五月 吠える狗 その3
次の日。和田先輩に現状報告をしに行った朱雀と翼を待ちながら、教室で先にお昼を食べ終える。何か気付いた事があるらしいので、その質問も兼ねているらしい。そんなアタシの前に、少し暗い表情の宮乃さんが現れた。
「あら、東雲さん。昨日はその……ごめんなさいね。巻き込んでしまって……」
「あ、うん。全然良いよ。朱雀が煽ったのも悪いし。それより大丈夫?お腹」
「ええ。さっき保健室に行ったから」
そう言って宮乃さんはおヘソの辺りを擦る。朝から痛そうにしていたから少し心配だ。と、宮乃さんは少し首を傾げ、おずおずといった感じで聞いてくる。
「あの……変な事を聞くのだけれど……もしかして黒島さんと同じシャンプーを使っていらっしゃったり?」
「え?あ、うん。昨日一寸色々あって、朱雀の家に泊まったの。よく分かるねぇ」
「え、えぇ。その、私鼻が良くて」
少し慌てた様に宮乃さんは返す。そして少しの沈黙の後、何か覚悟を決めた様な表情で口を開いた。
「…………あの、東雲さん。その……れ、恋愛相談とか……してもよろしいかしら」
「ん?和田先輩の事?」
「ななななな何故それを?!?!?!」
突然テンパる宮乃さん。
「何故ってそりゃあ……見てれば分かるとしか」
昨日の道場での態度とか、朱雀をライバル視してる理由とか……まあ色々と。それに一応アタシは、朱雀の為に情報収集したりしてるから、その流れで何と無く。と言うのもある。
暫くわたわたした後、宮乃さんは少し落ち着いた様に呼吸を整えた。ほんの一瞬、首元に何かがキラリと光る。ネックレスか何かだろうか。
「……まぁ、そうなのですけど」
宮乃さんはそう呟き、胸元に手を当てる。一瞬だけ見えた銀色のそれは、直ぐに黒髪に隠れてしまう。
「私は、確かに龍華先輩が大好きですわ。それこそ、その……ええ。愛している……と言って差し支えありません。そして……同時に、妬ましいのです。憎いのです。龍華先輩と馴れ馴れしく喋り、しかもあんなに横暴な黒島さんが」
朱雀の名前を、まるで吐き捨てる様に言う宮乃さん。まぁ、確かに外野から見たらそう見えるだろう。実際には朱雀の方が立場も経験も上なのだけど。
「黒島さんと親しい東雲さんに、こんな事を言うのは間違っている気がしますね。でも……そうなのです。それだけ、龍華先輩が好きなのですわ」
少し苦笑に近い表情を浮かべる宮乃さん。気持ちは分かる。確かに好きな人の側に、誰かが居るとモヤモヤするし嫉妬だってする。それが知り合いで、しかも自分より仲が良さそうに見えれば尚更だ。だから分かると言ってしまいたい。けれど。
何故か、ほんの少し背筋がゾクっとする。まるで格上の妖怪と対峙した時の様な、そんな感じがしたのだ。と、宮乃さんは少し俯いたまま、その笑みを徐々に大きくさせる。
「ええ、えぇ。そう。大好きなのです。私が、誰よりも。そう、そう。龍華先輩の側には、私だけが居れば良いのですわ。私だけが龍華先輩の側に相応しい……」
「み、宮乃さん……?」
小さくブツブツと呟き出す宮乃さん。と、教室のドアがガラッと開いた。そして、朱雀と翼が入って来る。それも、随分怖い顔で。
「神楽!宮乃から離れて!!」
「え、何――」
朱雀の声が響いた刹那。グラウンド側の硝子が突然割れて、あの黒い犬が入って来た。驚きの声と悲鳴が上がる中、翼は直ぐに自分の鞄からG18を取り出すと――その銃口を宮乃さんへ向ける。
「え、え?!」
「宮乃さん!動かないで!神楽は早くこっちに!」
