五月 吠える狗 その1

「やぁーッ!!」

 そんな掛け声と共に、竹製の薙刀が朱雀を襲う。だが当の朱雀は顔色一つ変えずに、竹刀を軽く動かしてそれを逸らす。更に連撃。足元を狙ったそれを、朱雀はひらりと跳ねて避ける。まるで蝶のような軽やかさだ。

 何故こんな事になっているのか。それは、約三十分程前に遡る……


「はっはっはっ!それでは、一つ稽古を付けて貰おうか!」

「五月蝿い。早く始めて」

 学園の端っこにある武道場。そこで高らかに笑い声を上げるのは、剣道部の部長であり帯刀でもある和田龍華先輩だ。何故朱雀がそんな人と稽古をしているのかと言うと……要は、朱雀が滅茶苦茶強いからである。

 和田先輩は上段、朱雀は下段に構えて合図を待つ。見守るアタシ達や剣道部員達にも、二人の研ぎ澄まされた緊張が伝わって来る。当たり前と言えばそうなんだけど、二人共実践経験者だ。特に朱雀は。

「では、始め!」

「たぁぁぁーッ!!」

 そう審判が宣言すると、先ず和田先輩が動いた。一挙に距離を詰め、上段から振り下ろす様に初撃を入れる。朱雀は竹刀を跳ね上げてそれを受けようとする――が、それより先に和田先輩の竹刀の軌道が変わった。手首を撚るようにしてガラ空きになった胴に向かう。と。朱雀は竹刀から左手を離し、右手と身体を回転させて竹刀で背面受けをする。そして左手で竹刀を持って和田先輩の竹刀を跳ね、回転する様にして胴に一太刀浴びせた。

「胴!それまでッ!!」

「うーむ、流石だねぇ朱雀君!!」

 和田先輩がそう言い、拍手をする。それは他の部員達にも広まり、何時の間にか全員がそうしていた。アタシ達からしたら見慣れた朱雀の動きだが、改めて見ると凄いの一言である。

 朱雀は体力が無い。と言うかスタミナが無い。ので、こうしたカウンタースタイルが身に付いたらしい。流石と言うか何と言うか。

「それじゃあ、もう一本願おうか!」

「……あっそ」

 テンション覚めあらぬ和田先輩がそう言うと、朱雀はあっさり返して再び試合が始まる。和田先輩が決して弱い訳では無い。同じ帯刀として登録しているが、和田先輩は現在単独で陰陽寮の仕事をしている。事実上陰陽師と変わらないのだ。それだけ実力があるし、経験も能力もある。剣道の腕も、全国大会で優勝経験がある程だ。

 それでも。朱雀が相手では全然敵わない。朱雀はまるで先の行動が読めているかの様に、和田先輩の攻撃を躱して一撃を叩き込む。圧巻の一言に尽きる動きである。

「面!それまで!!」

 朱雀が無傷で九本取った辺で、和田先輩はやっと面を取った。ウルフカットが汗で輝き、学園の王子様と名高いイケメン系の顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「はーっはっはっは!エクセレントだよ朱雀君!これだけ君に負ければ、私が大会で優勝する事も容易いよ!!」

「そのまま負け癖がついて負けるんじゃあない?」

 対する朱雀は、額に汗一つ無い。まぁ朱雀はあまり汗をかかないし、汗が出る程の運動が出来無いのだけど。そんな事を言いつつも、和田先輩が差し出した手を(嫌々とは言え)取って握手する。

 そんな(実態は兎も角)清々しい青春の一ページ……の様な空間に、割って入り込む女子が一人。

「ちょ、一寸お待ちなさい!黒島さん!!」

「……何、宮乃」

「何って貴女、防具も着けずに試合したの?!龍華先輩が貴女を怪我させたら、大会に出れなくなるのよ?!」

 宮乃奈留美みやのなるみ。アタシ達と同じ2-Bのクラスメイトで、何かと朱雀をライバル視している。まぁ、当の朱雀は全く気にも留めてないと言うか、それが原因の一つと言うか……

「ウチが怪我?させられたなら、大した腕って証明でしょ。それにウチも暇じゃあ無いし、したくてこんな勝負してる訳無いでしょ?」

 まぁ概ね事実なのだが、火に油を注ぐ発言である。疲れてるな朱雀。案の定宮乃さんはブチ切れた。

「はぁ?!?!そんな訳無いでしょう?!龍華先輩はね、貴女の為に手加減してるに決まってるじゃない!!!!」

「へぇ、ねぇ。ウチ相手にそんな嘗めた真似出来るなら、とっくに帯刀なんか卒業してるでしょうね」

「何ですって?!?!?!」

 おぉう、ガソリン満タン入ります。毒舌のキレが上がったと言う事は、疲れ過ぎておネムなのだと言う証拠。そろそろ止めないと。次はガソリンじゃあ済まない一撃をお見舞いしかねない。ので、アタシは朱雀を唯一止められる翼にアイコンタクトを送った。

 が。翼が立ち上がるより先に、高らかな笑い声が道場に反響する。喧嘩の原因、和田先輩だ。

「はぁーっはっはっは!君達!私の為に争わないでくれ!」

 なんて場に不釣り合いでピッタリな台詞だ。

「和田先輩……!」

 そんな阿呆らしい台詞を聞いた宮乃さんは、トロンとした顔で和田先輩を見る。これが宮乃さんが朱雀をライバル視しているもう一つの理由だ。つまり……好きなのである。

 先に書いた通り、和田先輩は帯刀であり朱雀は陰陽師。その関係上、情報交換や諸々の連絡等で朱雀とは良く話をしたりする。が、しかし。和田先輩の性格は先に書いた通りの……まぁ変人だし、おまけに学園の王子様とさえ言われている人だ。更に朱雀は女王とさえ呼ばれているらしい。となると、つまりはそんな風に邪推する人さえいる訳だ。

