第12話 仮面の下にあるもの ⑤

 コンビニの店内から漏れる明るすぎる光を背に受けながら、私は隣に座るシロ君にずっと心の中に秘めてきたことを話すことにした。

 きっとシロ君が優しいから。きっとシロ君はどんな私でも受け入れてくれるだろうから。

 そして、シロ君から過度の期待も特別視もされてなくて、ありのままの私を見て受け入れてくれているという事実が心地よくて、それが少しだけ寂しくて――。


「私はね、バレーから逃げ出したんだよ。バレーだけじゃなく、周囲からの期待や人間関係全部から」


 それから私は今ここに至るまでの話をシロ君に話し始めた。



 私、椎名央子のバレー選手としての競技人生は恵まれていた。

 小学校二年生から地域のバレーボールクラブに入った。そのクラブのコーチは元実業団の選手で基礎から丁寧に教え込まれた。

 バレーにハマった私は自主練を欠かさなくなった。強いスパイクを打つために筋トレを、一試合通してスタミナ切れを起こさないために走り込みをと、目標を立ててそのために必要なことを淡々とこなした。

 さらには、身長という最大の才能に恵まれた。どんなに背が伸びても、バレーが上手くなっても、私のバレーにおける大事なことは、みんなでがんばってその結果として勝てたら、思いっきりみんなで喜びたいというチーム第一ということだった。

 中学校に進学して、迷わずバレー部に入り、一年生からレギュラーになった。厳しくも優しい先輩たちに支えられながら全国大会にも出た。

 そうやって結果が出はじめると、学校内外からバレー部は期待され、応援の声を掛けられることが増えた。その期待に応えようと私はさらに努力を重ねていったが、たかが部活でそう思えるのは少数派で、いつの間にか生じていた温度差に私は気付けなかった。

 全国大会に出た翌年、私の代が三年生になった年、その隔たりは大きな亀裂になっていて、修復不能なところまできていた。


「あなた一人でバレーすればいいじゃん」


 新チームになって、同級生の一人から練習終わりにそんなことを言われた。


「なんで? 私はみんなと一緒に勝ちたい」

「やめてよね。どうせ勝っても椎名さんのおかげで、負ければあなたの足を引っ張ったって周りの私たちが責められるんだし」

「そんなこと――」

「そうね。あなたはそんなこと思ってないのかもしれない。だけど、周りはそう見るんだよ」


 それは雷に打たれたかのように衝撃的なことだった。


「天才と平民は違うんだよ。みんなで一緒にがんばろうなんて言葉、あなたが言っても嫌味にしかなってないことに気付いてよ!」


 その子は涙声で私に伝えると、走り去っていった。一人残された私は膝から崩れ落ちそうだった。

 もしかすると、その子は八つ当たりがしたいだけだったのかもしれないが、その言葉は私からバレーに対する熱量を奪うには十分すぎた。

 その翌日から、バレー部に居心地の悪さを感じるようになった。

 今までは練習が楽しくて、地味できつい筋トレも上手くなるための一歩と思えば指定回数以上をこなすのも苦ではなかった。練習だけでなく、ジム通いするくらい本気だったのだから。

 だけど、周りに目をやると適当にこなしたり、回数をサバを読んだりと、顧問の先生の目がなければ緩い空気だった。

 他の練習も同様でミスしてもどこかへらへらとしていて、さらには練習中に雑談に噂話に恋バナなど全く関係のない話をしているのさえ耳に入ってきた。

 前までなら先輩が注意して引き締めていたかもしれない。しかし、そういう上級生はいない。

 口下手でいつも一言足らない私は、バレーに向き合う姿勢とプレイでしか引っ張ることができない。そんな私の気持ちとは裏腹に、その真面目さや一生懸命さが周りを遠ざけていた。そのことに薄々と気付いていたのに、気付かないことにしていた私もきっと同罪で。

 その日から何をしてても楽しいと思えなくなった。あんなに大好きだったバレーも苦痛でしかなくなった。

 そう思うと自分が何のためにバレーをしているのか分からなくなった。

 プレーの邪魔になるのでずっと髪はショートにしていた。爪も伸ばしたこともなく、何度も突き指をして太くなった指。手の皮も厚く固く、肩幅も広くて筋肉質で――。

 女子からは「椎名さんはかっこいんだから、かわいいものは似合わないよ」と言われ、学芸会の劇では王子様役を推薦され、フォークダンスでも男子に交じり女子の相手をするなんてこともあった。男子からは「女子っぽくない」「オトコ女」とからかわれても、バレーがあるからと気にしないでいられた。


