四月 不可視の獣 その3
それから三日後。獣がまたしても錦市で目撃されたと言う報告が入ったので、ウチ達は鞍馬の運転で学校から直通する羽目になった。昼前だと言うのに。お腹空いた。
しかし泣き言を言っても仕方無い。オヤツのつもりのメロンパンを鞄から出してもぐもぐしていると、不意に翼がボソッと呟いた。
「……ねぇ、なんで獣は出てくるのかな」
「…………確かに」
言われてみれば、である。妖怪であれ獣であれ、人の多い場所に来る以上は何らかの理由がある筈だ。
「お腹空いてる、とか」
「成程!そうじゃん!」
「んな訳」
ウチが呆れ半分てそう返すと、神楽は何かに気付いた顔で首を横に振った。
「本当だって!だってほら、目撃されたのってご飯があったり屋台がある場所じゃん」
「……植物園は」
「彼処はカカオがあるよ。だから温室を壊したんだ」
こう言う時、神楽は随分と頭が回る。だが。
「空腹だったとして、人間を襲わない理由は何?噛み付かれたって報告もあるし」
「う〜ん、それなんだよねぇ……」
人間は他の動植物に比べ、遥かに多量の妖力を有している。妖怪であれば妖力を吸収する為にも、人間を襲う方が効率的だろう。なら、何故……
そう考えていると、助手席に備え付けられた無線機が鳴った。鞍馬がスイッチを入れると、先に到着していた自邏隊からの連絡だ。
「此方下京03。先に現着したPMからの報告で、ターゲットは木屋町通に移動した模様。此方から六角通辺りまで追い込むつもりです。どうぞ」
「此方冬月、了解。ペイント弾は使用しましたか?どうぞ」
受話器を取り、応答する翼。成程、ペイント弾で何処に居るかを確認する作戦か。悪くはない。が、帰って来たのはあまり芳しく無い答えだった。
「下京03。PMが使用したものの、効果無しとの報告あり。どうぞ」
「冬月了解。オーバー」
「あらら、失敗?」
「だって。何でだろうなぁ……」
首を傾げる翼。と、車の周りが騒がしくなって来た。見れば六角通の辺りに人が集まっている。先んじて人払いをした、と言った所か。
「鞍馬、ここで待機」
「畏まりました」
早速雑誌を取り出して
「陰陽寮です、通して下さい」
陰陽寮の手帳を掲げ、野次馬を掻き分けて六角通を進む。警察の規制線を抜けると、誰も居ない木屋町通が現れた。と、南側に警官が二人見える。そして――
「あー、また食ってる」
その警官二人の直ぐ側で、壊れたハンバーガー屋の外壁から"奴"が食材を食べていた。正確には、そんな感じで食材の入った段ボールが空中に消えて行く。
「お疲れ様です。これが例の……」
「そう。ウチ等が追ってる"獣"で間違い無い」
近付いて来た警官にそう言い、もう一度奴の居る辺りを見る。相変わらず何も見えないが、確かにそこに居るのだ。
「どうする?また取り敢えず攻撃する?」
G-17の薬室に弾を込める翼。だが、それではこの事件は解決しない。ならば、やる事は一つ。
「いや、奴の姿を見える様にする」
「見える様にって……ペイント弾作戦は失敗し――朱雀?!」
驚く翼の声。無理も無い。ウチは虎鶫を取り出して、自分の手を斬ったのだから。
ヒヤリとした感覚は直ぐに熱に変わり、じわっと溢れ出す血。それを能力で制御して、奴の居る辺りに噴射した。見ただけでも貧血でクラッとしそうな方法だが、恐らくこれなら……
「ほら、出て来た」
「うわ、凄い……」
「これが"獣"……?」
呆然と見上げる二人。それはそうだ。なんせ今まで「獣」と呼びはしても、その姿を見ては居なかったのだ。ウチとしても本当に獣っぽい姿になるとは思って居なかった。
食材を食い尽くしたのか、獣は顔を店から出して辺りを見渡す。そして、ウチの方に顔を向けた。
「朱雀!」
「……試してみる」
暫く此方を見ている獣。ウチは鞄からとある物を取り出して、その鼻先……だと思われる辺りに突き出した。それは――
「……メロンパン?」
先程、ウチの血で姿を表した際に気付いたのた。もし仮にこの獣が妖力を欲しているのなら、ウチの血に反応して此方を襲っただろう。ウチの血液は超高濃度の妖力の塊だから。
