第111話 蛇の住処

 ダグラスとシリトが身軽に足場の方に退避したところで、ユージェンが魔導書グリモワールを片手に短い呪文を唱えた。一瞬、空気が内側に押されるような感触がして、ユージェンとその隣に立っている俺とを囲う球体の防御膜が現れる。薄い虹色をしている透明の膜は分かりやすく言うと大きなシャボン玉みたいな見かけをしていて、でも、俺が中から触れても割れたりはしない。

 大蛇が頭を下げて、俺とユージェンを包んでいる膜を鼻先でつついた。


『移動する。人間、準備、いいか』

「ユージェン、移動するって」

「えぇ、こちらは大丈夫ですよ。お願いします」


 ユージェンが頷き、大蛇が大きく口を開ける。


「……わぁ」


 がぱりと開いた、大蛇の大きな口の中のリアルタイム映像。上下に二本ずつ生えた鋭い毒牙と、シュウシュウと音が漏れる喉の穴。それがゆっくりと覆いかぶさって来て、軽い浮遊感の後に、周囲は真っ暗になる。飲み込まれたのだから、当然か。肩に乗っていたミケが首筋にきゅっと身体を寄せてきたので、手探りでそのまま胸元に引き寄せて抱っこする。


「うん、上手に呑み込んでもらえたみたいですね」


 ユージェンは平気な声でそんなこと言ってるけど、こっちは結構ビクビクしてますからね?

 そうこうしているうちに大蛇が移動を開始したみたいで、ずるずると足元が勝手に動くような体感と一緒に、周囲から色んな音が聞こえてくる。蛇が通る道の途中に居る生き物達の鳴き声とか、岩盤や土の上を蛇の胴体が移動する時の音とか。感覚的には、空港とかによくある長いムービング・ウォークに乗ってるみたいな感じ。ただしそこそこ上下に左右斜めにと動くので、途中から俺とユージェンは防御膜の中で座り込み、手をついて身体を支えながら大蛇の移動が終わるのを待つ。

 時間的には、多分15分ぐらいの移動時間だったと思う。ユージェンがかけてくれた魔法も切れることなく、ほぼ遊園地のアトラクション気分で過ごした時間の後に、『ついた』と大蛇の声がした。

 今度は先ほどとは逆再生に、暗闇の中から、ずるりと外に押し出される。


「うわぁ……」


 すぐに視界に飛び込んできたのは、洞窟の天井に群れている、夜光虫の青白い光。防御膜の魔法が解かれて足をついた地面からは、かさかさと何か枯れ草を靴で踏んだような感触がする。

 ユージェンがまた短い呪文を唱えると、掌サイズの光る玉が現れた。彼がそれをとん、と掌で押し上げれば、ふわふわと浮きあがった球体は強い光を放ち、照明のように周囲の光景を照らし出す。


「……っ!」

「これは……」


 そして目の当たりにした惨状に、俺とユージェンは、息を呑む。

 俺達が立っていたのは、すり鉢状になった地形の底にあたる位置。多分、水が消えてしまった地底湖の中央だ。本来は、地底湖の一番深い場所だろう。足元にはひび割れた卵の欠片が無数に散らばっていて、足を動かすたびに、さりさりと乾燥した卵の殻を踏みしめる音が響く。

 大きな欠片の合間には、殻と同じように干からびた『何か』の黒ずんだ死骸もたくさん転がっていて、とてもやるせない。


『母さん……!』


 大蛇の上げる悲痛な声に、俺とユージェンは我に返る。

 俺達を吞み込んで運んでくれた大蛇は、枯れた湖の中央から少し離れた場所でとぐろを巻いていた蛇の身体を見下ろし、悲鳴を上げていた。


『……』

『母さん! 母さん! 死なないで!』


 駆け寄る俺達の鼻に届く、強烈な血の臭い。

 俺は泣き叫んでいる大蛇よりも更に大きな身体をした、ぐったりとしている蛇の身体によじ登り、とぐろを巻いたその中を覗き込んで絶句する。


「なんて、ことを……」


 そこには、たった一つだけ残された白い卵が、血だまりの中に浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る