02.18.欲しかったもの

 「とおるっ、目を開けて。とおるっ!」


 私が駆けつけた時、とおるは山小屋近くの道に倒れていた。全身ずぶ濡れで唇も紫色。体が冷え切っている。


 「いったい何が……」


 武神たけがみさんと水無みなさんも来てくれた。


 「アナフェラなんとかってやつか? ほれ、こことここ、蜂に刺されてショック症状起こしてるんだな」


 アナフィラキシー・ショックのことなのかな。

 林業指導のおじさんが指差したのは右足首と首の左側、2箇所が赤く腫れ上がっていた。


 「とおる、しっかりしてっ、とおるっ」

 「こんなもん、しょんべんでも掛けときゃ治るって。それより、冷えちまってるみてえだから、山小屋に運んで温めてやったほうがいいな」


 おしっこは、只の迷信だけど、温めたほうがってのはそのとおりだと思う。


 「伊織いおりさん」


 「うん」


 武神たけがみさんと二人でとおるを運ぶ。

 何でこんな事に……


 「お前たち、無事か」


 「先生っ」


 「姫神ひめがみ……」


 山小屋にはとおると同じ班の4人がいた。何でとおるを放置したまま平気で居られるの?


 「いったい何があった」


 「姫神ひめがみが毒蛇を投げつけて……、それで小屋から逃げてって……」


 「毒蛇? 猿田さるたの言うことに間違いないか、中木なかぎ


 「はい。私達に向かって3匹も」


 「4匹よ。中木なかぎさんが気絶した後あーしに向かって1匹投げてきたから」


 「ったく、とんでもねえ事してくれたなぁ」


 「彼らの言い分を鵜呑みにするのですか? とおるさんに嫌がらせをしていた彼らの」


 「そんな事より、とおるさんを着替えさせるのが先よ。男性は向こうを向いていていただけるかしら。それから、武神たけがみさんと伊織いおりさんは念の為レインコートで目隠しを」


 水無みなさんの言うとおりだ。今は何が起こったかよりも、とおるを温めるが先だ。レインコートを脱ぎ、武神たけがみさんと共にバリケードを作る。

 布が擦れる音がする。水無みなさんがとおるを着替えさせてくれているんだろう。でも、着替えって……


 「二人とも、上着をいいかしら」


 上着?


 「こっちを向かないで」


 振り返ろうとすると、水無みなさんに怒られた。そっか、上着をとおるに……


 「もういいですわよ。伊織いおりさんはこちらへ。隣に座ってとおるさんを温めてあげてください」


 「とおる……」


 水無みなさんの上着は床に落ちていた。多分濡れたとおるの体を拭いてくれたんだ。私の上着はとおるに着せられ、腰には武神たけがみさんの上着が巻かれていた。

 とおるの体は冷たくて、でも、息はしてる。


 「迷惑な女だぜ」


 担任の口から発せられたとは思えない一言。


 「仮に彼らが言っていることが本当だったとして、そこに至る過程には目を背けるのですか? 嫌がらせの事実を知っていながら見て見ぬ振りを、いや、寧ろ、一緒になって嫌がらせをしていた貴方にとおるさんを批判する資格があるとでも?」


 我慢の限界だったんだんだね……

 ごめんね、とおる。助けてあげられなくて。自分が情けない……


 「無駄ですわよ、武神たけがみさん。教師、といっても只のサラリーマンですもの。お給料以上を期待しても無駄というものです。特に、生徒と淫行までしてしまうような教師にはね。何を言っても響かないでしょうから」


 「淫行? 何をいってる、火神かがみ


 水無みなさんがスマホを取り出す。


    『先生……』

    『どうした、亀島かめしま……、おい、何してる』

    『あーし、先生の事が……』

    『と、取り敢えず、入れ』


 そんなやり取りが流れてきた。声の主は先生で間違いなさそうだ。


 「何で……、いや、俺はただ亀島かめしまの相談に乗ったやっただけだ」


 「ある方の指示でカメラを仕掛けさせていただいたのですが……、乗ったのが相談だけだったら良かったのですけどね。検証は理事会に委ねることに致しますわ」


 「待ってくれ、火神かがみ……、それは……」


 最低だ、この人。こんな人が担任だなんて……


 「凜愛りら…………」


 「とおるとおるっ」


 とおるの意識が戻った。よかった、心配させないでよ、もう。


 「伊織いおり?」


 「うん、そうだよ」


 「涙が……」


 「あれ? なんで……」


 そういうとおるだって目がうるうるしてるじゃない。


 「ごめんね、とおる。私……」


 「僕の方こそごめん。こんな事に巻き込んじゃって。でも、もう大丈夫だからね。全部終わりにするから」


 「終わりにって、何を?」


 「何でも無い」


 とおるが優しく微笑んで、涙がこぼれ落ちた。私がずっと欲しかった……、私だけのとおるの笑顔。

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