だがしかし。実際には獣はハンバーガー屋の食材を食べる事に集中していた。確かに物を食べれば妖力は回復するが、かなりの微量だ。と言う事は、神楽の言った通り本当にお腹が空いただけ……かも知れないのだ。となれば。
メロンパンの袋を、鼻先で左右に動かす。すると、獣は顔を釣られて動かした。そして遠くへ投げると、それを目掛けて走り出す。
「…………神楽。今回ばっかりはアンタを褒めてあげる」
「うわ珍しい、朱雀がデレた」
デレた訳では無い。しかしどうしたものか。なんせ姿が見えないだけで、空腹な獣だ。妖怪かどうかは分から無いが、下手をすれば管轄外かもしれない。だが被害は無視出来るものでもない。となると……
と、獣はメロンパンを食べ終えたのか、再び此方を向く。そしてまだ食べたりないのか、ウチ目掛けて走り出し始めた。
「うわ戻って来た!」
「デカ!怖!!」
犬なら可愛らしい絵面なのだろうが、相手は五メートルはあろうかと言う獣だ。正直身の危険を感じない方がおかしいまである。しかもメロンパンは残念ながら品切れだ。仕方無い。何の道倒すなら、今姿が見えるタイミングで――
その刹那、ウチの脳裏に閃くものが。獣が飛び掛かる寸前に前ローリング。大物は足元がお留守なのはゲームでお馴染みだ。そして虎鶫を抜き放ち、その峰で後ろ右足を打ち付けた。
吠える様に頭を振る獣だったが、直ぐにその姿が消えた。後に残ったのは、破壊の跡とウチの血だけ。
「また逃げちゃった……?」
「いや、逃した。わざとね。それより」
ウチの手を心配そうに見て来る翼。ウチは能力で街を治している神楽を尻目に、翼へ携帯を渡して指示を出した。
「翼、吉野の卜部班長に繋げて。この事件の詳細を聞きたいから。それから明日、放課後で良いから呼び出して欲しい子が居るんだけど」
次の日。放課後に神楽と屋上で待っていると、翼がその子を連れてやって来た。
「あの、お話って――ひょわぁ?!」
ウチの姿を見て、驚いた様に跳ね上がる茶色い髪。おどおどとした自信無さげな表情。そして、新しく増えた右足の包帯。
「西園寺有栖。貴女に聞きたい事がある」
「ひぇ!ひゃい!!」
まるでレースゲー厶中のコントローラーの様に震える西園寺。直ぐに翼の後ろに隠れようとしたが、翼が申し訳無さそうな姿でその小さな肩を掴む。
「ゴメンね、ボクの朱雀は見た目も言い方も怖いの。本当は可愛いんだけどね」
「余計な事はいい。それより貴女――」
ウチはそのまま西園寺へ近付き、しゃがんで目線を合せる。翼曰く、こうすれば怖さが抑えられるらしい。
「――本当は能力者でしょ」
「……へ?」
目を真ん丸く見開き、驚いた表情を浮かべる西園寺。しかし言葉を理解したのか、首が取れそうなくらい横に振る。
「い、いえ!!そんな事は無いです!!だって――」
「じゃあ……」
ウチは再び立ち上がり、ペットボトルを腰から抜く。そしてそれを刀に変え、西園寺目掛けて振りかぶり――
「きゃあっ!!」
吹き飛んだ。なんとか空中で姿勢を制御して、スライディングしながら着地する。あの衝撃、間違い無い。ウチは刀で手を切り、また血を出して"そこ"へ撒き散らした。
「うわっ」
「本当だったんだ……」
驚く二人。だが更に驚いて居るのは、他でもない西園寺で。
「え、えぇー?!?!」
屋上に現れた、真っ赤な獣。そう。ウチ達が追い続けた見えない獣は、この西園寺の能力だったのだ。最初に不思議に思ったのは、直ぐお腹が空くと言う台詞。確かに育ち盛りではあろうが、それでもあの食欲……具体的には用意していたクッキーを全部食べてしまうのは少々気になったのだ。
それに、手の傷が出来たタイミングがあの獣と戦った日と同じだったのもヒントになった。そして翼のレーダー上での、謎の妖力の流れ。異常にビビられるウチ。色々と腑に落ちない点が繋がり、この結論に至ったのだ。