珍しい翼の怒鳴り声。一体何が何なのか。翼がトリガーに指を掛けて人に警告するなど、先ず普通の事では無い。それが何を意味する行為なのかは、翼が一番知っている筈だから。
けれど。教室に侵入して来た黒い犬は唸り声を上げ、此方を睨んでいる。それを無視する訳にはいかない。アタシも後腰のホルスターからPx-4 Storm SDを抜き、スライドを引く。そして黒い犬に向け、宮乃さんを守る様に前に――
「神楽!宮乃さんが犯人なんだ!!」
「――え?」
そんな翼の叫びと同時に、黒い犬が跳ねる。アタシはその頭目掛けて45ACP弾を撃った。だが効果は無く、牙を剥き出しにした黒い犬は――朱雀へ襲い掛かった。
「襲え!その女を殺せ!あっはっはっは!」
そんな声が、アタシの背後からする。宮乃さんだ。でも、どうして。アタシが困惑する中、朱雀を襲う黒い犬は翼の銃弾を華麗に避けながら、飛び掛かる様にして首を狙う。朱雀はそれを足のステップだけで回避しているが、何故か攻撃しない。
「宮乃!この犬を、呪いを解除しなさい!!さもないと、アンタ――」
「煩い煩い煩い!先輩に馴れ馴れしいアンタなんか死んじゃえば良いんだ!殺れ!みんなみんな――死んじゃえ!!」
嗤う様に、哭く様に。宮乃さんがそう指示を出す。と、黒い犬は攻撃対処を朱雀から翼に変え――
「この、分からず屋……ッ!」
そう朱雀が言うが早いか。黒い犬の身体に、朱雀の手が伸びた。その瞬間、黒い犬は何かに弾かれた様に吹き飛び、宮乃さんに吸い込まれる様にして消える。それと同時に、宮乃さんが苦痛の声を上げた。
「あ、ああぁアぁアァァァアあッッッッ!!」
まるで獣の様な咆哮を上げ、宮乃さんは頭を抱えて悶える。机や椅子を滅茶苦茶に巻き込み暴れ回る。と、そんな宮乃さんの身体に変化が訪れた。
健康的な肌が徐々に黒い毛に覆われ、手や足の骨格が変わる。何かが折れたり破れたりする音を立て、上靴や制服を壊しながら身体が膨れ――その姿は、醜い獣に変わった。
「……クソッ」
朱雀が吐き捨てる様にそう呟く。と、獣になった宮乃さんは廊下に飛び出し、そのまま窓を突き破って外に。
「翼!特妖課に『
「うん、分かった!」
直ぐに携帯を取り出す翼。朱雀は次に、窓から大声で叫ぶ。
「鞍馬ァッ!車用意!」
瞬間、クラクションがそれに応える様に鳴る。どうやら待機していたらしい。そして、腰を抜かしたアタシを起こし、何かを噛み締める様に言った。
「…………巻き込んでゴメン。今回はウチが原因だから」
「和田先輩に話を聞いた。具体的には、『和田先輩の事が好きな人物』について」
鞍馬さんが運転する車内。重苦しい空気の中、朱雀はそう話し始める。
「で、宮乃の名前が上がった。毎年バレンタインに長めの手紙が付いたチョコを渡して来たり、校門で待ち構えたりしていたらしい。最も、和田先輩の取り巻きの中では珍しく無いらしいけど。そして、その取り巻き達の中で宮乃だけがあの黒い犬に襲われていなかった」
「でもどうして、和田先輩を好きな人が呪者だって思ったの?」
「黒い犬を和田先輩は見てないから。と言う事はターゲットは和田先輩じゃあ無い。しかもさっき言ったけど、狙われたのは主に剣道部員や取り巻き達。だから、それに嫉妬している奴が犯人って訳」
成程、冷静に考えると簡単な話だった。だが、それはそれで疑問が新たに浮かぶ。
「……じゃあ、何で宮乃さんはあんな呪いを使えたの?」
「…………それはウチにも分からない。あれは狗神。それも、実体が出来上る程強い妖力が込められている……到底宮乃一人で出来るとは思えない」
