第141話 文様

 現状、お湯を沸かすことができないのだから、ここは焚火をなんとか活用したいところだ。暫く悩んだ俺は、昔からある簡易懐炉カイロのことを思い出す。


「あ、そうだ。温石おんじゃくならできるな」

「……おんじゃく?」


 俺は首を捻る九九に頼んで、杠が枕にしている鞄の中に入れていたものを、幾つか取り出してもらった。用意するのは、ミケの布団兼座布団にしていた柔らかめのタオルを数枚に、穴開き靴通りを通った時に何気なくもらってそのまま鞄に突っ込んでいたチラシとパンフレット。九九が身体を起こして鞄の中を探っている間に俺は洞穴から少しだけ外に出て、入り口から漏れる光が届く範囲内で、手頃な大きさの小石を拾い集めてくる。ひぇ……外套が無いと、冗談抜きで寒いな?

 小石を集め終わった俺が外から声を掛ければ、九九が大丈夫だよと返事をくれた。俺はいそいそと洞穴の中に戻り、自分も身体を温めつつ、焚火に足した薪の下に拾ってきた小石を並べていく。


「……それが、温石?」


 興味津々と言った視線で見守る九九とミケの前で、焚火の炎に焙られた小石は、すぐに熱くなってきたようだ。表面にうっすらと陽炎が出るように見えてきたところで、火箸がわりの木の枝で小石を取り出し、くしゃくしゃにしたチラシとタオルで包み込む。


「九九。はい、これ」


 即席の懐炉を手渡せば、九九は「わぁ」と率直な感嘆の声を上げる。


「すごい……あったかい!」

「また俺は外を向いとくから、二人の足元あたりに入れてくれる?」

「分かった!」


 九九がゴソゴソとしている間、万が一の事故を防ぐために、俺は再び洞穴の入り口付近から空を見上げている。流石に星は一つも見えなくて真っ暗だし、空は多分、見事な曇天。それでも少しずつ、吹雪が弱くなって行ってる気がする。

 朝になったら、なんとかして方角を確かめて、九九が言ってた町に向かってみないとな。現状では水も作れないから、今のところ元気な俺と九九も脱水を起こす可能性がある。最悪、雪を解かして飲む手段もあるけれど……雪解け水は別としても、ちゃんと濾過しないと、綺麗なものじゃないんだよなぁ雪は。

 つらつらと俺が考えを連ねている間に、九九から「ねぇ、シオン」と声がかかる。


「どうした九九。温石、足元に置いたら熱い?」

「ううん、それは大丈夫。とってもあったかくて丁度いいよ。あのね、これをちょっと見て」


 焚火の方を振り返ると、九九は寝ころんだ姿勢のまま、まだ意識が戻らない杠の額にかかっていた前髪を持ち上げていた。俺は一瞬悩んだ末に、九九の背中側に膝をついて、杠の額を覗き込む。きっちり外套を巻き込んでくれているけれど、自然と視線が谷間に行きそうになるのは、本能なんです……ってミケちゃん上手に九九と杠の間に納まって、俺の視線を遮ってくれるな?


「……これは」


 気を取り直して杠の額を確認すると、前髪に隠されていた生え際付近が赤く腫れあがり、5センチぐらいの丸い痣になっていた。さっき、マルディに殴られた時のものだろう。しかし特筆すべきは、その中央に浮かび上がった、見覚えのある文様だ。


「……待雪草スノードロップ?」


 小さな花弁を下向きに開いた、可憐な花をモチーフにしたもの。……そうか、マルディは持っていた剣の柄で杠を殴っていたよな。あの特徴的な意匠の部分が、丁度杠の額に当たったってわけか。それにしても、エンボス加工みたいに腫れちゃってる額が、かなり痛々しい。


「だよね? 確かこの文様は、ノスフェルの領主一族のものだったと思うんだけど……」

「あぁ、九九も知ってるんだな。杠を剣の柄で殴って気絶させたのが、ノスフェルの領主の息子なんだよ……マルディとか言う奴」

「えぇ!?」


 聞き覚えのある名前なのか、九九が目を丸くしている。


「知り合い?」

「うーん……知り合いというか、何というか……?」


 杠の額にそっと前髪をおろし、腕を外套の中に引っ込めてもぞもぞと体制を整えた九九は、何やら口籠りつつ、俺に背中を向けた。


「あのね。私、獣人達の人権保護と生活改善を目指す活動をお手伝いしてるんだ」

「あぁ。お師匠さんと一緒に、だったよな?」

「うん……その一環で、一度、ノスフェルの領主に会いにいったことがあるの」


 名目上は、[無垢なる旅人]出身で新たな召喚士となった愛弟子の紹介。九九の師匠である召喚士ヨエルはノスフェルでは名の知れた召喚士で、彼女自身も獣人でありながも、領主であるヴァルタリアから覚えがめでたいとのこと。


「ちょうど、ヴァルタリア様が急用で領主の館を留守にされていて、その時に応対に出たのがマルディ様でね」


 マルディは獣人であるヨエルの来訪に顔を顰めて侮蔑の言葉を吐き捨てたが、彼女が連れていた九九の姿を目にすると、あからさまに態度を変えたらしい。


「……『自分も常々、獣人達の待遇には心を痛めていた。是非、彼らを救援する活動家である君とは、意見を交わしてみたい。食事でも楽しみながら、二人でゆっくりと話をしないか』って誘われて……その場はヨエル様が断ってくれたけど。それからも、何かにつけては、私を呼び出そうとしてくるの」

「……はぁ?」


 おい、マルディ。下心が見え見えなんだよ。

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