第104話 交差戦線
貯水池の壁を叩き続ける、大蛇の群れ。その衝撃で壁の一部が剥がれるごとに、通路の上も、ぐらぐらと揺れる。大蛇達の足元に集って騒いでいるのが、この施設の管理者達みたいだ。壁を壊そうとしている大蛇達になんとか抵抗しようとしているけれど、武器を使っても、あんまりダメージを与えきれてないっぽい。
大蛇達の中でも一際身体の大きな蛇の個体が、駆け付けようとするダグラスを視界の片隅に収めた途端に、牙を剥いて何かを吐きつけた。しかし予期していたダグラスは軽く身体を捻ってそれを避けたかと思うと、身体の左右に下げていたロングソードに手をかける。
随分後方を走っていた俺は、ダグラスが避けた後に通路の上に広がったその吐瀉物に、何となく視線を向けてしまった。途端にインターフェイスに青色の眼球マークアイコンが点滅し、【蛇の毒液】とだけ記してあるポップアップの片隅が、お馴染みの[ここから捲る]になっている。【慧眼】が発動したサインだ。
「えぇ、この緊急事態に……!」
でも、何かヒントがあるのかもしれない。
どうせダグラス達の注意は大蛇の方にまっすぐ向かっているのだから、こそこそする必要もないだろう。俺は少しだけ走る速度を緩めて、浮かんでいるポップアップの片隅を掴み、べろりと表面を引きはがす。
【蛇の毒液:精霊蛇ケチャ・ククルの幼体が吐き出した毒液。人間の肌が触れると、強度の熱傷と同じ激痛に見舞われる。体内に入った場合、消化管を伝い、内臓が爛れていく。直接の死に至る毒ではないが、全身を苛む痛みは、数日から一週間ほども続く。苦痛のあまり、自ら死を選ぶ者も少なくない】
……え、こっわ(激震。
何でまた慧眼さんは、こんな怖い情報だけサービス良く提供してくるんだ??
俺のことが嫌いなのか???
涙目になりそうな俺だったけど、慧眼さんがくれた情報の中に、スルー出来ない一文があることに気づく。
精霊蛇ケチャ・ククルの幼体。
幼体!? あの大きさで!?
どう贔屓目に見ても、10m以上はありそうな、立派な大蛇なんだけど!
俺が動揺しているうちにダグラスは大蛇が集まっている場所に辿り着くと、捕まえた人間に巻き付いて今にも飲み込もうと口を開けていた大蛇の一頭を、一太刀で斬り捨てた。
「だ、誰だお前は!」
「侵入者か!?」
突然の闖入者に驚く管理者達に、他の大蛇が襲い掛かってくる。その牙が届く前に唸り声をあげたシグマが飛び掛かり、鱗の生えた喉に喰らいついた。
「話はあとだ! お前達は邪魔になる、下がれ!」
「くっ……!」
「しかし、ここを放棄するわけには……!」
ダグラスの指示に渋る管理者達の一人が、隙をついた大蛇の一頭に襟首を咥えられて、貯水池に向かって放り投げられる。ギャアアという叫び声が遠くに響き、暗い水面に落ちたその先は、さすがに目で追うことが出来ない。
引き続き壁を叩き続ける蛇の群れを庇うように、先ほど毒液を吐きつけた一番体格の良い大蛇が、ダグラスの前に立ちはだかって鎌首を擡げる。グギャアと喉の奥から漏れる叫びと、シュルシュルと吐き出される、二股に分かれた長い舌。上顎と下顎に二つずつ生えた、鋭く大きな毒牙。敵対心を湛えて輝く、蛇の瞳。
『邪魔を、するな!』
「っ……!」
雄叫びと共に届く、明らかな、拒絶の意志。俺は思わず左耳を掌で押さえながら、ダグラスと対峙している大蛇を見上げる。
『壊さなければ、これを、壊さなければ、いけないんだ』
ギィギィと呻きながらくねる長い身体を覆う鱗は、よく見たら、全身が傷だらけだ。壁を叩き続ける他の大蛇を庇って、管理者達の攻撃を一身に受けていたのだろうか。
『邪魔を、するな。邪魔をするな、人間。このままでは、弟が、妹が、母が。死んでしまう。滅んでしまう。間に合わない、間に合わない』
す、と腰を落として剣を構えるダグラスが纏う雰囲気が、変わる。ぞわりと、離れた位置に立つ俺にまで伝わる、ガラスの糸を張ったような、緊張感。その間合いに入るもの全てが、切り裂かれると確約された――張り詰めた、雰囲気。
『あぁ、あぁ、人間。お前は、強い。とても、強い。わかる。俺は、かなわないだろう。殺されるだろう。でも、引けない。逃げられない。かなわなくとも、守らなければ』
ダグラスの足が、じり、と地面を擦る。大蛇に向かって動き始める、その刹那。
「ダグラス、ダメだ!!」
俺が思わず上げた叫び声に、ダグラスがびくりと、肩を揺らした。
「ダメだ、ダグラス。その蛇を殺しては、いけない」
振り返ったダグラスの瞳が、「何故だ」と、問いかけてくるけれど。
俺はそれに構わず、少しきょとんとした雰囲気で見下ろしてくる大蛇に、声をかけた。
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