狗神。それを聞いて絶句した。呪いはその特性から、陰陽寮を始めとした各組織で厳重に禁止されている。その中でも、「蠱毒」と呼ばれる呪いは禁術と呼ばれる。分かりやすく説明すると、恨み嫉みその他諸々を濃縮し、ターゲットにそれをぶつけると言うものだ。
そしてその中でも、狗神は特に強い。餓死寸前まで飢えさせた犬を首から下だけ埋め、眼の前に餌を置いてそれを喰らおうと首を伸ばした所を――斬る。すると、それは周囲のありとあらゆる負の感情を吸い、強力な呪いとなる。これだけ説明すると、如何にも簡単に思えるだろう。だが、普通は呪いに変化する前に死んでしまうか、或いは呪いを制御出来無くて呪者が死ぬ。成功したとしても、その呪いを維持する事も難しいだろう。普通なら。
「……何とか切り離したり出来ない……?」
アタシが聞くと、朱雀は悲痛そうな表情を少しだけ浮かべ、首を横に振った。
「……あそこまで狂気に支配されてたら、多分もう手遅れ」
「そんな……」
呪いは、呪者の精神を蝕む。それは強力であればある程強まる。だから禁止されているのだ。仮にターゲットを呪い殺しても、自分もその呪いで命を落とす事すらあるから。ましてや実体を伴う狗神なんて、一体どれだけのスピードで精神汚染が進んだ事か。
「それに……あの狗神は、ウチの"呪詛返し"が入った。もう、切り離せないと思う」
呪詛返しとは妖力がある者は大体持っている、言わば対呪術用のカウンタートラップである。妖力が自分より低い者の呪いは、呪者へ返る。これが呪詛返しだ。特に朱雀は、人間離れした妖力値を持つ。神様でも無ければ、朱雀を呪う事なんて出来無いだろう。
「お嬢様、到着しました」
そう鞍馬さんは言い、車を停めた。眼の前には「巴流薙刀道 宮乃道場」と書かれた看板が掲げられている。そう、宮乃さんの実家だ。
その入口は壊され、中へ何かが入ったのが分かる。車を降りると、そこから獣と血の匂いが漂って来た。思わずホルスターに手を伸ばすが、特殊ポリマーの冷たさが冷静さを呼び戻す。あれは、宮乃さんだ。確かに呪いでおかしくなったが、宮乃さんなんだ。クラスメイトを、友人を、アタシは撃てるのだろうか。
「無理しなくて良い」
朱雀のその言葉に、アタシは頷けなかった。今一番無理をしているのは、他でも無いその朱雀だ。何時もの表情と言う仮面の下で、一体どれだけの後悔や悲しみが渦巻いているのか。そう思うと、アタシは自然とPx-4を抜く事が出来た。嫌に銃が重く、冷たく感じる。それでも、朱雀の負担を少しでも減らせたら。
見れば、翼もG18を持つ手が震えている。その足も震えている。アタシと同じで怖いのだ。朱雀だって本当はそうしたいのかもしれない。でも、陰陽師と言う肩書がそれを許さない。朱雀の中の"覚悟"が、それを許さないのだ。
「……突入」
そう朱雀が言い、アタシと翼は互いにカバーしながら道場へ入った。パイカットをし、カバーに入った時は肩を叩いて知らせる。宮乃さんが出て来た時、果たして撃てるのだろうか。それは分からない。だが、今は出来る事をやるだけだ。
長い廊下を通過し、部屋を一つづつ開けて探って行く。と、廊下の突き当りにある道場の戸がうっすらと開き、その手前に僅かながらの血痕が見て取れた。つまり。アタシは唾を飲み込み、その戸を引いた。
果たして、その奥に広がる道場に宮乃さんは居た。先程までの獣の姿では無く、襤褸切れの様になった制服を纏った人間の姿で。しゃがみながら俯いて、身体を小さく震わせている。
「宮乃さん……」
そう言う翼を、朱雀は手で制した。そして、宮乃さんの後ろを指す。それを見た瞬間、アタシは全てを察した。もう、手遅れなのだと。
