第9話 仮面の下にあるもの ③
「なあ、シイナ。お前さ、本当は甘いもの好きだったりするよな? ちょっと付き合えよ」
その俺の言葉にシイナは驚きの表情を浮かべる。その表情に触れずに歩き出すと、シイナも慌てて後を付いてくる。
「私、甘いもの好きだなんて言ってないのに、なんで?」
「教室でのことか? シイナは別に嫌いとも言ってなかっただろ? なんか勝手にシイナが甘いものが苦手って前提で話が進んだだけでさ。それとも、本当に苦手だったのか?」
シイナは静かに首を横に振る。
「だったら、甘いものが好きだって公言してればいいんだよ。王子扱いされてるんだから、手作りのお菓子とか貰えるんじゃないか?」
「まあ、そうかもしれないんだけどさ、私に求められているのはそういう私じゃないみたいだからね」
シイナの横顔を覗き見るとどこか作り笑いをしているように見えた。それがどこか寂しそうで辛そうで。
「なあ、それ疲れないか?」
俺は教室での言葉をもう一度口にする。しかし、シイナは「なんのこと?」と本当に何も言われているのか分かっていないようだった。
「まあ、別にいいけどさ。少しは肩の力を抜けってことだよ。とにかく、甘いもの食べるのにお前も付き合えって」
「それはいいけど、私、甘いものが苦手ってことになってるし、そもそも甘いものが食べられるお店とかに行きなれていないのは本当で、放課後も誰かと寄り道っていうのもあんまり……」
シイナは気まずそうに目を伏せる。
「それは別にいいんだよ。それに放課後に寄り道した経験なんて俺もほとんどないっての。シイナ、お前もさ、中学では部活がんばってたんだろ? それなら部活終わりに寄り道なんてする時間ないだろうし、そもそも放課後に誘われても部活やってないやつとは帰る時間違うから無理って話だよな?」
シイナは目を丸くして、足を止める。それに合わせて、足を止めてシイナに向き直ると、シイナの表情から力みというか緊張がすっとなくなっていくのが不思議と分かった。
「そ……そうなんだよ。放課後に遊びに誘われたりしても、そもそも部活あるし、部活終わった後も寄り道するにしてもコンビニで買い食いするくらいしか余力残ってないしで、部活ない日でもジムでトレーニングしたりしてたんだよ! 部活引退するころにはもう誘っても来ない人って、定着して誘われなくなってたんだよね。でも、仮に引退後に誘われても、体動かさないと気持ち悪くてジム通いしたり、自主トレしたりで断ってただろうけどさ」
シイナは突然なにかのスイッチが入ったかのように、言葉と感情を一気に吐き出す。普段の王子の仮面の下にあった素顔が垣間見えた気がして、なんだかそれがおかしくて噴き出してしまう。
「ねえ、シロ君。なんで笑うの?」
「そうやって、普段から言いたいこと言ってればいいんだよ」
「そうは言ってもさ……私がクラスから求められてるのはそんな私じゃないから」
またそう言いながら表情に影が落ちるのが分かる。シイナは本当はめんどくさいやつなのかもしれない。
「そっか。まあ、シイナのことだから好きにすればいいさ。だけど、時々は今みたいに何も考えずに笑ったり、愚痴ったり、文句言ったりしてればいいんだよ」
「シロ君はそういう私がいいの? みんなの期待に応える王子の私じゃなくても一緒にいてくれるの?」
「そうだよ。てか、個人的には王子のシイナとは一緒にいたくないな。余計に俺が姫扱いされるじゃないか。俺はもう周りからの見え方ってのには諦めついてるからいいけどさ、だけど、お前まで俺を姫扱いするようなら本気で距離置くからな」
今度はシイナが噴き出して、大笑いしている。そんな姿はどこにでもいる普通の女子高生にしか見えなかった。
そんなシイナを横目にまた並んで歩き始める。
「ねえ、シロ君。私、甘いものが食べたい。私、甘いものすっごい好きなんだ」
「へえ。例えば、どんなのが好きなんだ?」
「ベタかもだけど、イチゴのケーキが好き。フルーツやクリームがいっぱいだとテンション上がる」
そう答えながら、他にもあれがいい、これもいいと話すシイナの横顔は本当に楽しそうで、そんな姿がかわいいとさえ思ってしまった。
