第10話 仮面の下にあるもの ④

「それで、シロ君がサッカー部に入らないのはなんで? 中学ではサッカー部だったんでしょう?」


 隣を歩くシイナは、仕切り直しの意味を込めてあらためて尋ね直してくる。


「中学ではな。まあ、一番の理由は妹が心配だからかな」

「シロ君って、シスコンなの?」

「まあ、強くは否定できないかもな。俺の両親は共働き――というか、二人とも教師やってて、帰りも遅いんだよ。そんな状況で今年から小学四年生になる妹を長い時間一人で留守番させるのは心配だろ? 近くに頼れる身内もいないしな」

「それなら部活できなくても仕方ないってのは分かるけど、中学校のときは部活できてたんだよね? なんかおかしくない?」


 シイナはもっともな指摘をしてくる。逆の立場なら同じことに俺も疑問を抱いてたことだろう。


「まあ、普通はそう思うよな。俺の通ってた北中と妹の通ってる小学校はさ、道路挟んではす向かいの立地なんだよ。来未が小学一年生、つまりは俺が中学一年生のときにはさ、母さんが北中に勤めてたんだよ。だから、来未は放課後は中学校に来て、俺か母さんの帰るまで時間を潰してたんだよ。なんかあらかじめ、母さんがそのへんのことを学校に事情話してたみたいで、来未も大人しくしてたから問題になることもなかったしな」

「そうだったんだ」

「まあ、二年生になったら母さんが別の学校に異動になったんだけどさ。それからも来未は変わらずに放課後は中学校に来ててさ、俺が部活終わるまで待って、一緒に帰ってたんだよ。そのころには、来未はかわいくて人懐っこいから、サッカー部だけでなくみんなからかわいがられてたよ。で、俺が中学卒業したし、来未も四年生になったから、今年から鍵っ子デビューってわけよ」

「そうなんだ。シロ君は優しいお兄ちゃんなんだね」


 シイナはどこかニヤついた表情を浮かべていている。好奇とさっきまでのちょっとした意趣返しのつもりなのかもしれない。


「でもさ、妹さんが鍵っ子デビューしたのは一人で留守番できるって、思われたからでしょう? そうじゃないなら学童保育とか使うはずだし」

「まあ、そうだな。あいつ歳のわりしっかりしてるし、学校では委員長やってるって言ってたしな」

「それなら、シロ君は高校でも部活を続けようと思えば、できるんじゃない?」

「そうかもな。だけど、俺には身長含めて、圧倒的にフィジカルが足らないからな。それに自分で伸びしろがあるとも思えないし、高校でやっていける自信もないよ」


 そう自分に言い聞かすように口に出す。シイナはそれに対しては反応が薄く、スマホを取り出して、なにやら真面目な表情を浮かべている。そして、スマホに落としていた視線を上げると、真っ直ぐにこっちを見てくる。


「ちょっと気になって、ざっと調べたんだけど、サッカーってさ、バレーやバスケと違って小柄でもプロで活躍してる人って、けっこういるよね?」


 シイナはスマホの画面をこちらに向けながら口にしてくる。

 シイナの言う通り国内リーグを含め、プロのサッカー選手の中には自分と大差ない身長でプロとして活躍して、ビッグクラブに所属したり代表選手になっている人もいるのは事実だ。

 そのことに対して、そういう人たちは才能に恵まれていて、自分にはそれがないのだというのは簡単だけれど、体格に恵まれない人間がそれでも戦うために積み上げた努力まで否定するようで、何も言えなくなる。

 伸びしろもフィジカルも続けないことの言い訳にしていただけで――。

 何も言えなくなった俺にシイナは隣でふっと小さく笑う。


「なんで笑うんだよ?」

「ごめん。悪気はないよ。ただシロ君は真面目で、きっと誰にでも誠実で優しいんだろうなって。私なんかより、ずっとかっこよくて王子様気質だよね?」

「褒めてもなにもでないからな?」

「お菓子は出してくれるんでしょう?」

「そうだったな」


 シイナのおかげで、心にちくりと刺さっていた棘が抜けた気がした。そのお礼は甘いものでいいだろう。

 そのまま何でもない雑談をしていたら、来未との待ち合わせをしたスーパーが近づいてきた。結局シイナがバレー部に入らない理由は聞けずじまいだが、下駄箱で先輩に勧誘されたときのあの辛そうな表情が脳裏から離れてくれない。もしかすると、シイナの中ではバレーと何か嫌なことが紐づけされているのかもしれない。


「ねえねえ、シロ君」

「なんだよ、シイナ?」

「あれ、迷子かな? それとも何かトラブル? なんか小さい子が一人でキョロキョロしてるよ?」


 シイナの指差す先を見つめると、たしかにランドセルを背負った小さな女の子がキョロキョロと辺りを気にしていた。

 その女の子は俺の姿を見つけると、ぱあっと笑顔を向け、こっちに走ってきた。


「やっと来た、お兄ちゃん!」

「待たせたか?」

「ちょっとだけね。とにかく、早く買い物すませようよ」

「お前、甘いものとなると目の色変わりすぎなんだよ」

「いいじゃん、好きなんだから」


 そう言うと来未は嬉しそうな笑顔を向けてくるが、俺の後ろに立つシイナの顔を見ると少しだけ表情が硬くなる。


「ねえ、お兄ちゃん、その人は?」

「ああ、この人はな、俺と同じクラスの椎名さん」

「へえ、大きくてかっこいいお姉ちゃんだね」


 来未はシイナに正直な気持ちをぶつける。そこに悪意もなく単純にすごいという気持ちから口にしたのだろう。その証拠に来未はいつもの人懐っこい笑みが戻ってきている。

 シイナは俺と逆のコンプレックスを持っていると言ってた。そういうシイナに対して、大きいやかっこいいというワードはダメなのではと心配して、シイナの横顔を覗き見る。


「ねえ、この子がシロ君の妹? うわぁ……すっごいかわいいね。この子、連れて帰っていい?」


 俺の心配はよそに、犯罪めいたことを言いながら目を輝かせていた。


「ダメに決まってんだろ。ふざけんなよ」

「だって、すっごいかわいいじゃん。髪の毛もツヤサラロングだし、色白だし、手足もすっごい細いしで、いいなあ」

「やっぱ会わせるんじゃなかったかな。お前がここまで危ないやつだと思わなかったよ」

「なんでよ? 私は小さい子が好きなの! シロ君も小柄でかっこかわいいけど、この子はシロ君を女の子にして超絶かわいくした感じじゃん」


 シイナの圧に押され、心の底から引いていると、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。その声の主に俺とシイナが視線を向けると、楽しそうな表情で来未が笑っていた。


「二人は仲良しなんだね」


 シイナは「そう見える?」と尋ね返し、来未はうんうんと首を縦に振っている。そんな光景にため息しか出てこない。


「それで来未、今日のおやつはこのシイナも一緒なんだけどいいかな?」

「うん、いいよ。お姉ちゃんも甘いものが好きなの?」

「うん、大好きだよー」


 シイナはしゃがみ込んで来未と視線を合わせながら笑顔で答えている。


「それで何にするか決めたか、来未?」

「えっとね……前に作ってくれたクレープがいい!」

「おっ、いいぞ。シイナもそれでいいよな?」

「私はお呼ばれする立場だから、それでいいよ」


 シイナと来未は二人して、嬉しそうな表情を浮かべながらこちらを見上げてくる。

 それからスーパーに入り、母さんから頼まれていた物をカゴに入れていく。シイナと来未は、今日が初対面と思えないほどに、まるで仲のいい姉妹のように手を繋いで楽しそうに話している。

 希望がクレープということなら追加で買いだすものはホイップクリームくらいだ。しかし、クレープとはいえ、くるむものがクリームと家にあるチョコソースやジャムだけでは味気ない気がする。ここはシイナの好みを尊重して、果物でも入れてやろうかと思うも、高価なものは無理なので、リンゴかバナナくらいだろうか。


「なあ、来未?」

「なに、お兄ちゃん?」

「まだ冷凍イチゴ残ってたっけ?」


 来未は朝ご飯のデザートに好物の冷凍イチゴを毎日のように食べている。そのことを思い出したのだ。


「あるけど、どうしたの?」

「いやな、それをクレープの具にしようかなって思って」

「いいね! おいしそう! そこにイチゴジャムも入れていい?」

「いいけど、お前、どんだけイチゴ好きなんだよ?」


 来未は「好きなんだからいいじゃん」と笑っていて、シイナはどこか羨ましそうな表情を浮かべている。


「シイナはどうする? 何か希望の果物はあるか?」

「私?」

「お姉ちゃんも同じのにする?」

「いいの来未ちゃん?」

「うん。でも、作るのはお兄ちゃんだけどね。いいよね、お兄ちゃん?」

「ああ、もちろんいいよ」

「じゃあ、それでお願いします。シロ君」


 シイナは少し照れくさそうに口にする。そうと決まれば話は早い。あとは自分のチョコバナナ用にバナナをカゴに入れ、会計を済ませた。

 家に向かう道中も来未はシイナにくっついて甘えていて、その姿からは少し人見知りで学校では真面目でしっかり者で通っているなんて想像もできない。

 来未が今日の体育の五十メートル走でクラスの女子で一番速かっただとか、給食が美味しかっただとか楽しそうに話すのをシイナもうんうんと優しい表情で頷きながら聞いている。そんなシイナの表情からは普段の王子様の仮面は欠片もなく、気を張っている様子も見受けられないので、そのことにどこかホッとしてしまい、微笑ましく思ってしまう。


 そういうことに居心地のよさを感じるのは、一時の気の迷いなのだろうか。

 もしそうならば頭を冷やせば少しは冷静に判断できるかなと、まだ寒さの残る四月の夕方の空気を胸いっぱいに吸い込んで吐き出した。

 そして、気の迷いでない事実に自分の中で少しだけ驚いていた――。

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