そこには、人間……正しくは人間だったものが転がっていた。身体の向きと頭の向きがおかしいのは、恐らく首を圧し折られたからだろう。その身体は殆ど原型を留めておらず、血の匂いはここから漂って来たのだと分かる。
人間を喰らう。それは即ち生成りとなる。生成りとなった人間は、決して戻れない。そして、生成りとなった人間を発見した場合。それは――
「……後は、ウチがやる」
「…………分かった。翼、下がるよ」
「でも……」
「いいから」
生成りとなった人間を発見した場合、陰陽師は速やかにこれを処分しなければならない。陰陽寮の入寮テストにも書かれる、基礎中の基礎。そして、絶対の不文律。そうである以上、アタシ達の出番は無い。寧ろ、朱雀の邪魔になるだろう。
何度も朱雀と宮乃さんだった獣を見返す翼の手を引き、廊下に戻る。朱雀が虎鶫を鞘から抜く音と、獣が姿を変える音が背後からする。だが、振り向かない。朱雀がこれからする事を、見てはならない。知ってしまうと、朱雀が帰って来れる"日常"が無くなってしまうから。
廊下を進むと、パトカーのサイレンが近付いて来るのがよく分かる。鞍馬さんが場所を教えたのだろう。アタシが玄関を潜るのと同時に、見慣れた特妖課の面々がパトカーから降りて来た。
「……朱雀は中で」
「あぁ、分かってる。全部聞いたからな」
そう言うと、大隈さんはアタシと翼を抱き寄せる。その暖かさに、涙が出て来た。今まで、人の死を見て来た事は多い。それこそ、単なる死体なら見慣れたものだ。でも。つい数時間前までクラスメイトだった人が、もう二度と戻らないのは慣れない。いや、慣れてはいけない。それは異常な事だから。
泣き出したアタシと翼を、大隈さんは何も言わず優しく撫でてくれる。少しそうしていると、後ろから重い足音がした。
「……報告。13時26分、生成り一体を処分。確認お願いします」
朱雀が、帰って来た。その報告の声は普段の凛としたそれとは違う、重苦しく悲しげな色に満ちている。
「うん、了解。鮫島君と大隈君、お願いしますね」
「了解」
「うす。嬢ちゃん達、悪いな」
大隈さんはそう言って、最後に軽くアタシ達の頭を撫でてから朱雀と共に奥へ向かう。まだ少し泣いているアタシ達を見て、二階堂さんはワタワタとしていた。
「えっと、あの…………凄いです……ね。黒島さんって」
流石に気不味くなったのか、二階堂さんはそう口を開く。と、それに返したのは、黒田警部だった。
「いえ、彼女は凄いんじゃあありませんよ」
「え、でも」
「彼女は、自分の使命を果たしたまで。そして、我々特妖課が本来為すべき事を代行してくれたまでです。これが普通ではいけないのですよ」
黒田警部は優しく、それでいてはっきりとそう言う。何時ものにこやかな笑みでは無く、真剣な表情で。二階堂さんはそんな警部が初めてだったのか、少し驚いた顔をしている。
と、黒田警部は溜息を一つ。そして手を叩いて、何かを思い出した表情で口を開く。
「……そうですね。大隈君も居ないし、この話をしておきましょう。冬月君達も、初めての話だと思います。我々特妖課と、黒島さんの初めての事件の話です」
それは確かに初めてだ。そう思って頷くと、黒田警部は嬉しそうな顔をする。そして、パトカーの中から魔法瓶とチョコを取り出した。
「では、折角なので美味しい紅茶と共に聞いて下さい。あれは、今から十年近く前の話です――」
「六月 生成り」へ続く……
京都騒乱日記 花鳥風月編 日向寺皐月 @S_Hyugaji
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