第124話 ソウルイーター

 ソウルイーター。……魂喰い?


 直訳した日本語を脳裏に思い浮かべながら、俺はなんとか地面の上で身体を起こし、自分の身体を確認してみることにした。

 まず目に入ったのは、全身を覆う薄汚れた衣服。乱雑に継ぎ接ぎされた襤褸布を身体に巻き付け、縒り合わせた硬い紐で縛ってあるものみたいだ。俯き加減に身体に視線を注いでいる間に、先ほど地面で擦れた頭の皮膚が、黒髪ごとべろんとひっくり返って右目の前に垂れ下がる。これ、視覚的に結構なグロ案件では? それに前を遮られたことで分かったけれど、右目が最初から機能していない。手を挙げて触れてみると、そこにはごわごわとした布の感触。お世辞にも手触りが良いとは言えないそれは一応包帯替わりなのか、右目を覆い、そのまま頭にぐるぐると巻き付いている。触れた指先はミイラのように干からびていて、乾燥して煤けた緑色の肌は指先になるほど黒く染まり、黄色に変色した爪は歪な形だ。あばらの浮いた胸や脚にも包帯が巻かれているけれど、どれも体液の滲んだ跡が残り、ひどく汚れている。

 ホラーすぎる、と率直な感想を述べようとしたけど空気が通っても声帯は動かず、それどころか口を開くと同時に頬の肉が引き攣れて、ぷちぷちと繊維が千切られる音だけが周りに漏れた。


「……ォ……ァァ……」


 これで今は痛みがないのだから、それはそれで不思議なんだけど。

 座り込んでいても仕方がないとゆるゆると立ち上がってみれば、固くなった木製の蝶番を無理やり動かしている時みたいな、軋んだ感触が背中から伝わってくる。


「マスター……」


 ニアさんと手を繋いだままのネロが、少し泣きそうな表情で俺を呼んだ。それに応えようと片手を上げた瞬間、は俺の腕の中に、突然現れた。


「ァ……?」


 目の高さに掲げた手を振る寸前に、急に掌に現れた重力。

 慌てて握りしめたそれは、思ったよりもずしりとした重量感と共に、目に見える形を取った。


「……ォ……ェォ……!」


 黒く長い柄に、三日月形の刃。死神の持物として良く知られる[死神の鎌デスサイズ]だ。やけにしっくりと手に馴染む感触は、これがソウルイーター固有の武器だと教えてくれている。ただそれは俺の身体や衣服と同様にひどくボロボロで、傷だらけの柄はいまにも折れそうだし、内側に向いた刃も錆と刃毀れが酷い。

 良く見ると、長い柄の先端部分、三日月形の刃と背中合わせになるようにして、掌ぐらいの大きさをしたベルがぶら下がっていることに気づく。しかしそれにも青錆が全体にこびりつきひび割れかけていて、音を鳴らす為の舌に至っては、細い鎖が巻き付いて音を出せなくしてあるみたいだ。


「ふむ……【ソウルイーター】か。珍しい」

「さすが[災厄]でございますな。儂でも、相まみえるのは初めてです」

「ほう、爺でも知らぬ相手か」


 緑の瞳を楽しそうに輝かせて顎を擦るベロさんに、飛蛮将軍も頷き返している。ロキの方は、少し驚いた表情だ。もしかして【ソウルイーター】は、見かけない[災厄]だったりするのだろうか。そもそも、[災厄]について、俺はまだあまり詳しくないのだが。


「どちらにしても、面白い。ここは年長者の私が導こう」

「ゥ……ェ……」


 全身の確認を終えた俺がノロノロと歩き出すと、すぐにベロさんが傍に来て軽く手を握ってくれた。それだけで俺の手の指と爪の間からじわりと濁った血液が滲みだし、白い手袋を嵌めたベロさんの指先を赤く汚したが、ベロさん自身はあまり気にしないみたいだ。そのまま手を引かれて誘導された先は、宿屋の【基礎ベース】からある程度の距離を取った草むらの上だ。今回は壁に色をつけていないので、基礎の中に佇んだままこちらに視線を注いでいるニアさんとネロ、ロキと飛蛮将軍の姿が外から見える。


「さて、ソウルイーター……人の子の[災厄]よ。そなたの得物は、当然その[鎌]なのだが……制約がある」

「……ェォ……?」

「物は試しだ。まずは思うがままに、屠ってみると良い。雑魚でも[命]は[命]。【ソウルイーター】の糧となることに違いはあるまい」


 今夜は月が出ていないからフォルフォ蝶はいないのだけれど、草むらの中にたくさんいるであろう虫の声は、合唱レベルで聞こえている。だけど、それは姿が見えないような小さい虫達だ。屠れと言われても、モンスターとかではないのだが。

 でもベロさんは変わらずニコニコしてるし、俺はとりあえず促されるままに、草むらの中で鎌を振ってみようとしたのだが――。


「ォァ!」


 鎌の重さに振り回され、よろけかけた俺は、たたらを踏む。

 何とか耐えられたけど、結構危ない。この身体で転んだりしたら、骨とか折れちゃうんじゃないのか。


「フゥ」


 吐いた息が、小さなを紡ぐ。


「……エ?」


 じわりと身体に伝わる、何か。鎌の柄を握りしめた指に、力が

 いつの間にか俺から少し離れた場所で背中の翅を広げていたベロさんが、「続けろ」と俺を促す。


 再び、鎌を振るう。

 持ち上げるのがやっとの重さだった鎌が、さっきよりも、かなり軽く感じる。

 もう一度。更に、もう一度。

 鎌を伝って身体に満ちていく、もの。


「身体、ガ、軽イ……!」


 驚きに漏らした声で、喉が、震える。

 腐りかけの肉が見え隠れしていた傷口が、薄い色の紫煙と共に、塞がっていく。

 丸まっていた背中が伸びて、黒髪が首筋を擽る。未だ細くはあるが、両足は、しっかりと大地を踏みしめる。


「良い調子だ【ソウルイーター】。そなたの強みは、その[雑食ぶり]だ」


 赤黒く汚れた手袋を嵌めたベロさんの指が、俺の鎌を指さす。


「見ろ。そなたの相棒は[食事]を楽しんでいる」

「……!」


 あれほどボロボロだったはずの鎌の刃が、鈍い輝きを取り戻している。


 そして、俺は気づく。

 ――虫達の合唱が、消えてしまっている。


「目覚めたばかりで、まだ、さほど喰えないと見えるな……そら、[]ぞ」


 ベロさんの言葉を肯定するかのように。

 鐘の舌に巻き付いていた鎖が、じゃらりと、音を立てた。

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