第145話 クエスト武器
谷底に差し込む陽光に照らし出された、一本の槍。その先端は雪山に突き刺さっていて見えない。でも雪の中からはみ出ている和柄の布には、見覚えがある。装飾に使われる房の代わりに、穂先の根元に結わえられていたものだ。
「杠の、羽津護……?」
どう見てもそれなのだが、何故こんなところに突き刺さってのか。訝しむ俺の肩からぴょんと飛び降りたミケがタタッと槍の近くまで走り寄り、背伸びをするようにして、くんくんとその匂いを嗅ぐ。
『マスター、ゆずちゃんの匂いです!』
「あーー、じゃあやっぱり杠の【羽津護】か」
焦っていたのでいまいち覚えていないが、九九が使役しているオデットの背中に拾われた時は既に、意識を失くした杠は羽津護を落としていたような気がしていたんだけどな。それがどうして距離が離れた峡谷の底に落ちていたかは分からないが、ともあれ、愛用の得物が戻るのはいいことだ。
俺はミルヒの背中から降りて小さな雪山に近づき、繊細な装飾が施された柄の部分を掴み、羽津護を雪の中から引き抜く。
「……おぉ、綺麗だ」
袋が被せられているから穂先の方は確認できないが、何処となく流線的な、柔らかな女性らしさを感じる武器だ。槍に感じるものとしては、間違ってるかもしれない。まぁ、あくまで印象ってやつ。
ミケを肩に乗せ、槍を持ったまま伏せで待ってくれていたミルヒに俺が跨ると、ブルブルと何度か身体を震わせたルンタウルフが、再び騎乗スキルを発動してくれる。スキルがかかる気配と共に身体が安定したのはいいとしても、何度か足踏みをしてから助走をつけるように走り出したミルヒの先の行動が読めてしまった俺とミケは、揃って悲鳴を上げるしかない。
「アオン!」
『うわぁああぁ!』
「ちょ、ミルヒさん! お手柔らかに、お願いしますぅうぅぅうう!」
俺達の願いも空しく、大きく跳躍したミルヒは切り立った崖の壁をドン! と蹴りつけたかと思うと、その勢いで反対側の崖に飛び、そこもまた勢いよく蹴りつけて飛び上がり……を繰り返すことで、あっという間に崖の上まで登り切ってしまった。
「シオン! ミケちゃん!」
「シオンくん!?」
ひらりと崖の上に躍り出たミルヒと、その背中に何とか根性で槍を手放さないまましがみついていた俺。二人で待っていてくれたらしい九九と杠が、驚いた表情で声を上げる。
這う這うの体でミルヒの背中から降りた俺は、雪の上にごろりと転がってしまう。なんというか、眼前に崖が迫ってくる感覚って、あんまり慣れない。いや、普通はそんなの慣れてる人いないか。
屋根の上を飛び回ったり戦闘でアクロバットな姿勢を取ったりはしてるけど、騎乗した状態は自分の身体で動いてるわけじゃないから、尚更なのかもしれない。
「杠、これ」
ちょっとお行儀は悪いが寝転がったまま槍を差し出すと、杠は目を丸くした。
「え、どうして……!?」
「なんで谷底にあったかは俺にも分からないけど、ミルヒが見つけてくれていたみたいだよ」
杠が震える手で槍を受け取り、被せた袋を外してみれば、翼を広げる鶴を模した特徴的な穂先が姿を現す。イーシェナでのみ入手可能な【羽津護】の特殊クエストは女性アバター限定だというだけでなく、クエストクリアにかなり面倒な手順と時間が必要だと聞く。杠は比較的早めにクエストを始めた方みたいだけど、それでもクリア出来たのは俺達が【水運び】のクエストを終わらせたぐらいだと言うから、武器入手クエストの中でも難易度が高い方に当たるんじゃないかな。
表面上は何も言わなくても、やっぱり羽津護を失くしたのはショックだったのだろう杠は、戻って来た羽津護の柄を握りしめ、目尻にじわりと涙を浮かべている。
「ミルヒ……! 本当にありがとう!」
感極まったのかぎゅっとミルヒに抱き着いた杠は、ルンタウルフの白い毛皮に包まれたマズルに軽くキスをする。口づけられたミルヒの方は、スピスピと鼻を鳴らしながら尻尾を大きく振って、実にご満悦そうだ。
「でも、槍を振るうのはまだ止めておかないとな」
「杠、お医者さんに怪我を診てもらってからにしようね?」
穂先を太陽に翳してうっとりしている杠から俺がやんわりと槍を取り上げ、九九も杠の手をひっぱって、再びミルヒの背中に乗せる。
「ミルヒ。往復させて悪いけれど、俺達を崖の向こう側に運んでくれるか?」
「ワン!」
任せろと言わんばかりに鳴いてくれたミルヒの背中に乗って、まずは杠と俺が峡谷を渡り、次に九九が運んでもらって、全員が街道側に移動することが出来た。
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