第143話 ミルヒ

 翌朝。明るくなってから外に出てみると、降り続いていた雪は止んでいた。空はまだ曇っているけれど、周りはちゃんと明るいので、視界は開けている。

 洞穴から外に出た俺達は、まずは森から出て、方角を確かめることにする。針葉樹林に覆われたルーダの森は、杠が持っていた地図で確かめた限りでは、そこまで広い森ではなかったはずだ。

 ミケを肩に乗せた俺が先頭に立ち、次いで杠、九九と一列に並んで新雪を踏みしめながら林の中を進んでいる最中に、何処か遠くから、ウォーン……! と獣が鳴く声が聞こえて来た。


「……犬の遠吠え?」


 九九の呟きに、振り返った俺も同意を示す。


「みたいだな。もしかしたら、狼かもしれない」

「……仲間を呼ぶものじゃなかったらいいけど。今、『槍使いランサー』に適応できる武器が手元にないから……」


 眉尻を下げる杠は、あの騒動で持ち武器の『羽津護』を落としている。安全が確保できたら俺達も一緒に捜すつもりだけど、その槍を紛失した場所は氷流移動が起きている氷河付近だ。下手をしたら、リーエン側に落ちている場合もある。そうなると、一ヶ月に及ぶ隔絶後に氷河付近を捜索をしても、羽津護を見つけられる可能性はかなり低いものになってしまうだろう。


「どちらにしても、近場である程度の武器は用意しないとな」


 九九は、召喚獣にこそ様々な役割を持つものが多くても、召喚士である彼女自身は戦闘に向いていない。どちらにしても召喚魔法が使えない現状では、外敵に対抗するのは難しい。そうなると、前衛職である俺に戦闘の役割が回ってくるのは自然な話だ。


「オォーン!」


 今度はもっと大きく、イヌ科の獣が吠える声が聞こえた。同時に、雪を掻き分けて走る何かの気配が、俺達めがけて近づいてくる。

 俺は足につけたホルダーからトンファーを抜き、杠と九九を庇うように二人の前に立つ。杠は足元に落ちていた手ごろな長さの木の枝を拾い、それをで構えた。もう片方の手を緩く腹の前に下げ、防御の姿勢を取る。


 ……成るほどな?


「アオンッ!」


 やがて、迎撃態勢を取っていた俺達の前に、白く大きな獣が姿を現した。白い毛並みの所々を痛々しい血の色に染めながらも、針葉樹林の隙間を縫うように走り、一直線にこちらに向かってくる。それは見覚えのある、ルンタウルフの片割れの姿だ。


「……ミルヒ!?」

「まぁ、ミルヒ!」


 あの時、馬車から飛び降りて来たマルディに強奪された、ルンタウルフのミルヒだ。俺は武器を下げ、飛び込んで来たミルヒを両腕を広げて抱きとめる。体格の大きなルンタウルフが駆けて来た勢いを受け止めることができず、そのまま一緒に仰向けに倒れてしまったけど、積もった雪の上なのでダメージはない。

 クンクンと鼻を鳴らしながら俺の顔を舐めまわすミルヒは、大きな身体のあちこちに怪我をしている。特に、耳の付け根や首回りは傷だらけだ。


「お前……もしかして、マルディのとこから逃げて来たのか?」


 我に返ったミルヒが騎乗スキルの発動を拒んだものだから、マルディに耳を強く掴まれたのだろう。首周りの傷は、嵌められた首輪を無理やり抜いた痕か。


「クゥン」


 肯定するように小さく鳴いて頭を擦りつけてくるミルヒの頭や背中を、俺は大きく撫でまわす。


「偉いぞ、ミルヒ。でも、こんなに怪我をして……無理をしたら、駄目だ」

「ワン」


 尻尾を振っているミルヒの顔を両手で挟んで言い聞かせると、良い御返事が返って来た……うーん、ミケみたいに言葉が分かる訳じゃないから、理解してもらえてるかは分からない。まぁ何はともあれ、内陸方面に向かったマルディのとこから逃げ出して、俺達の匂いを探してここまで来てくれたんだ。今は、褒める方を優先させておこう。


「ミルヒちゃん? ちょっと、傷を診せてね」


 俺とミルヒがじゃれあっている間に杠から説明を受けたのか、九九がミルヒの傷を簡単に診てくれた。身に着けていた鞄から杠の額にも当てているガーゼを取り出し、傷についている汚れを拭っていく。


「うん……多分、縫わないといけないぐらい、大きい傷はないと思う。本当は、汚れてる傷はちゃんと消毒したほうがいいんだけど……消毒液、持ってきてたら良かったなぁ」

「不測の事態だ、仕方ないさ。ありがとうな、九九」

「アン!」


 しょんぼりと肩を落とす九九の頬を、大人しく傷の手当てをされていたミルヒが舐める。これは多分、お礼を言ってるんだろうな。

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