 まぁ確かに、あの二人が話をしているのを傍目から見ると華がある。なんせ二人とも顔が良いし背が高い。和田先輩は朱雀より上背があるので、確かにそんな風にも見える。まぁ、内容は血生臭い事件の話な訳だけど。

「では、こうしよう宮乃君。君が黒島君と試合する。どうかな?」

「あ?」

「……えぇ、是非!!」

 和田先輩のとんでも無い提案に、朱雀はドスの効いた声で答える。が、宮乃さんは随分嬉しそうだ。名前呼ばれたからかな。

「黒島さん!私が勝ったら、和田先輩に気安く近寄らないで頂戴!」

 なんと、宮乃さんは勝つつもりらしい。知らないって怖いね。

「はっ。一太刀でも当てられたら、だけど」

 対する朱雀は煽る煽る。うーむ、実は余裕無いな?

 そんなこんなで、冒頭の戦闘に戻るのだ。


「たぁーッ!!」

 薙刀が朱雀に振り下ろされる。それを朱雀は半身を引く事で避け、追撃の突きを竹刀で逸らす。宮乃さんがどれだけ攻撃しても、朱雀には全く当たらない。流石は朱雀だ。

 ただ、心配もある。朱雀の動きが、随分機敏になりだしたのだ。普通はそうなる事はいい事なのだけど、朱雀の場合は逆。つまり、疲れ過ぎて手加減が出来なくなりつつあるのだ。

 朱雀が本気を出せば、竹刀であろうともコンマ何秒で宮乃さんを細切れに出来るだろう。だが、それは決して起きてはいけない事だ。なので、朱雀は対人間の際は必ず手加減をする。だけれど、疲れが貯まるとその余裕が無くなり始めるのだ。

 そして、どうやら和田先輩も気付いたらしい。少し表情が険しくなり、止めるつもりで立ち上がった。と、宮乃さんが一瞬だけ和田先輩の方を見る。

 その刹那。勝負は決まった。

「――ゲームセット」

 朱雀がそう言って宮乃さんの首元に竹刀を突き付ける。持っていた筈の薙刀が道場の端に落ちると同時に、宮乃さんが膝を付く。

「そんな……私が負けるなんて…………」

「当たり前でしょ。相手の力量を見抜けない時点で、既に負けなの」

「……くっ!」

 宮乃さんは朱雀を睨み、薙刀を拾いながら逃げる様に道場を出る。なんか少し可哀想だけど、まぁ喧嘩売った相手とタイミングが悪かった。

「流石だねぇ、黒島君。では、少し待っていて欲しいな。"お話"があるからね」

「……最初からそれだけにして欲しいんだけど」

 剣道部員達の黄色い声を背後に、朱雀は竹刀を和田先輩に押し返して出口へ。アタシ達もその後を追って、一礼してから道場を出た。


「……で、何」

 それから数分後、何時もの部室。ソファの対面に座る和田先輩に、朱雀は小さく欠伸をしてから聞いた。

「実は少し……いや、かなり厄介な事になっていてね。帯刀の私では対処出来ないから、是非黒島君に解決して貰いたいのだよ」

「本部に言えば?」

「いや、恐らく……これは私のカンだけれど……」

 そう言うと、和田先輩はアタシが出した紅茶を一口。そして、真面目な表情をして言った。

「……何らかのの類じゃあ無いかと思うんだ」

 その瞬間、朱雀の表情も険しくなる。まぁあまり普段の仏頂面と変わらないが、ほんの少しだけ眉間にシワが寄った。

 呪術、つまり呪いはそれだけの大事だ。余程のプロでも無い限り、成功確率はとても低い。逆に言えば、成功していると言う事は相手がプロか、それ並の技術を持っていると言う事になる。流石の和田先輩でも、それに対処するのはかなりのリスクだ。

「二週間前になる。私の後輩の一人が怪我をしてね?理由を聞いたら『黒い大きな犬に追い掛けられた』と言うんだ」

「黒い大きな犬……」

「そうとも」

 朱雀が復唱すると、和田先輩は首を縦に振る。

「そして一人、また一人と同じ様に後輩達が怪我をしてね。流石におかしいと思ったから保健所に通告したんだ。だが……」

「そんな報告は無かった……とか?」

 和田先輩に翼が聞き返すと、頷いて紅茶を飲む。朱雀もだけれど、見た目が良い上に所作が綺麗だから絵になるなぁ。

「ああ。そして気付くと、クラスメイトにも同じ様に被害が出始めたんだ。で、途方にくれていたら……国枝君に『呪いの類じゃあないの?』と言われてね。だから君に相談する事にしたんだ」

「……国枝先輩に?」

 まぁ確かに、国枝先輩は占いが得意と聞いている。だからそう言う事も知っているのかも知れない。朱雀は先輩の名前を聞いて、顎に手を当てた。何時ものシンキングポーズである。

「呪いとなれば、私レベルでは太刀打ち出来ない。経験も技術も無いからね。だから、黒島君」

 和田先輩は立ち上がり、頭を深々と下げた。

「私の後輩やクラスメイトの為にも、この事件を解決して欲しい。お願い出来るだろうか」

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