその場で加工し、乾燥食材にすることで鮮度を保つ。封を切り、お湯で戻したときには調理仕立ての味と風味が再現されるわけですな」
フォックスの講釈を聞きながら、キリングはうどんを一口し、そして頷いた。しかしそこで、笑顔の中に探るような視線を含めて、フォックスの顔を覗き込んだ。
「しかし、君のところの市販品は、ここまでの味ではなかったはずだがね?」
フォックスは軽く、両手を挙げる。
「そりゃあそうですとも。この州に住むほとんどの人間は、この繊細な味を理解できませんからね。これは真に味がわかる者だけに供される、幻のカップメンなのですよ」
フォックスの言葉に、キリングは静かに笑った。
ひとしきり笑ったところで、少し真面目な顔に戻って、尋ねる。
「さて。それで、私の力が必要な理由とは? 泥棒はもう捕まえたんでしょう?」
「ええ。捕まえました。それは良かったのですが、泥棒の首謀者が、こともあろうにこの州の保安官でしてね」
「ほう」
キリングは片眉を跳ね上げた。
フォックスは続ける。
「そうなると、単なる泥棒のように処理ができないわけです。そこで、ブラウンさんの出番というわけで……」
「なるほど。そういうことですか」
キリングはそう言って、再びうどんを口に運んだ。
「まあ、そういうことならお任せください。こちらでうまく処理しましょう。……ところで、せっかくのうどんを食されないのですか? のびてしまいますよ」
キリングは冗談めかしてフォックスを非難する。フォックスは声をあげて笑うと、箸を手に取った。
「これは失礼。しかし、さすがはブラウンさんですな。人のカップうどんがのびることにまで気を遣われるとは」
そう言って、フォックスもカップうどんにすすり始める。
そこからはしばらく二人は、無言でうどんを食していた。広大な空間に、うどんをすする音だけが響く。
だが、やがて、異変が訪れた。うどんをすするフォックスの額から汗が流れ始めたのである。それだけではなく、何やら辺りをきょろきょろしはじめる。
「誰か、水を持ってきてくれないか」
フォックスが調理場に向かって声を掛ける。しかし、何も返事が無い。
「おい、水だ! 誰もいないのか?」
「いますよ。ただ、水を持ってこないだけですな」
うどんを食べる合間に、キリングが言った。
フォックスは口を開け、犬のように荒い息をしながら、キリングの方を見た。
「ど……どういう……ことです?」
キリングはカップを両手で持つと、スープを一気に煽った。
それから、もったいぶった手付きでカップを置くと、ポケットからナフキンを取り出して口を拭いた。
そして、言った。
「調理場にいるのは私の部下なのです。コック姿も様になっていたでしょう?」
「なっ……じゃあ……この、妙な辛味は……」
「ええ。私が特別に調合した、遅効性の激辛調味料です。あなたのうどんにトッピングしておきました。とっても後を引いて、いつまでも舌に残りますよ」
キリングは指を鳴らした。それを合図に調理場からコックコート姿の男が二人現れ、フォックスを両脇かから抱える。
「きっ、貴様! 裏切るのか!」
フォックスが叫ぶ。そうしている間にも、両脇から抱えられた彼は、調理場へと引きずられていこうとしていた。
「裏切るわけではありませんよ、ミスター・フォックス。私はただ、州保安官殺害の容疑であなたを逮捕するだけです。何も間違っていないでしょ?」
「さ、殺害? どういうことだ! 私は殺してなんか……」
「ええ、ええ。おっしゃる通りですとも。けれども、あなたが殺したことにしたら都合が良いでしょう? 私としては。
まあ、キース君には遠い西部にでも保養に行ってもらって、私が代わりに保安官を務めることにいたしますよ。うまい処理でしょう? お望み通り。
ご協力ありがとう、ミスター・フォックス」
フォックスはまだ何か叫んでいたが、何と言っているかは聞き取れなかった。すでに彼は調理場の奥へと消え、だんだんと声も小さくなっていく。
そのとき、応接間のドアが開き、黒ずくめの男が入ってきた。
「ボス。工場の制圧はほぼ完了しています」
「よし。生産ラインの稼働準備にかかれ」
「はい」
「あと、警備も怠るな。異常があればすぐに報せろ」
「はい。しかし、来客の予定があるのですか?」
キリングは席を立つと、ホールをゆっくりと歩き出す。やがて、中庭の見える窓の前まで来ると、そこで立ち止まった。
そして、中庭を眺めながら、言った。
「招かれざる客が来る。おそらくな」
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