第138話 オデット
俺達を背中で受け止めた白鳥は、二対の翼を力強く羽ばたかせた。下に向かって落ちかけていた重心が、急速に持ち上げられる感触。俺は仰け反りそうになった身体を慌てて前に倒し、杠を抱えていない方の手で、掴まって、と叫ぶ九九の手を掴む。
「九九、どうしてここに⁉」
「お師様が教えてくれたの……って、避けて!」
ブン、と加速をつけて飛んできた氷の塊を、俺と九九は咄嗟に頭を下げてやり過ごす。
「話は後! オデット、頑張って!」
オデットと呼ばれた白鳥はキュイ、と声を上げ、吹雪の中を上昇しながら飛び続けてくれた。眼下を見下ろせば、俺達が落下しかけていた場所は既に海となっていて、降り注ぐ瓦礫が黒っぽい海面に無数の白波を立てている。それから五分も飛ばないうちに、メグ・ツェドの移動と共にリーエンの地盤から離れて行きつつあった氷河の端が、見えてきた。
「良かった、追いついた……!」
九九がほっとした声を漏らす。ノスフェル側の氷河付近は、茶色の地面に申し訳ない程度の短い草が生えたツンドラ地帯になっているみたいだ。進行方向には針葉樹林が見えてきているから、このままタイガ地帯に移行する感じか。九九と繋いだままだった手を軽く引っ張ると、前を向いていた九九が振り返る。
「どうしたの? シオン」
「ここら辺って、ノスフェルの端になるんだよな?」
「うん。メグ・ツェドの大きな甲羅の端っこ。あっちに山が見えるでしょ? あの先に小さな町があるから、そこまでオデットに飛んでもらうつもりよ……ねぇ、杠は大丈夫?」
俺が膝の上に抱えている杠は、気を失ったままだ。心配そうに眉尻を下げる九九の手を、俺は安心させるように握り返す。
「多分、気絶してるだけだとは思うんだけど……ちゃんと診てもらった方がいい」
「分かった。急ぐね」
「あぁ。それとさ……助けにきてくれてありがとうな、九九」
俺の言葉に九九は少しきょとんとした表情を見せてから、ふにゃ、とはにかむみたいに笑う。あ、可愛い。
「どういたしまして! 間に合って良かった」
九九の言葉に、俺が更に言葉を返そうとした、その時だ。
ダン! と何かが小さく破裂するような音が雪原に響いた。直後にオデットの悲鳴があがり、白い翼から、血に濡れた羽毛が俺達の上に舞い散る。
「オデット!」
「なっ……!」
今のは、明らかに銃声だ。
人を乗せて空を飛ぶオデットの翼を、誰かが、銃で撃ちぬいた。
「キュキュイ……!」
翼から血を流すオデットは、それでも銃声のあった場所から出来る限り遠ざかる為に羽を動かして前に進んでくれた。低空飛行になると羽ばたきを緩め、針葉樹林の手前で不時着するように雪山に突っ込んで止まったオデットの身体を、彼女の背中から滑り降りた九九が急いで確認に走る。俺も杠を抱えて九九の隣に並んで見てみたが、やはりオデットの翼には、予想通りに、銃弾によるものと思しき大きな穴が開けられていた。
「オデット……!」
涙ぐむ九九の頭を、オデットの嘴が『大丈夫』とでも言うように優しく擦る。そして全身がじわりと光ったかと思うと、緑色の輪郭を一瞬残したオデットの身体は、数枚の羽を残して消えてしまう。
まさか、と言葉を無くす俺に九九は頭を振って「しばらく召喚出来なくなっただけ」と呟いたけれど、その声は何処となく不安そうだ。
しかし、誰の仕業かと思考を巡らせようにも、吹雪は容赦なく俺達の上に降り注ぎ続いている。このままでは、雪に埋もれてしまうのは必至だ。
「九九。何か移動に使える召喚獣とか、呼べる?」
どうにかして移動しないとと思って九九に尋ねてみるけれど、彼女は試すように手を翳して口の中で何かを唱えた後で、沈痛な表情を浮かべて首を横に振る。
「……ダメ。この地帯はまだ、氷河との離断面に近いわ。『氷流移動』が起きた直後は、リーエンとの魔力断絶の影響で、この一帯で召喚や魔法は使えない。オデットは、さっき言っていた町で召喚して、そのまま飛んで来たの。せめてそこまで戻らないと、他の子は召喚できない」
「そうなのか……うん、立ち止まっていても仕方がない。九九、まずは林の中に入ろう。体力がなくなる前に、何処か雪を凌げる場所を探さないと」
「そうね。分かったわ」
俺は背負っていた鞄を九九に預け、抱き上げていた杠を、今度は自分の背中に乗せる。
「行こう、九九」
「うん」
先に足元を確かめるから、という九九に先導を任せ、俺達は針葉樹が広がる森の中に足を踏み入れた。
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