第11話 追い詰めてくる新たな毒リンゴ ①
ゴールデンウィークが間近に迫ったころ、登校直後に渡瀬が声を掛けてきた。
「おはよう、ユキちゃん」
「ああ、おはよう。何か用か?」
「ねえ、クレープはおいしかった?」
「はあ?」
顔を上げると、渡瀬にスマホの画面を見せられる。そこに映っていたのは、俺が来未のスマホで撮った、シイナと来未がクレープの
「そうだった……お前、来未と仲良かったんだよな」
そう溢しながら、その事実を思い出す。渡瀬は小学校からの付き合いでクラスも何度か一緒だったが、そこまで仲がいいわけではなかった。中学生になると、来未を特にかわいがっていた一人で来未と渡瀬が連絡先を交換したのは去年の例の文化祭の少し前だった。
そして、来未が俺の作ったお菓子を記念に写真に撮りためていて、それを渡瀬たちクラスの女子が見たことがきっかけで文化祭の模擬店にホットケーキをだすことに繋がった。
文化祭に向けて、ダンスの練習や模擬店で出す菓子類の試作を俺の家でやったことから、特にダンスで一緒だった四人と来未は仲良くなり、渡瀬には一番懐いていた。
「それで、なんで椎名さんも一緒だったのかな?」
その言葉に慌てて周囲を確認する。しかし、渡瀬の言葉は朝の騒がしさに消え、俺以外には届いていなかったようだ。
「ちょっと場所変えようか」
リュックから教科書などを出す手を止めて、渡瀬の腕を引いて廊下に出た。教室内よりは小声で話す分には誰かに聞き耳を立てられても対処がしやすい。
「で、なんで椎名さんと一緒だったの?」
「シイナが甘いもの食べたいけど、苦手な設定になってるらしいから、一肌脱いだんだよ」
「ああ、なるほど。椎名さん、甘いもの好きなら今度誘おっかな」
「いいんじゃないか。ただあいつのこと王子扱いするやつの前では断られるかもだから、そういうのだけは気にしてやってくれな」
「なんかずいぶん、椎名さんの肩を持つんだね。もしかして、好きになった?」
渡瀬は「ところで、今日は雨降ると思う?」と聞いているのと同じトーンで、同じくらい自然にそんなことを口にする。一瞬、何を言われたのか分からなかった。
だから、言われたことを理解するのに時間がかかり、思わず渡瀬にバッと顔を向ける。渡瀬はどこか遠くを見ていて、表情も変わっていなくて、言葉の意図が分からない。
「それでどうなの?」
「別にそんなんじゃない。ただ少し仲良くなって、どんなやつか分かってくると、放っておけないだけ」
「それ異性として気になってますって言ってるのと同じじゃない?」
「だから、違うっての。俺はシイナのこと――」
気にしてないと言えばうそになると、一瞬だけ言い淀んだ。その瞬間に渡瀬の口元が驚いたように開いてすぐに緩んだ。
「私がどうしたの? シロ君?」
突然、後ろから声を掛けられながら抱きつかれた。この約一ヶ月の学校生活で慣れてしまった感触。突然抱きつかれるということに驚くという感覚は薄れたが、シイナの話をしているときに本人登場というこの状況にはさすがに驚いてしまう。
「何かあったの、渡瀬さん?」
「最近、ユキちゃんと椎名さん、以前に増して仲いいよねって話してただけだよ。あとは、来未ちゃんに新しい友達とお兄ちゃんのクレープ食べたって、椎名さんと写ってる写真が送られてきたから、私も椎名さんを誘おうかなって思ってさ」
「えっ? なんで?」
「渡瀬と来未は仲いいんだよ。渡瀬から服のお下がり貰ったりとか、何度か一緒に甘いもの食べに行ったりだとかしてるんだよ」
「へえー。そうなんだ」
シイナの声にはいつもの凛とした張りがないように思えた。心なしか、俺にかかるシイナの重みが増したように思える。
「どうした、シイナ?」
「なんでもないよ」
「椎名さん、今度、私とも甘いもの食べに行こ? 場所はそこのユキちゃんの家でもいいからさ」
「――うん、行く。来未ちゃんともまた会いたいし」
「決まりだね」
「ちょっと待て。俺の意志は無視かよ?」
「ええ、いいじゃん。ユキちゃんも甘いもの好きでしょ? 来未ちゃんに作るついでに私らのも作ってよ」
「お前な――」
「お願い、シロ君」
前と後ろからお願いされて、さらには来未のことを持ち出されては断れる理由がますますなくなってしまう。俺がここでオーケーすれば、少なくとも来未と渡瀬とシイナの三人は確実に喜ぶ。さらには母さんも来未の世話をしてくれる渡瀬を気に入っているので、歓迎することだろう。
俺だけがお菓子を作る手間だとか、誰かが変なことを言い出さないかとか冷や汗をかかされるだけだ。
その自分にかかるデメリットとそれ以外のメリットを比べると、断れないというのが本心だった。
