第139話 針葉樹林の森

 俺達が針葉樹に覆われた森の中に足を踏み入れてからも、吹雪は変わらずに吹き荒れ続けている。何の遮蔽物もない状態で森の外に居るよりは幾分かましな状態だけれど、このままだったら、じきに三人とも遭難と判断されて、死亡扱いレッドアラートに陥るだろう。


「九九のホームは、何処に設定してるんだ?」


 足元を確かめつつ前を進む背中に声をかけると、九九は白い息を吐きながら振り返る。


「今はテオだよ。ノスフェルの首都になってる街」

「確か『氷流移動』が起きている間は、ノスフェルとリーエンは隔絶されるんだよな? 帰還石を使っても、リーエン側のホームには戻れない」

「うん、そう聞いてる」

「俺と杠のホームは、まだホルダなんだ。もしここでレッドアラートからの強制送還になったら……俺達は、何処に送られることになるんだろう」


 俺の疑問に、九九は少し目を見開いた後で、眉根を寄せて考え込む。


「分からないわ……お師様なら、ご存知かもしれないけれど」

「お師様って、もしかして、上級職の?」


 防寒対策の外套を着ているので衣装の変化が分かりにくいけれど、サモナーの九九は、召喚獣用の餌が詰まったポーチを幾つも持ち歩くスタイルで活動していた覚えがある。


「うん。私ね、サモナーから召喚士に転職したの。導き手になってくれたのが、ノスフェルに住んでる、召喚士のヨエル様なんだ」

「あぁ、なんかちょっと杠に聞いたかも」


 確かそのお師匠様のもとで、獣人達の地位向上を目指す活動を手伝っている、とかだったよな。


「今回俺達を助けに来てくれたのも、そのお師様からの情報とか?」

「……そう、なんだけど」


 一応肯定はしたものの、口籠って俯く九九の表情が硬い。何かしら、気になることがあるのだろうか。今の状況で、無理に聞き出すのは得策じゃないだろうな。

 話題を逸らす為の何かを探そうと周囲を見回せば、木々に覆われた緩やかな斜面の一角に、ぽかりと黒い入り口を開いた洞穴が目についた。


「九九、あれを」


 言葉と一緒に顎で洞穴の方を軽く指し示せば、顔を向けて俺と同じものを見つけた九九は、「ここで少し待ってて」と言い残し、俺と杠を置いて洞穴の確認に向かう。

 本当は俺が行った方がいいんだろうけど、杠を背負ってるから、今は九九に任せるしかない。ぱっと見た感じ、そこまで奥行きがあるような雰囲気ではないが、動物の巣穴になっていたりしたら危険だ。

 入り口から何度か声をかけ、小石などを投げ込んでも反応が無いのを確かめた九九は、頭を低くして、そろりと洞穴の中に足を踏み入れた。俺よりもかなり小柄な九九が頭を下げるぐらいだから、天井が低めなのかも。


「シオン!」


 すぐに洞穴の中から出てきた九九が、大きく腕を振って少し離れた場所で待機していた俺に合図をしてくれる。俺が杠を背負って洞穴まで移動する間に、九九は早速、斜面の近くに転がっていた枯草と落ち葉を拾い集めていた。


「前は、何かの動物が使ってた巣だったのかも。でも今は、誰も住んでないみたい。匂いがほぼないから」

「良かった。とりあえず、ここで雪を凌がせてもらおう」

「うん」


 背中から下ろした杠の身体を、九九と二人で洞窟の中に運び込む。

 洞窟は入り口こそ頭を下げて入る低さだったが奥は広がっていて、立ち上がれる天井の高さはなくとも、広さだけは三畳ぐらいありそうだ。九九に預けていた鞄の蓋を開くと、中でずっと大人しくしてくれていたミケが、ミャア、と一声鳴いて俺の肩に飛び乗って来た。


「わぁ!」


 驚いた九九に挨拶するみたいに、ミケはふさふさとした尻尾を揺らす。


「三毛猫さん……従魔、じゃないよね。シオンのペット?」

「あぁ、ペットのミケだよ。ホルダで友達になったんだ」

「そうなんだね、可愛い……! あれ、でも何処かでミケちゃんと私、会ったことないかな……?」

「いつもは背中に乗せてるから、その時かもな。今回は初めての場所だし、戦闘が予想されるから、鞄の中に入ってもらってたんだ」

「そういえば、ハヌ棟の廊下でぶつかった時にも、ミケちゃん、シオンの背中に居たよね」


 ちなみに俺が愛用している四角い鞄は、ホルダの『穴開き靴』通りにある専門店で特別に作ってもらったものだ。通常時はミケを蓋の上に乗せたまま背負いやすいし、いざとなったらミケの身体がすっぽり収納できる。見た目以上の容量もあって、その上割りと軽くて丈夫。とても重宝している。

