五月 吠える狗 その2

 帰りの車内。翼の膝枕ですやすやと寝ている朱雀を尻目に、アタシは流れる街を見ていた。夕日が家々や車をオレンジに照らし、少しづつ降りて来る夜の帳が鮮やかなグラデーションを作っている。

「……ねぇ、翼」

「何?」

 朱雀の頭を優しく撫でる翼に、アタシは聞いた。

「前々から聞きたかったんだけど、何で朱雀が好きなの?」

「突然だねぇ」

「まぁ、うん。中々聞く機会無かったし」

 それこそ翼の側には大体朱雀が居たし、翼とアタシだけの時は大体そんな余裕は無いし。そう言うと、翼はニコッとしてアタシを見る。

「ん〜、じゃあ先ず……神楽は何で朱雀が好きなの?」

「え"」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、アタシを指差す翼。うむむ、まさか聞かれるとは思わなかった。

「………………見た目が良い?」

 やっと絞り出した答えに、翼は同意と言わんばかりに首を縦に振る。近くに居る人程、中々に言語化が難しいのだ。

「成程、だから朱雀が好き……と。確かに朱雀、綺麗を通り越して"美"そのものだよね」

 まぁそう。そして何より、少し羨ましいのだ。その雪の様に白い肌も、流れる様な濡羽色の髪も。あまりにも"美しい"と言う評価しか出来無い見た目なので、幼馴染であるアタシでも若干隣に居ることに気後れする程だ。朱雀の魅力はそれだけでは無いのだけど、要約するとここに至る。

「後は……意外と優しいとか」

「うんうん」

 朱雀は口が悪い……と言うか、ツンツンしていると言うか。そして表情もしかめめ面から動きにくい。行動だってまぁ素直じゃあ無い。けれど、その行動や言動は裏があるのは、幼馴染だからよく分かる。現場にアタシや翼が顔を見せた時に「足手まといが増えるから邪魔」なんて言うけれど、実際には巻き込みたくないと言う優しさが溢れているのだ。表情が変わらないから分かりにくいけど。

 そもそも。朱雀が刀を取るのは、誰かの為だ。誰かが手を汚すくらいなら、誰かが悲しむくらいなら。それなら自分が全て背負う。それが朱雀だ。

 だからこそ。アタシは朱雀の素直になれない部分をフォローしたいし、朱雀の素の居場所になりたい。多分翼も同じだろう。そう思っていると、翼はアタシの頭を撫でて言った。

「ボクが朱雀を愛してる理由はね?多分、今神楽が考えてる事と一緒だよ」

「…………そ」

 朱雀の頭を愛おしそうに撫でる翼。ともすれば何処か母親の様にすら見えるそんな表情に、アタシは考えてしまう。本当に、アタシと同じ理由なのだろうか、と?

 翼は知っている。朱雀のタイムリミットを。朱雀の妖力が人のそれを超え、アタシ達と共に居る事が出来無くなるその日が来るのを。その上で、最後のその時まで朱雀の側に居ると決めたのだ。別れる事を承知で。その"覚悟"は計り知れない。

 だけど、それでも。出来るなら。アタシも朱雀の側に居たい。その時まで、側に居たい。そりゃあ別れるのは寂しいけれど、だからこそ"今"を一緒に過ごしたい。或いは、翼はそんなアタシの思いも"同じ覚悟"だと思ってくれているのだろうか。

 暫く、沈黙が降りる。もう少しすれば、朱雀の家だ。と、今度は翼が口を開く。

「……神楽のお母さん、もう帰って来れるんだっけ?」

「あ、うん。明日ね」

 前に書いた通り、アタシの両親は自衛官。なので先の震災の災派に出ていたのだ。で、ママの方は本職が広報な事もあり、もうお役御免と言う事らしい。で、暫くアタシは朱雀の家に居候していたのだ。

「あ、そうだ明日だ。今日は帰んないと……」

 今家には阿呆兄ちゃんしか居ない。しかも、暫く帰って掃除だなんだをしてない。あの生活力皆無の兄ちゃんの事だ。どれだけ家を荒らしている事やら……

 流石に帰って来たばかりのママに押し付けるのは忍びない。ので、黒島家の料亭ばりのご飯は名残惜しいけれど……帰らなくてはならないのだ。

「では、ご自宅までお送り致しましょうか」

「あ、いえいえ。自転車起きっぱだし、荷物もありますから大丈夫です」

 鞍馬さんはそう言ってくれたけれど、もう黒島家のデカい門の前。ここからウチに向かうのは流石に手間だろう。なので丁重に断り、車を降りた。翼もぐっすり寝ている朱雀をお姫様抱っこして、アタシの後を着いて来た。

 朱雀の部屋がある離れの玄関を開け、二人を中に。朱雀を布団に寝かせてから、取り敢えずの荷物を纏めてアタシの家に帰る。久々の自転車だけど、多分黒島家の誰かが整備してくれたとみえて、随分運転しやすい。またお礼しなくては。

 アタシの家は、三条大宮は六角通。光明院や善想寺の近くである。なので壬生寺近くの朱雀の家から向かうには、一旦四条大宮駅まで出てから大宮通を上がるのが一番近い。

 段々と暑くなる時期ではあるけれど、自転車を漕ぐと涼やかで丁度良い。今度三人でサイクリングとかどうだろう。でも朱雀が自転車漕げるか怪しいなぁ……黒島家に自転車置いてあるの見た事無いし。なんて事を考える。

