湯治場にて3

「それじゃ、もういないんですか」

麻子は肩を落として、湯治場の女将を見る。

「飯場に戻る前にいったん山を下りるって言っていてね」

「でも、飯場にも戻ってないらしい」

「そうなんですか」

「飯場にはどうやったら行けるんですか」

「あんたが行くようなところじゃないよ」

「それに、もうこの時間からは無理だよ」

「泊っていくのかい」

「もう町には戻れませんよね」

「そうだね」

女将が麻子を見て、優しく微笑む。

「その前に、その辺を少し歩いてきます」

「何もないけどね、部屋は用意しとくよ」

麻子は旅館の前の階段を、ゆっくりと下りていく。

階段の下のとおりには、みやげ物や食材を売る店が並んでいる。

湯治場では自炊して連泊する客が多い。

麻子を追うように、旅館から男が下りてきた。

「ねえさん、ヒコさんを捜してるのかい」

「ある所から流れてきた人を探してるんです」

「そいつは、ヒコさんじゃないのかい」

麻子は、無言のまま歩く。

「女将さんはヒコさんのこと言ってたんだぜ」

男はニヤついて、麻子に絡みつくように歩いている。

麻子の前に、髭面の大柄な男が現れ、

道を塞ぎ、麻子にまとわりついていた男を睨む。

「ゲンさん、飯場に戻りなよ」

男は麻子から離れて、髭面の男を遠巻きに見た。

「ヒコさん、戻ってたのかい」

そう言って遠ざかっていく男。

「あの人、これから戻るんですか」

「ここには居られねえよ」

「でも、さっき女将さんが」

「あいつは大丈夫だ」

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