 ただしダグラスの紹介で行った店だから、俺に対して提示された値段が相場通りかどうかは、どうも当てにならないんだよな……。


「こんにちは、ミケちゃん。私は九九って言うの。仲良くしてね」


 そっと差し出された九九の指先をちろりと舐めて、ミケは彼女の細い指に、すりすりと首筋を擦りつけた。九九が首輪の周りからふさふさした毛並みの背中を撫でてやると、上機嫌に目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らしている。……どうもミケは、九九を気に入ったみたいだな。元々サモナーだし、動物の扱いに慣れてるのもあるだろうけど。

 そうこうしているうちに、俺達は辺りが少しずつ薄暗くなってきていることに気づく。俺と九九はミケの寝床でもある鞄を杠の頭の下に押し込んで枕代わりにしてから、洞穴周辺で薪に出来そうな木の枝を拾い集める。先に九九が拾ってくれていた枯草で焚火を作り、そこになんとか火が着いた頃には、洞穴の外はすっかり闇に覆われてしまっていた。


 外はまだ吹雪いているし、夜の森を進むのは自殺行為だ。

 朝までこの洞窟で過ごさせてもらうことを決めた俺達は、あのマルディとかいう領主の息子を追いかけて内陸の方に行ったはずの炎狼にメッセージを送ろうとして、チャット欄のIMインスタントメッセージタブが灰色に反転してしまっていることに気づく。

 試しに色の変わったチャット欄を開いて個別メッセージを送ろうとしてみたけれど、チャット欄のタイピングエリアそのものが選べなくなってしまっているようだ。

 ノスフェルをホームにしている九九でも同じ状態で、現状では誰にも連絡が取れそうにない。


「……ダメ。まだインベントリが開かないし、魔法も使えない」


 それから二人で色々と試してみたけれど、氷流移動に伴う『断絶』はなかなかの影響を及ぼしてくるみたいだ。手持ちにしていた鞄の中身は取り出せるけれど、[無垢なる旅人]固有の特典でもあるインベントリが開けない。マッチなどは使えても、魔法で火をつけることはできない。更にはある程度の距離であれば『友誼の絆』を交換しあったNPCと連絡が取れる仕様の個人チャットも、利用できない。


「とにかくまずは朝まで待とう。雪が止んだら、最初に九九が言っていた町まで、何とかして移動するしかない」

「そうだね……杠の様子も一応、落ち着いているみたいだし」


 プレイヤーである俺達には、バイタルサインが危険域に入る場合、強制的にリーエンの世界からログアウトさせられるシステムがある。杠のアバターがログイン状態で残ってる以上、身体的には大きな支障がないってことになるんだ。

 確かめるように杠の額に手をあてた九九が、え、と小さく声を漏らす。


「どうした? 九九」

「杠の身体、すごく冷たい……!」


 九九の訴えに慌てて俺も杠の額に触れてみると、そこからはひんやりとした感触が掌に伝わって来た。呼吸はしているし、心臓も動いている。でも、なかなか意識が戻らず、身体が冷え切っている状態。つまりは、


「っ! 低体温症か……!」


 雪山での遭難に限らず、身体が濡れた状態で冷え込んでしまえば、夏にでも陥る可能性がある疾患の一つ。対処方法はたしか、とにかく身体を温めること。

 焚火の中に新たな薪を放り込み、俺達にとっては暑いぐらいにまで洞穴の中を温めてみたけれど、杠の身体は徐々に、冷たくなっていく。このままでは、杠はレッドアラートによる強制ログアウトになってしまう。しかも、その行き先は不明のままだ。

 たとえばここで、俺が【宿屋カラ】に変われば――解決策は、簡単だ。宿の中であれば杠の状態を安定させるのは容易だろう。でもそれは、俺の『目的』を揺るがす結果になりかねない。

 舌打ちする俺の前で、杠の枕元で膝立ちになった九九が、勢いよく外套を脱いだ。


「え?」


 俺が何も言えないでいるうちに、今度は身に着けていた革製の防具を次々と外し、アバターの上に纏った衣服だけの姿になる。次いでその服にも手をかけようとしたところで――唖然としている俺の視線に気づいた九九は、頬を真っ赤に染めた。


「もう! シオンはこっち見ないで! 外を見てて!」

「あっ、ハイ」

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