「分かった、分かったから。でも、材料費か何かは出してもらうからな」
俺の最大限の譲歩に、渡瀬は「もちろん」と頷き、シイナは「ありがと、シロ君」と抱きつく腕に力を込める。そして、渡瀬とシイナの笑う声が重なる。
こうやってシイナがなにも繕わずに笑っているという些細なことが、もしかすると特別なことかもしれないと思うと嬉しくなった。きっとシイナにとってはこれはいい傾向のはずで。
そんなことを俺が思ってしまうのは、シイナが甘いものを食べに来た日のことが頭をよぎるからだった。
クレープを食べ終わり、シイナと来未が楽しそうに話している姿を横目に洗い物をしていると、母さんが帰ってきた。
来未は嬉しそうに出迎え、シイナは急に慌て始めた。きっと長居し過ぎたとでも思っているのかもしれない。リビングに入ってきた母さんは、
「ただいまー。遅くなってごめんねー」
と、少しだけ疲れが見える笑顔を浮かべながら、甘えるようにくっつく来未の頭を撫でている。
「それで誰か友達来てるの?」
母さんがすっと部屋の中を見回すと、シイナはとっさに立ち上がり頭を下げながら、「お邪魔しています」と学校にいるときのトーンで丁寧に挨拶をする。その代わり身の速さには驚かされる。
「ああ、椎名さん。あなただったのね」
そして、突然母さんに名前を呼ばれたものだから、シイナはふと固まってしまう。顔をゆっくりあげ、母さんの顔をまじまじと確認する。
「
「ああ、そっか。安浦は旧姓なのよ。仕事ではこっちが都合がいいからね。それにしても、うちの子と知り合いだったのね?」
「はい、同じクラスで」
「そっか。高校はどう?」
「ええ、楽しい……です」
シイナは曖昧に頷く。そんなどこか小さくなっているシイナに近寄り母さんは見上げながら優しく微笑んだ。はたから見ていると身長差がすごい。そこに来未もいると、なんだか不思議な光景だ。母さんは下手すれば小学生にも間違われそうな身長と中学生に間違わてもおかしくない童顔の持ち主で、現役小学生の来未は四年生にも関わらず、新一年生と同等くらいの体型だ。
俺と来未は顔の造形の雰囲気や身長など、母さんの遺伝子が濃く表れているのは並べば一目瞭然で。
「それで椎名さん、よかったら一緒に晩ご飯でもどうかしら? 材料は大丈夫よね、ユキ君」
「何を作るかによるけど、だいたいいけるんじゃない? まだご飯くらいしか準備してないけど」
「じゃあ、カレーかクリームシチューとかにしちゃう? それならいっぱい食べてもらっても大丈夫だし」
「クリームシチューがいい!」
来未が自分の好物の方を早い者勝ちと言わんばかりにリクエストする。シイナは呆気に取られているのか、目を泳がせている。洗い物がすみ、シイナに再度俺から尋ねる。
「で、シイナはどうする?」
「誘ってもらってありがたいのですが、私はそろそろ帰ります」
シイナはそう言うと慌てて、帰り支度を整え始めた。そのことに来未は残念がっていたが、シイナは申し訳なさそうに荷物を手に玄関に向かった。もう外は暗くなっていたので、駅かバス停まで送ろうとシイナと一緒に家を出た。
街灯と家の灯でほのかに明るい夜道を二人で並んで歩いた。
「なあ、シイナ。大丈夫か?」
「どうして?」
「突然帰るとか言い出すし、母さんと何かあった?」
「ううん。先生にはすごい心配かけたし、今も逃げるように飛び出したことは悪いと思ってる。ただ中学時代のことをシロ君に知られたくなかったし、先生にそのこと聞かれるかもと思ったらつい……」
シイナの声は今までにないほどに辛そうで、過去の傷をえぐるような趣味は俺にはないし、踏み込む勇気もない俺はただ黙って隣を歩いた。シイナを物理的にも一人にしないように。
そのまましばらく歩くと、シイナはふいに足を止めて、空を見上げる。つられて見上げた空には半分よりやや欠けた月が淡く輝いていた。
「本当にシロ君は何も聞かないんだね。本当は私が話さないといけないはずなのに、先にシロ君に言いにくいこと言わせたのにさ」
「誰にでも言いたくないことや隠したいことはあるだろ」
「そうだね。でも、私はシロ君には……せめてシロ君にだけは、誠実でありたいから、やっぱり話したい」
「分かった」
それから近くのコンビニに行き、二人分の飲み物を買った。それを手にコンビニの前の車止めポールに並んで腰かけた。
飲み物にひとくち口をつけたシイナは、
「私はね、バレーから逃げだしたんだよ。バレーだけじゃなく、周囲からの期待や人間関係全部から」
寂しそうにぽつりとこぼすように呟いた――。
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