第29話 白雪姫と王子 ②

「姫、まじでかわいい」


 クラスの女子が着替えた俺の姿を見て、そんな風に声を上げたり、スマホで写真を撮り始める。

 俺は自分用にサイズ調整された胸元の赤い大きなリボンが特徴の、スカート丈の短いメイド服に身を包んでいた。さらにベタに白のニーハイソックスまで準備されていて、太ももがチラ見えという明らかに誰かのへきが反映されていた。メイクはいつものナチュラルメイクではなく、今日はしっかりとしたメイクを渡瀬は施してくれた。

 シイナには俺と対をなすように執事服が用意されていた。背が高く、手足が長いうえに、背筋が普段からピンと伸び姿勢がいいので完璧に着こなしている。今日はいつも以上に凛と澄んだ印象を受け、イケメン度が増している

 俺とシイナの衣装には力が入っているのに関わらず、他のクラスメイトは安っぽい揃いのクラスTシャツを着ていた。俺とシイナは宣伝で看板を持って歩き回る予定なので、目立つ方がいいかもしれないが、どこかやりきれない思いは抜けきらない。

 そんな不満や文句を心の奥に押し込んで最後の準備を進めていく。

 俺は自分の役割であるスイーツの最終確認をする。レンタルした冷蔵ショーケースにカットしてある二種類のケーキを入れていく。一つはホール型のリンゴのクリームチーズケーキ、もう一つはスクエア型のカラメル焼きリンゴケーキ。それぞれ三個ずつ、計六個を並べる。数は少ないけれどなかなかの迫力だ。


「なんかまじなケーキ屋みたいでやばくね?」

「これ、まじで手作りなの? 店で買ったやつじゃないよね?」

「姫の女子力が神がかってるよー」


 そんな声が聞こえてきたが、聞き流し、「チーズケーキの方は崩れやすいかもしれないから、扱いには気を付けてくれな」と、ケーキを実際に扱う本郷を含む数人の女子に念を押す。


「分かってる。姫の作ったケーキを雑になんか扱えないよ」

「想像以上のクオリティだから、緊張してきちゃった」

「絶対に完売してみせるからねっ!」


 そう口々にリアクションが返ってきて、「そこまで気張らなくていいよ。余ったら余ったで、みんなで分ければいいんだから、気楽に行こうよ」と緊張をほぐす言葉を口にすると、笑顔で相槌が返ってきたので、あとは任せることにした。

 それからショーケースの隣に並べた机に、ラッピングしたリンゴのパウンドケーキとひとくちサイズのアップルパイを角型のバスケットに見映えよく並べていく。そこに江田が自作したというポップを付ける。それとは別に、宣伝ついでに売り歩くように用意された持ち手のついたバスケットの底に、保冷剤を仕込みパウンドケーキやアップルパイを入れて、準備は完了する。

 シイナは『一年C組 白雪姫のリンゴ喫茶』という文字とリンゴのイラストが描かれた宣伝用の看板を持たされていて、心なしか表情が硬いように見えた。

 シイナは俺の視線に気づくと、すっと近づいてきた。


「なんか緊張してるみたいだな、シイナ」

「少しだけね」


 シイナは自分を落ち着かせるように小さく息を吐いた。そして、ショーケースに並んだケーキに気付き、覗き込んだ。


「それにしてもやっぱりシロ君はすごいね。作るの大変だったんじゃない?」

「まあな。昨日からだけど、今日も朝早くからずっと作ってたからな。もう当分は作りたくないし、食べたいとも思えない」

「ははは。でも、それだと来未ちゃんはかわいそうだね。シロ君の作るお菓子好きみたいだし」

「まあ、来未に作るくらいはなんでもないよ」

「そっか。私にもまた作ってね」

「ああ、いいぞ」

「ありがとう。楽しみにしてる」


 シイナは柔らかな笑顔を向けてくる。ふいに外れた王子の仮面に驚きつつも、その表情に自然とこっちも笑みがこぼれてしまう。

 そのまま教室の時計に目をやると、文化祭の開始時間が迫っていた。そのときふいに、「ねえ、ユキちゃん」と渡瀬が声を掛けてきた。


「マユ、どうかした?」

「そろそろ始まるね。それで、今日は切り替えるの?」

「なにも考えてなかった。最近はこっちの姿でも切り替えてなかったからなあ。今日もそのままでいいかなと思ってたし。どっちがいいと思う?」


 渡瀬の表情が少しだけ曇る。やはり渡瀬には“ユキ”の方がいいのかもしれない。


「私は……うん、やっぱいいや。椎名さんはどっちがいいと思う?」

「私? えっと……切り替えるって、女子っぽくなるあれのこと? 私はそのままでもいいと思うよ。あっ、でも、コンテストのこと意識するなら私も含めて切り替えた方がいいのかな?」