つまりはこうだ。西園寺は何らかの後天的な理由から、能力者になった。しかしその事に気付かず、妖力だけが能力である見えない獣に吸われる。妖力が吸われるのでお腹が空き、彼女の食欲が上がる。が、彼女は学生。そうそうお腹を満たす事は難しい。だから獣は食欲の捌け口として彼女を護る為に現れ、辺りの食べ物を食い荒らしたのだろう。
能力で生み出した存在故、本体にある程度フィードバックがある。だから何も無くても怪我をしたし、戦った相手であるウチを恐れているのだろう。まぁ要は、某アクション冒険漫画の"そばに立つもの"である。
ウチを
「怖がらせてごめん。でも、この獣が貴女の能力。貴女を護る能力なの」
「わ、私の……能力……?」
恐る恐る見上げた西園寺。獣は西園寺の方に顔を向け、ジッと見つめる。その時ふと、とある事に気付いた。もしかしたら、あの獣が不可視なのは……
「アリス・イン・ワンダーランド」
「……へ?」
「アリス・イン・ワンダーランド。それが貴女の能力の名前。そしてその獣はジャバウォック。貴女の能力で生み出された、貴女を護る獣。分かる?」
「私を護る……獣…………ジャバウォック……」
そう西園寺が呟いた瞬間、獣に変化が訪れた。その大きな身体がゆっくりと縮み、形がはっきりとし出す。角ばった頭は丸みを帯び、丸太の様な脚は靭やかな形状に。そしてウチの血が落ちて、真っ白でふかふかな身体が現れた。
「……グルルル……」
そう喉を鳴らし、頭を西園寺に差し出す獣……いや、ジャバウォック。その頭を撫でると、ジャバウォックは嬉しそうに目を細めた。まるで猫である。
こうして、一週間近くウチ達を翻弄した「不可視の獣」事件は、何とか無事に終息したのだった。
結局の所。ジャバウォックの姿が不定形だったのは、本体である西園寺が観測出来なかったから。なので一旦観測させて、尚且つ名前を与える事で存在を安定させる事で、一応の解決を見たのだ。
で、その後。西園寺は新しく能力者として登録される事になった。最も、西園寺の身を護るのが精々なのでそれ程要注意扱いになるとは思えないが。被害に関しては彼女が負担出来るレベルでは無い上に、一応能力者になった自覚が無い上に無意識による暴発だったので不問。その分は
んで。西園寺が何故能力者になったのかは不明なまま。何せ本人が何時からそんな能力を得たのかが不明な上、ジャバウォックは元々不可視だったので何時から事件を起こしていたのかが分からないのだ。
そして、そんなゴタゴタから暫くした今日。二人が居ない部室で紅茶を楽しむウチの眼の前に、プルプルと細かく振動する入部届がある。正確には、新聞部に入りたいと言う稀有な一年生……つまりは西園寺が持っているのだ。
「あ……あの……っ!よ、よよよ、よろしくおお、お願い……します……!」
「……ねぇ」
「ぴぃっ!!」
ウチが声を掛けると、西園寺は小さく悲鳴を上げて縮こまる。だが、それでも入部届だけは此方に見せたままだ。
「別に、あの
取り敢えずやんわりと入部届を西園寺に返し、そう返す。事件解決後、翼は西園寺に「じゃあ、依頼解決料として入部して!」等と宣ったのだ。当然その場で叩いたのだが……
と、西園寺は今にも泣きそうな表情で、それでもしっかりとウチに言う。
「あ、あの……!た、た、確か……に、私はその……こ、こんな感じ……です。まだ、す、朱雀先輩が……えっと、あぅ……こ、怖い……です。でも……」
「でも?」
「も、もう、逃げない……です!だから……お願いします!」
そうして再び、ウチの眼の前に突き出される入部届。成程、自分を変えたいと言う訳だ。それなら断る道理もない。そう思って受け取ろうとした瞬間。
「やっほ朱雀〜!今日はトランプやろ――あ!!本当に有栖ちゃん来た!!」
「ぴゃぁぁぁ!」
ドアをガラッと開けた翼の声にビビり、飛び上がってウチの背後に隠れた。全く、先が思い遣られる。
「はぁ、やれやれね」
有栖に絡む翼の首根っこを引っ張り、ウチは呟いた。また騒々しい一年が始まるのだ。
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