 そんな風にバレーでも私生活でも期待に応えようとして、一生懸命にがんばって積み重ねた結果が今の私で――。

 その全てを否定されてしまった私はモチベーションが保てなくなり、最後の大会では地区大会で敗退という散々な結果に終わった。

 しかし、勝っても負けてもなにも感じなくなっていて、逃げるように地元から少し遠い藤条北高校に進学した。制服がかわいかったというのも一つの理由だったが、一番大きな動機はバレーや今までの自分から距離を置きたかったからだった。

 あともう一つ。これはシロ君には話せないが、北高を選んだ理由はシロ君と会えるかもと思えたからだった。幼稚園から仲良くしていて、私の本当の姿を知っている唯一と言っていい一つ年上の幼馴染の友人に誘われて行った北中の文化祭で見たシロ君は人をナチュラルに惹きつけていて魅力的で素敵だった。

 渡瀬さんから、シロ君がみんなの期待に応えるためにがんばっていて、そのことを笑う人は許せないと聞かされた時、こういう風に本気になって怒ったりしてくれる人がいることが正直言うと羨ましかった。

 そんな人は私にはいなかったから――。

 しかし、私は期待に応えるという建前で、その実、人に嫌われないように振る舞ってきただけで、自分というものを見せてこなかったのだから、当然と言えば当然のことなのかもしれない――。



 ひと通り話し終えると、思った以上に気分はすっきりとしていた。今まで誰にも言えずにため込んでいたものを吐き出したのだから、心が軽くなっていたのかもしれない。

 長話をしたのに、何も反応がないのは寂しい。ふと隣のシロ君に目をやると黙って俯いていた。太もも辺りで握られている拳には震えるほど力が込められているのが分かった。


「どうしたの、シロ君?」

「なんか悔しくってさ――」

「なにが?」

「だって、一生懸命がんばったやつが報われないどころか、やる気も居場所も奪われるとか許せないだろ! その場に俺がいたらシイナの代わりに怒鳴ったり、反論したりしたのにさ。なんで、お前、俺らと同じ中学じゃなかったんだよ。俺の周りには一生懸命なやつには手を貸すいいやつばかりだったのに」


 そう強い口調ではっきりと口にしながら、シロ君の目からは涙があふれだしていた。

 今の私には私の味方になってくれる人がいることが素直に嬉しかった。胸がいっぱいになってこみ上げてくる涙を必死でこらえながら、


「ありがとう、シロ君……本当にありがとう」


 何度もお礼の言葉を口にした。

 シロ君は目元を服でぬぐい、真っ直ぐに私を見つめてくる。


「シイナ、お前はバレーがんばったんだな。俺はそのがんばりを見ることは出来なかったけど、今のシイナを見れば、どんだけ本気だったか少しは分かるよ。話してもらえた分だけもっと知れた。だから、シイナが本気で取り組んだことを悪く言うやつが今後現れたら、俺が一緒になって怒ってやるよ」


 その言葉が優しくて、こらえていたものが溢れだす。コンビニから漏れた明るさで照らし出されたシロ君の白い肌が紅潮して、大きくて垂れ気味の目の周りが特に赤くなっている。

 それだけ私のことで本気になってくれているのが嬉しくて、「うん」と言葉にならずに頷いた。

 泣き出した私の頭をシロ君の手が優しく撫でてくれる。その手の温かさにずっと触れていたいと思ってしまう。


「シイナは今もちゃんとがんばれてるからな。無理しすぎなくらいがんばってる姿を、俺はちゃんと見てるからな」


 シロ君はそう口にすると、無理に笑顔を作ってくれた。そのいびつな笑顔は私には何よりもかっこよく見えた。

 シロ君は私なんかよりずっと芯が強くて、一生懸命で、きっとそんな姿にみんな惹きつけれているのだろう。ただ周囲に流されてきた自分とは違う。

 渡瀬さんや中田君がシロ君の味方をして、いつも一緒にいて、軽口は叩いても絶対に悪くは言わないのは、きっとシロ君の人となりやいいところをいっぱい知っているからだ。

 私もシロ君のことをいっぱい知りたいと思ってしまう。


 まだ出会って一ヶ月も経ってない私のために本気で泣いたり怒ったりできる、こんなにも素敵な人の隣にずっといたい。

 私の心の中に新しく生まれつつあるそんな感情に気付いたこの瞬間から、きっと私の高校生活は本当の意味で始まったのかもしれない――。

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