episode.3
余所行きの服など持っていなかったので、少しでも見栄えする薄浅葱色のワンピースに、淡黄のカーディガンを羽織った。何も言われてはいないが、挨拶があるだろうから自己紹介を暗唱する。
茜色の空が西より消えると、町の明かりが煌々と見えた。暖色のガス灯に、赤や緑の小さな光が混じって見える。私は胸の高鳴りに任せて、家を飛び出した。
「ようこそ、主役さん」
誰かが声を上げる。広間に長机がいくつも並べられ、料理が何十種類と置かれている。もうすでに集まっていた町民たちの拍手に会釈をしながら、輪の中に入った。
テーブルを囲うように、カラーフィルムの張られたキャンドルが揺れていた。大男のゾウが立ち上がった。
「さぁ、祭りを始める前に、材料を提供してくれたチーターとチンパンジー、それにペリカンとリス」
がたりと四名が立ち上がった。おじぎと共にありがとうと声が上がる。
「それから料理を作ってくれたトラの奥さんとハクチョウ夫人、ポニー、ラクダ、ガチョウの小僧」
ガタガタ、とまた椅子が鳴る。私は周りに負けないくらい大きな拍手を送った。
「そしてこの会場をお貸しくださった町長」
別席に座っていたカバが立つと、歓声が上がった。
「最後に、先週引っ越してきた、主役の黒猫さん」
ざっとたくさんの瞳がこちらを見る。私は緊張しながら立ち上がると、がんばれと小声が湧いた。私は背筋をただす。
「本日はこのような会を開いてくださり、ありがとうございます。今晩で一層打ち解けられることが想像できて、楽しみで仕方ありません。どうぞよろしくお願いいたします」
拙くいって頭を下げると、歓声と拍手に包まれた。息をつく暇もなく、コップを手に取って乾杯と叫んだ。
酒瓶が回り、笑い声と談笑が満ちていく。
私の両脇に座るフクロウとウシさんが黙々と皿に料理を盛っては私の前に置いていく。
「自分でできます」
と言うけれど、聞き流されてまた皿が来る。
「前はどんな町に住んでいたの?」
向かいのシマウマの奥さんから聞かれた。私は皿を一つでも空にするため、フォークを持った。
「工業の進んだところでした。私の両親の町です」
「何故越してきたんだ?」
シマウマの隣に座る、おしゃべり好きなレッサーパンダが聞く。私は微笑んだ。
「この町にずっと憧れていたからです」
おぉ、と拍手が起こった。いいぞ、と声が届く。
「よくパンフレットに乗っていた工芸品と町並みを見て育って、いつか住めたらとおもっていました」
「どこかに弟子入りするつもりなの?」
ヒツジの声がする。私は言いよどんだ。
「まだ、決めていないです。でもきっと何か見つかると思って越してきました」
「それで黒猫になるって思ってたのか?」
わはは、と笑いが起きる。私はバジルと一緒にジェノベーゼパスタを絡めた。
「想像もしませんでした。こんな驚きがあったなんて」
「そりゃそうだよ、この町に引っ越してきた者は誰もいないからね」
右の方からコウノトリのおばあさんの声が聞こえる。
「来ただけじゃわからないのさ。この町の秘密の呪いだ」
「何故そのようなものができたのでしょう」
食べ終わった皿をフクロウが持っていく。代わりにチーターが隣に座った。
「わからないのよ。ずっと昔からあるみたいでね」
「原因なんていいさ。俺はレッサーパンダ。お前はチーター。それでいいじゃないか」
声が雑音に揉まれて消えていく。私はパリッとウィンナーをかじった。
「おいしいです」
「よかった。うちで売ってるから、今度おいでね」
ウィンクするチーターさんに頷いた。
「何か不便なことはないかい?この町では全部揃うけど」
そこで私は時計を持っていないことを思い出した。
「時計はどこで売っていますか?」
「時計は鳩屋だね。今日ハト来てたっけ?」
チーターの呼びかけに、シマウマが否と答えた。
「少々風変わりな小さい鳩が切り盛りしてる。でも精密な時計を作るよ」
「自分が死ぬまでの時を刻む時計とかな」
左の方で声がした。二つ隣のハイエナの旦那だ。
「それでカッコウに食われて終いだ」
一瞬ざわめきが止まる。私は、はたと彼が今日この会を断ったことを思い出した。
「死にたくなかったら、鳩屋の懐中時計を持ち歩くなよ」
「グジルおよし」
チーターの荒い声がする。淀んだ空気に、へっとハイエナさんは笑った。
「このぼやっとしてる嬢ちゃんに忠告しとかにゃ、後悔しても遅いぜ」
「あんたがこれ以上ここで余計なことを言ったら肉売らないからね」
ハイエナさんは口を閉じた。賑わいが少しずつ戻ってくる。チーターさんは咳払いをした。
「そうね。ウサギの質屋と、カッコウの見世物屋はあまり出入りがないわ」
「そうですか」
腑に落ちてしまった。私は淡いライチソーダを口にした。炭酸に彼の寂し気な笑顔が浮かんで消える。もう深くは聞けなかった。馬鹿げたことで笑い、何度も乾杯を繰り返し、笑い通すしかなかった。
**
「こんにちは」
閑古鳥の主人に挨拶すると、男は目を丸くさせた。
「また見せてもらって構いませんか?」
「え、えぇ。どうぞ」
彼は先日と同じように、丁寧ながらも困惑したように私を招き入れた。
「大抵の人は、ここへはきません」
「そうらしいですね。こんなに素敵な場所なのに」
私は廊下の窓を見た。鮮やかな緑が風に揺れて茂っている。彼は黙って歩いていた。
「気が済むまで、おられてください」
彼は机の前で文庫本を開く。私は二階へ上がって静けさに耳を傾けていた。
最初に彼が“死”を展示しているといった意味を考えてみる。無機質なものはわからないが、剥製は確かに独特だった。次の瞬間を待ち続ける姿は、健気で生きていると言われればそうなのだろうと頷ける。
それを敢えて“死”と断言した彼の意図を汲もうとした。彼らも死ぬまで止まらない時計を持っていたのだろうか。棚の天井を見上げているキツネを見つめる。彼がそっと受け取って、彼らは死んでいったのだろうか。もし、私は彼に時間を食べられたとき、自分の“死”に気づけるだろうか。
透明な小瓶に、色のない液体が入っていた。ラベルに『ラッパスイセン』と書かれてある。手に取って栓を外すと、華やかで清々しいスイセンの香りが溢れ出して、初夏の日差しの中を輝いた。さわやかな香りに目を閉じると、優しい眠りが耳元で囁きかけてくる。
死に囲まれているはずなのに、穏やかな生を感じずにはいられなかった。
***
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