 そして四条大宮で上がり、蛸薬師通に近付いた時……ソイツは出て来た。

「グゥルルルル……」

 低い唸り声がして、思わず辺りを見渡す。すると、右横を真っ黒で大きな犬が並走して来ていた。飛び上がり、襲い掛かる黒い犬。

「うぉっ!ワン・モア・タイムッ!!」

 思わず転びそうになるが、能力で無理矢理体制を立て直す。そして、再び襲い来るより先に自転車を止め――腰からベレッタM8045クーガーを抜いた。

 此方を睨む様に見詰めながら、前傾姿勢を崩さない黒い犬。アタシは決して視線を逸らさず、しっかりとポインティングしたままゆっくり下がる。後もう少しで家だ。そうなれば朱雀に連絡出来る。

 と、じっくりその犬を見て気付いた。黒い犬と思っていたそれは、実は黒い何かが纏わりついて黒く見えているだけだと。翼辺りが居れば能力で解析出来るかもしれないけれど……

 宵闇が迫る夕暮れの下、じわじわと距離を取る。後もう少し、もう少し……!

 だが。

「ガウッ!!」

 そう吠えると、一気に飛んで距離を詰めて来た。思わず発砲するが、機敏な動きに完全に後手に回る。ベネリM3でも持って居れば話は別だけど、生憎それは重いから黒島家に置きっぱにしてある。

 右に左にジグザグと、此方が狙い難い様に移動する犬。そしてアタシの喉元目掛け、一気に跳躍し――

「掛かった!ワン・モア・タイムッ!!!!」

 アタシは能力を使い、。身体が釣られて前に倒れ込み、アスファルトに刺さった銃弾は薬莢と共に機関部へ。そのまま身体を仰向けにし、丁度真上を横切る犬のお腹へ撃ち込めるだけ撃ち込んだ。

「キャンッ!」

 悲鳴を上げ、転がる様に着地した黒い犬。しかし血は流れていない。矢張りコイツは生き物じゃあ無い。さてどうしたものか……そう考えて居ると、黒い犬は低い声を上げて走って行った。どうやら難は逃れたらしい。アタシは携帯を出すと、取り敢えずどうせ今日も泊まりの筈の翼に連絡した。


「で、逃げてった」

 暫くして到着した朱雀に、アタシはさっきの襲撃を説明する。朱雀は顎に手を当てたまま、アスファルトに残る弾痕を眺めている。

「……じゃあ、当たりはしたって訳?」

「うん。二〜三発は当てた筈。ダメージはあったみたいだけど……血は出て無いね」

 アタシが返すと、朱雀は更に眉間にシワを寄せる。そりゃあそうだ。何せ呪いで生成された物は、悪魔で"呪い"と言う概念が集合して出来上る。つまり当たり判定が無いのだ。だが。

「アンタが撃った跡……薬莢と比べると数が足りない。つまり当たった分は貫通していない……」

 そう。さっきの黒い犬に撃った分の弾が足りないのだ。アタシのクーガーは45ACP弾を使うタイプで、しかも市街戦用にサプレッサーを装備している。ので、貫通力は殆ど無いのだ。つまり、あの時の弾は黒い犬の体内に残っている筈である。

「うーん、駄目だ朱雀。もう全然残ってないや」

 翼は能力を解除しながら、此方に向かって来る。あの犬の痕跡を探してくれたのだ。ダメージがあるなら、多少なりとも妖力が漏れる筈。だが、ここは京都。妖力値が他の都道府県より濃い為に、残留妖力が直ぐに溶けてしまう。

「……と言う事は、かなり妖力消費が少ない……しかしとなると……」

 朱雀はまたブツブツ言いながら、顎に当てた手を口元まで上げる。どうやら核心に近付き始めているらしい。そして携帯を取り出し、翼に渡す。機械音痴な朱雀の、電話を掛けろと言う意味だ。

「翼、吉野の資料室に電話。呪詛に関する資料を纏めて送付して貰って。アンタのパソコンに送って貰えば早いでしょ。それから神楽」

 通話を始める翼を尻目に、今度はアタシの方を見る朱雀。

「アンタ、今日もウチに泊まりなさい。一度襲われたターゲットは絶対にまた狙われる。一々アンタの家に張り付くのも面倒だし、それに……」

 そこまで言うと、一旦朱雀は言葉を切った。一瞬何かを言い淀む様に目を伏せ、そして再び口を開く。その瞳には、少し迷いが浮かんでいる。

「……兎に角。ウチで護衛するから。良いでしょ」

 そう言い、何かを振り切る様に後ろを向く。そして鞍馬さんが留めていた車へ。うーむ仕方無い。取り敢えず自転車を置きに家に向かい、それから車に乗り込んだ。

 黒島家に向かう車内では、朱雀が無言で翼の横でパソコンを見ている。資料を読んでいるらしい。その表情は、何処か悲しげなそれで。どんな結論になったのかは分からないけれど、それでも……恐らく、朱雀は一人で立ち向かうつもりだろう。アタシ達に、その表情をさせない為に。

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