「そうだな。じゃあ、最後くらいはきっちりやるか、シイナ」


 シイナはうんと頷く。それを見て、一度目を閉じ、大きく息を吐きだす。喉に手を当て、数度軽く咳払いをする。振る舞い方のイメージはちゃんとできている。そして、ゆっくりと目を開ける。


「ねえ、マユ」


 渡瀬の正面に立ち、顔を見つめながら声を変えて話しかける。以前ならこうやって名前を呼ぶだけでスイッチを切り替えることができたのに、今はそれができない。きっと名前呼びが、最近は当たり前になりすぎて、スイッチの役割を果たせなくなっているのだろう。


「どうしたの、ユキちゃん?」


 渡瀬は俺のそんなちょっとした気持ちの揺れに気付いたのか、心配そうな困ったような表情を浮かべる。そういえば、渡瀬は今のような暗い表情をすることが増えたように思える。その原因はきっと俺とのことだろう。

 告白されて以来、ぎこちなくなってしまった関係を、友達として振る舞うために渡瀬は努力してくれた。しかし、友達関係は努力するようなものではないので、少しずつずれてしまった。以前のような形には戻れるわけがなかったのだ。

 そして、渡瀬のことだから俺の好きな相手にも気づいているのだろう。

 だから、ちゃんと踏み出すためにもはっきりとさせないといけない。


「ごめん、マユ」


 そう謝りながら、すっと正面から渡瀬を抱きしめる。渡瀬の「えっ!」という驚きの声と同時に、こっちの状況をいつものようにうかがっていたであろうクラスメイトからも声が上がる。それを全部無視して、渡瀬の耳元で小声で他の人には聞こえない声量でささやいた。


「マユ、いつもありがとう。そして、辛い思いをさせてごめん」


 渡瀬は俺の背中にそっと手を回しながら、「うん」と相槌を打つ。


「俺さ、マユに好きだって言われたから、自分の本当に好きな相手に気付けたんだ」

「うん」

「俺はシイナが好きなんだ」

「知ってる。でも、ちゃんと話してくれてありがとう」


 ゆっくり体を離し、至近距離で渡瀬の顔を見つめる。少しだけ涙ぐんでいるが、口角は上がっている。


「ねえ、マユ。ちゃんとかわいい?」


 声を代えて、前に切り替えた時の言葉をあえて口にする。


「うん。すっごくかわいいよ。恋する乙女のかわいさもにじみ出してる」


 渡瀬はそう冗談めかしながら笑う。おかげで、スイッチが完璧に切り替わる。


「ありがとう。マユもすっごいかわいいよ。今まで見た中できっと一番」

「でしょ? 今さら後悔しても遅いんだからね」

「ああ、そうならないようにがんばるよ」


 そして、まだお互いに腰に回していた手をゆっくりとほどき、距離ができ始める。


「協力はできないかもしれないけど、応援はしてるからね、ユキちゃん」


 渡瀬は手が完全に離れる瞬間に、周囲の誰をもとりこにしてしまいそうな明るい笑顔でそう口にする。そして、そのまま顔を見合わせたまま久しぶりに心から笑い合った。

 渡瀬とようやく友達としての一歩を踏み出せた気がする。

 そんなことを思っていると、校内放送で、


『ただいまより、藤条北高校文化祭を開催します!』


 と、宣言され、校内から歓声があがり、一年C組はワンテンポ遅れて同じように声が上がる。


「ねえ、姫! 何か一言お願い!」

「うん。私たちC組の文化祭は姫がいたから、ここまで形になったんだから」


 大竹と江田がそう声を掛けてくる。そのことにクラスメイトが「そうだ、そうだ」「頼むよ、姫」と呼応する。それに合わせるかのように、「じゃあ、シロを囲んで円陣組もうぜ!」と佑二が声を上げ、俺を中心に輪ができた。普段は煩わしいと思うこともあるが、文化祭の準備に、コンテストのバックアップにと、強い仲間意識を感じることも増えた。なんだかんだ言って、この少々お節介で面倒くさいクラスメイト達のことを気に入っているのかもしれない。


「じゃあ、みんな! 文化祭、楽しもうぜ!」


 気の利いた言葉を思いつけず、勢いで口にしたが、みんなは「おおっーーー!!」と声をあげる。その中で、「ついでに、姫と王子にコンテスト優勝してもらって、おいしいところは全部かっさらおうぜ!」と佑二が叫ぶ声が聞こえる。サッカーの試合前の声出しはいつも佑二の役割だったから、こういうときに人をのせるのが相変わらずうまいなと感じてしまう。

 佑二の言葉のおかげでクラスメイトのテンションはさらに高まる。


「それじゃあ、一年C組、『白雪姫のリンゴ喫茶』開店しまーす!!」


 教室の扉を本郷が開けながら、声を張り上げる。


 こうして、俺たちの文化祭は幕を開けた――。

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