第123話 変面
闇の帳が、リラン平原を静かに包み込んでいる。
月光に誘われて緩やかな丘陵のあちこちに姿を見せるフォルフォ蝶の群れも、今日みたいな新月の夜には、翅を休めているみたいだ。
リラン平原はセントロの首都であるホルダに近く、日中は子供の遊び場にもなったりする場所で、アクティブモンスターも出没しないことから、比較的安全な地域と認識されている。出現するモンスターは経験値的にもドロップ素材的にも旨味に乏しく、何かのクエストを受けたりしない限りは、リラン平原で夜を過ごそうというもの好きは少ない。
「――ふぅ」
そんな平原の中にも小さな森が幾つか存在していて、そんな森の一つ、木立が密集した一角に隠すように設営した【宿屋】の中で、俺は静かに息を吐いた。
いつもなら【宿屋】として機能させるために【
「ゆるりと、変わると良い。我らが見守っている」
深呼吸を繰り返す俺の近くに立っているのは、凛々しい青年貴族の姿をしたベロさんと、金色の髪を揺らした絶世の美少女ニアさんの夫婦。それと、[カラ]のペットである[ネロ]。ニアさんと手を繋いだ[ネロ]は、艶々した黒髪の上に三角の猫耳を乗せて、サテンのリボンをつけた長い鉤尻尾を揺らしながら俺を見守ってくれている。
「臆することなどない。人の子が持ちうる至上の
そう言ってくれたのは、テリビン砂漠で虹オトラセの『お礼』を届けてくれた魔王児ロキと、その腹心である飛蛮将軍だ。
俺が【宿屋】の基礎を設置した途端に、何処からかやってきた。魔族とは言えたった二人でホルダのこんな近くまで堂々と来ることが出来るあたり、やっぱり圧倒的に強いんだろうな。
サウザラの首都リリからホルダに戻り、ギルドマスターから【追放】の理由について説明された俺は、その厚意に感謝して、本拠地を移動させる準備を始めた。現在、俺のベースレベルは丁度50。冒険者ランクはEだ。
ベースレベルが50になると、先達を師匠に仰ぎ、上級職に転職することが出来る。俺は
因みに、どの国に向かうかはまだ決めていない。ホルダに戻ってきて早々に連絡をくれた
そしてあの地底湖で、ベースのレベルが50になったのと同時に、俺のインタフェースに飛び込んで来た二つのクエスト。
一つは、ベースのレベルが50に到達したことを示し、上級職への転職を促すもの。
そしてもう一つは、丁寧に【このクエストは
【基礎レベルが50に到達しました。あなたは
俺はそのクエストを確かめた後、休息という名目で一旦パーティメンバーと別れてハヌ棟に戻り、夜が来るのを待ってから、ミケを連れてリラン平原にやってきた。
最初に【宿屋】を試したのも、ここだったよな。
感慨深くなりつつ【
でも、二枚目の仮面――[
一番付き合いが長いベロさんに[
そしてロキに至っては、目は笑っていないのに唇だけ三日月の形に吊り上げるという、とても子供らしくない笑顔を浮かべて見せた。ロキの背後を守る飛蛮将軍も、いつもと変わらぬ老獪な雰囲気ながらも、何処か楽しげな気配だ。
「善哉だな、爺よ」
「まことに。フフ、よもやこの年になって[災厄]を目にする日がこようとは」
「……災厄?」
飛蛮将軍のセリフの中にあった、なにやら不穏な単語。
首を傾げる俺の疑問には答えず、ロキは自分の爪で手の甲に傷をつける。
「ちょ、ロキ。何やってんの」
「案ずるな。結界を敷くだけだ」
血の滴る指先を床に向け、自分と飛蛮将軍が入る大きさの赤い円を地面に描いたロキは、その中に足を踏み入れた状態で薄く笑う。少年の姿になったネロをニアさんが手招き、二人が手を繋いだのを確かめてから、今度はベロさんが背中の翅を大きく広げた。ふわふわと漂う燐光が、薄い膜のようなものを作り出す。どうやらあれも、何らかの結界みたいなものみたいだ。
「――[無垢なる旅人]。異なる世界より招かれし異邦人よ。一つ、教えてやろう。我ら妖精族が如何に長寿であろうとも、膨大な魔力を持とうとも、[災厄]となるのは、
静かに告げたベロさんの後を継ぎ、飛蛮将軍を背後に控えさせたロキも、俺を見上げて言葉をかける。
「仮面は、人の子のみが持つ『もう一人』だ。地の底に潜む禍ツ神より、双子の神を隠す為のもの。しかし、二枚目の仮面は、違う」
ロキの深紅の瞳が、愉悦に歪む。
「それは[災厄]だ。須らく、
俺はインタフェースの中で点滅を繰り返しているクエストアイコンに触れて、重要クエストの優先度トップに来ている項目を開く。
【
災厄が、どんな形になるのか、まだ分からないけれど。
俺は震える指先で、そっと【Yes】を選ぶ。
その、次の瞬間。
「っ……!」
ぐにゃりと、歪む視界。
いつもの『格闘家』と『宿屋』を切り替える時とは、全然違う。
思わず地面に膝をつき、折り曲げた身体を支えた腕が、みるみるうちに黒く変色し、萎んだ形に変化していく。鱗のようにひび割れた肌の隙間からは腐れた緑色の肉が垣間見え、滲み出る血液さえも、異物混じりに白濁している。苦痛に声を出そうとしても、掠れた呼吸が喉を通過する音がするだけで、そもそも声帯がない身体のようだ。苦痛に捩った頭が地面と擦れると、爛れた皮膚が髪ごと剥ける嫌な感触までする。
――俺は、何の[
「……ガ……ァ……」
全身を組み替えられる異様な感覚が少しずつ治まり、何とか顔を上げることが出来た俺の視界に入るのは、楽しそうな表情を浮かべたベロさん、ロキ、飛蛮将軍の三人と、心配そうな表情をしているニアさんとネロの二人。
そして、インタフェースの真ん中に浮かぶ、新たなポップアップ。
【あなたは[ソウルイーター]の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます