第113話 妹たち

 大蛇に『母さん』と呼ばれた精霊蛇の女王が、視界に息子の姿を認めてか、ほっとした吐息をつく。ゆったりと持ち上げた頭は、嬉しそうにしている大蛇より数回りは大きい。


『良かった……無事、だったのね』

『うん、母さん。人間が、手伝ってくれた』

『えぇ?』


 驚く精霊蛇本人(?)の背中に乗ったまま、俺は先手必勝とばかりに、こちらを見下ろす彼女に頭を下げる。蛇とは言っても、相手は言語を解する精霊蛇の女王。礼節を尽くして説明した方が、多分、話が早い。


「精霊蛇の女王陛下、はじめまして。俺は冒険者のシオンです。息子さんから話を聞いて、何か協力することが出来ないかと思って、連れてきてもらいました」

「女王陛下。ご拝謁を賜り身に余る光栄にございます。私は冒険者のユージェン。シオンと同じく、ご子息の勇気ある行動に感銘を受け、陛下の御身に微力ながらお力添えできればと参上いたしました」


 胸に片手を当て、しっかりと片膝をついて精霊蛇に敬意を示してみせたユージェンは、高ランクの冒険者なだけあって、色々とお偉いさんと会ったりもするんだろうな。丁寧な敬語とかもすらすらと口をつき、挨拶も場慣れしている感じだ。


『……』


 さすがにまだ警戒を緩めない精霊蛇の前で、頭にミケを乗せた大蛇が彼女に近づき、つんつんと鼻先でその背中に触れる。


『母さん。シオンは、俺達の言葉、わかるんだ』

『まぁ、そうなの?』

「ハハハ、なんだか特別仕様の『耳』らしくて」


 驚いた様子の彼女に俺が苦笑していると、精霊蛇はしばらくの間じっと俺に向かって目を凝らしたかと思うと、ふ、と緊張を緩めてみせた。


『……あなた、あの気まぐれな妖精王オヴェロン妖精女王ティターニアの祝福を受けているのね。その上、その耳飾りフェザーはツイ山脈のオウルが授けたものだわ。私達の言葉が分かるのも、頷ける』


 あーーやっぱりあの妖精夫婦と山の梟、リーエンの中でもそれなりに有名な存在なんだろうな。精霊蛇の言葉に、大蛇が首を傾げる。


『人間、偉い人間?』

「違う違う。なんか色々偶然が重なっただけだよ」


 そんな話を続けているうちにもユージェンが呼んだ水は既に水位を徐々に上げて行っていて、精霊蛇の身体でなんとか保っていたプールの中にも既に水が流れ込んでいる。もう見えなくなってしまった白い卵は、大丈夫だろうか。


「水を堰き止めていた壁を壊してくれたのは他の冒険者なんだけど、水がここに届くように魔法で呼んでくれたのは、そっちのユージェンです。俺は言葉が分かるから、通訳に来ただけで」

『いいえ。あなたのその通訳が無ければ、他の冒険者達が、私達を助けてくれることはなかったでしょう。とても感謝していますよ』

『うん。人間、俺の話、聞いてくれた。普通は、怖がる』

「あんなに兄弟を助けたいって叫んでたら、何か事情があるって分かるよ」

『こねこも、触らせてくれた。そうだ母さん、見て。こねこ、可愛い。ふわふわするんだ』


 ずいずいと頭を寄せてミケを母親の前に連れていく大蛇の行動は、子供が手にしたお気に入りの玩具を母親に見せている時の雰囲気に似ている。かなり大きいけれど、もしかして思ったよりは、年齢が上じゃなかったりするのかも。


『蛇さんのお母さん、こんにちは!』


 母親の精霊蛇は瞳を細め、にゃんにゃんと前足で招き猫の仕草をしながら挨拶をするミケの姿に、ふふっと笑う。


『まぁ、可愛い。すてきな挨拶を、ありがとう。あなたに触ってみたいけれど、あんまり小さすぎるから、怪我をさせたらいけないわ。あなたがもっと大きくなった時に、また会いましょうね』

『はぁい!』


 なんか、会話だけ聞いていたら、近所の気立ての良いお母さんとしゃべってるみたい。


「シオンくん」

「ん? おわ、もうここまで水が」


 ユージェンに声を掛けられて気づいたが、湖の水位が精霊蛇の胴体に乗ってる俺達の足元にまで来ている。湖の縁を乗り越えて注ぎ込まれている水の勢いは少しずつ緩やかになってきているみたいだけれど、多分このまま、湖の深さがもとに戻るまで水が流れ込むのだろう。


『人間、こっち。高いところ、運ぶ』

「お、ありがとう。ユージェン、高台に運んでくれるって」

「わかりました」


 大蛇が俺達を頭の上に乗せて、壁から湖の方に迫り出した岩の上に運んでくれる。これぐらいの距離なら、飲み込んで運ぶほどじゃなくて良かった。精霊蛇は卵の状態を確かめて来ると言って、一旦湖の底に潜ってしまった。

 改めて上から湖を見下ろすと、地底湖と言っても、その規模がかなりのものだと分かる。そんな大きさを持つ湖の水位を一気に上げる量の水を呼ぶのって、相当じゃないのだろうか。


「これだけの水を呼べるなんて、ユージェンの魔法ってすごいんだな」


 俺が率直な感想を述べて褒めると、ユージェンが照れた表情で鼻先を掻く。


「ありがとう。実は、このレベルの魔法詩歌が使えたのは、今回が初めてなんだ」

「え、そうなのか?」

『フフフ! ユージェンが僕の為に手に入れてくれた、高純度精霊石のおかげだね!    僕も【絶海の巨濤】が詠えたのは初めてさ!』


 ユージェンのセリフに重ねるように、上機嫌なアマデウスの言葉が重なる。あぁ、じゃあ『カラ』が冒険者ギルドに置いていった水属性の精霊石は、ユージェンの手に渡ったんだな。それは良かった。


「でも、これで自信がついたよ。今度、ランクS冒険者への昇級試験に挑んでみようと思う」

「おぉ、いいね! 俺もランクDを目指さないと」

「その前にシオンくんは上級職だね。冒険者ランクDの依頼だと、上級職になっていることが最低ラインの依頼も多くなってきますよ」

「そうなんだ」


 そこら辺はまた、ホルダに戻ってからちゃんと調べないとな。それにちょっと忘れかけてたけど、今回のクエスト放棄に対するペナルティがどんなものか、まだ分かってないんだよね。あんまりたいしたものじゃなければいいけど。

 湖に身体をつけたまま、俺達が立っている岩の近くに頭をくっつけてミケと遊んでいた大蛇が、ぴくりと顔を上げた。


『母さん、戻ってきた』

「お?」


 湖の水面に目を向けると、湖の底から上がってきた大きな蛇の身体が、水面をかき分けるようにして姿を見せる。さきほど卵の様子を見るために潜った精霊蛇の女王に間違いはないのだけれど、その背中に。


『わぁ……!』


 大蛇が目を輝かせて、水面を滑るように泳ぎ、母親の元に向かう。俺とユージェンも、驚きを浮かべた顔を見合わせる。女王の背中にぺたりと胴体を寄せるようにして、小さな蛇が、絡みついているのが見えたからだ。


『ただいま。卵の様子を見に行ったら、丁度この子が、生まれてくるところだったの』

『ぴゃあ……』

『きゅう……』

『可愛い!』


 小さいとは言っても、もともとが大きな精霊蛇の赤ちゃん蛇だから、孵化したてでも俺達と同じぐらいの大きさはある。でも何より俺とユージェンが驚いたのは、その蛇があきらかに、普通の姿をしていないからだ。


『元気に生まれてくれて良かった……あなたの、妹達よ』


 だけど精霊蛇はそれを意に介さない様子で、背中に乗せた子供の蛇を、いそいそと近づいてきた息子の大蛇に見せてやっている。


「……たぶんあの子達は、双子、だけど」

「えぇ。彼らはあまり気にしていないようですが……」


 ちろちろと大蛇の長い舌で交互に頭を撫でられている妹達は、二匹。当然ながら、それぞれの頭が二つ。でもその下に続く胴体が、二匹で一つしかない。

 精霊蛇の女王が背中に乗せて俺達の前に連れてきたのは、双頭の蛇――ツインヘッドの、双子の蛇だった。

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