「それでシロ君。甘いものどこに食べに行くの? そもそも何食べるの?」
「ああ、そうだったな。お前がさっきまではっきりしない態度だったからな。ちょっと待ってろ」
そう言うと再度、足を止める。シイナの表情には分かりやすく、クエスチョンマークが浮かんでいるのが見えるかのようだ。そんなシイナをいったん放置して、ズボンのポケットからスマホを取り出す。母さんからのメッセージが届いていて、そこには買い物のリストが書かれていた。帰りにスーパーで買って来てといういつものもので、それにさっと目を通して、事務的な返信をした。
それから目的の相手である妹に電話を掛けた。
「あー、もしもし。
『ううん。今、学校から帰ってるところだけど、どうしたのお兄ちゃん?』
「これからお菓子作ろうと思うんだけど――」
そう言いかけたところで、食い気味でテンションが一気に上がり切った来未の声が聞こえてきた。
『本当に? やったっー!! それで、何作ってくれるの?』
「来未が決めていいよ。ただ、晩ご飯前だからな。手軽にできるもの限定な」
『そっか。そうだよね。じゃあ、ホットケーキとかクレープかなあ? でもでも、他にも何かあるかもだよね?』
来未の悩ましい声でぶつぶつ言っているのが聞こえてきて、微笑ましく思ってしまう。
「これから母さんに頼まれた買い物しようと思うから、そのついでに足りない材料も買おうと思うんだよ」
『じゃあ、来未も行く!!』
「わかった。いつものスーパーで待ち合わせな。合流するまでに何にするか決めとけよ?」
『うん、分かったー。じゃあ、またあとでね。お兄ちゃん』
通話を終え、スマホをポケットにしまうとまたゆっくりと歩き始める。ついてくるシイナの顔をそっと見上げると、やはり首を傾げていて、説明待ちといった状況だ。
「今の相手は妹だよ。店に行きづらいっていうんだから、俺の家で何か作ってやるよ」
「シロ君、本当にお菓子作れるんだ」
「疑ってたのか?」
「てっきり、アイドルになりきるための設定かと」
「まあ、無理にとは言わねえよ。嫌なら嫌で断っていいんだぞ?」
「行く! 絶対に行く! だって、かわいいシロ君の妹にも会えるんだよね?」
「妹に変なことしたり、余計なこと言ったりしたら、まじでお前とは縁切るからな」
「わ、分かってるよ」
俺の本気のトーンの声にシイナは顔を青くしながら何度もうんうんと頷く。脅迫の効果は抜群のようだ。
ここからさっき来未と待ち合わせをしたスーパーまではまだ十五分くらいはかかる。それだけあれば、下駄箱でシイナに尋ねられたもう一つのことを話すには十分な時間だ。
「なあ、シイナ。俺がサッカー部に入らない理由、本当に聞きたいのか?」
「話したくないなら無理に話さなくていいよ」
「別に隠すほどの物でもないからな。それに佑二か渡瀬に聞けば、俺に聞かずとも分かる話だし」
「どういうこと?」
「妹の来未の存在が、俺がサッカー部に入らない理由だよ」
横目でちらりと見るシイナはやはり理解できないと首を捻っている。そして、「どういうことなの?」と改めて尋ね返してくる。
そのリアクションが想像通りすぎて、少しずつだけれどシイナという人間を理解し始めているのかもしれない。そんなことを思ってしまった自分になんだか笑えてきた。
「ねえ、なんでそこで笑うの?」
そう文句を言ってくるシイナの声には不満より興味が勝っているように思える。
構わずにクスクスと笑っていると、シイナは黙って体をぶつけてくる。きっとシイナなりの理由が分からず笑われていることに対しての抗議を込めた意思表示なのだろう。
シイナもそれで満足したのか、口元がにやけていて、そうやって何も考えずに笑える時間を意図的に作ってやりたいと思った。そのために佑二や渡瀬たちにも協力を求めるのも悪くないかもしれない。
「王子を独占して許されるのは姫くらいだよね」
そんな風なことを教室で言ったのは誰だったか。しかし、王子と姫という関係ではないが、ただ楽しそうに笑うかわいらしい女の子を独占できているこの状況は役得なのかもしれない――。
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