第108話 精霊蛇

 精霊蛇ケチャ・ククルの幼体は、水の中で生まれる。

 どうしてそうなのかは、自分達では、良く分からない。ただそれは、世界を作った双子の神ハヌとメロが定めたことで、と示されたならば、しかないのが、この世界に生まれ落ちた命の形になるだろう。母の腹から産み落とされたケチャ・ククルの卵は水底に沈み、水に包まれて適度に冷やされながら成長する。そうして時が来たら、水分をたっぷり含んで柔らかくなった殻を被膜のように突き破って、孵化するのだ。

 だから、水が必要になる。卵を守り、慈しむ、たくさんの水が必要になる。

 母が産んだ卵が数多く孵化しても、その中で精霊蛇になることが出来るのは、ほんの一握りだ。あとは、少しばかり身体が大きいだけの大蛇に育つ。それでもみんな兄弟として心は繋がっているから、寂しいことなんてない。

 精霊蛇の女王である母の出産は数十年に一度しかなく、しかも母の跡目を継ぐはずであった雌の精霊蛇が、敵対種族のオオツノサソリに殺されてしまった。母も兄弟たちもそろって悲しみ、次の卵から生まれてくる弟と妹たちを、大事に大事に守ろうと決めていたのだ。

 しかし母が数十年ぶりの産卵を始めた頃に、精霊蛇達が住むアグラ湿地帯が、旱魃に見舞われた。雨が降らず、沼地は干からび、母が卵を沈めた地底湖からも水が消えうせた。兄弟たちで色んな所から水を腹の中に飲み込み運んでは、地底湖に吐き出して卵を守ろうと試みたが、それだけでは、とてもではないが足りない。大きな樽に水を入れて運んでいる冒険者達を見かけたら、隙をついてそれを飲み干し、卵たちの元に運ぶけれど、やっぱり足りない。乾燥した卵は次々とひび割れ、弟と妹達は、生まれる前に命を亡くしていく。

 嘆き悲しんだ母は、数少なくなった卵を守るために、自らの身体を傷つけ、流れ出る血に卵たちを浸した。それは当然母の体力を著しく奪う行為で、産卵場所で卵を守っている精霊蛇の女王は、今にも死に瀕している。

 子供の大蛇達は水源を求めて地下空洞を進み、やがてメデル山脈の地下に作られたダムを発見した。なんの目的でこんなものが作られたかは大蛇達には分からないが、これがアグラ湿地帯に向かう水を堰き止め、旱魃の原因となっていることはなんとなく察することが出来る。大蛇達はダムを壊そうとしたが、人間の管理者達に邪魔をされてしまう。それを無視して少しダムの壁を崩すことが叶っても、すぐにあの小さな修復用のロボットが現れて、損壊した場所を直してしまう。

 このまま終わりのないイタチごっこが続けば、体力が尽きるのは自分たちのほうが先だ。

 だから大蛇達は今日が決戦だと誓い合い、なんとかしてこの貯水池を支える大きな壁を壊そうと、一斉に集ってきていた。

 しかし今回はそれが、悪手となった。管理者達の杜撰さに手をこまねいていた教団から派遣された暗殺者が、管理者達を抹殺しようと飛び道具で狙ってきたのだ――。


「……という、経緯らしいですよ」


 大蛇の話を掻い摘んで説明し終えると、他の四人は成るほど、と何度も頷く。


「それで、冒険者達がホルダからリリに運搬する水が、度々無くなっていたのですね。樽の中身だけこっそり飲み干されていたら、それは確かに分かりづらかったでしょう」

「アグラ湿地帯の旱魃は、精霊蛇の女王が弱っていることも関係していると思うよ。確か、女王が自分の縄張りを巡回することで、アグラ湿地帯の地底にある気脈の流れを巡らせているって聞いたことがある」

「どっちにしても、早く水を戻さないといけないってことだな。精霊蛇ケチャ・ククルはアグラ湿地帯の統治者だ。万が一にでも絶滅するようなことになれば、生態系のパワーバランスがめちゃくちゃになってしまう」

「同意だな。ここはもう、ギルド側に報告して返答を待つなんて面倒なことは無しだ。自分達の意志で動こう」


 ダグラス達の意見に賛同したシリトは、事情を語り終えて黙している大蛇を見上げてニコリと笑う。


「まずは、ここに貯めこまれている水を自然な形に戻す。それは、俺がやる。ただ、お前さんたちのご母堂が卵を産んだ地底湖とやらに、すぐに水が戻るとは限らない。だから、俺達を信頼して任せてもらえるのならば、全員じゃなくても良いから、その産卵場所とやらに二人ほど連れていってもらえないだろうか」


 シリトの提案に大蛇は凄く戸惑った表情を見せたけれど、最終的にはこくりと頭を縦に振る。


『このままだと、どうせ、母も、弟も妹も、みんな、死んでしまう。だったら、俺を助けてくれた、人間。信じる』


 俺を介してその返答を伝えられたシリトは、頭を下げた大蛇に近づき、鼻先から眉間あたりを優しく撫でた。


「勇気のある行動だ。賞賛に値する。お前さんの信頼に、必ず応えよう。――ユージェン」

「はい」

「……できるか」

「できます」


 何を示唆されたのか、シリトの言葉だけでそれを理解したユージェンと一緒に、俺も手招かれる。


「ルーキーに任せるのは心苦しいが、大蛇の声が聞けるのはシオンだけだ。ユージェンと一緒に行ってやってくれるか」

「うん、大丈夫」


 俺も頷き返せば、大蛇と同様に、頭をぽんぽんと撫でられた。


「ありがとう。君の献身にも、必ず報いる。では、行動に移るぞ」

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